山歩きの会 4月 特別企画(金子宏二さん追悼登山・谷川岳)
2016年05月01日
0.はじめに
2013年夏、多摩稲門会前幹事長であった金子宏二さんと長張紘一さん、早大OBでヨーロッパアルプスの経験を持つ平山敏夫さん、そして私遠藤ちひろの4名は越中剱岳(2999メートル 富山県)に挑んだ。
クライミングなどを除く一般ルートでは大キレット(穂高)と並ぶ国内最難関。
観光客でにぎわう室堂では立山に向かう沢山のハイカーと、ヘルメット姿でザイルを担ぎ厳しい目線を周囲に向ける修道者のような一団とに分かれる。
新田次郎の「剱岳 点の記」を引用するまでもなく遭難のニュースが絶えない剱岳を前にしても金子さんは例によって飄々としていたが、それだけに2日後に山頂で握手した折に弾けた笑顔を忘れることができない。
あれから3年。惜しくも昨年急逝された金子さんの追悼登山として、私たちは春の谷川岳に向かった。
人喰い山と言われ、遭難事故の世界記録を持つ谷川岳。標高は1977メートルに過ぎないのだが、変わりやすい天気。厳しい岩肌、そして805名の命を奪ってきた衝立岩等の難所によって世界的に知られる名峰である(エベレストでも、過去の遭難総数は86名に過ぎない)。
4月とはいえ、1000メートル以上は深い雪の世界。実は金子さんと平山さんはかつて谷川に挑戦し、天候不順のために撤退している。今回はそのリベンジも兼ねていると言えるだろう。
1.4月14日。Day1.晴れ。眼前に広がる霧の谷川岳。
初日は午前9時に川越で平山さんとその友人溝淵さんと合流し、昼過ぎに谷川へ入った。偵察を兼ねてオジカ沢から衝立岩へと回り込む。翌日のアタックはロープウェイを利用した天神平コースだが、名にしおう衝立岩をこの目で見てみたかったのだ。暖冬の影響か、アプローチの登山道にはすでに残雪は見られず春らしい陽気。金子さんとの思い出などを話題に、歩を進めていくこと1時間。オジカ沢、そして一ノ倉沢と衝立岩がその威容を見せてくれた。
本来はここからがクライミングのスタートだが、私たちがこのような死傷率の高いコースを取ることは現実的ではない。
合わせて危険区域のため冬季は立ち入り禁止とのこと(ほっ)。
記念写真のあとは、明日に備えて滑落を防ぐためのピッケル雪上訓練や、アイゼンの前爪を効果的に使う方法など、自分の命を自分で守る訓練に明け暮れる。雪上で転んだら素早く体を回してうつぶせになり、ピッケルを二の腕で固定して雪面に突き立てることで滑落を防ぐ。固いピッケルがいくつもの青あざを腕に作ったが、いよいよ気持ちが高まってきた。
2.4月15日。Day2. 雨のちみぞれ。ホテルの一室にて
朝6時、隣室の平山さんからの電話で目を覚ました。窓を開けるとちぎれるように飛んでいく黒雲が目に入る。そして吹き付ける冷たい雨。
山々の山頂は灰色の霧に覆われて全く見ることができない。
予報によれば好天に恵まれるはずだったが、昨日とは一転しての悪天候であった。
「残念ですが、これでは無理です」という平山リーダーの声とともに、事態は受け止められた。。。
このような状況で強行登山を行えば、猛吹雪の谷川岳が牙をむいて私たちに襲い掛かる。東京が気温20度であれば、谷川岳山麓の宿は7-8度。山頂はマイナス10度になるだろう。しかもこの強風ではどんなに重装備でもあっさり体温を奪われ、最悪の場合は805名の後に名を連ねかねない。リーダーの判断は賢明であり、撤退やむなしということである。
都内から谷川岳までは3時間弱。来年の再挑戦を約束しあい、私たちは10時前に谷川岳に別れを告げた。
3.その後
せっかく群馬まで来たのだから、ということで中之条町のシンボルでもある霊山「嵩山(たけやま)」に登ることにした。
谷川から小一時間、みるみる雨雲は消えていき、嘘かと思えるような柔らかい日差しが私たちを出迎えてくれる。
後半の2枚は岩場も楽しい789メートル、嵩山トレッキングの様子である。
(遠藤千尋 記)