庄内藩秘史を語った第41回「歴史に遊ぶ会」
2018年02月11日
多摩稲門会のサークル「歴史に遊ぶ会」の第41回は幕末の庄内(荘内)藩秘史をテーマとして2月8日午後2時から京王クラブ(多摩市関戸)・2階のミーティングルームで開かれた。薩摩、長州などが主導した新政府軍が会津藩、庄内藩などを攻めた戊辰戦争から150年が過ぎ、NHKの大河ドラマの「西郷どん」が放送されていることもあり、話題性があると判断したものだ。
参加者は京王電鉄OBの荒井孝之さんをはじめ7人。歴史談会後は京王クラブ1階のグリルでもう1人が加わり懇親した。
演題は「丁卯の大獄」。慶応3年(1867)、丁卯(ていぼう)の年に起こされた事件であることからその名があるが、大山庄太夫事件とも呼ばれる。テキストは「維新前後に於ける荘内藩秘史」で庄太夫の子孫である石井俊親が昭和42年に上梓したものだ。
山形県の鶴岡、酒田など庄内地方では事件を語ることが永らく禁じられたが、庄太夫らは藩主の暗殺を企てた首謀などとして密かに伝えられてきた。それは事実に反し、佐幕派が勤皇派を断罪したもので関係書類を焼却、事件の隠ぺいを図って来たというのが真相である。
庄太夫の同志の孫の代になって古い書庫から真相を明らかにする関係書類が見つかった。これをもとに郷土史家が「庄内幕末勤王秘史」という原稿をまとめた。原稿は戦前、空襲による焼却を免れるため南多摩郡連光寺村(現多摩市連光寺)の辻野辻太郎の土蔵に預けられた。この原稿をもとに石井がまとめたのが「維新前後に於ける荘内藩秘史」である。
辻野辻太郎の長女が多摩稲門会員の辻野多都子さん。庄太夫の弟で藩主の酒井忠発(さかい・ただあき)の側近だった服部和助が母方の先祖になる。
テキストは辻野さんからもらった同書のコピーである。それによると、勤皇派の大山庄太夫、松平舎人は自刃、酒井右京は切腹の命に服した。総計では30名近い庄内藩士が処断されている。
戊辰戦争で会津藩は多大な犠牲を強いられたが、庄内藩は佐幕派の重臣が死罪になることもなく新政府の処分は比較的寛大だった。西郷隆盛は庄内藩が降伏すると攻めることも止めさせた。その温情に感謝した庄内藩では(西郷)南洲翁遺訓を作り、地元の酒田には南洲神社を建てたほどだ。