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2018.6(第175回)武蔵小金井散策
2018年06月17日
6月14日、予報では一日曇りがちであるが雨の心配はなさそうである。
今回のコースは、歴史的スポットを多く散策することで、「歴史に遊ぶ会」43回目と合同企画となっている。
中央線武蔵小金井駅から10時過ぎ徒歩開始。傘をさしている女性は日傘である。
今日のメンバーは櫻井さん、中西さん、鈴木さん、青木さん、小林さん、川面さん、白井さん、尾ノ井さん、林 譲さん、又木さん、初参加の藤原雅博さん、長張の12名となった。
久し振りの白井さんのガイドによる、武蔵小金井の散策が開催された。小金井の地名の云われの「黄金の水」は、駅からわずかの場所にあった。
予定コースにはなかったが、小金井の散策にはここから出発と、ガイドの案内に従い辿り着いた。
街角の小さな一角の井戸の「黄金の水」を嗜むため、ガイドが用意した紙コップが配られそれぞれ口にする。癖はないが味は解らない水であった。冷たければ旨いと思う。
西へ進み、滄浪泉園の入口に着く。鬱蒼と茂った林の入口に門構えがあり、門をくぐると森閑とした世界の中に入って行く。明治・大正期に三井銀行などの役員、外交官、衆議院議員などを歴任した波多野承五郎が別荘とした、武蔵野の「はけ」を利用した庭園である。野鳥や野草の宝庫である。
滄浪泉園から北に進み、中央線を潜り山王稲穂神社に向う。
途中の道際の境界に陸軍技術研究所境界杭を探しだした。
稲穂神社近くにある早稲田実業の選手は、甲子園に行くときには必ず参拝するそうである。
次に訪れたのが、3億円事件でカロ-ラが乗り捨てられた場所で、数か月後の昭和44年4月に発見された駐車場を訪れた。
野川の源流に沿ったメタセコイヤの並木の向こう側の駐車場である。未解決の3億円事件は、当時大変騒がれていた。
紫陽花通りは玉川上水からの分水の道で、回りよりかなり高く堤防のような遊歩道になっている。
水車跡から玉川上水をわたり、五日市街道をわたり、小金井街道を北上し小金井公園の西門から入園する。
江戸東京たてもの園前の広場にあるベンチで食事をとる。大きな広場の周りには、桜の大樹が茂り、花期には大変賑わうところである。全員の記念写真を撮った後、園内に入る。
先を急ぐため、園内の見学時間は30分程と短くし、皆それぞれ高橋是清邸に向かう。是清が2・26事件で殺害された書斎・寝室として使用していた2階に上った。現場で、ボランティアガイドの説明を聞くことができた。多くの移築・復元建造物には、ガイドがついているが、限られた時間を小走りで回り、たてもの園を出た。良く見るためには、半日はかかると思われる。
八代将軍吉宗の享保の改革の時、川崎平右衛門は幕府の期待に応え武蔵野新田の立て直した。この功績により美濃の国や、岩見銀山の代官に転じた平右衛門供養塔に寄り、コース最後の目的地の浴恩館公園に入る。
小説「次郎物語」は、下村湖人が初代館長として若者達の指導にあたりながら、この地をモデルに構想を練り、次郎の少年時代を描いたものと説明板にある。執筆した場所の空林荘は講師の宿舎として昭和5年に建てられたものだが、5年前に焼失してしまい、土台だけが残っていた。文化財センターに入り郷土の遺跡などの展示物を見学した。
たてもの園入口バス停に戻り、循環バスに乗り込み武蔵小金井駅まで、更に南口から府中駅行きのバスに乗り継ぎ、京王クラブに向かった。浅井さんが合流し久し振りの大勢の懇親会となった。梅雨の合間の少し蒸し暑かったが、雨に降られる事はなかった。
長張 記
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