「都内屈指のうまさに納得」
2019年11月24日
80回目のグルメの会は、味は都内でも一二を争うと蕎麦通が推す「車家」で開いた。京王堀之内駅からお店まで徒歩で30分ほど歩いたが、今回はバスやタクシーを利用する人もいて、かつて参加者全員で歩いたことが懐かしかった。男性8人、女性ふたりの計10人が参加。歩きが趣味の櫻井和子さんが音頭をとり、生ビールで乾杯した。
早速箱に入った八寸盛りが運ばれた。蕎麦寿司、鴨ロース、カニの松風(蒲鉾)、エビのうま煮、出し巻卵、揚げ銀杏、それにコハダと菊の花の酢の物、と盛りだくさん。日本酒や焼酎などが注文されたが、ここで世話人が「飲み放題ではありません」と注意を喚起すると、酒のメニューの価格に見入る人が散見された。
次いで、マグロの赤身にカンパチの刺身と野菜たっぷりのイノシシの沢煮、さらに希望に応じて蕎麦がきとその新挽揚げのどちらかが配膳された。
恒例のショートスピーチがスタート。一番手の山中康廣さんは一級建築士。最近民放テレビで紹介された、山形県の「天童木工」が曲げ木で造る「マッシュルームスツール」がコンピューターの進化で、ロボットで曲げができるようになり製品化が実現した経緯を説明。学生時代に山中さんがのちの奥様や同級生と3人で設計した幻の椅子の製作コストが40年以上経って大幅に低下、一時は爆発的に売れ、今でも年に120個ぐらい売れているそうだ。
尾崎隆教さんは、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」で公金が私的に使われた疑惑を問題視しながら、「国会議員はもっとほかにやることがあるのでは。有象無象が多過ぎる。百人ぐらいでいい」と強調。「見識がなければ選挙に通らないようにすべきだ」と主張した。
川面忠男さんはこのところ相次いで自ら刊行している単行本に言及。「(カラオケサークルの)いねの会が二百回記念としてまとめた本には19人が執筆。多摩稲門会創立40周年記念文集とすることになった」と報告した。
浪久圭司さんは、「ひとりがけの椅子に座るとすぐ寝ちゃうので、背もたれがない山中さんの椅子は僕にはちょっと無理。おととい居間のソファーを変えて革張りにしたが、古いのを粗大ごみで出すときにある感慨があった。夫婦、家庭の歴史につながるなあ、って思いながら、仏壇の女房に『出すよ』と伝えた」としんみり。
寄席が好きという櫻井和子さん。「黒い革張りのソファーに一日中ひっくり返っている。きのう朝日寄席に出かけたが、舞台まで遠いいし、テレビの方が楽しめると分かった」。長張紘一さんは「マッシュルームチェアはデザインが素晴らしい。ただ6万3千円というのはちょっと高いと感じた」。
広田進さんは「先日早稲田の文化祭に行ったが、いまのワセダは実に穏やかだった」と60年日米安保闘争当時の自身の学生時代との違いに驚いたそうだ。
来年の東京五輪を控え、前回1964年の東京五輪を回顧したのは西村弘さん。当時NHKの秋田放送局にアナウンサーとして勤めていたが、ことごとく米国製だった放送機器が日本製に徐々に変わっていったそうだ。頭の上からぶら下がっていた大型マイクがソニー製の小型に変わり、特にスポーツアナが重宝したそうだ。「東海道新幹線、首都高速道路が開通し、まさに大変革の時代だった」。
ガン治療が一段落して久しぶりに参加した澤村祥さんは昨年ガンで亡くなった樹木希林さんについて、「歳が同じで、性格も人生も似ていた」とその死を惜しんだ。「私は去年8月に医師から年内いっぱいの命と言われた。しかし、ガンに集中的に放射線を当てられる陽子線治療を受けて生き延びている。陽子線治療は保険も利く。東京のがんセンターは混んでいて間に合わないから郡山の南東北陽子線センターがお薦め。あと2、3年は生きて絵を描き続けたい」と不治の病を乗り越えた喜びを語った。
世話人は、多摩三田会と多摩稲門会との交流が本格化しつつあることを報告。「グルメの会でも今回のように10人限定の会の場合は三田会に参加を呼びかけないが、多人数でも参加可能な時は呼びかけるのでよろしく」と協力を求めた。