2010.10(第116回) 倉岳山
流石に10月になれば猛暑もおさまり、関東地方はやっと秋の気配となった。桂川の南に連なる山々は前道志と呼ばれる山々でその中で一番高い山が倉岳山である。
倉岳山は勿論大月秀麗富嶽12景の一つである。中央本線を大月に向って四方津を過ぎる車窓の北側には扇山・百蔵山や岩殿山の堂々と構える山なみが続いているが、南側は特に目立って構える1000mを越える山はない。9時11分に鳥沢駅を降り宇田川さんと合流し、国道を上り方面に戻る。目指す倉岳山は雲に霞んでいた。車道から外れ線路の下の低い通路を抜けると住宅地が続く。桂川に掛かる車道を渡る。今日のメンバーはAコースでは初デビューの平松和巳さん・柴田さん・宇田川さん・上杉さん・金子さん・長張との6名となった。
鳥沢駅から30分ほど進むと車道は鉄のゲートで遮られて終わっている。脇にある鉄格子の戸を開けて山道に入る。鹿か猪よけのフェンスと思われる。ここからは熊よけの鐘や鈴の音を出しながら、なだらかな坂を上ってゆく。暗い檜の植林の道は単調な上りである。小篠貯水池のダムの堤防に低木を植えて文字が書かれている。なかなか判明できなかったが上るにつれ「おしの」と平仮名の文字が読めた。この文字は何処に見せるものなのか疑問に思った。堤に上がってみたが農業用か飲料用か治水用なのか解らなかった。
渓流の流れの音を聞きながら、植林の中の暗い上りがしばらく続く。
10時半過ぎ石仏の分岐に達した。高畑山への岐路になるが我々は左に路を取り、穴路峠に進む。夫婦杉や滝のある渓流を右に左に、苔むした岩場を登って行く。
11時半過ぎ穴路峠に辿り着いた。先は浜沢へと下る。尾根筋は高畑山から続いている。青年2人がその路から倉岳山へ足早に通り過ぎていった。若者の登山者は稀である。
初参加の平松さんのペースにあわせ一歩一歩、最後の登高を進める。
山頂には12時半過ぎに辿り着いた。大勢の人で溢れていた山頂は、久しぶりに出合った光景である。シーズンや天候も恵まれたとは思うが、同じ楽しみを共有できる人が多くいることに何故か嬉しくなる。
山頂は赤松などの自然林が生茂っている。北側は開けており見通しがきいていた。先月のAコースだった権現山は、扇山の背後に構えていた。南側に望めるはずの秀麗富嶽は雲で遮られていた。眼下には鉄道沿線の街並みや中央自動車道が続いていた。
以前山歩きの会でも訪れたが、大月近辺の高川山・九鬼山は、何れもリニアモーターカーの実験線が山頂の真下を貫いて、そのままこの倉岳山の南側の山稜を東京方面に向っている。実験線はそのまま実用となるはずで、次世代の名古屋・大阪方面への日帰り出張には当たり前に利用されている事であろう。南アルプスを貫いく最短コースが決定されたと新聞は報だ。
山頂でのランチタイム、これが山歩きの至福の時だ。30分余を費やす。 多少ばて気味だった平松さんも、元気を取り戻したようで、愛妻弁当を平らげた。
1時10分過ぎに山頂を下りた。急坂は慎重にゆっくりしたペースで下る。
コウヤボウキ、シラヤマギクやセキヤノアキチョウジなどの花が盛りを迎えている。あちこちに咲いているアキノキリンソウの黄色い花もやり過ごす。尾根筋の立野峠で休んでいると幾つかのグループが梁川方面へと忙しく尾根を下って行く。月夜根沢を下りやがて唐栗橋で車道に出た。駅まであと20分。
桂川を渡る梁川大橋でうしろを振り返ると、橋の上に昼食をとった山頂が、遠く雲の下に望むことができた。桂川は上流も下流方向も深く切れこみ紅葉には少し早めの森が続いている。梁川駅界隈には居酒屋はなく、雑貨屋で各自缶ビールで喉を潤したが、懇親の宴を持つことはできなかった。駅ホームで山中湖に帰る宇田川さんを見送り帰途に着いた。 長張 記