第250回記念の「いねの会」
多摩稲門会のカラオケサークル「いねの会」は原則として毎月第3月曜日の正午から催されるが、7月21日は活動を開始してから250回目となる記念の会になった。猛暑にもかかわらず参加者は14人。ビールで乾杯後、世話人の上條喜義さんが20年の活動歴を振り返った。
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冒頭、上條さんが「いねの会250回記念」と題した2枚のプリントを配った。それによると、同会が発足したのは2002年12月。会場は京王線中川原駅近くの和風居酒屋「志満屋」だった。同店が閉店となり、2007年に聖蹟桜ケ丘駅に近いスナック「麗」に会場を移した。2019年11月が開催200回目。その時はメンバーが寄稿して『いねの会二〇〇会の歩み』と題した冊子を作った。同会に入会の経緯、活動、感想などを綴ったものだ。
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2020年10月、「いねの会」はいったん解散した。会場として利用していたスナック「麗」がコロナを理由に閉店したからだ。しかし、「いねの会」の再開を望む声が多かった。そして「麗」の客でもあった女性が「スナック京」を開店、会場が確保できたことから同年末に再開することになった。世話人も上條さんが引き受けて今日に至っている。
この間、少なからずのメンバーが物故した。「いねの会」を立ち上げたのは3人だが、そのうち按田弘さんが13年前、田中亮介さんが昨年12月に逝った。上條さんの話を聞いて参加者は故人を次々と思いだし12人の名を数えた。
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「いねの会」は歌い、飲んで食べ、歌の邪魔にならない程度にお喋りを楽しむ会だ。多摩稲門会の会員がお互いの人生歴、人柄を知る機会になっている。「いねの会」の会長だった井上克助さん(故人)の場合、旧海軍の士官を養成した海軍兵学校の最後の卒業生であり、江田島の兵学校生活の経験を語ってくれた。井上さんたち75期生を指導したのは2期上の73期生だが、その三分の一が戦死したと言った。井上さんは兵学校を卒業したものの終戦となり、早稲田大学を経て東京電力の人になった。
古くからのメンバーには幕末の長州藩の有力商人、白石正一郎の子孫がいる。白石正一郎は高杉晋作の奇兵隊を援助した人物だ。
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21日は4曲ずつ歌い、残り30分となり参加女性がデュエットの相手と歌う曲を決めた。3人の女性のうち2人が選んだ曲が「夕日の丘」と「銀座の恋の物語」。どちらもカラオケ画面に石原裕次郎と浅丘ルリ子さんが映る。日活映画の往年のスターだ。「裕次郎を歌う会」に入り、「いねの会」でも裕次郎の歌ばかり歌っていた人(青山さん、故人)を思い出した。
「いねの会」は早稲田大学校歌「都の西北」を歌って締めるのが通例だが、当日は祝日の「海の日」であり、童謡の「浜辺の歌」に代わった。最後に童心に戻った次第だ。
(文責・川面)