2010.05(第113回) 日和田山
前月の天気は大荒れであった。40年振りの雪で月例会は中止し、京王クラブでの懇親会を行うのみであった。毎日乱高下する気温が続き、冬夏冬夏の繰り返しで安定した春がなかなか訪れなかったが、5月連休は50年ぶりの晴れが続き一気に夏空になってきた。
今日は早朝から五月晴れの絶好のハイキング日和となった。少し肌寒い中を10時少し前、西武秩父線武蔵横手駅前の国道を少し戻り、五常の滝への道に折れる。舗装された林道が続きゆっくり登って行く。2・3台の車が追い越して行った。あちこちの樹木にからまったヤマフジの花が満開でほのかな香りを漂よさせていた。路肩一面にシャガの花も咲きほこっていた。
30分ほどで五常の滝に着いた。五常とは、儒教でいう仁・義・礼・智・信の5つの道徳のことで、南北朝時代高麗一族の武者がこの滝で身を清め、戦場に向ったという伝説が残っている。大和朝廷は、朝鮮半島の高句麗滅亡後に日本列島に渡った渡来人を、現在の埼玉県日高市や周辺一帯に集めて武蔵国高麗郡をつくったといわれているのだが。更に30分進み土山、また20分ほど進むと北向地蔵に辿り着いた。
辺りは杉林で覆われ道幅も広く、軽四輪が通っているようである。どこか陣馬周辺の山道の尾根歩きの趣に似ている。
正午少し前に物見山に着いた。大勢のハイカー特に子供達で賑わっていたが、尾根筋のような頂を奥に進むと空いた細い丸太のベンチが連なっており、そこで一同昼食をとることになった。ベンチの場所は杉林の下の日影で、しかも冷たい風が通っている。食事を終えた体が冷えきった一同は皆、手前の陽あたりの良い場所に出て体を温めていた。物見山からの眺めは良いと言われていたが、杉林が成長し視界の邪魔になり、また無粋な高圧線が肝心の景観を妨げていた。時間の余裕は充分にあったが、賑わっている山頂を早々に下山した。
今日のメンバーは櫻井さん・川俣さん・柴田さん・中川さん・上杉さん・金子さん・長張と中川会長のご友人大矢誠一さんが参加された。
常連である橋本さんは今日の参加ができないことで、連休を利用して家族で同コースをトライされたようである。川面さんは地域の自治会で忙しい。山岸さんも珍しく不参加であったが、それでも今日のメンバーは8名となった。
広く開けた駒高を過ぎ、無線中継所のある高指山は通行止めとなり引き換えし日和田山に向った。
日和田山頂も大勢の人たちで賑わっていた。何時ものコースではあまり見られない子供達の姿が多く見られる。山頂には大きな石塔があり、東側の眺望は開けていたが、巾着田の方向は見渡すことができない。少し下った金刀比羅神社まで足を延ばす。
金刀比羅神社の鳥居を通して箱庭のような巾着田を眺め、大岳山の背後の冨士は霞んで見えなかったが、大山はかすかに確認する事ができた。2年前秋にBコースで行われた高麗の里歩きの場所が眼下に見えていた。
建設中のスカイツリーが見えると言われその方向を捜しだすが確認するができず、望遠レンズをセットして撮ってみたが、左の方に確かに棒のようなものが霞みの中に写っていた。
神社から急坂の男坂を避けて女坂を下る。男坂の合流地点に鳥居があった。そのまま下ると車道に出た。鹿台橋を渡りここで上杉さん・大矢さんと別れた。時間があるので一同巾着田の河原に出て、長閑な田舎の景色に浸り楽しんだ。
今日のコースは林道を歩いたり、また平行したハイキングコースであったり、道幅も広く全体に良く整備されて子供達にも安全なハイキングコースであった。
八王子駅を降り、「和民」の居酒屋の生ビールで乾杯。清々しい気候であったのでペットボトル一本で済ませていたが、やはり歩いた後のビールは特別の味がする。中川会長は盛んに会長職の辞意をほのめかしているが、誰も肯定はしない。時がくれば納まる所に納まるのが組織である。 長張 記