2006.10(Bコース) 多摩自然歩道
気候が清々しくなってきたせいか、山歩きの会の参加者が多くなってきた。80を超える川妻会長は、久しぶりの参加である。70を越えた中川さんは、集合時間がお昼過ぎ1時の中途半端な時間であり午前中高尾山に登ってきたということであった。金子さん・白井さんは夫婦同伴であった。御正体山で一緒だった川崎市の柴田さんも参加しており、川面さんと私で9名の参加であった。
小田急のよみうりランド前駅まで多摩センター・新百合丘経由で1時間20分前に家を出て丁度良い時間であった。川妻さんは歴史古街道団でよくこの辺りを歩いておられて、皆にその時の地図のコピーを配られていた。
多摩自然歩道は神奈川県川崎市にある幾つかの緑地保全地区を、途中一般道をつなぎながらハイキングができるルートである。長いルート全てを緑道でむすぶことは首都圏では難しい。読売ランド前駅から直ぐ多摩緑地保全地区に入ることができる。右の東側は高くなって日本女子大のキャンパスがある所で、樹木で見通すことはできない。その反対側の左手西側は住宅が並んでいるのが見通すことができる。緑地の幅は薄いのだが山道の気分には十分させてくれる。白井さんは唐木田の住まいだが、窓越しの緑道とそっくりと云っていた。近くの住民には有難い緑ではないかと思う。
緑地から出たよみうりランドの駐車場前の一般道で川妻さんがリード役を率先している。日本テレビのスタジオやフルーツパークの脇を通って行く。フルーツパークの入場料無しで寄ってみたかったが、時間の都合でやり過ごした。ガラス張りの背の高い温室が幾つか見える。ウイークディのせいか車はあまり通らない。
下り坂の途中から、これから訪れる小沢城址緑地を撮ってみた。道の左側は緑の多い森や畑が続いているが、右側の東側は写真のように住宅が隙間なく迫っている。道際の斜面にへばり付くような分譲住宅が売り出し中であった。景色は良さそうだが通勤には不便なところのようである。
さらに進んでいくと寿福寺にでることができた。
松の木立の間の石畳を進んで山門をくぐると立派な本堂がある。源義経が弁慶とともにここを訪れ、ここに安置されている十一面観音菩薩に、頼朝との不和の恢復を祈願したと云われがあるようである。奥州への逃亡途中にこのような言い伝えは色々なところに残っている。川崎市重要歴史記念物に指定されている。
さらに下った田舎の景色で柿が鈴なりになっていた。鳥に食べられていないので渋柿ではないかと話していた。長閑な田舎道が、写真にある遠くから見えていた小沢城址緑地の裾まで続き、再び多摩自然遊歩道への分岐にはいる。遊歩道は真っ直ぐ東西にまたがる尾根まで上り、尾根筋にそって小沢城址・空堀・小沢峰・古井戸・浅間山・お台場などの標識と、地域の団体が作ったと思われる物語という解説の案内板が完備されていた。
遊歩道はしだいに下りになり、横木でできた階段を降りると小沢城址緑地も終わり、旧三沢川沿いの住宅地に出た。そのまま旧三沢川に沿って進み、菅北浦緑地の手前を右折し50メートルほど坂を上ると薬師堂への石段に着いた。
境内にある大きな欅で後ろ側半分は朽ちていた。また、境内には何かいわれがあると思う土俵があり、その裏手は広い森の山が迫っており、ここにも貴重な緑が広がっていた。地域の高校の100人弱の男女生徒の団体が、感心なことに道路の清掃をしていた。生徒それぞれ自由奔放で、昔の進学校のような顔つきには見えなかった。ここから稲田堤の駅までが4.2キロの多摩自然歩道である。ここの住民の柴田さんに駅まで送ってもらった。恒例の歩いた後の飲み会は、会長がおられれば京王クラブと決まっている。しかし、参加するのは男性だけであった。 長張 記