史談会「明治維新後の清水次郎長」
2014年05月04日
「歴史に遊ぶ会」は5月2日、多摩市関戸の「鳥はな」で「明治維新後の清水次郎長」を演題にして「史談会」を行い、9人が参加した。
作家の諸田玲子さんが日本経済新聞の朝刊に次郎長の養女のけんを主人公にした小説「波止場浪漫」を連載中であり、けんが「おとうちゃん」と呼ぶ次郎長がしばしば登場する。清水次郎長こと山本長五郎が開業した船宿「末廣」を訪れた際、「年表・清水次郎長」をいただいた。次郎長の誕生(1820年1月1日)から死去(1893年6月12日)まで74年の生涯の出来事が記されている。
明治元年(1868)の次郎長はまだ49歳、その後の25年の人生は、博徒の大親分といったものではなく社会事業家、篤志家であり、清水を港町として発展させることに尽力したものだった。
次郎長物語は映画などで見た喧嘩出入りや子分の石松の復讐など人口に膾炙されているようだが、明治以降の次郎長についてはあまり知られていない。史談会の後、参加者からも「おもしろかった」という感想が聞かれた。
博徒の親分は大勢いたが、なぜ次郎長は有名になったのかという疑問が出された。次郎長の養子になった天田五郎(愚庵)が「東海遊侠伝」を著し、これが種本になった昭和10年代に浪曲が人気を博した。同じ頃「旅姿三人男」という流行歌がヒットした。そういうことが次郎長人気を高めたのだろうという見解に落ち着いた。