第1回「ライブ演奏同好会」 早大マンドリン楽部の8人
2014年07月20日
多摩稲門会の第1回「ライブ演奏同好会」が7月12日午後5時半から多摩市諏訪の「多摩永山情報教育センター」で行われた。第一部は早稲田大学マンドリン楽部の8人による演奏、第二部が飲み放題と中華料理を食べながらの懇親会。稲門会員、家族、故人となった会員の夫人ら約44人が参加した。
同会は多摩稲門会では11番目にできた新サークルで、演奏会に先立ち稲門会の藤井副会長が「会員が楽しみ、地域社会と交流し、会員の増強にもつなげたい」と立ち上げた趣旨について説明した。
演奏会はマンドリン楽部のOBで国分寺稲門会幹事長の大橋さんがまず進行役となった。 大橋さんによると、マンドリン楽部は創部が大正2年(1913)で、今年は101年目、昨年は盛大な100周年記念演奏会を行った。
早大マンドリン楽部の演奏はどこでも応援歌「紺碧の空」から始まる。2曲目は、早大教授も務めた西條八十作詞の「青い山脈」だった。
この後、大橋さんは演奏メンバーの楽器について説明した。フロアにマンドリン楽部員がイスに腰掛け、楽器を手にしている。向かって左から男性、女性、男性の3人がマンドリン、その右隣がフルート、さらにマンドリンドラ、マンドリンチェロ、そしてクラシックギターの男女だ。マンドリンドラは略してドラ、演奏者をドラ娘と大橋さんは言って聴き手を笑わせた。
この後、司会が折原葉子さんに代わった。折原さんは桐朋音楽大学で作曲理論を専攻した方だが、軽妙な司会で知られる。早大マンドリン楽部のOBで多摩稲門会員の上條さんが所属する聖ヶ丘マンドリンアンサンブルは年に一度の演奏会を催すが、演奏会の司会は折原さんの指定席になっている。
続く演奏はイタリア民謡調の「カタリ・カタリ」になった。「カタリちゃんという女の子の失恋の歌ですね」などと、まさに折原さんらしい語り口だ。
「イエスタディ」をはじめとしたビートルズのヒットメドレーの解説では「アメリカでロックンロールというくだらない歌が流行りましたが、イギリスのビートルズはそれを芸術作品にしました」と言った。1970年代の日本の歌として山口百恵のヒット曲「いい日旅立ち」が演奏された。「女の子の大切なものをあげて失恋すると、北に旅立つのです。『北の宿』、そして『津軽海峡冬景色』と」。こんな解説も折原さんが語ると、すらっと耳に入る。
「見上げてごらん夜の星を」という坂本九のヒット曲が演奏された時は、フロアの天井が夜空の星のような照明になっていた。
演奏曲目がNHKの朝ドラ「アマちゃん」の歌や「花は咲く」になった時、再び大橋さんが登場し、東日本大震災に襲われた岩手県陸前高田市の写真を見せながら話し出した。
津波が退いた後、街に残ったのは4階建ての高田病院だけだった。津波は4階の高さまで押し寄せたが、多くの患者、職員は屋上に逃れてヘリコプターに救助された。その時の院長が石木さんだった。石木さんは早大理工学部を卒業後、医師になりたいと東北大学医学部に進んだ。早大ではマンドリン楽部で活動したという。
アニメ「となりのトトロ」メドレーも演奏された。司会は再び折原さんに代わり「少女が森の中で魔女に会うのは少女の通過点」と解説した。むろんファンタジーな世界であり、少女時代は想像力が豊かということであろう。
この他、「宇宙戦艦ヤマト」や「ルージュの伝言」なども演奏された。聴き手もマンドリンの生伴奏で美空ひばりの晩年のヒット曲「川の流れのように」と唱歌「ふるさと」を歌い、最後に立ち上がって校歌「都の西北」を合唱した。
以上が第一部、続いて10分後に懇親会となった。