早稲田に縁の深い映画「KANO~海の向こうの甲子園~」。
2014年12月21日
多摩稲門会のカラオケサークル「いねの会」は冒頭、他のサークルからの連絡の場ともなる。12月例会は16日行われたが、相談役的立場の田中さんが乾杯を発声、映画の試写会の話をし、詳しくは早稲田スポーツのオッカケたい長である湯浅さんからとつなげた。この話は広く知ってもらうのが望ましいと考え、湯浅さんに以下の通り文章にしてもらった(いねの会幹事)。
早稲田に縁の深い映画「KANO~海の向こうの甲子園~」。
先月の多摩映画祭において30日にヴィータで特別上映された台湾作品です。
台湾では今年2月に封切りして記録的な大ヒットをして11月に台湾のアカデミー賞といわれる「金馬奨」(キンバショウ)の国際映画批評家賞と観客賞をとりました。日本では来年1月24日に一般公開されます。王貞治氏もPRに一役買うことになっているそうです。乞う ご期待!
内容は83年前の昭和6年夏の甲子園大会に日本統治時代の台湾代表が初出場して準優勝した日本人、台湾人(漢人)、台湾原住民による「嘉義農林学校」の感動の実話です。12月3日の日経文化欄に『映画は人種差別など植民地支配の負の部分を冷徹に見すえながら弱小の混成チームが猛練習と理論的な指導で力をつけ、勝ち上がっていくさまを生き生きと描き出す。』と紹介されています。
選手達は『監督は一切人種差別をしなかった。』と戦後も慕っていたそうです。
そして映画の主人公達は早稲田と深く結びついています。
野球部を指導した近藤兵太郎氏(昭和41年没、享年77歳)は大正年間の初代松山商業監督として甲子園常連校に育て上げた方で、その教え子は早稲田に進みました。戦前に巨人、戦後は阪神の監督を務めた藤本定義氏や昭和22年~ 32年の早稲田の名監督・森茂雄氏です。
近藤氏は戦後郷里松山で新田高校の監督をしましたがその教えを受けたのが6月の文化フォーラム講師の石井連蔵氏と一緒に出席された亀田健氏(昭和35年卒、外野手・元六大学連盟理事)でした。亀田氏は「近藤先生から野球のイロハを仕込まれて早稲田へ進むことができた」と心から尊敬していて、3年前の台湾の映画会社からの要望に応えてご遺族とのつなぎ役を務める等色々と尽力されて台湾公開にも立ち会ったと伺っています。
チームの主将・投手・四番の呉明捷(ゴ・メイショウ)選手(昭和58年没、享年72歳)は昭和8年に早稲田に進み、一塁手で7本の本塁打を打って戦前の早稲田最強スラッガーと云われています。当時の早稲田は前で叩く確実性を重視した「早稲田式打法」でしたが呉選手だけは振り切る豪快な打法を許されていたそうです。昭和12年春の早慶一回戦延長11回裏のサヨナラ本塁打は大ニュースになったと聞いています。
長嶋が8本打つまでは昭和初期の伝説的な強打者・宮武(慶応)と共に7本の本塁打連盟記録を保持していた六大学のスーパースターでした。
最新情報によると新年の早稲田学報には映画「KANO」の紹介、また4月号 (3月15日発行)には呉選手の記事が掲載される予定です。
<映画の概要>
製作 :ウェイ・ダージョン(多摩映画祭トークショーに出演)。
監督 :マー・ジーシアン ( 〃 )。
日本側出演者 :永瀬正敏(近藤監督)、坂井真紀(近藤監督の妻)、 大沢たかお(日本人水利技術者で野球部を応援)他。
台湾側出演者 :ツァオ・ヨウニン(呉選手)・・・野球U21台湾代表。
上映時間 :180分。
マー監督のトークショーでの話:
『リアルさを出すために部員には野球経験者を配役したかったので台湾全土の高校、大学野球チームから募集して、2ヶ月間演技指導をしました。』
<余談>
トークショーには呉選手のご子息2人、亀田氏ご夫妻が出席されました。
終了後には映画に関係した方々と一緒に写真におさまる栄に浴しました。
<写真の説明>
① 新田高校監督時代の近藤兵太郎氏
② 呉選手のサイン入りプロマイド(呉選手次男・堀川盛邦氏提供)
③ 昭和12年春の早慶戦でサヨナラ本塁打を打った瞬間
(ベースボールマガジン社発行「激動の昭和スポーツ史・大学野球」より)
④ サヨナラ本塁打でホームインした場面(堀川盛邦氏提供)