世田谷の歴史散策 11人が参加
2015年02月15日
サークル「歴史に遊ぶ会」は世田谷の歴史散策を行った。2月13日午後1時、小田急線経堂駅南口に11人が集合し、約7kmの道程を元気よく歩いた。
まず世田谷八幡宮に向かった。源義家が11世紀末の後三年の役から都へ帰る途中豪雨に遭い、10数日を過ごした縁で創建された神社とされる。後には世田谷領主・吉良家の祈願所となった。
東急世田谷線の宮の坂駅を右に見ながら線路を渡ると井伊直弼の墓がある豪徳寺。参道を進み仏殿の前で参加者が記念写真におさまった。豪徳寺の前身は世田谷城主・吉良政忠が伯母の菩提のために建てた弘徳院。世田谷は寛永十年(1633)、彦根藩井伊家の領地になり、寺も井伊家の菩提寺になった。寺の名も藩主・直孝の法号をとって豪徳寺と改称した。直孝が落雷に遭った際、猫が招き入れたという伝説もあり、招福観音も人気スポットだ。
豪徳寺の南に世田谷城址公園がある。清和源氏・足利氏の一族、吉良氏の居城であった。説明板を読むと、小田原北条氏と縁戚関係をもつが、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落に伴い、吉良氏は上総国生実(おゆみ、現千葉市)に逃れ、世田谷城は廃城になったと記されている。
城山通りから烏山川緑道を歩き、吉良氏一族の墓所がある勝光院を訪れた。由緒ある梵鐘が伝わり、世田谷区の名木百選に入る孟宗竹林が広がっている。
その後、世田谷通の交差点を渡り、東に向かいボロ市通を歩いた。右側に藁葺き屋根の世田谷代官屋敷が見える。入場は無料だが、受付で人数分のパンフレットをもらった。
「世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ヶ村の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています」と記されている。庭には白州の跡、建物の内部ものぞくことができる。
ここで稲門会の会員である福田宏さんのことが話題になった。大場代官の弟が江戸末期に四谷左門町の大番与力であった福田家の養子になった。その子孫が福田さん。現在「一般財団法人 大場代官屋敷保存会」があり、福田さんは先祖の縁で同会の評議員になっている。
代官屋敷の奥に郷土資料館があるが、当日は不参加の福田さんにいつの日かご案内していただくことにして先を急いだ。最終目的地は松陰神社である。
ボロ市通を北に折れ、世田谷区役所の前を通り過ぎ、区役所前の交差点を右折すると左に若林公園、その隣に松陰神社がある。
社殿に参拝し、萩にある松下村塾と同じ造りの建物を見た。建物の板にNHK大河ドラマ「花燃ゆ」のポスターが貼られている。松陰の妹、杉文をモデルにしたドラマ。一行の足は松陰の墓所に向かい、幕末を回顧した。
「井伊直弼が首謀した安政の大獄で松陰が30歳という若さで刑死しなかったならば弟子の前原一誠は萩の乱を起こさなかったのではないか」。話は薩摩に飛び、「西郷隆盛や大久保利通を引き立てた小松帯刀が36歳で病死しなかったならば西南の役は起こらなかったのではないか」と歴史散策は史談会になった。