2015.5(第152回)滝山城址
2015年05月17日
5月の例会は13日、先月荒天のために中止した滝山城址を順延した。今日は櫻井和子さん、中西摩可比さん、金子宏二ご夫妻、浅井隆夫さん、私を含め6名となった。
八王子駅からバスで北上し20分ほど滝山城址下バス停で下車する。そこが滝山街道沿の入口となる。まっすぐ丘陵に向かって樹木の茂る中に入り、小道を上って行くと、日差しは遮られ涼やかな上り道を楽しめるようになった。
台風6号名残りの温帯低気圧が夜半に関東を急速に過ぎ去り、朝から空気の澄んだ好天との天気予報通りとなった。
滝山城址は都立自然公園にあり、良く整備され、園内には5000本の桜がある桜の名所として親しまれている。既に桜の花の時期は終わっているが、新緑の木陰のハイキングは快適である。
中の丸址にある広場の北端に人のいない東屋があり、僕らは少し休憩をとる。北側は多摩川の流域まで急斜面が続き、関東平野が広がっている。
戦国時代、城主北条氏照と甲斐の武田信玄が、壮烈な戦いを繰り広げたが、山城の弱点を補うために八王子城の築城を始めたといわれている。二つの名城はともに重要な文化遺産として国指定史跡となっている。
食事の時間には少し早いので、曳き橋を渡り本丸址に向かう。本丸址には霞神社、その奥に金比羅神社が祀られて、その北側も眼下に平野が広がっていた。
弁天池址の向にある山の神曲輪址に、直接谷を降りようと試みたが、藪が多く引き返し中の丸址に戻る。中の丸址は先程の閑散とした場所から大勢の食事をする団体で賑わっていた。千畳敷址で食事をすることにした。
千畳敷址の木陰のベンチを選び食事をする。大きな広場の一部はベンチ設備の工事のため囲われていたが、工事業者の作業員の他は僕らしか人はいなかった。
食事を済ませ三の丸から弁天池の谷戸の向こう側の尾根筋に入り山の神曲輪址に向かう。
山の神曲輪址もその北側も眼下に平野が広がっていた。
園内にある掲示板には、当時の城の姿、敵の兵士達らの守り方等、図解で解説されている。この掲示板には、眼下の農民達の逃げ場としても利用されたと記述されている。
コの字型に通路が曲げられ、敵からの攻撃を防ぐ場所等、ゆっくりと城址散策は
興味深く楽しいものであった。
山の神曲輪址から三の丸址に戻るが、途中にある鐘楼から西側の斜面を巻く道を歩く。この辺も城内であるが、余り歩かれた道ではなく倒木も多くあった。乗泉寺の境内の縁にある、孟宗竹に覆われた竹林尾根筋を下って行く。尾根筋に沿って堀と思われるなだらかな斜面が続き枯れ落ちた笹の上を下って行く。やがて三の丸址前の道にでた。
再び二の丸址に戻り、古峰の道に入る。加住丘陵の緩やかな尾根道は幅広く長く続いている。右側の南斜面の下は滝山街道に沿う谷地川、左側斜面の下は多摩川でその間にまたがる加住丘陵にはヤマツツジの花が群生していた。
国道16号線まで続く古峰の道の途中から道の駅に続く分岐で滝山街道に降りて行く。
緑陰から出ると流石に日照りは強く長閑な東京の田舎道のような農地を横切り、街中や谷地川の中洲を通り、旧道から滝山新道に出た所の道の駅に着いた。
道の駅は結構賑わっていた。道の駅からバスで八王子駅まで、駅ビルの居酒屋で恒例の生ビールで乾杯、5月にしては日差しの暑いハイキングであった。