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「朝鮮通信使と日韓外交」をテーマに史談会を開催

2015年08月02日

サークル「歴史に遊ぶ会」は7月31日午後1時半から多摩市永山の公民館、ベルブ永山のサークル室で「朝鮮通信使と日韓外交」をテーマに史談会を行った。今回が第29回目、10人が参加し、講師が1時間半ほど話した後、聴講者たちが30分ほど感想、意見を述べ合った。その後、暑気払いを兼ねてビールなどを飲みつつ歓談した。

 

朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節は日本通信使と呼ばれた。「通信」とは、お互いが信(よしみ)を通わし合うという意味であり、対等関係に立ち交隣するというものだ。豊臣秀吉の朝鮮の役で中断したが、朝鮮との貿易が活路の対馬藩の奔走で徳川政権下でも復活、江戸時代だけで12回続いた。

 

朝鮮通信使は正使、副使、訳官、画員など総勢4、500名で、対馬・厳原から江戸までの往来途中も接待し、幕府はむろん各藩の費用負担も大きく、財政の逼迫などの理由で1811年が最後の通信使となった。それまでは江戸で通信使を迎えていたが、最後は対馬までだった。これは易地聘礼と言われる。

 

儒学者の雨森芳洲は18世紀半ばごろまで対馬藩の朝鮮御用方佐役、朝鮮通信使の真文役(外交文書の翻訳・起草)、貿易交渉の際の裁判役を通じて朝鮮を正しく認識していた。自分の経験を踏まえ、「誠信の交わり」ということも説いた。「互いに欺かず、争わず、真実を以て交り候を、誠信とは申し候」というものだ。

 

韓国の蘆泰愚元大統領が1990年に来日した際、そうした歴史を踏まえ、宮中晩さん会で雨森芳洲が誠意と信義の交際を信条とし現代の韓国でも賞賛される日本人の一人であると述べた。

 

現在、朝鮮通信使にゆかりのある日韓の自治体や関係団体、対馬市民らが通信使の世界文化遺産を目指し、活動を開始している。

 

もし朝鮮通信使が明治維新前後も続いていたならば、その後の征韓論、朝鮮併合がなかったかもしれず、今ほど日韓関係が悪化することもなかったであろうーー温故知新、未来に生かしたいというのが参加者一同の感想だ。

(文責・川面)

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