9月の「いねの会」は追悼歌
2016年09月25日
多摩稲門会のカラオケサークル「いねの会」の9月例会は、第3火曜日の20日に13人が参加して多摩市関戸のカラオケスナックで行われたが、去る11日に物故した会員を供養しようと黙祷後、「人生劇場」をはじめ追悼の曲を選ぶ参加者が少なくなかった。物故者は稲門会の副会長だった若杉公朋さん。「いねの会」の会員ではなかったが、第1回文化フォーラム(2000年9月)の講師となるなど会の長老で多くの会員に敬愛されていた。
最初の「人生劇場」は、若杉さんの17日の告別式でもメロディーが出棺の際に流された。この歌は早稲田大学の総長だった奥島孝康さんをはじめ早稲田の第2校歌だと言う人が少なくない。歌は尾崎士郎の小説「人生劇場」をベースにして作られた。若杉さんは「人生劇場」を読み、主人公の青成瓢吉と著者の尾崎士郎を重ね、尾崎の家を訪ねるほどの親交を重ねていた。若杉さんを追悼するのにふさわしい曲で、筆者が歌うと複数の参加者が唱和した。
若杉さんは富山県山田村(現富山市)の旧家の出身で、旧八尾町(同)に近く「越中おわら節」が十八番だった。それで2番手の辻野さんは「風の盆」を選曲。〽哀しい時は 目を閉じて 八尾の秋を思い出す 日が暮れた 坂道を 踊るまぼろし影法師 おわら恋しい風の盆♪と歌った。
湯浅さんは富山に勤務したことがあり、難しい「越中おわら節」を歌いこなした。筆者は湯浅さんの歌を聴きながら生前の若杉さんの面影を思い浮かべた。
「千の風になって」を選曲したのは小林さんで、〽私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません♪と歌ったが、確かに若杉さんは交遊のあった方々の胸の中に生きている。
具体的な例を挙げよう。若杉さんは多摩市永山のメゾネット団地に住み、秋の文化祭、サークル「歴史の会」、住民の歓談の場「いきいきサロン」の初代代表ないしは会長となり、地域活動にも熱心だった。これら三つの会の関係者は会えば若杉さんの思い出話をしており、近く合同で若杉さんを偲ぶ会を催すことになっている。
「いねの会」の会員が逝くとこれまでも追悼歌で供養した。会員でない若杉さんを追悼して歌おうと呼びかけたのは筆者だが、「人生劇場」、「越中おわら節」と若杉さんのイメージが強く結びついていたからに他ならない。どちらも故人に縁のある歌であり、供養になったと思っている。