「中村草田男を語る」歴史に遊ぶ会
2017年02月12日
第37回「歴史に遊ぶ会」は2月10日午後、多摩市関戸の京王クラブで<「萬緑」廃刊を機に中村草田男を語る>という演題となった。<降る雪や明治は遠くなりにけり>という句で知られる草田男はまた<萬緑の中や吾子の歯生え初むる>も代表句とされる。その名を冠にした俳誌「萬緑」が3月に終刊となることから草田男も歴史になったというわけである。
まず筆者が雑誌「俳句」の昨年11月号に載った口絵写真を話題にした。<「萬緑」800号記念「成就の宴」という見出し。写真に<「いつも父草田男と論争していた(金子)兜太さんが今日、隣に座ってくださっていることが嬉しい」と、弓子氏>というキャプション。中村弓子氏(元お茶の水女子大教授)は草田男の3女だ。そこで「草田男と金子兜太の論争」について言及した。続いて<山本健吉との「軽み」論争>、日野草城との<ミヤコ・ホテル論争>などを話題にした。
<ミヤコ・ホテル論争>は草城がフィクションとしながら新婚初夜の模様を俳句にし、室生犀星が評価したことについて草田男が「あるものは、草城という人から発する堪えざるほどの悪臭ばかりである」などと痛烈に批判。草城も「瞋れるドン・キホーテ」として反論、応酬しあった。後に草城が死病の床についた時、草田男は妻(直子)の勧めで草城を見舞った。
<妻抱かな春晝の砂利踏みて帰る>、<終生まぶしきもの女人ぞと泉奏づ>という句に表れているように草田男は女性と愛を讃歌する俳人だった。
草田男の俳句について「説明省略で難解」「写実より象徴」「言葉の二重性」「蕪村ではなく芭蕉に通じる」などについても語った。昭和21年に草田男が「萬緑」を創刊した際に参加した高弟、香西照雄の著「中村草田男」をテキストにした。
また草田男が郷里・松山の縁で高浜虚子の門人になったことや虚子主宰のホトトギスを去るまでの経緯についても話題にした。
「歴史に遊ぶ会」だけでなく同じ稲門会のサークル「俳句同好会」にも声をかけ10人が参加した。例会後は京王クラブのラウンジで9人が懇親した。参加者の一人から「刺激的だった」という感想を聞いた。
また筆者が知らないことについても参加者から教えていただいた。元会長の中川邦雄氏は赤城さかえという俳人が戦後の俳壇の論争に深く関わったと言った。中川氏は赤城と定期的に会う関係だったという。筆者は今後、勉強を続けて次は俳句同好会の番外として「中村草田男を語る」の続編をもとうと思った。