第39回「歴史に遊ぶ会」
2017年09月10日
「円仁と立石寺」と題して「史談会」を行った。9月6日午後4時、多摩市多摩センター駅前近くの飲食店「かごの屋」に6人が集まった。サークル「歴史に遊ぶ会」、今回が第39回目となる。
立石寺は山形市にあり、「山寺」と呼ばれる。円仁(慈覚大師)が860年に創建したが、松尾芭蕉が奥の細道の旅で立ち寄り、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ寺としても知られる。
根本中堂がある境内に句碑が立っている。岩山の随所に堂があるが、800段を上る途中の岩の壁の前に「せみ塚」(写真)もある。説明文には「岩に岩を重ねて山とし、松柏旧(ふ)り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉じて物の音聞こえず」などと書かれている。
筆者が山寺を訪れたのは7年前だが、史談会に出席した長張さんは今年6月に行ってきたばかりだという。
根本中堂に点る法灯は京都・比叡山の延暦寺の火をもらったものだ。延暦寺は天台宗の開祖・最澄が創建したが、円仁は最長の弟子であり、3代目の天台宗座主だった。延暦寺は後の1571年、織田信長によって焼かれ、法灯も消えたが、現在も延暦寺には最澄が点した法灯が根本中堂にある。これは立石寺の法灯を聖火リレーのように運び、延暦寺の法灯としたものだ。確かに最澄が点した灯を受け継いでいるのである。
円仁は838年に唐に渡り、五台山や長安などで修業した。9年にわたり各地を歩き、「入唐求法巡礼行記」という旅日記を書いた。時の皇帝、武宗の仏教弾圧で帰国せざるを得なかったが、それでも多くの経巻を持って帰った。そして延暦寺の座主になるわけだが、東北地方には円仁の開基と伝えられる寺が多く、立石寺では今でも開山堂に円仁の木像を安置し、僧侶が朝夕の食飯(じきはん)と香を供えている。