西村弘さんが『あの夏の日』を上梓
多摩稲門会の会員、西村弘さんが『あの夏の日』(文藝春秋企画出版部)を上梓した。発行日は広島忌に合わせた8月6日。「ヒロシマ國泰寺梵鐘縁起」という副題の通り梅野五郎という鋳物師が広島の國泰寺の住職に頼まれて梵鐘を再建するといった内容だ。
西村さんはNHKのアナウンサーとして広島放送局に勤務していた1990年、大晦日のラジオ第一放送「ゆく年くる年」の取材のために國泰寺を訪れ、住職から梵鐘が昭和25年に再建された経緯を聞いた。その際、原爆投下後に犠牲者が流れていた川から水を汲み、その水を鋳型の上にかけたという話に感動、ノンフィクション作品にしようと考えた。再建当時の住職も梅野五郎も亡くなっていたが、関係者に取材しノンフィクションとして再現する材料を得て30年にわたりあたためてきた。退職後に務めた朗読講座の講師の仕事も終わり、ようやく執筆して仕上げたわけだ。
『あの夏の日』の表紙には梅野五郎の顔とまだ梵鐘の再建されていない國泰寺の写真が装丁されている。表紙裏に移転した國泰寺と再建された梵鐘の写真が載っている。 同書は第4部、第14章から成る。梅野五郎が原爆投下後の街を歩いた話は次のように生々しく描かれている。「なんとおびただしい死体が川面を流れている。呆然と立ち尽くした。この惨状は一体どういうことなのか。流れているのは、赤く膨れ上がった人間の死体だ。皆、丸裸に近い。それが水面を埋め尽くしている」。
梅野五郎は佐賀藩の士族だったが、17歳になって佐世保の海軍工廠に鋳物師として弟子入り。その後、広島に転じ30歳になって呉の海軍工廠の仕事を請け負うようにもなった。昭和13年、52歳の時に工場を建て、國泰寺に墓地を買って檀家になった。國泰寺は古刹。住職の第二十八世、福原英厳と親しくなり、梵鐘の再建を頼まれた。その際、「原爆犠牲者の供養にも、平和の鐘にもなるよう、心の仕事としてお引き受けいたします」と応えた。
クライマックスは「夕暮れに包まれた作業場の中で今、五郎には十四万の霊の声が聞こえる。あの水を求めた声だ。正に心の仕事だった。鋳型はまだ五郎の前で熱を発散している。それは外口径三尺、重さ二百五十貫、総高五尺五寸の國泰寺の鐘を包んでいる。己の魂を吹き込んだ國泰寺の鐘が月満ちた胎児の如くに生まれ出ようとしている」という場面だ。
西村さんの文章は簡潔、平易、明瞭で読みやすい。語るように書いているのはアナウンサーだった経験が活きているのだろう。
(文責・川面)