多摩丘陵の古街道展を見学
多摩稲門会のサークル「歴史に遊ぶ会」は6月5日、多摩センターのパルテノン多摩・市民ギャラリーで開催中だった「多摩丘陵の12古街道展」を見学した。参加者は8人。同会の活動はコロナ化などのため活動を休止していたが、3年ぶりの再開となった。
「多摩丘陵の12古街道展」は歴史古街道団(本部多摩市、宮田太郎代表)が開催した。今年2月末にも町田市鶴川の和光大学の施設で開催され、12古街道に関する説明を図示した資料が用意されたが、パルテノン多摩では資料がカラー化されていた。また各資料が「古街道シアター」としてプロジェクタースクリーンに映され、宮田さん自身が午後2時過ぎから3時近くまで説明した。
鎌倉街道上ノ道は府中ではなく分倍河原の近くを通っていたとか奥州古道は誰もが歩けたが、古代東海道は正式には朝廷の許可がないと利用できなかった等々といったことだ。
古街道展の見学に参加したのは荒井さん、湯浅さん、尾ノ井さん、川俣さん、白井さん、辻野さん、宮地さん、川面の8人。見学後、7人が多摩センター駅からバスで愛宕まで行き、鎌倉街道の裏街道とされる恋路原通りを歩いた。遊郭があり恋路という名の遊女がいたという伝説がある。さらに稲荷塚古墳、恋路稲荷を見た後、東寺方の総合体育館の近くまで歩き、今に残る鎌倉裏街道の一部を確かめた。
再び総合体育館前からバスに乗り一の宮ストア前で下車。小野神社を見ながら宮下通りの「一ノ宮渡し」のモニュメントを見た。多摩丘陵の12古街道の一つ、古代甲州道の資料の内容を踏まえ道のなぞり歩きを試みたのだ。
古代甲州道について資料には次のように記されている。「相模川左岸の川尻遺跡から多摩丘陵に向かい、内裏峠を越え、縄文の集落が多数ある大栗川沿いに進み、最終的には多摩川を渡って府中へ繋がっていたと思われます」。モニュメントには一ノ宮渡しの想像図が描かれている。
多摩市には金毘羅宮があるが、それは川を渡る舟の無事を祈るためでもあると同行の荒井さんから道々教えていただいた。
(世話人 川面忠男)