第77回文化フォーラム・初歩から楽しむ源氏物語
多摩稲門会の活動の一つである第77回となる文化フォーラムが、薮野ブルーを彷彿とさせる小春の11月30日(土)午後1時から、ココリア多摩センター5階のキャリア・マムホールで開催された。演題は「初歩から楽しむ源氏物語」。稲垣友三幹事長の司会、講演者紹介により進行。講師は京王友の会、ひだまり研究会で源氏物語講座を担当している光本由美子さんという早稲田大学第一文学部卒の方である。参加者は隣接都市の日野稲門会、稲城稲門会の会員を含め25人ほどだが、文化フォーラムは地域に貢献することも目的であり、一般参加者も8人ほど、合わせて35人ほどが聴講した。
講演は、講座資料(物語の構成、人物関係図等)をもとに、また適宜スクリーンにより内裏図(後宮・七殿五舎)、六条院図(六条御息所から譲渡された旧邸を改築。光源氏はこれまで関係したほとんどの女君を住まわせた)、写本、色紙、絵巻、振袖等をタイムリーに説明された。概要は以下のとおりである。
光本講師は50歳を過ぎて源氏物語を読み直し、改めて面白いと思い、すっかり虜になったと言う。今では家族から源氏物語おたくと言われているが、物語は多くの人に知ってもらいたい。人生経験も豊富な人にも是非読んで欲しい。
第一部は「桐壷」の巻から「藤裏葉」(三十三帖)までが光源氏の前半生の物語、光に満ちた栄耀栄華の達成の過程を描いている。両親の深い愛に恵まれ青春をわがままに過ごす。まずいことも苦しいこともいっぱいあるが、なぜか光源氏に都合よくゆく。
第二部は「若紫 上」から「幻」(八帖)」になる。光源氏は40歳。当時は老後だ。悠々自適生活を送るはずだったが、私生活では影が差してくる。やることなすこと、打つ手が裏目になるような後半生の晩年が描かれる。
その後、「雲隠」という帖がある。全部で五十四帖であるが、第二部と第三部の間にあり、帖名のみで本文のない帖である。中身はない。「雲隠」という帖に8年間の空白がある。
第三部は「匂宮」から「夢浮橋」(十三帖)。このうち橋姫から夢浮橋までが「宇治十帖」と言われる。光源氏の子孫の物語で「雲隠」の間に光源氏は亡くなっているという展開である。すなわち光源氏死後、舞台を都から宇治に移してからの物語である。
愛を描いた物語。源氏物語はいったい何を描こうとしているのか。愛を描いた物語と言える。愛は美しい言葉だが、裏を返せば誰かに対する執着である。そもそも愛という言葉は日本には古来ない。愛は音読み、訓読みではない。つまり中国から入ってきた言葉のまま。どちらかというと仏教的用語である。明治になり西洋文化が入りラブという言葉を訳す時に誰かが愛という言葉を当てはめたという。人が人として生まれた以上、誰かを愛さずにはいられない。人間は弱いし、時に愚か、みじめにもなるが、それでも不器用に愛というものを抱えて生きていかないといけない。人間の生の姿を描いているのが源氏物語ではないかと思う。
愛し合ってもうまくゆかない物語。桐壷女御は帝の愛だけを頼りに過ごしていくが、光源氏が3歳の時に嫉妬をかい、いじめにあうなどの心労がたたったのか亡くなってしまう。愛はコントロールできないということを示している。
光り輝く才能をもちながら帝にならない人の物語。光源氏は光り輝くほど美しいので光る君と呼ばれた。漢文、和歌をやらせても音楽を弾かせても光源氏は一流になるだろうという才能の片鱗をみせる。そのように育ってゆく子を見て桐壷帝はどうしたか。この子を親王にすることが子の幸せになるかと考える。親王は帝になる権利を保持するが、光源氏は後ろ盾がない。帝になろうと邪推され、政争に巻き込まれる怖れがあるので源という姓を与えて一般臣下におろす。
紫のゆかりの物語。ゆかりは縁があるという意味。桐壷女御の桐の花も紫、藤壺の藤は紫、そして紫の上、つまり桐壷女御にそっくりな藤壺、藤壺の姪の紫の上、紫つながりの物語ということになる。平安時代、紫は最も高貴な色と思われていた。天の中心にあって動くことのない北極星の光の輝きが紫だ。
因果応報の物語。光源氏の不在を狙い柏木が強引に女三宮と密通する。女三宮は身ごもり男子薫を産む。これを知った光源氏は、生まれた子を自分の子として世間に通す。その子を抱いた時、光源氏の脳裏にかつての自分が甦り慄然とする。藤壺との間にできた子を父の桐壷帝の子としたが、実は桐壷帝はそのことを知っていて知らないふりをしたと気づく。源氏物語は因果応報の物語になっている。女三宮は幼い薫を残して出家してしまう。柏木も権力者光源氏に睨まれ追い詰められる。やがて物が食べられなくなり、泡の消え入るように世を去る。
終わりに。この物語が、平安貴族社会という枠を超えて、人が生きるとはどのようなことなのか、という永遠の課題を我々にも投げかけていると思う。
この講演を提案して頂いた辻野多都子さんに感謝し、残された余生に日本の古典を少しでも紐解いてみたい。
(又木淳一記)