妙高の秋・そばの刈り取り(こそばの会)
「こそばの会」会員の川面さんの手記をご紹介します。
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「幻のそば」といわれる「こそば」は、新潟県妙高市の山村で栽培されている。
刈り取りの頃となり、遊び心で作業に参加した。慣れないことをやったせいで足腰が痛んだが、労働もレジャーという気分で満足感を得た。後は自分が刈り取ったそば粉で新そば打ちができれば本望だ。
「こそばの会」の会長である依田さんが10月26日から3泊4日でそばの刈り取りを行うと連絡してきたが、幸いに日程が空いていた。午前6時過ぎに自宅前の通りに出ると、すでに迎えの依田車が待っていた。
多摩市に住む私、それから長張さん、日野市の白鳥さんの順でピックアップし、妙高に向かった。
各人のプロフィールを紹介すれば、依田さんは多摩稲門会会長でサークル「テニスの会」の世話役である。
早大生の頃はスキー部に所属し、卒業後は稲門体育会でスキー部を代表した。長張さんは多摩稲門会の幹事長。私は4年前、長張さん、依田さんらと甲斐駒ケ岳に登っている。
白鳥さんは東京オリンピックのボクシング代表選手、早大教授も務められた。稲門体育会で依田さんと親しい。「こそばの会」を通じて私も白鳥さんと顔馴染みになった。
妙高市上小沢という地区に大滝荘という宿がある。こそばの種蒔き、刈り取り、脱穀などを行うために依田さんらが止宿する。大滝荘で働く女性が依田さん、白鳥さんの顔を見て「お帰りなさい」と迎えた。
少し遅れて依田さんの仲間の加藤さんが現われたが、この3人は大滝荘で働く女性たちを「ハマコさん」「ノリコさん」などと名前で呼ぶ。加藤さんは新幹線、信越線と乗り継ぐなどして来た。
依田さんとは早稲田高等学院以来の友人で、「こそばの会」の当初からの会員だ。
私は「こそばの会」の会員となって3年、大滝荘を訪れるのも4度目だが、女性たちには「お顔を見た覚えがあります」と言われる程度、依田さんの連れの1人に過ぎない。
長張さんは「こそばの会」に入ったばかりで、むろん大滝荘は初めてだ。長張さんには私も先輩顔ができる。
上小沢の所在位置を述べる必要があろう。
信越本線の関山駅から北東に向かって車で走る。妙高市役所のある市街地から山間部に入り、くねくねとした道を上る。
駅からの所用時間は40分ぐらいであろうか。
途中に坪山という地区があり、そこに「こそばの会」は500坪ほどのそば畑を借りている。大滝荘から車で10分ほど距離だ。
午後1時過ぎに長靴に履き替えて依田さんの車で坪山に向かった。加藤さんは作業車で続いた。この作業車はふだん妙高市役所の駐車場に置いてある。市役所も駐車を承知している。そば畑も市の紹介で借りている。「こそばの会」のそば栽培は地域おこしになっているからであろう。
大滝荘からそば畑までの道はいくつも折れ曲がっている。依田さん、加藤さんは勝手知ったる道だが、私には道のルートはわからない。1人で運転すれば迷うだろう。道は一本道ではない。生活道路、農道が必要に応じて造られている。
そば畑に着くと、畑一面に実を付けたそばが育っている。これだけのものを刈り取るのは容易でないと感じた。
依田さんらの協力者で坪山に住むモトハチさん、ノリオさんも相次いで姿を見せた。
さっそく作業にとりかかった。
私には刈り取りは初めての体験だ。そばの刈り取りは経験していない長張さんも、稲の刈り取りは慣れている。
依田さん、白鳥さんらに要領を聞き、見よう見まねで作業をした。左手でそばの茎を巻き、手の平に移して握り、右手に持った鎌で根元から三分の一ぐらいの高さで刈り取る。刈り取った後はまとめて畑に置く。
それらはモトハチさん、ノリオさん、加藤さんが束にして藁で結ぶ。その作業を繰り返す。
藁で結んだ束を8本集め、裾を広げるようにし、上部をまとめて藁で鉢巻のように巻く。モトハチさんらは「踏ん張る」と表現していたが、藁束を安定して立たせ、乾燥させる作業だ。
「実の付きがわるいね」。白鳥さんが盛んに言う。依田さんも時どき同じ感想をもらしている。確かに実を手でつまむと、形だけで実の硬さが感じられない。収穫量は昨年よりも減ることになりそうだ。
時どき汗を拭く。空は晴れて風も穏かだ。前方に見える山の景色に目を休める。軍手には泥が付き、汗を拭くタオルにも泥がしみる。永年の都会暮らしのせいか、泥がしみたタオルを使うことに抵抗感を覚える。
「休憩タイムをとろう」。依田さんの声に作業を中止して隣の畑との間の道に腰を下ろした。
モトハチさん、ノリオさんが小振りのトマトと梨を用意していた。
軍手を取り、トマトをつかむ。手が汚れていると気になったが、かまわずにトマトを口に入れた。トマトの味は感じたが、美味いと思う余裕はなかった。食べるのが精いっぱいだった。
「依田さん、梨を割ってください」。モトハチさんの声に応じて依田さんは土で汚れた鎌の刃をナイフ代わりにして梨を切った。
半分を自分の口に入れ、残りを私に手渡した。「そんなもの、とても喰えませんよ」。そうは言ったものの、モトハチさんらの好意を無にするわけにはゆかない。梨の実に付いた土の粒を指で拭い取り、皮ごとかじった。味は甘いと感じた。
ここは畑、土が付いたぐらいでおたおたするな、とちょっと開き直った気持ちになったせいかも知れない。
「まあ、考えてみれば、畑にわるい菌がいるわけないもんね。雑菌はいるとしても」。そう自分に言い聞かせると、「そうですよ」と依田さんが合槌を打った。
再び作業開始となったが、左手の親指に痛みが走った。軍手を脱ぐと、血が出ている。鎌で傷つけのだ。車で近くにあるモトハチさんの家に行き、水で指を洗った。奥さんが消毒してくれた。血が止まったので傷バンで巻き、畑に戻って刈り取りを続けた。
そばの種まきは2年前の夏に体験した。適当な間隔を置いて縦に蒔いて行く。当然、その後にそばは茎を伸ばし、上部に実を付けている。従って刈り取りも縦に進んで行く。縦の3列を同時に刈り取って行く。刈り取った先には空間が開ける。
刈り取るそばがなくなり、別の場所に移動して刈り取り作業を行う。
そういうことを繰り返しているうちに午後4時を過ぎた。 「もう終わりにしよう」。依田さんの声を合図に畑から道に上がったのは、私がいちばん早かった。最後まで作業をしていたのは白鳥さんだ。日野の自宅近くに土地を借りて野菜などを作っている。「日が暮れるまで作業しているよ」。そう言ったが、秋の日は釣る瓶落とし、間もなく日が暮れた。
帰りは加藤さんが運転する作業車に乗り、大滝荘に帰った。日が暮れた山間の道は物寂しい。道の所々に墓が立っている。
夜は不気味な感じになるであろう。車に乗っていれば平気であろうが、1人で夜道を歩くにはかなりの勇気がいると思った。不意に映画「八墓村」の一シーンを思い出した。探偵が夜の坂道で上ってくる老婆とすれ違う場面、老婆は背中をまるめ「おばんでやんす」と挨拶してすぎるが、これは連続殺人犯の変装した姿だ。
大滝荘に戻って白鳥さんの指導でストレッチをやった。ふくらはぎをのばすコツも教わった。風呂に入って体を癒したが、翌朝になって太腿の裏側が痛くなっていることに気づかされる。
大滝荘の風呂の湯は硫黄鉱泉である。鉱泉と手打ちそばを目当てにお客が立ち寄る。多くのお客は日帰りで午後6時には店を閉め、後は泊まり客だけとなる。26日から28日まで3泊したが、泊まり客は私たちのグループだけだった。
(2012・10・30)