「杜の響き」が縁で50年ぶりの解明です!
先日、先輩の金谷さんから次のようなメールを受け取りました。
何という衝撃的な内容でしょう。
余りにも偶然なので50年を超えて解き明かされた場面に一瞬思考が停止しました。
皆様の中にも、この場面に遭遇した方がいらっしゃるのではないでしょうか?
神宮球場のトランペットの響きとざわめきが伝わってきます。
金谷さん、ありがとうございました。(以下文責:依田敬一)
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(次の行からは、金谷さんが送ってくれたメールです。)
依田敬一様
「杜の響き」を読みました。あの「ある恋の物語」は僕とハイソで同期の坂田道(オ
サム)さんが吹いたものです。依田さんの卒業年度から計算すると依田さんが一年生
私が四年生の時でしょうか?あの曲は当時ペレスプラドがはやっておりましたのでハ
イソのレパートリーの一つになっておりました。彼はこの曲が得意で当時の古い録音
も残っております。どうして外野席から聞こえたのかですって?実は内野席は応援部
本体のブラスバンド、外野席は学院のブラスバンドとハイソと言う風に暗黙の了解が
有ったのです。私は学院からハイソと言うコースですので早慶戦はいつも外野席で見
ておりました。金谷勇作
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(ご参考:以下2012年12月刊行「杜の響き」から転載しました。)
「幻のサックス、そして憧れの和太鼓」 多摩稲門会
会長 依田敬一
ある年の早慶戦開始前、応援席に学生が順次着席しかけている。
突如トランペットソロで「ある恋の物語」が神宮球場に鳴りわたった。
実に澄んだ音色だ。見れば外野席から内野席に向かって吹いている。
一人すっくと立ち上がって吹いている様は幻の奏者を見るようであった。
応援前の静けさの中に流れるメロディーに多くの人たちが耳を傾けた。
終わると一斉に拍手が沸き起こった。
後にも先にも神宮球場であのような光景を目にしたことはない。
数十年前、あの光景が脳裏に焼きついた。あれは一体なんだったのだろうか?
ある日、あの神宮の幻に突き動かされたのかのように私は衝動的にアルトサックスを買いそしてヤマハ音楽教室に通い始めた。
なぜアルトサックスだったのか?
心をふるわす痺れるような響がたまらず、自ら音に酔いしれてみたかったとしか言いようがない。
しかし、やってみて分かった、楽器の練習は実に孤独だ、先生もほとんど手を出さない。
一心に音出しをして少しずつメロディーを奏でる。
一人で練習するときには防音室に入り外界と遮断する。
結果の良し悪しがよく分からない、だんだん孤独感が募ってそればかり気になってくる。
6ヵ月後、寂しさに耐えかねて練習曲「ダニーボーイ」と共に憧れのサックスから遠のいた。
今年に入り、偶然和太鼓と縁が出来た。
太鼓というと、陣太鼓のように戦国時代に自軍の統率を図るために打ち鳴らしたものや、盆踊りの主役として使われたり、お祭りで神との縁を取り持つ道具として使われるイメージが強い。
学生時代、「悪名」という勝新太郎の映画シリーズをよく見た。舞台が大阪の八尾で主題歌が河内音頭だった。太鼓を叩きながら唄う河内音頭が実にカッコよかった。
また、北九州を舞台にした「無法松の一生」では最後に太鼓を叩く無法松が人をうならせる。
カッコいいと思いながらも長年自分と縁のなかった太鼓が漸く近づいた。
ご近所に太鼓の先生がいたのである。
同じ団地のラジオ体操仲間が通っていたのだ。
早速、練習の仲間に入れてもらい汗を流すこととなった。
すぐに太鼓にはまった。
ドーン、ドーン、ドン、ドンとあこがれの太鼓の音がいつも体のどこかで鳴り響いている。
心の中で太鼓を打ち鳴らし、いつか早稲田大学の大将の意を汲んで仲間を鼓舞できたらどんなに良いだろうかなどと夢を見ている。
以上