歴史に遊ぶ会
2014年12月14日
「歴史に遊ぶ会」は12日午後4時から多摩市落合の「かごの屋」で史談会を行った。話し手は副会長の尾ノ井さん、テーマは「秩父事件」で、同事件は明治17年(1884)、秩父の民衆が負債の延納、雑収税の減少などを求めて武装蜂起したもの。今年で130周年になる。
当日の参加者は尾ノ井さん、浅井さん、櫻井さん、長張さん、西村さん、それに川面の6人。
尾ノ井さんはA4大で14Pの資料を作成配布、秩父事件関係年表、秩父の地図、関係写真も用意した。指導者の一人、井上伝蔵は死刑判決を受けたが、名前を変えて逃亡生活を続け、死去する前に家族に本名と事件関係者であることを明らかにした。「草の乱」という映画が作られ、伝蔵は緒方直人が演じているが、家族と一緒の写真で本物の伝蔵の顔を知ることができた。
秩父は養蚕農家が多く、金融業者から資金を借りたが、松方正義のデフレ政策の影響などで生糸相場が暴落、借金を返却できなくなり困窮した。在地の自由党員を中核とする秩父困民党ができ、救済策を訴えたが、聞き入れられず武装蜂起となった。
11月1日、下吉田村(秩父市)の椋神社に武装農民3千人が集結した。武器は竹槍、火縄銃、刀などで小鹿野町の警察分署と高利貸を襲った。翌2日には小鹿野峠を越えて音楽寺に集結後、郡役所・警察・裁判所を占拠して郡役所を「革命本部」とした。埼玉県は政府に憲兵隊・鎮台兵の派遣を要請。困民軍は4日の皆野町の戦闘で敗れる。東京鎮台派遣の憲兵隊の村田銃には敵わなかった。
当時の政府は武装蜂起を暴動としたが、その後事実関係が明らかになり、現在は侠客、神官、鍛冶屋、花火師なども立ち上がった1万人の人間解放の戦いであったとされる。
困民党の指導者は侠客の田代栄助であり、田代にとっては義挙であった。田代には子分が200人余りいた。強気をくじき、弱気を助ける心意気で困民党に手を貸したものであった。田代は身を隠したが、密告でつかまり刑死した。
尾ノ井さんは武相困民党にも言及した。八王子や町田でも農民が松方デフレの影響で養蚕業が赤字となり、借金が払えず、困民党が結成され、武装蜂起したが、秩父ほどの規模にはならなかった。
1時間余り尾ノ井さんのお話を聞いた後、参加者が懇談した。その中で尾ノ井さんには武相困民党についても改めてお話していただきたいとお願いした次第である。