15年度早稲田スポーツの回顧
2016年03月13日
本文は昨年12月の多摩稲門会の会報に寄稿したものに若干手を加えた他にその時点では最終結果が出ていなかった駅伝、ラグビー、サッカーを書き足しました。
(1)W杯ラグビーで五郎丸選手大活躍
15年スポーツ界のビッグニュースNO.1は何といってもW杯ラグビーで日本が世界3強の南アフリカに勝ったことです。ラグビーは最も番狂わせがない競技と云われてきました。しかも無差別級の格闘技の要素が強くて彼我の体力差が圧倒的にあるので日本がどんなに頑張ってもW杯で3強に勝つのは無理と思っていました。弱小国とみなされていた日本が34対32でW杯史上最大のジャイアントキリングと言われる劇的な逆転勝ちをしたのですから褒めても褒め足りません。
最後のトライだけでなくモールを押し込んだトライやサインプレーによる五郎丸のトライといずれも堂々と狙って仕留めたもので本当に見事でした。中でも五郎丸選手はトライとトライ後のコンバージョンキック並びにペナルティーキックにより24点を稼ぎ出して勝利の立役者として一躍国民的ヒーローになりました。世界のベストフィフティーンにも選ばれてその後の堂々としていてしかも謙虚な応対にも感服しています。正に早稲田の誇りです。
ジョーンズ・ヘッドコーチが標榜した“ジャパンウェー”は昭和43年にジュニア・オールブラックスに勝利した日本代表を率いた大西鉄之祐氏が提唱した「展開・接近・連続」に通ずるものがあります。大西氏は早稲田の名監督で体の小さな早稲田が大きなチームに如何にしたら勝てるかに心血を注いだ方で今でも早稲田ラグビーの理論的支柱であり「荒ぶる魂」の大切さは受け継がれています。今回の日本代表の大活躍の原点は早稲田ラグビーにありと言って過言ではないと私は思っています。
(2)野球部の春秋連覇と大学日本一
稲門に学んだ我々が一番気になるのは野球の成績です。14年は春秋共に後一歩で優勝を逃して切歯扼腕したものです。しかも15年は投打の主力が卒業した為、戦力的には4位との戦前の評価でした。その上、高橋新監督は徳島県の高校監督を30年以上経験して日本高校代表監督を務めたとは云え、全国区的には無名でした。歴代監督は主将、もしくは著名選手でしたが高橋氏は大学時代はレギュラーではなくて新人監督だったので余計心配でしたが、見事に結果を出しました。監督に推挙した稲門倶楽部(野球部OB会)の慧眼に拍手です。
高橋監督は「守り勝つ・一戦必勝」の方針を掲げて指導しました。果たせるかな
春は大竹をエースに育て、打撃でも逆方向狙いによりチーム平均打率3割を超える猛打で完全優勝し、更に大学選手権で3年ぶり5回目の優勝を果しました。
秋は明治に連敗して優勝は一時絶望と思われたもののその後は立教、法政、慶應に連勝しての逆転優勝には「持ってる」を感じました。これで通算優勝回数は45回となり法政を抜いて最多(法政44、明治37、慶應34、立教12、東大0回)になりました。早慶第一回戦でも6回表0対0二死満塁で打撃不振の川原を代えずに打たせて2点適時打を導き、更に9回裏に本塁打で2対1とされた場面で好投していた小島から吉野に継投して先勝した用兵は見事な手腕でした。 同氏には8月の六大学優勝・大学日本一祝賀会で野球部OB亀田氏から紹介されて祝意を述べさせてもらいました。更に9月には合宿所を訪問して今年6月総会時の講演を依頼して1時間ほど懇談しましたが、沈着冷静且つ好感の持てる方で早稲田は良い監督を得たと確信しました。(その際に、1月に大学の公式行事が決まるのでそれとかち合わなければ引き受けて頂けるとの返事を頂戴しました。→2月になり、6月25日の講演が決まりました)
16年度は野手8人の内レギュラー6人が卒業するのでより厳しくなりそうです。
(3)庭球部が前人未踏の10年連続男女アベック大学日本一
マスコミは錦織一辺倒、大学のHPでも全く取り上げていませんが庭球部が10月の団体戦テニス大学王座決定戦で男子が11連覇、女子は10連覇しました。
大学テニスの長い歴史の中でもアベック優勝は過去に早慶が各1回でした。
メンバーが毎年変わる学生スポーツでは信じられない快挙です。土橋監督以下の指導陣や宮城淳氏を初めとするOB,OGの皆さんのバックアップと選手だけでなく全部員の日頃の精進の積み重ねの賜物です。
大学当局も是非特別表彰のアクションを取ってあげて欲しいです。
近年は他校も強くなりより実力伯仲なので16年度は正念場になりそうです。
(4)石井連蔵元野球部監督が9月27日に逝去(享年83歳)
昨年は戦後70年と言われましたが私にとっては「六連戦後55年」です。
昭和35年は60年安保と所得倍増計画発表があり戦後の転換点と言われます。
その年秋の早慶六連戦は今では「伝説の」の枕詞がぴったりです。私は最終学年
でしたから思い入れは今でも人一倍です。早稲田の同級生は勿論ですが慶応に
行った友人達も「我々は六連戦世代」と酒席では盛り上がるのが常です。
当時石井さんは28歳の青年監督で安部球場では正に「鬼の連蔵」の異名がふさわしい猛ノックでスタンドで見ている我々が私語を慎む位の迫力がありました。
石井元監督には一昨年6月の文化フォーラムで「世紀の名勝負・早慶六連戦」と題して講演頂きましたがその事前打ち合わせで武蔵浦和のご自宅に伺いました。
石井さんは若い頃は名うての酒豪と聞いていましたが病を得てからドクターストップとの事で酒は一滴も飲まれませんでしたが我々には「飲まないと帰さない」とばかりに盛んにすすめてくれました。茨城訛りで威張らずに非常に気さくに応対して下さりサインボールまで頂戴しました。流石に大人物と感じました。
訃報は講演会に同行された野球部OB亀田氏(昭和35年卒)からありましたので告別式に参列させて頂きました。約500人の参会者と各方面からの献花で「巨星墜つ」の感を深くしました。早稲田のみならず野球界全体にとり大きな損失
です。亀田氏によりますと多摩稲門会で話をしたのが最後の講演会だったそうです。背筋がぴんと伸びて声には張りがありかくしゃくとしていて老剣豪の趣がありました。講演会後の懇親会にも出席されて上機嫌で会話を楽しんでおられましたのが今も鮮明に印象に残っています。謹んで哀悼の意を表します。
(5) 駅伝
箱根駅伝で早稲田は11時間7分54秒の総合4位でした。1位青山とは14分25秒差、2位東洋は7分18秒差、3位駒沢は3分54秒差でした。今の選手層の実力では精一杯で良くやったと思います。10区間中8人までが区間6位以内でした。ただ惜しむらくは2区高田が17位、7区光延14位と不振でした。
仮に二人がそれぞれ区間6位で走っていれば合計で3分半短縮できたはずで更に6区で当初走る予定の三浦が昨年区間賞を取った記録で山を下っていれば更に2分弱短縮となり3位がありだったかも知れません。しかし急遽代わりに走った一般入試組の佐藤が区間6位は立派で4位の最大の功労者と言って過言ではありません。その中で特筆すべきは一般入試の井戸(商学部3年)が復路のエース区間と言われる9区で見事区間賞を獲得したことです。優勝するためには他強豪大学並みのリクルートがが不可欠ですが一方で文武両道を貫いて欲しいです。16年度は今年走ったメンバーが7人残るので期待がふくらみます。
(6)ラグビー
今季の早稲田は2年連続で大学選手権ベスト4ならずで寂しい正月となりました。帝京は学校・グラウンド・合宿所が自転車20分以内で移動可能のトップリーグ以上の環境で大学挙げての強化策が実っている。監督の岩出氏は20年以上監督を務めて、リクルートした推薦入学の140名の全部員が合宿所で栄養管理士の調理と医療体制により屈強な体作りをする一方で技術指導だけでなく人間教育もしっかり行っている。一方早稲田は最近ではスポーツ推薦は年2、3人しかとれず、人材面では圧倒的に不利な状況が続いる上に合宿所には50人程度で残りは親元か下宿で栄養管理面でも遅れをとっている。その為両チームが対戦する時に比較するとAチームだけでなくB~Dチームまで全て体格差は歴然としている。更に早稲田の監督は清宮氏が5年で最長、他は2~4年で変わってしまい、コーチ陣もフルタイムでないため指導面で一貫性に欠けるうらみがあった。その結果、帝京1強時代となってしまい帝京が7連覇した為、通算優勝回数は早稲田15回、明治12回、帝京7回、関東学院6回となりました。監督を代えれば勝てるといった次元でなく、危機意識を持って長期計画でヒト・モノ・カネを重点投入して抜本的な改革をしないと帝京に追いつかれるのではと私は危惧しています。幸い今年度はリクルートが従来よりもうまく行き、指導体制も強化されるので期待をしましょう。