早慶ラグビー戦を語る
2023-11-27 湯浅芳衛
(1)歴史
早慶ラグビー定期戦は大正11年(1922年)に始まり、今年で100回目です。通算成績は早稲田72勝20敗7引き分けで早稲田が圧倒していますが両大学のプライドと意地がぶつかりあう「屈指の伝統の一戦」です。早稲田大学ラグビー蹴球部は1918年(大正7年)創部で日本では4番目に古く、慶応義塾大学蹴球部は日本最古の1899年創部です。因みに2番目に古いのは旧制三高が1910年、3番目は同志社が1911年です。明治創部は1923年、帝京1970年です。
大学ラグビーは歴史的にリーグ戦形式ではなく好きな相手との対抗戦としてスタートしたので優勝という概念でなくて結果として何勝何敗かで順位を決めて全勝が最強とされていました。
戦前より関東では早慶明が伝統校として扱われてきました。早慶戦は11月23日、早明戦は12月第1日曜日と決まっています。慶明戦は特に決まっていません。
大学選手権は1964年にスタートして今回が60回になり今年度の決勝は1月13日です。
優勝回数は早稲田が最多の16回で、明治13,帝京11,同志社4,慶応3です。
日本ラグビーは戦前から早慶明がリードしてきました。とりわけ早稲田の
「揺さぶり戦法」、「接近・連続・展開」は日本ラグビーに大きな影響を与えて、現在の日本代表の基盤になっています。日本代表にも多くの人材を送り込んできました。
今回のW杯も早稲田は最多の7人、帝京6、明治1、慶応・同志社0です。
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(2)早慶戦絡みのエピソード3題をご紹介します。
イ.故今村次郎さんのこと
私が今でも鮮明に憶えているのは大学2年の昭和33年に早稲田が慶応、明治を連破し関東対抗戦で全勝して更に同志社にも勝って全国制覇した年です。その年は慶応が強力メンバーを揃えて優勝候補でした。一方早稲田は日本代表・快足の名ウイング日比野(後に早稲田監督として日本一3回、日本代表監督も務めた)が3月に卒業してバックスの決定力が落ちたと評されていました。その後を埋めたのが2年生の名門・秋田工業出身の今村選手でした。早慶は全勝で対決し、今村さんは後
半1トライして更に強烈なタックルを浴びせて16対11で快勝するのに貢献しました。そのシーンは眼に焼き付いています。今村次郎さんは卒業後東横百貨店に就職し、当時社会人の強豪・東横百貨店チームでも活躍されました。東横では田中様と公私共に親交を結ばれたとお聞きしました。田中先輩との飲み会でも選手時代の高名を決して吹聴されず謙虚な方でした。『清宮が監督になったらOB への寄付依頼が多くなった』と笑いながら嬉しそうに語っておられました。
病を得て平成27年に逝去されました。
ロ.慶応OB・赤津喜一郎氏と志賀英一・関東協会会長がオッカケたい懇親会に来場!
赤津氏は昭和30年度に慶応が全勝した時の名HO・主将で後年日本代表になりした。田中先輩とは東横百貨店の同期入社で親しい間柄と伺っていました。その関係で十数年前に早慶ラグビー観戦後の新宿ライオンでのオッカケたい懇親会に出席して頂きました。
更にハプニングで何と当時の関東協会・志賀会長も同道されました。志賀様は今村さんと高校時代チームメートでした。早稲田で名HO、日本代表として活躍し、4年時に主将を務めました。ご両人ともラグビー界で著名な方ですが、風格のあるラガーマンで我々とも気さくに接して頂きました。試合は早稲田が快勝しましたが赤津氏は『大敗の原因は慶応のタックルが高かったことに尽きます。無様な試合をお見せして申し訳ありません。帰ったら監督、コーチ陣にきつく注意します』と反省の弁を述べておられにました。慶応の「魂のタックル」はこうして継承されるのかと感服しました。
ハ.監督と主将の絆
私ごとで恐縮ですが小生の従妹が昭和33~34年度ラグビー部監督の大野信次氏ご長男に嫁いでいます。彼女が言うには『うちのパパは自分の息子よりも冨永さん(33年度主将)と志賀さん(34年度主将)を可愛がっているのよ』と良く笑っていました。監督・主将の関係はそれ程
強いのかと驚かされました。
従妹は前出の懇親会に出席していました。志賀様と久しぶりの思わぬ再会にびっくりして昔話に話が弾んでいました。
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(3)当日の観戦記
イ.試合前
早慶ラグビー戦は今年が100戦目を記念して36年振りに国立で行われることになり、「オッカケたい」は10人の方が参加しました。
早慶ラグビーは毎年好天に恵まれますが今年も小春日和でした。集合場所は新国立が不慣れなので早慶野球戦で勝手の分かっている隣接の神宮球場正面入り口前にしました。自由席の観やすい席を確保するため11時半に集合しました。FC東京の熱心なサポーターで国立に慣れている菊沢さんの差配で手際よく固まった見やすい席をゲットできました。流石に観客の出足も良くスタンドが埋まり、両校のチアリーダーの演技で華やかな雰囲気に期待が高まりました。満場の声援の中、選手が入場・整列して校歌・塾歌の斉唱後14時にキックオフされ伝統の一戦が始まりました。
ロ.前半
早稲田はスクラムを押し勝ち、ラインアウトも確実に確保して、セットプレーで優位に立ちました。15人の集散も良く接点で上回り、モール、ラックを連取してボールを継続して連続攻撃を仕掛けました。5分から20分までの間に連続3トライ・3ゴールで21対0と幸先よくリードしてこのまま圧倒するかと思われました。しかし慶応はその後にキックを織り交ぜて反撃して14得点して7点差として俄然試合は緊迫しました。然しさすが早稲田は終了間際に HO佐藤 (3年)が モールトライして28対14で前半を終了しました。
ハ.後半
後半開始後どちらが先に得点するかが試合の帰趨を決めると思いました。果せるかな早稲田は開始後3分にFB伊藤主将→HO佐藤 (来年の主将と目されています) →左WTB矢崎の桐蔭学園組のパスでトライしました。
伊藤の好判断、佐藤の突破、矢崎の好フォローと見事な連携でした。中でも矢崎は1年生ながらスピードと得点感覚が優れていることを如実に示 しました。 180㎝・86㎏の大型ウイングで将来の日本代表をも期待されるホープで、これから楽しみです。更に11分に左CTB野中 (2年) がPGを決めました。 野中はこの試合狙ったコンバージョンキック8本の内7本成功とほぼ90%の高い成功率です。(慶応の成功率は67%でした) これからの明治、帝京戦でもキックの成功は勝敗を左右する程で極めて重要です。 その後慶応にモールトライされましたがロスタイムにナン
バー8の 1年生松沼が 矢崎からの好パスを受けて 相手ディフェンスを振り切ってトライしました。彼は177㎝・93㎏で決して FWとして 大柄ではありませんが強さ、スピードと豊富な運動量を誇る期待の新人です。
その結果、後半は15対5でトータルスコアは43対19とダブルスコア以上の快勝でした。
これで通算対戦成績は早稲田の73勝20敗7引き分けとなりました。
但し、モールで2トライ献上は、次の早明戦と大学選手権の帝京戦では改善が必要です。
不用意な反則で相手にフリーキックを与えてゴール前に押し込まれて敵に徹底したゴリゴリ戦法をさせないことが 必須です。
その為にはFWが五分以上に渡り合い、ファーストタックルは相手を一発で倒し、接点で逆に押し込み、連続攻撃で振り回して早稲田ペースで進めてして欲しい。
二.懇親会
懇親会はいつもの新宿ライオンで席を予約して16時30分~18時頃迄楽しみました。
観戦した10人の内1人が風邪で不参加になりましたが、サプライズで20年来の校友ラグビーオッカケ仲間1人とノーサイドの多摩三田会2人が参加して12人と賑やかでした。
早慶戦の戦評もさることながら、何故帝京が強いのかが話題となりました。大学当局の「ヒト・モノ・カネ」のかけ方にあるのではとの意見が大方でした。 勿論それにもかかわらず「早稲田、荒ぶれ!」の声援が一致してお開きとなりました。 (完)