2017.9(第168回)八王子市滝川城址散策
2017年09月17日
9月12日、前半は小雨のなか傘をさしながら八王子市滝山城址のハイキングを行った。
多摩川と秋川が合流する南側は、加住丘陵が広がっている。
丘陵は谷地川の流れで南北に分かれ、北加住丘陵の一部の都立滝山自然公園内に、住宅等の都市開発を免れた滝山城址がある。
今日のメンバーは櫻井和子さん、中西摩可比さん、中川邦雄さん、小林 勲さん、鈴木忠男さん、川面忠男さん、白井昭夫さん、林 譲さん、日野稲門会の野尻明美さん、松島正明さん、長張の11名である。
鈴木さんは久し振りの参加であるが、数年前甲斐駒ヶ岳や北岳でご一緒させて頂いた。
日野稲門会の方々は、皆との面識はある。
滝山街道のバス停を降り、少し戻った所に滝山城跡の入り口がある。
民家の間を進むと直に急坂となり、暗い竹林の中に入る。
千畳敷址を一回りして、中の丸址の広場に出る。桜の時期には大勢の人であふれる広場である。奥の北側に四阿があり、眼下には真下に切れ込む崖の上となる。
多摩川上流に向け眺めは良い。遠くの低い山並みは、青梅の霞丘陵で多摩川と荒川の分水嶺との事。
秋川と多摩川の合流する場所が眼下にあるのだが流れの確認ができない。多摩川やこの崖のお陰でこちら側から攻撃される心配はないように思われる。
昼食前、暫くの間休んだ後雨もおさまり先を急ぐことにした。隣に位置する本丸跡には引橋を渡る。
引橋の下は川ではなく高月城址方面への道が続く大堀切である。
本丸跡は平坦な広場があり、南隅に深い枯れ井戸がある。
本丸址から谷の向こう側の山の神曲輪は近くの距離なのだが、雨の中では足元に不安があり、元来た道を戻り弁天池を大きく回る尾根道を進む。
小雨が時々降っているが、城内は良く整備されていた。城内は木立でおおわれている。各所に置かれた案内板の解説で歴史を知ることができる。
ここは5千本の桜の名所で花の時期に訪れる人たちで賑わう。
千畳敷址を過ぎ三の丸跡付近まで戻る。1569年信玄・勝頼父子との戦いは熾烈を極め、この三の丸まで破られたが落城は免れた。より厳しい戦闘を想定し城主氏照は八王子城に移転し、滝山城は廃城となった。
山の神曲輪址に向かう道は細くなり舗装はないが、林下の道である。
僕ら以外の訪問者は少ない。機会が特になければなかなか訪れない所のようである。
白井さんも私も小学校当時、遠足コースになっていたここを訪れているが、当時の事は覚えていない。
高度170mの広場の眺望はここが一番。雨もやんできた。全員の集合写真を撮り食事をとる。
時間の余裕は十分にあるが、雨後の蚊が多く早々に移動を始める。
友人からナンバンキセルの花が見ごろと聞いていたのを忘れていたが、帰りの小峰の道の南側の薄の根元に見事に群生し、長い道沿いに咲き誇っていた。これほど沢山の花を流して見られるのは初めてである。
丘陵の尾根道はアップダウンがなく快適に歩くことができ、適当に木立が茂り真夏でも木陰のハイキングを楽しむことができる。
丘陵の尾根道は車輌も通行可能な無舗装の道が続く。
道の駅に最短に下りる道を捜す。清掃センターの煙突が見える場所を目安に、尾根道を下ると民家がちらほら現れてくる。車道に出るには民家の敷地を通るしか選択できず通り過ぎたが、家人は老人達の列に驚いていたようである。