2011.09(Bコース) せせらぎ橋・多摩の橋立見学会
“せせらぎ橋”経由“多摩の橋立”見学会議事録
日 時:平成23年9月22日(木)13時30分~16時30分
場 所:パルテノン多摩2F歴史ミュージアム企画展コーナー
参加者:金子、長張、荒井、平松、櫻井、伊藤、橋本(敬称略)
1.“せせらぎ公園”経由“せせらぎ橋”
* 京王相模原線堀之内駅に全員が集合して、戸建住宅街の中を流れる水路に沿って緩やかな登り道を暫く歩くと「日枝神社」が有り、その先が“別所公園入口”。そこから北西に暫く歩くと展示にも有る水路のある“せせらぎ橋”にたどり着く。
* 橋の中央には水路が有り長池公園から流れてき、“せせらぎ公園”の水路を通り大栗川に流入する。
* 橋の下は尾根幹通りから南大沢駅への自動車道となっている。開発前のこの辺りの丘陵を水は如何流れていたのかが気になって、展示コーナーで解説者に聞くこととする。
* 唐木田駅まで歩いて、1駅120円で多摩センター駅へ。
2.多摩の橋立(橋から眺める地域史)
* 解説者:公益財団法人「多摩市文化振興財団」 学芸員 清水氏
* 多摩ニュータウン開発で、多摩市には大小さまざまな橋が建設された。特に歩道橋の数と種類の多さは街の大きな特徴で「歩道橋の博物館」とも言われている。
* 展示構成:①村の橋 ②変貌する橋とまち ③橋の博物館・多摩ニュータウン
* 橋の目的:①川を渡る ②交通安全(歩道橋)③谷間を渡る(陸橋)
* 昔の橋の種類:①土橋 ②石橋(値段が高い) ③板橋(堅い栗ノ木、水に強い松ノ木)
* 今の橋の種類:①桁鉄 ②床版橋 ③ラーメン橋 ④アーチ橋 ⑤トラス橋
⑥斜張橋
* 多摩村の橋:野猿街道から関戸の渡しへ行くには「宝蔵橋」が必要だった。
貝取村と乞田村の間には「大橋」や「釜沼橋」が必要だった(1770年頃)。
* 明治以降に橋に名前を付けるようになる(それまでは字○○村橋)。
* 字木曽免橋は明治27年明治天皇が連光寺に来た時に「行幸橋」と名づけられた。また今の川崎街道を“行幸通り”にしようとの考えも有った。
* 岩倉具視と大隈重信は聖蹟記念公園の桜を見に行こうとしたが、関戸の渡しが馬に乗って渡れなかったので諦めたとのエピソードが有る。
* 殿田橋は地元の中和田、上和田の村民はお金を出さず、離れた他の村の人がお金を出して作られている。但し管理・修理は地元の村民が遣っていた。
* 江戸時代から橋の統計データーもなく研究もされてこなかった。
* 昭和12年ごろ府中から多摩方面に行くために「関戸橋」が出来た。是政橋と競合したが先に「関戸橋」が作られた(多摩聖蹟橋と命名する案も有った)。府中から多摩方面への下り方向にはバルコニーが付いている。
* 橋の道普請(整備)は春、秋のお彼岸に行われていた。
* 多摩村は水道普及率が非常に高かった。
* 永山駅近郊の丘陵を渡る陸橋はデザイン性が高く、特に50年代以降は景観を意識した橋が多い。
* “せせらぎ橋”の答え:元々は橋の下を水が流れ別の経路で大栗川に合流していた。
* 長池見附橋は四谷見付にあったヨーロッパ風の橋を移したが、橋の下部にあるトラスは11個有ったが復元する為に2個は検査に使用したために8個となっている。橋の上部の鋳物部材も型を取って復元している。
* 多摩市には160基の橋が有るが、S41~S58年に124基作られている。
* 落合に有る「恐竜橋」は募集により命名された経緯が有る。
* 多摩ニュータウン通りから尾根幹通りに向かう鎌倉街道には「さんかく橋」しかないのは街道沿いに個人宅が多く区画整理により土地の買収が出来なかった為。 (橋本 孜 記)