早稲田大学校友会
トップページ
多摩稲門会とは
多摩稲門会とは
会報 [杜の響]
会則
行事予定
サークル活動
山歩きの会
悠々歩く会
テニスクラブ
ゴルフクラブ
早稲スポ・オッカケたい
囲碁サークル
いねの会(カラオケ)
グルメ
歴史に遊ぶ会
俳句同好会
こそばの会
ライブ演奏同好会
この指とまれ
ボウリングの会
リンク
入会お申し込み
お問い合わせ
2020.11(第194回)三鷹駅から玉川上水近辺の武蔵野文学散歩
2020年11月15日
11月10日、立冬から3日目の日本晴であるが一番の寒さを迎えた。集合は12時30分、場所はJR三鷹駅改札口前。櫻井和子さん、川俣あけみさん、辻野多都子さん、中西摩可比さん、荒井孝之さん、小林 勲さん、川面忠男さん、青木康成さん、白井昭男さん、長張紘一の10名の参加である。
改札口からそのまま南口を出て西側の階上の広場からエスカレーターで道路に下りた。多摩市の街並みと雰囲気が少し違う。三鷹通りを真っすぐ南へ、太宰治が眠る禅林寺に向かう。八幡神社の東側に禅林寺がある。
施設の斉場所では法要が行われていた。扉や窓が大きく開けられているので中の様子が窺がえる。
太宰治の墓へは北側に更に向い、渡り廊下を潜り裏側に位置していた。はす向かいに森鴎外の墓がある。どちらも普通に見られる墓でこじんまりしていた。
三鷹駅に戻る。
玉川上水は三鷹駅下を斜めにクロスし中央線の南側に流れている。流量は先月の拝島付近の玉川上水と比較するとかなり少なくなっている。
上水に沿う道の、太宰の入水した場所の碑を過ごし、むらさき橋を過ぎた所に、山本有三記念館があり、全員の氏名電話番号を記載し入館する。
記念館は瀟洒な洋館で、鴎外は昭和11年から進駐軍に接収される21年まで住んで「路傍の石」などを執筆したようだ。
4人の子供や母達と暮らす間取は、それぞれさほど大きくはないが部屋数は多かった。
私の小学校の登下校途中にも接収された家があったが、中から兵隊の恰好で出る姿に遭うと、急いで逃げた何か怖かった記憶、接収という言葉に当時を思い出した。
南側には大きな庭があり、手入れされた樹々が茂り、池もあり境界を大きく回る道も整備されていた。
集合時間が昼食時と重なり、昼食場所は特に決めていなかったが、北側の庭にあるベンチでそれぞれ食事をとっていた。もう3時を過ぎていた。
再び上水に沿って進むと万助橋に出る。
井の頭公園に入るが、上水の今までの直線の流れは、低い公園池への方向から右側にカーブを始める。
井の頭公園の自然の湧水は神田川となる。公園の池の縁まで下りてみる。
池の縁から階段を上り住宅地に入る。閑静な住宅地を進んで行くと、井の頭恩賜公園第二公園に入り、再び玉川上水に沿った歩道を歩く。近所に幾つかの大学や高校が点在し学生が大勢行き交っていた。上水はこの辺りでは緩く蛇行している。下にある井の頭の池の低地を避けて、神田川と仙川の間の分水嶺を上手く蛇行しながら流れているようである。
右側の上水は緑のベルトと共に延び、左側は人家が並び、井の頭の池の方向に傾斜する。緑道は続き地元の住民の散歩道にもなっている。この辺りは川幅も狭くなる。上流から下流に進むにつれ川幅は狭まり、自然の川とは逆である。久我山駅まで足を伸ばす予定であったが、一つ手前の三鷹台駅を終点とする事にした。
宮下橋から上水を離れ、京王井の頭線三鷹台駅に向い下って行く。一日中日本晴の天気であったが、4時を過ぎると夕暮れも近くなってきた。三鷹台駅の北側に神田川が流れていた。明大前駅経由聖蹟桜ヶ丘駅へ、京王クラブで懇親会を行うことができた。京王クラブに入るにも全員の氏名電話番号を求められた。
長張 記
サークル活動
Copyright(c) 2011 多摩稲門会 All Rights Reserved.