2009.08(特別企画) 北岳
昨年の甲斐駒の頂から見た、北岳の雄姿は忘れることができない。今夏の登山はその余韻で、北岳が候補として検討され、北岳だけでなく隣の間ノ岳にも足を延ばそうと計画されてきた。
今年の夏の気候はパワー不足で安定せず、梅雨明け後一ヶ月経て何とか安定してきたようだ。先月末の計画が延び、今回の実施となった。
広河原から大樺沢二俣まで2時間半の樹林帯は、多くの野草の花で賑わい、疲れを癒してくれる。大樺沢二股は、雪渓の下部に位置し、そこには遥か上部から流されたのか、大きな不自然な岩が谷を塞ぐように覆っていた。我々はその岩影で昼食をとった。
二俣から小太郎分岐の2時間半はダケカンバの森また草原と、変化しているが高度は着実に上がっている。暑さのせいか肩に食い込むザックの重みが増してくる。皆に歩調を合わすのが精一杯となり、呼吸が喘いでくる。背中に見えていた鳳凰三山は大きく広がってきた。
苦しい上りもやがて終了し、小太郎尾根分岐に出る。ここからは、3000mの稜線歩きである。なだらかな稜線も低酸素濃度で息苦しくスピードが出ない。諸先輩達はわりと平常に歩いているように見える。30分の稜線歩きの終点に我々が泊まる肩の小屋があった。今日の登山はここで終了である。
肩の小屋の標高は3000mである。小屋の前に広場があり、先着の登山客が散見される。宿泊の手続きを済ませ、寝場所を確認し荷物を下ろし、再び広場に出て持参してきた焼酎で乾杯する。甲斐駒ケ岳も雲の切れ間にハッキリと、その左手には仙丈ケ岳を、東側は鳳凰三山を見て絶景を楽しんだ。5時から夕食が始まった。
日没にはまだ時間があり、少し寒いが夕暮のパノラマを楽しんだ。霞みの上に富士の頂上部の左右の頂きが、ツンと出ているのが解る。霞の下には大きく広がった裾が薄く見えていた。
3000mからの日没は6時半頃で、仙丈ケ岳の右側に沈んでいった。他の山の景色もあまり変化せずに暗くなっていった。
寝場所は小屋の2階で、20人ほどが2列の川の字で就寝する、毛布半分の幅が一人分である。下に毛布を敷き、登山の際の出で立ちに、ウインドブレーカーを着込んで、2枚の毛布を覆ったが、それでも少し寒かった。8時半消灯されるが、外は猛烈な風が窓をうねらせていた。
翌日は、4時半から朝食が始まった。寝たせいか、高山に体も慣れてきたようだ。外は霧が突風に飛ばされている。今日一日は、荒れ模様のようである。2泊の予定を変更し、北岳登頂後下山することになった。
小屋から頂上までは50分の距離である。大勢の登山者が一列になって登る。霧で景色は無い。
山頂で記念の写真を撮ると、霧と突風のため早々に引き上げた。2日かけて大汗かいて日本の2番目の高い場所を10分も留まることなくあっけなく下山してしまった。当初計画では、北岳山荘経由間ノ岳往復であったが、吊尾根分岐から八本歯のコルへ向けて下山。霧と突風は高度が下がるにしたがって弱く穏やかになり、やがて晴れ間も出てきた。二俣を過ぎた沢で、1ℓ100円の山頂の雨水を捨て、沢の水に変え、山頂でこしらえた弁当で昼食となった。
広河原には12時に着いた。スナップ写真140枚ほどのうち半数以上は野草類で占められていた。北岳周辺は植物の宝庫であった。
深田久弥の日本百名山には、北岳をきりりとした『哲人』の風格と形容している。甲斐駒から見た北岳は確かにそう見えた。来年の夏は御嶽山が候補にあがった。登山途中の「3000mの山は最後にしよう」との弱気は、下山すれば忘れてしまう。 長張 記