2011.02(第120回) 丹沢三ノ塔
1月の東京の降水量は観測来最少だったそうだ。その反面裏日本の豪雪は厳しいものであった。日本列島の背骨の山脈が影響しているのであり、丹沢山塊も地域の気候に影響を及ぼして春夏秋冬自然の恵みを多くしているところである。
2月に入り東京でも雪が積もる日があり、多摩地区から望む丹沢の積雪した山塊は、山の冬の気配を出していた。丹沢の表尾根と呼ばれる尾根筋は、ヤビツ峠から主峰である塔の岳まで延びている。今日のコースは中間の三ノ塔で尾根から降りるコースとなるが、2004年7月に同じルートが開催されている。
秦野駅改札口前で8時少し過ぎに一同合流した。今日のメンバーは宇田川さん・上杉さん・金子さん・長張の4名となった。
秦野駅前のバス停には既に満員バスが停車していた。中央乗車口のステップに乗り込みそのまま1時間弱、ヤビツ峠の終点に着いた。ヤビツ峠は丹沢山地の南北をつなぐ峠であり、数少ない車道の一つであるが、雪が降って道が凍結すると、バスは途中までしか行かない。今日は凍結のため途中の蓑毛から峠までの1時間ほどの歩行を覚悟していたが、バスは順調に満員のまま峠に到着した。バスから降りた多くの人達は大山方面に向かっていた。
ヤビツ峠は、旧峠道を改修する際に矢櫃(矢を収める箱)が見つかったのでヤビツ峠という名前がついたそうだ。その矢櫃は戦国時代に武田軍と北条軍が戦いを交えた時のものだと伝えられている。
峠から車道を暫く下り、富士見橋から山道に9時半に入る。雪は積っているが歩き難いほどではない。スパッツや軽アイゼンの装備を必要とするほどではなさそうである。
登山道は良く整備されて二ノ塔に近づくと木の階段道となる。木道も雪に覆われている。右側には大山の姿が見え隠れしていたが、徐々に全容が見えてくる。
二ノ塔山頂は開けていた。雪は残っているがぬかるんではいない。そこに先客もいる。行く手には三ノ塔が構えている。その先は富士の雄姿があるはずだが見ることはできない。
山は風もなく鳥の鳴き声もなく静かであり、我々も男衆だけの寡黙な行進が続く。
三ノ塔頂には11時に辿り着いた。広い頂の展望は素晴らしいものと想像できるが、今日は生憎の雲がかかりパノラマは一級とは云えない。隣の裾を大きく南北に広げた大山は、頂付近にある通信施設や建物が見えていた。
東南部には相模湾が一望でき、江の島が雲で霞んだなかで薄っすらと見えている。三浦半島や伊豆半島も何とか確認することができる。表尾根の続きである塔ノ岳は、雲に遮られていたが、手前の幾つかのピークを辿る尾根道が続いていた。
頂上には無人小屋があった。薄暗い小屋の中の土間にはベンチがあり暖かく食事ができるが、外のベンチで食事をすることにした。
頂の広場にある樹木の小枝には霧氷が張り付き一面の花のようにも見える。近寄って見ると、細い梢の片方だけに硬く白い結晶が付着している。風向きが一定なのか、海側の湿った空気が冷えて付着したものかは解らなかった。
11時半から下山開始し、長い下りの最終に風の吊り橋を渡り、大倉バス停ターミナルに着いた。バス停広場には、地域の人達による農産物の青空市場が広がっていた。前々回、中川さんの陣馬山麓の柚子と梅干の土産は、奥方に大変褒められたことを思い出した。地域の産物には旨い物があることを知り、蕗のトウをみていたが、隣で上杉さんが持った南京豆は生であり炒ったものが隣にあると言われているのを聞き、私も一袋買ってみた。蕗のトウは早速天ぷらにして食べたが少し苦味が強かった。南京豆は大変旨くもっと買ってくれば良かったと後悔した。待機している1時38分発のバスに乗り、渋沢駅前のそば屋の生ビールで乾杯した。寒い中の山歩きであったが、冷たいビールは旨かった。 長張 記