2014.11(第148回)日立中央研究所庭園と国分寺史跡散策
2014年11月23日
11月の例会は16日、国分寺市の日立製作所中央研究所庭園から殿ケ谷庭園を散策した。研究所の庭園は、野川の源流として有名である。JR国分寺駅改札口前広場は、僕らと同じ目的地に向かう団体客で溢れかえっていた。少し肌寒いが天気は良好で一日乾燥した天気が期待できた。
今日のメンバーは、白井昭男さんの案内で櫻井和子さん、澤村祥さん、中西摩可比さん、中川邦雄さん、湯浅芳衛さん、金子宏二さんと夫人、平松和己さん、浅井隆夫さん、長張紘一と家内の12人となった。
日立研究所の庭園は春と秋に2日、一般に開放される。国分寺崖線(ハケ)を取り込み東京ドームの約4.4倍の敷地は、自然環境豊であり、南側の庭園が開放されている。僕らは誘導された通路に沿って、ほぼ一方通行で長い行列の後を進んで行く。
大池から水路は敷地の外へ流れ、西武線や中央線線路の下を潜り野川となる。
一時間程見学し、研究所の前で集合写真を撮り、紅葉には少し早い混雑した庭園を去り、姿見の池を抜け西国分寺駅へ向かう。
西国分寺の南側に周り、次の目的地の東山道武藏路跡に着いた。東山道武藏路は7世紀後半から11世紀前半までの間、当時の都と地方の国府を結ぶ古代の幹線道路で全国の七道の1つと銘板に記述されている。
1時近くになり武藏国分寺公園の円形の広場で一同昼食を、それぞれ好きな場所でとる事になった。
広場から崖を下ると真姿の池の湧水池に着く。昔と較べて流量は少なくなっているようであるが、それでもペットボトルに水を入れて持ち帰る人も多くいるそうである。資料館に入るには、史跡の駅おたカフェで高齢者は100円の入場料を払い、名札を下げて入場する。資料館には史跡から出土した資料が数多く展示されていた。
史跡ガイドボランティアの女性が控えておりガイドの説明をきくことができた。
武藏国分寺跡の模型を前にして説明が続く。更に壁に掛けられた当時の東山道、仏像、観世音菩薩像、銅蓋、瓦等の展示品の説明、更に外に出て僕らが予定している場所までガイドをして頂けるとのことで暫く一緒に行動することになった。
新田義貞の寄進により建立された薬師堂に寄る。御開帳は毎年10月10日で重要文化財の薬師如来像が安置されている。
僧寺金堂跡は、平たい大地の一部を長方形の土台で囲われている。その中に礎石が点々整然と並んでいる。その中の幾つかは当時のものである。金堂の大きさがわかる。
鎌倉時代末期の「分倍河原の戦い」で焼失した。囲われた土台の一部に、出土された金堂の瓦が1メートル程の幅で重ねられている。白井さんはその場所をガイドにも教え、ガイドも大変喜んでいた。
ガイドは七重塔跡に僕らを誘導し、中心の心柱の礎石の場所を指して説明をした。中心の礎石の直ぐ傍には銀杏の大木が鎮座している。心柱の礎石の大部分は土の下に隠れていた。心柱を中心に幾つかの礎石が取り巻いている。
七重の塔跡から最後の殿ケ谷戸庭園に向かいガイドと別れた。ボランティアのガイドは親切で中々の勉強家であった。
都立殿ケ谷戸庭園も国分寺崖線にあり、湧水も豊富でここも野川の水源の一つとなっている。三菱財閥の岩崎家が昭和4年に買収し整備されたようである。