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2006.09(第 79回) 御正体山
朝7時聖跡桜ヶ丘下りホームは人影が少なく、向かい側の上りホームは土曜日にもかかわらず通勤客が多く見渡せた。1年前は大勢の人たちと向こう側の電車に乗っていた。退職してからこちら側の空いた電車に乗り込むのは、少し気恥ずかしいような感じがしていたが最近はすっかり慣れてしまった。そんな事を思っていたら、同じハイカーの格好をした人が、私に山歩きのメンバーであるかどうか次々問いかけてきた。今日の山歩きの会に稲城稲門会のメンバーが加わることは、事前に金子さんからメールで知っていた。金子さんが着く前に3人の新しい人と自己紹介を交わす事になった。電車に乗り何時ものように高幡不動駅で山岸さん・川俣さんと合流して、今回は7人のメンバーである。川崎市に住む柴田さんは、学報を見て多摩稲門会山歩きの会の存在を知り、飛び入りで参加する女性である。その他2人は飯島さんと高橋さんで稲城稲門会のメンバーである。長梅雨で夏の特別企画の富士登山は来年までのお預けになってしまった。そして今日、秋の長雨が続きさらに台風が近づいてきているが、運良く今日は雨の心配はなく曇天が続く予報であった。
高尾駅から都留駅まで直通で1時間強、そこからタクシー2台に分乗し御正体山登山口まで、9時少し過ぎに徒歩を開始した。暫らくなだらかな上りの林道が続く。道に沿ったヤマアジサイ・ツリフネソウの花は満開である。アジサイのシーズンはとっくに終わっているが、全株にわたって目立たない花を咲かせている。ツリフネソウは今が一番の見所で群生している姿は見事である。上り斜面の傾斜が急になった所から、コンクリートの路面に変わる。林業のトラックがのぼるための舗装だろう。コンクリートの道は途中から工事中になり、並行したわき道にそれた。
広い道から急に細くなり一列になって歩く。藪をかき分けながら登って行く。今朝まで降っていた雨で、草木は濡れて肩や腕は湿ってくる。湿った路はぬかるんではいないが、下りは注意が必要かも知れない。先頭の人は蜘蛛の巣や露払いに難儀している。高度が上がるにしたがって、下草は少なくなりブナの自然林に入る。ブナの森は白い幹に地衣類が着生して独特の模様になっているのが分かる。
何故か、そばにあるカエデ類の幹も同じ様な模様になり、見上げて確認しなければ誤魔化される。
上の写真は峰宮跡の分岐点で、テンニンソウやヤマトリカブトの紫の花があちこちに咲いている。また、御正体山は茸も多い所でもある。今年は特に茸の生育に適した気候らしい。天気のせいか、鳥やせみの声は全くなく静粛そのものである。
ホウキダケはサンゴのような形をしている。食べられるとの事であるが、似たような毒キノコもあるので恐ろしい。名前はわからないが、道際に何度も出合う旨そうな茸である。色々な茸が辺り一面に見ることができた。
下の登山口から山頂までの標高差は900メートルあり、山歩きの会でも2番目の高さらしい。
写真は御正体山の山頂で遅めの昼食をとっている所である。この山頂もわれわれグループ以外のハイカーはいなかった。道中出会ったハイカーは1人だけだった。御正体山は地味な山であるが、道志山塊では一番の高さを誇り、日本200名山の1つである。前の写真にある道標や山頂のテーブルその両脇にあるベンチは、今まで登った中でも立派なものである。山頂には2年前皇太子の登頂の表示や、御正体山大権現社と一等参画点がある。しかし山頂からの眺めは晴れていても期待はできそうもない。食事したテーブルの周りには色々な植物が管理されていた。
特に目立ったものは、トネアザミ(タイアザミ)で大部分の面積を占めていた。その他キンミズヒキや名前の分からない自生植物が秋の花を咲かせていた。晴れていれば、また違う趣になるのであろう。 長張 記
2006.07(第 78回) 岩殿山
8時50分聖蹟桜ヶ丘ホーム集合はいつもより遅い集合である。前日の晩、退職前の職場の連中との飲み会で深酔いを注意していたが、この位の集合時間で助かった。今日の目的の岩殿山が中央線大月駅に近くに位置し、移動時間が短いためであろう。駅ホームに急いで駆け上り皆に合流し高尾山口行準特急に乗り込んだ。
高幡不動駅で合流し今日のメンバー7人全員が揃った。梅雨明けは後一週間ぐらいかかるだろうが、今日は朝から天気が良く湿度もかなりある。九州方面は台風の影響で大雨の予報である。高尾駅で9時27分中央線の大月行きに乗り換え、10時2分に終点大月駅に着いた。
大月駅の北側には岩殿山が聳えていた。駅から線路に沿ってしばらく登山口通りを過ぎ、右折して中央線と笹子川を渡ったところに登山口がある。
車窓から見渡せるこの特異な岩壁は何回も見ていたが、岩壁が近づくにしたがって大きく
登山口から一気に急勾配を上る。コンクリートで固められた階段や手摺も完備され初心者向きではある。蒸し風呂の中のような暑さである。途中、民族資料が展示されているふれあいの館、また大月市の富嶽十二景の一つで富士の見える展望台があり小休止する。
あいにく今日の富士は雲の向こうであった。額から吹き出る汗をタオルで拭いながら、やっと頂の展望台に辿り着いた。
展望台は鏡岩と呼ばれる突き出た親父の太鼓腹の様な岩の真上に位置する。下側から見える覆いかぶさるような岸壁は、上からは全体の形を見ることはできない。真下に横切る道路や川や鉄道が模型の様に眼下に広がっている。しばらく遠くの山並みの幾重にも重なる景色に見とれる。展望台の直ぐ脇にある東屋の下で早めの昼食をとる。
午前中に上った急坂を分岐点まで下り、そこから西に続く尾根筋に入る。辺りは草いきれでむっとしている。草を分けながら築坂峠まで下り、その下った分天神山まで上ることになる。途中2ヶ所の岩場がありスリルを味わうことができる。鎖をしっかり掴みながら恐る恐る慎重に上って行く。
兜岩から少し下り岩場を巻いて天神山にたどり着く。天神山からは午前中登った岩殿山が直ぐ目の前に眺望できた。稚児落しの大岸壁でその頂を経由して後は下りだけである。
この辺りの岩壁は丹沢山塊に圧され海であった部分が隆起してできた凝灰岩である。岩の中に混入している玉砂利は平べったく、川でなく海が隆起した証拠だと伊藤大先輩からの説明で一同納得した。
東の方の雲行きが怪しくなってきた。浅利の集落の車道に出て後は大月駅まで車道を歩く。中央高速道の下をくぐるころ橋脚の向こうに稲妻が真っ直ぐ地上に下り、数秒後に雷鳴がとどろく。運良く今日は雨に一度もあわなかった。八王子付近の落雷と雨で電車が不通になりその影響が出ていた。大月で1時間ほどビールを飲んだ後、臨時急行列車で高尾までスムーズに帰ることができた。今日は暑かったが、雨に降られずラッキーな一日であった。
長張 記
2006.06(第 77回) 姫路・焼山
前回予定したコースが荒れ模様のため延期され、今日同じコースで実施された。丹沢は多摩市から近い距離にありながら交通アクセスが悪く、早めの出発で6時20分聖蹟桜ヶ丘駅集合である。駅ホームのベンチには、既に伊藤さん・宇田川さんと金子さんが雑談をしていた。高幡不動駅で山岸さんと合流し、今日のメンバー5人全員が揃った。高尾駅から中央線に乗り換え藤野駅で下車する。藤野駅は陣馬山・高尾山コースの馴染みの駅であるが、今日は時間が早いせいか登山客は見あたらず、タクシーを早めに押さえようと急いだにもかかわらず、1台も止まっていなかった。駅より街道筋に少し下がった所にあるタクシーの案内所でしばらく待つことにした。案内所の車庫には無人のタクシー3台が駐車しており、営業開始前の状況であった。
先週の金曜日に梅雨入りし昨日は大雨であった。今日の夕方からまた雨で昼間一時晴れることもあり蒸し暑くなるとの予報である。半時間ほど待つと運転手が軽自動車で通勤してきた。早速駐車してある一台のタクシーに乗り換えて、われわれ5人のメンバーを乗せて出発した。30分ほどで上青根登山口に着いた。このルートは私の持っているマップには路線バスで40分と表示されているが、現在は赤字路線だったのか廃止されている。メンバー全員身なりを整えて歩行開始。登山口からしばらく舗装された車道を分岐点まで緩やかに上って行く。分岐点で一休みする。分岐点から先のどちらのルートも八丁坂の頭までたどり着けるが、右に折れる方が多少袖平山近くの尾根筋に出る。ここからは道は細くなり一列になって登ることになる。この急坂を登り終えてしまえば残りはなだらかな稜線が残るだけ。辺りにはフタリシズカが多く見られこぼれ種で広く繁殖していた。
高度が上がるに従ってギンリョウソウが次々現れてきた。珍しい植物ではないが葉緑素をもたない腐生植物の一つで私は始めてみる奇妙な植物である。山岸さんもカメラに収めていたが、暗すぎて明るい所で撮りたいと呟いていた。もともと暗い林の下の腐った木や枝葉に育つものだから明るい所には探してもない。今日のお目当てのシロヤシロはみられなかった。ヤマツツジのシーズンも終わりで、わずかに咲き残っていた。
伊藤さんは今日も何時ものように、急坂をもろともせずに息も上がらずお喋りし通しである。野鳥の囀りの度に鳥の名前を教えて貰えるのだが、山を降りてしまうと殆ど記憶の外にいってしまう。メモしておく事が必要と分っているが、なかなか急坂を登りながらメモることも難しく、また囀りの録音が必要かも知れない。その中で鳥ではないがハルゼミだけは覚えることができた。八丁坂の頭までの後わずかの所から宇田川さんの歩みがスローペースになってきた。腿がつってしまったらしくかなり辛そうである。このまま続けられるか心配である。右腿左腿からふくらはぎへと、患部をかばう度に次々と攣る場所が変わっていくそうである。傍目からみてもこのまま続けることは無理ではないかと思える。それでも尾根筋にでることができた。姫路まであと少しである。
袖平山で昼食の予定であったが、途中の姫路という広く開けた展望台で昼食をとることになった。広いスペースは我々メンバーだけの占有となった。蛭ヶ岳は尾根伝いに3キロほど真南に聳えており雲に見え隠れしていた。
昼食を食べ足を休めたためか宇田川さんも元気が出てきたようである。袖平山には片道20分ほどであるが時間を節約するために、ここで引き返し焼山に向かうことになった。午前の尾根筋を少し戻りそのまま真っ直ぐ尾根道を進む。整備された東海自然歩道で高低差が少ない快適な稜線である。焼山山頂には3方向に向かった祠があった。案内板には青根・青野原・鳥屋の3部落の境界を示すものと伝えられていると書かれていた。また、鉄骨の展望台やベンチが設置されている。展望台に上ると宮ヶ瀬湖が薄っすらと見下ろせた。晴れていれば絶景なのだろう。焼山から下りに入りピッチもあがり時間の余裕もできた。これからはゆっくり下山を楽しめる。途中、ヒルに注意の看板が立っていた。午前中からこの話題があり、昨日テレビに鹿と共に人家の側に現れて駆除に難儀していると放映されていた事など話をしていた。ヒルを見たことがない山岸さんが、地面を指してこれは何かと質問された。まさしくヒルである。これが最初の出会いであり、残りの2・3キロの道のりで、皆合わせて数十匹のヒルを靴や足首から退治する作業を余儀なくされた。それでも靴の中に入ったヒルにより靴下が血で真っ赤に染まるほどの被害に遭遇した金子リーダーを皮切りに、次々に被害が飛び火していった。思い出すだけでも気色が悪い経験であった。ヒルが待ち受けている下山道を逃げるように急いで降りたため、バスの出発より1時間も早く到着することができた。今日のビールは格別に旨いことだろう。 長張 記
2006.05(Bコース) 早稲田大学
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2006.04(第 76回) 陣馬・影信山
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2006.03(Bコース) 横山の道
2006.03(第 75回) 川乗山
百尋の滝
川乗山山頂
2006.02(Bコース) 大宮八幡宮・善福寺緑地
2006.02(第 74回) 大塚山・御嶽奥の院
大塚山
御嶽奥の院
2006.01(第 73回) 高尾山
降雪のため石老山行きを変更して高尾山へ
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