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2011.12(第127回) 八王子城山

2011-12-17

 先月の山歩きは天候不良のため中止された。12月は例年高尾山近辺のシモバシラの花を見る会となっているが、今年のコースは何時もとは少し変えて八王子城跡を選んだ。高尾山があまりにも有名となっているものの、八王子城跡は訪れる人は少ない。交通の便が悪いことも起因している

。

 JR高尾駅北口に10時集合して徒歩開始した。多摩森林科学園と武蔵稜墓地の間の道を暫く上る。更に進み中央高速道路の下を過ぎると左折して真っ直ぐ城山に向かう。大きな車両が通る道から離れ、真っ青な空の下でのハイキング気分となってきた。今日のコースは軽いハイキングコースで時間の余裕がある。途中コースを外れ右折し丘陵を上り北条氏照と家臣の墓に寄ってみた。取り立てる程の場所ではないが、都教育委員会の案内板が立っていた。記述の一部「氏照は小田原で自殺した」との記述を切腹と落書きのように書かれていた。

 今年の夏は震災後の節電のせいか、例年より暑く感じられた。その反動か冬の寒さは応える。今日のコースのメンバーは、櫻井和子さん・川面忠雄さん・平松和巳さん・金子宏二さん・長張紘一の5名である。

 目の前には八王子城山が雲一つない青空に構えている。八王子城跡は日本100名城のひとつであり、東京には江戸城と合わせて2つ認定されている名城である。この城は小田原城を本拠とした北条氏最大の支城で、1582年頃北条氏康の次男氏照を城主として築城したが、豊臣秀吉方の前田利家・上杉景虎軍に攻められ一日で落城した。

 八王子城跡管理事務所には数人のボランティアのガイドが接していた。僕らは御主殿跡の見学をやめ、城山山頂を目指した。

 尾根には敵からの侵入を防ぐための、ひな壇状に平らに造成した場所が続いている。そこには梅や椿の樹木の中に紅葉も覆い茂っている。

 急な石段を上り金子曲輪で一休みしていると男女の団体が過ぎていった。人の少ない山道ではあるが、降りてくる人達もちらほら見受けられる。

  小宮曲輪を過ぎると樹木がなくなったビューポイントに出る。冬の乾燥した空気は澄み武蔵の国が見渡せる。中央に八王子駅南の高層ビルを見下ろし、その左上に新宿副都心その左にスカイツリーの眺望が広がっている。また、筑波山・横浜のビル群等、それぞれ眺望を楽しんでいる。

 八王子神社に着き、更に城山の山頂に達した。城の中心である本丸跡は標高445mで平らな狭い場所であったが、周りには樹木が大きく茂り見通しはきかない。風はないが気温は低く食事場所には適しなかったので、神社まで下り見晴らしの良いベンチがある広場で食事をとり、紅葉の大木の前で全員の記念写真を撮った。僕ら以外には2人程の静かな広場であった。神社には根回り5m以上の杉の大木が数本立っているが、この杉木立は高尾駅からも良く見える。広場での眺めを堪能した後元の道を下る。分岐点まで下り旧道に入り、真っ直ぐ北に下る。勾配は徐々に緩やかになり杉林の薄暗い中を下って行く。色々なシダ類が繁茂し、またフユイチゴが群生し、所々に赤い実を付けている。熟した実は甘酸っぱく野性の味がする。

 松竹バス停留所は日当たりの良い陣馬街道沿いにある。1時間一本の本数で運行され、予定した前の1時58分のバスに乗り、一同京王クラブに向かった。

 京王クラブでの懇親会は4時から開催された。佐藤達雄会長・湯浅芳衛さん・宇田川登さん・福田宏・かほる御夫妻・金子暎子夫人・浅井隆夫さんが参加され今年最後の懇親忘年会となった。湯浅さんが持参した10年前の忘年会の様子をA4紙にまとめた写真を回覧されていた。今日の会も10年後のためにそれぞれの参加者のスナップを撮り記録して残した。

 歓談は尽きる事がなかったが、半時間程超過してお開きとなり今年の山歩きも終わった。 長張 記

東京の古刹を巡る 護国寺と神楽坂 歴史に遊ぶ会・悠々歩く会

2011-12-03
護国寺
多摩稲門会の二つのサークルが合同で秋の一日を楽しんだ。「第12回歴史に遊ぶ会」と「悠々歩く会」で、「都内古刹を巡るプラン」を実行した。
この企画は、以前に行われた江東区の下町界隈を遊歩し楽しんだ企画に参加した藤井会員(本リポート作成)が、東京には江戸時代に建立された多くの神社仏閣や興味深い仏像・絵画が存在することに着目し、再びこれらを巡って歴史に触れてみようと企画した第一弾である。
11月14日(月)、午前9時頃、京王線永山駅に集合、都営新宿線市ヶ谷駅で有楽町線に乗り換え、午前10時半過ぎに護国寺駅で降りた。階段を上れば、護国寺である。仁王門をくぐり、石段を上がると、左に月光院、正面に本堂、薄緑色の屋根瓦が光に映えている。内部に入り、正面に座ると、寺の中高年男性が語り出した。その内容をかいつまんで紹介しよう。

護国寺は、徳川5代将軍綱吉の生母、桂昌院の発願により、綱吉が天和元年(1681)に建立した。以来、330年、建物は当時のままで重要文化財。以後関東大震災や第二次世界大戦・東京大空襲からも奇跡的に免れ、3月11日の東日本大震災にも被害は出なかった真に強運の寺院である。ケヤキ材の太い柱が52本も使われ、本堂をしっかりと支えている。
山号は神齢山、院号は悉地院、本尊は、桂昌院念持仏の天然琥珀の如意輪観世音菩薩像である。ふだんは本殿正面の鏡にお顔を隠している。その如意輪観音は、実は前立ち観音である。前立ちは、秘仏として厨子などに納められている本尊に代わって、その前に安置される仏像のこと。寺の男性に秘仏を見たことがあるかどうか問うたところ、「いまだにない」との返事であった。
桂昌院は、京都の八百屋の娘だったが、3代将軍家光の乳母である春日局に見出され、家光の側室となり、阿玉(おたま)の方といわれた。俗に「玉の輿」という言葉があるが、阿玉の方の破格の出世から生れたものと言われ、前述の如く当寺院の三度に亘る大災害から免れた強運と相い通じるものがある。
阿玉の方は、自分の生んだ子どもが将軍になった身の幸運に感謝して仏教に帰依し、護国寺の大スポンサーになったわけである。護国寺の正面の通りの行き着いた先に江戸城があり、桂昌院はむろん綱吉もしばしば護国寺を参詣に訪れた。
寺の男性の案内で本堂の裏を見た。痩せこけ、あばら骨が浮き出た釈迦の立像がある。心身を消耗する苦行に耐えたが、悟ることができず、生きるか死ぬかの状態で人々の前に現れた際の釈迦像という。表情も見なれた仏陀のものではなく、疲れ切った人間のものである(“出山の釈迦像”と言われている)。
裏観音と呼ばれた観音像がある。これは秘仏の代わりに拝まれた。護国寺は、真言宗豊山派の大本山だが、総本山は奈良県桜井市にある長谷寺。長谷寺の本尊の十一面観音も秘仏だったが、その裏の観音が代理で拝まれ、同じように裏観音と呼ばれていた。
本堂裏の左の奥に役小角(えんのおづの)の坐像が安置されている。役小角は修験道の開祖で、呪術をよくしたと伝えられている。
護国寺はやはり桂昌院との縁が深い。本堂の裏には桂昌院が乗った駕籠が上から吊るされている。また33体の仏像が安置されているが、それらの全てに桂昌院の髪の毛が納められているそうだ。
護国寺には早稲田大学の創始者である大隈重信候をはじめ早稲田が輩出した政治家で日中国交回復に尽力した松村謙三らの墓がある。晩秋の晴れた空を見ながら、これら偉大な先輩の墓に詣でた。大隈さんが早稲田大学をつくらなければ、私は勿論多摩稲門会の皆さんが早稲田に学ぶこともなく、人生もまた変わったものになっていたであろう。そういう思いに駆られつつ、心から感謝するとともに安らかな永眠をお祈りした。尚、大隈公のエピソードに関し、金子幹事長から貴重で極秘の情報を解説頂いた事に真に感謝します。
神楽坂
その昔早稲田の学生が青春を謳歌した古き良き町“神楽坂”を散策すべく午後の部に移行。一本の“神楽坂通り”の左右には和・洋・中の洒落たレストランが密集し、その選択に迷うほどの神楽坂界隈で結局「翁庵」というそば店で昼食をとった。一行は12人、2階の座敷ではなく、その奥のテーブル席に座ることができた。予約はしていなかったが、たまたま空いていた。気楽に店に声をかけられるのも、常連感覚を持っていたからだ。私が常連ではないが、多摩稲門会の井上さんが店のママと古くからの馴染みで、井上さんの仲間という縁を利用させてもらったわけである。
昼食後は按田さんと藤井会員の案内で、レストラン同様に多くの神社や寺院の多い神楽坂界隈を歩いた。先ずは、神楽坂下から若宮八幡神社に向った。源頼朝が奥州の藤原泰衡を征伐する際、この神社に戦勝を祈願したという言い伝えがある。神楽坂通りを外れた一角で、周囲にはマンションが多い。
横町を歩き、やがて地蔵坂に出た。右側に光照寺。牛込城跡の跡地という。牛込氏が戦国時代、この地域の領主であった。先祖は北条氏に仕え、徳川家康が江戸に入植後は徳川の家臣になった。牛込城といっても、城郭があったわけではなく、領主の館を主体としたものであっただろうと推測されている。
光照寺の墓地を歩き、作家の森敦が眠っていることを知った。森は小説「月山」を書いた芥川賞作家。傍らの碑に「われ浮き雲の如く 放浪すれど こころざし 常に望洋にあり」の言が記されている。(川面会員の解説)
墓地の奥に「諸国旅人供養碑」がある。神田の旅籠「紀伊国屋利八」なる者が旅先で亡くなった者たちを供養したもの。49人まで供養したという。そんなに古い話ではなく、幕末の頃のことといわれている。
地蔵坂を下り、神楽坂通りに出ると、ちょっと神楽坂下の方向に毘沙門天善国寺がある。400年以上の歴史がある日蓮宗の寺だが、「毘沙門様」と呼ばれ、多くの願いをかなえてくれる多聞天。狛犬の代わりにトラの像が安置されているが、これは毘沙門天がトラの化身とされているからだという
神楽坂を上に歩き、大久保通りを渡った先に牛込氏ゆかりの赤城神社。建物が古色蒼然としたものでなく、明るくて透明感がある新しいもの。たまたま建築を学ぶ若者たちが視察に訪れていた。
赤城神社の境内に蛍雪天神が建っている。昔は横寺町にあった朝日天満宮だが、その後に経緯があり、また戦災により焼失していたが、平成17年に旺文社の寄進で再興された。むろん学問の神様である菅原道真を祀っている。
当神社は最近建て替えたばかりのピカピカの本殿で全ての建造物も新しくなり、本殿横には事務所や喫茶コーナーがあり、その上はマンションとなっており、昨今、寺院・神社が力を入れている多角経営化の典型的事例に思えた。
安養寺という小寺に立ち寄った後、大久保通りを歩き、筑土八幡神社の石段を上った。田村虎蔵顕彰碑がある。「田村虎蔵って何者?」と疑問に思ったところ、同行の按田先輩は知っていた。「まさかりかついだ金太郎♪」の「きんたろう」を作曲するなど数々の童謡を残している。永年、近隣に住んでいたので、筑土八幡の一角に碑が建てられたようだ。護国寺のような大寺は、神楽坂にはないが、神社仏閣の数は少なくない。それだけ神楽坂界隈には古い歴史がある。
最後に、新井さん桜井さんの健脚ぶりを尊敬しつつ、神楽坂のもう一つの顔である花柳界の面影が残る芸者新道を通り、現在30人の神楽坂芸者を抱える見番を見ながら、大江戸線・飯田橋駅に向かい帰路についた。
今回の企画は、寺院・仏閣の名前や一通りの知見を有している我々ではあるが、実際に訪れ、目にし、耳に入れることで、歴史に造詣を深めるとともにフレッシュな印象を与えられ、有意義であったと思う。
これからも新たな場所や歴史的な対象物をアレンジして新しい企画をプランし、皆で楽しめれば幸甚です。                                                                                                                                                                                                     文責・藤井

早慶ラグビー戦大勝・オッカケたいの報告

2011-11-29

伝統の早慶ラグビー第88回定期戦が11月23日に秩父宮ラグビー場で行われました。今シーズンの早稲田は4人の主力選手を怪我で欠いた影響で筑波、帝京2敗した為、優勝は諦めざるを得なくなりました。そのせいか今回のオッカケたい参加者は櫻井さん、稲垣さん、湯浅の少数精鋭(?)でした。

しかし流石に伝統の一戦とあって観客は約2万人と今季最高の入りとなりました。我々は試合開始1時間前に入場したので日当たりの好いバックスタンドに隣合わせて座ることができました。両校チアリーダーの演技と校歌斉唱で雰囲気が盛り上がる中、キックオフとなりました。

試合はFWがスクラムを押し勝ち更に接点でも当たり勝って前に出て良いボールをBKに供給したのでBKも余裕を持って多彩な攻撃を見せ久し振りにFW・BK一体となった早稲田らしい試合運びで54対24で快勝しました。(通算成績=早稲田62勝20敗6分)この結果、早稲田は明治に勝つと2位の可能性が出てきました。一方、

慶応は5位が決定しました。

勝因としてはモールトライを奪うなどFW陣の頑張りが先ず第一ですが、加えて欠場していた主力の内3選手がこの試合から先発で復帰してほぼベストメンバーとなりチーム力が向上したことが挙げられます。特にFB・井口副将の鋭いステップを生かした突破力と的確な指示、ゲームメークは試合の流れを早稲田に引き寄せました。

更に起用された1年生3人が伸び伸びとそれぞれの役割を果たしました。 とりわけ

SO・小倉がパス、キック、ランと思い切ったプレーで司令塔役を果たしたのは天晴れでした。早慶戦の1年生3人先発はあの堀越、今泉、藤掛以来の32年振りとの事です。

次の早明戦にも勝ち、大学選手権に向けて個々のスキルアップとチームの成熟度を上げて3年振りに王座奪回をして高らかに「荒ぶる」を歌うシーンを期待しています。

 試合後の祝杯は『3人ともに最近は飲み会続きなので体調管理に気を付けましょう』ということで大学選手権後とすることにして健康的に(?)帰路に着きました。

                               (文責:湯浅)

                         

11月のグルメの会

2011-11-29

32回目のグルメの会は11月24日(木)、多摩センター駅前にオープンして間もない串焼きと釜めし自慢の「かまどか」で開いた。女性2人を含む8人が参加し、まずは飲み放題のサントリープレミアムモルツで乾杯した。11月は多摩稲門会の行事がとくに多く、偶然重なった山歩きの会にも顔を出した2人は30分遅れで加わった。

絢爛と名付けられた飲み放題込み五千円のコースを頼んだが、先付けから始まって11種類の料理をアルバイトの女子大生が次々と運んできた。中でも、ハマグリと鯛のしゃぶ鍋とシラスや紅ズワイガニの釜めしなどが好評で、食通ぞろいのメンバーから「うまい」「おいしいわね」といった声が相次いだ。いつもは辛口の論客からも、「いけるね」と合格点がついた。

味と酒とともに堪能したのは、店のある9階から見渡せる駅北側の夜景だった。眼下に乞田川、立川方面に伸びるモノレールの線路の両側に、多摩ニュータウン通りを行き交う車の流れや商業ビル、マンションなどが広がっていた。とくに前会長の中川邦雄さんは、お宅のマンションが真向かいにあり、自宅を眺めながらの会食にご満悦だった。

以上

12月のテニスコート・予約のご案内です。

2011-11-11

12月の予約状況は次の通りです。

奮ってご参加ください。

いずれの日も、8:00―10:00です。

 

12月06日(火) Cコート Dコート

12月13日(火) Cコート Dコート

12月20日(火) Cコート Dコート

12月24日(土) Cコート

12月27日(火) Cコート Dコート

 

会場:一本杉公園内テニスコート

お問合せ:依田敬一 yodak1jp@yahoo.co.jp

元早大ラグビー部 有田幸平氏が多摩稲門会に入会されました

2011-11-09

高校時代、啓光学園高校にてラグビー全国制覇を果たし、早大に入学してからは、常にラグビー部の中心選手として活躍。大学4年時には、フランカーとして大学選手権優勝に貢献された有田幸平さん(現三井住友銀行勤務)が平成23年10月付けで、多摩稲門会に入会されました。現在26才の若々しい有田さんを、ぜひ皆さんよろしくお願いします。

新刊図書「蒸気機関車讃歌 白い息遣い」に関する出版情報

2011-11-06

2011年10月20日

 この度、写真集を以下により上梓いたしました。

蒸気機関車・鉄道のみならず、写真あるいはデザインに

ご興味のある方に是非ご覧いただきたいと存じます。

                       山岸起一郎

                  ・                                               

①本のタイトル:蒸気機関車讃歌(副題)白い息遣い                                      

②著者名:山岸起一郎

③出版社名:クレオ

④刊行日:2011年10月25日

⑤税込価格:2,940円

⑥読者向けの問合先:株式会社クレオ出版営業部

   TEL:03-3759-8441(代表)

    FAX:03-3759-9831               

⑦発売箇所:全国の有名書店で発売

  (本出版社の書籍は、お近くの書店からもご注文、お求め   いただけます)。

⑧簡単な内容紹介:今は亡き蒸気機関車の力強さと美しさを活写した 著者初の渾身の作品集。巻末に、貴重なテクニカルノートを収載。

 鉄道ファンだけでなく、一般の写真集愛書家必見の一冊です。                                           

                                                                                                                                   以上

 

       

       

         

                 ・

 

                 

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「荒ぶる・早大ラグビー部OB 炎の必殺タックラー 有田幸平氏講演会」

2011-10-30

新企画による多摩稲門会主催の特別企画・スポーツトークが、10月22日(土)多摩・聖蹟桜ヶ丘駅近くの“京王クラブ”で開催され、多摩稲門会24人、杉並稲門会4人、ラグビーに縁のある方及びラグビー愛好家など合計37人の参加を得て盛大に行われた。

多摩稲門会の「早稲スポ・オッカケたい」と密に交流を重ねている杉並稲門会の「スポーツ観戦の会」の会員の方々が駆けつけてこの会を大いに盛り上げていただいた事に感謝の意を表明申しあげ、また寺沢多摩市ラグビー協会々長(寺沢会員の令弟)やS35年度早大ラグビー部の監督を務められた故日置寧二氏令嬢の川音宣子様などにご参加いただき意義を深めた。

 

 

午後2時吉川司会役の笛で“キックオフ”となり、佐藤会長の代行で湯浅副会長 (早稲スポ・オッカケたい世話人)が、大変的確に有田氏の現役時代の早稲田ラグビー部の輝かしい成績と同氏の横顔、活躍を紹介しながら開会の辞を述べた。引き続き藤井会員より有田氏の経歴や人間性、魅力など、講演内容を充分補完できるよう紹介を行った。

 

現在三井住友銀行勤務の行員でもある有田氏は、巨漢の相手フォワードを強烈なタックルで一発で仕留めた。重厚で強靭な体格を全くイメージできないほどスマートで知性と清潔感漂う正にエリートバンカーに変身した姿で演壇から、ラグビーにかけた強い情熱と厳しい練習を熱く語り、参加者に大きな感動を与えて呉れた。

幼少から中・高そして早大時代、両親・恩師・監督・先輩や同期の戦友たちから交流を通して多くの薫陶を得たことが、早大ラグビー選手として最強の背番号6のブラインドフランカーとなり、“炎の必殺タックラー”の異名を得たことを力強く語っていた。

 

 

特に記虎監督(啓光学園時代)と早大時代の清宮・中竹両監督から厳しい指導と練習をうけたこと、強い意志と賢明な発想をもって戦うことの重要性を学び、三監督の指導方針である合理的考察と大局的判断の大切さを学び吸収したことなど、全て社会人としても役立っていることが強調され、大変印象的であった。

有田氏が今も座右の銘として大切にしている「戮(りく)力一心」は記虎監督からの教えによるもので、文武両道での成長を目指す同氏の指針となると確信した。

 

約45分間質疑応答が行われ、多摩稲門会、杉並稲門会そして一般のラグビー愛好者から各種の数字や過去の名勝負での試合振り、活躍選手の特徴など、鋭く厳しい然し愛情溢れた質問や激励が行われ、有田氏も時にはタジタジとなりながらも適切な説明や解説をしてくれた。

45分間はアッと言う間に終了し、多くの未発言の参加者には4時からの懇親パーティーで大いに発言戴く事とし、依田副会長より有田氏への講演に対する謝辞と今後の更なる活躍を期待する旨の閉会の辞が述べられ、“ノーサイド”の笛が再び吹かれ講演会の部を一端終了し、懇親会場に席を移した。

平松副幹事長の司会により、懇親会が始められた。冒頭に按田会員の音頭による乾杯が行われた後、賑やかに献杯が交わされ、和やかな会話で賑わった。

司会者のスムースな進行により、有田氏への質問、アドバイスや檄などの声が続出し、懇親会は最高に盛り上がった。会の終盤では、早大ラグビーの未来に向けての問題指摘や改善・強化策の提言など相次ぎ更に最高潮となった。又、早大ラグビー部の傑出した名スクラムハーフで、日本代表チームの中心選手としては勿論、日本代表監督として卓抜な指導力で日本ラグビーの名を世界に広めた故宿沢氏が話題となり、彼の部下として仕えた藤井三井住友銀行副部長(筆者の愚息で現在有田氏の上司)から業務を通してのエピソードや裏話が紹介されるとともにメガバンクでも優秀な経営者として最高幹部の地位に登りつめられた稀有な逸材の方であったことが紹介され、後年入行した桑江選手や仲山選手そして有田氏などの後輩に対し、よき励みとなっていることが語られた。

佳境に達したところで、吉川会員より、突如、早大ラグビー部が日本一になった勝利の時にのみ歌うことが許される「荒ぶる」を歌って欲しいと有田氏にスペシャルリクエストがされ、同氏は快諾、威風堂々と歌い上げ、満場やんやの喝采をもらった。

何時終了するとも思えない宴、久しく浸ることの出来なかった青春のムードと有田氏の爽やかながらも逞しい若者に将来を託せることの期待感に満たされた参加者は、非情なる?進行係の“STOP”の声に、些か惜別の念を抱きつつ、恒例の“都の西北・・・”の大合唱を有田氏を中心にシッカリと肩を組み、何時もより遥かに大きな声で3番まで見事歌いきり、“フレー!フレー!フレー!早稲田、早稲田&稲門会、稲門会!”の三拍子で締めくくられた。

 

今回の企画は、これまでの文化フォーラムと異なり、スポーツを題材にした“静”に対し“動”的色彩が強く、それなりに趣きのある内容とすることが出来た様に思える。

今、多摩稲門会が直面している活性化対策の一つに会員増強活動の強化があり、その一環として、このようなイベントを活用できると確信した。

因みに今回講師の有田氏に多摩稲門会々員に加入してもらったのは、本当に意義ある事と受け止め、今後その波及的効果につなげることが期待され、第二弾、三弾の企画の実現に向けて各位と注力してゆきたい。
藤井 記

2011.10(Bコース) 鎌倉アルプス

2011-10-27

2011.10(第126回) 畦ヶ丸

2011-10-16

 定例日の第三土曜日は荒天のため一日遅らせ日曜日の開催となった。長かった猛暑も終わり絶好の登山日和の季節となってきたが、秋の日暮れはつるべ落とし、遠い場所や行程の長い山歩きは選びにくい。今回は久しぶりに小田急沿線の山だ。少し遠めの畦ヶ丸は丹沢山地西部にある標高1293mの山である。

 多摩センターを7時14分に出発し8時20分新松田駅に着いた。バスに揺られて1時間強、終点の西丹沢自然教室バス停で降りる。

 そこには、山中湖の自宅から車で直接来た宇田川登さんが待っていた。上杉雅好さん・金子宏二さん・長張紘一合わせて4名。

 西丹沢自然教室のガイドから登山者名簿の記入を求められ、9時40分登山開始となる。脇の道に入ると立派な吊り橋が架かっている。吊り橋を渡り支流に沿って緩やかに上って行く。川の流量は昨日の雨のせいか大変多く、所々に造られた堰から幅広く大量の水が滝のように音を立てて流れ落ちている。

 何ヶ所かの堰は見上げるような高さがあり、僕らは堰の脇にある階段に導きられる。その堰によって上部の川床は上がり、平らな広がりが始まる。川に沿う道は右岸と左岸に何故か頻繁に変わり、その度に丸太で作られた橋を渡ることになる。先日の台風の影響で幾つかの橋は流され飛石渡りで進む。綺麗な流れではあるが、落ちたらずぶ濡れになる。やがて沢から離れ渓流の音は消えて辺は静かな山道となる。高度が増すに従い山の草花がちらほらと現われてきた。青い清楚なイワシャジンが山肌から垂れ下がり、黄色のアキノキリンソウの花も現われる。数株のミヤマシキミはどれも赤い実を一杯に付けている。

  紅葉の季節には少しはやそうである。厚い雲がまだ残っているが、予報では午後から晴れ間が出るはずである。ここには鹿が多く金網で侵入を防いでいる箇所がある。猪や猿も多く、今朝のバスから丹沢湖周辺の道路で一匹のしゃがみこんでいる猿を見た。

 上杉さんが小さな白い刷毛のような花を見つけた。全体は数センチのキッコウハグマでよく見ると辺り一面花をつけていた。多摩の丘陵では滅多に咲いた花は見られない。私は広い範囲で一斉に咲いた花を見るのは始めてであった。畦ヶ丸はアセビが多い丸い山に由来するらしい。比較的低い山で、ブナやスズタケに覆われ丹沢本来の自然が残っている静かな山と云われている。しかし、06年6月丹沢を訪れたとき山ビルに襲われ、以降夏の丹沢は避けていた。麓のガイドはこの辺には山ビルはいないが、宮沢湖辺りには11月でも発生していると忠告された。次回は袖平山の予定だが要再検討だ。

 正午となり畦ヶ丸の手前の比較的周りの山並みが見える場所で昼食をとり早々に頂上を目指した。畦ヶ丸山頂も樹木が茂り真夏であれば眺望は全くきかない場所である。ここにも人はいなかった。人の少ない山である。

 今日のコースは概ね樹木が茂り眺望は望めなかったが、下山中の一瞬ではあるが、霞を通して黒く浮かんでいる富士の姿が見られ、大室山も望むことができた。台風の影響は大滝沢の下山ルートで多くみられ、大木が根こそぎ倒れ込み根元の土砂を崩し、尾根や川岸を大きくえぐっている箇所に出会った。処理が追いつかないのか倒木は倒れたままで歩行の妨げになっている。生々しい倒木の下をしゃがみ込んで潜り込み、大きく跨ぎながら分け行って進行しようやくバス停に着いた。

 宇田川さんは大滝橋付近に駐車している西丹沢自然教室方面のトンネルに消え、直にクラクションを鳴らしながら僕らの前を通過していった。残った3人は大滝橋でバスに乗る。往路と同じルートであるが、丹沢湖の施設に大きく迂回し、また御殿場線の駅に2ケ所寄り道するために1時間10分の道のりは大変長く感じた。新松田駅の脇にある小さな焼き鳥屋に入り生ビールで喉を潤した。              長張 記

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