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2010.12(第118回) 陣馬山
今年も10日余となった。今年を表す漢字は「暑」と決まった。夏の長い暑さは熱帯の国の暑さであった。しかし、数ヶ月経つと寒さが戻り、過っての猛暑も忘れ去ってしまう。
年の最後の「山歩きの会」はシモバシラの華を見る会となっている。シモバシラはシソ科の山野草の名前である。毎年秋には、茎の先に小さな花の群れが一方に向いて咲く。冬になると枯れた茎の根元から、余った水分が氷の結晶としてのびて芸術的な形となる。風などの気象条件が良ければ鑑賞できるはずである。
年末のA・Bコースは同じ日に開催される。Aコースのメンバーは中川さん・宇田川さん・白井さん・上杉さん・浅井さん・長張の6名となった。
また、Bコースの「山歩き」は、小仏登山口から小仏峠経由城山から一丁平、高尾山のコースで金子さんが引率され、櫻井さん・川面さん3名となった。両コースとも山歩き後は一同集まり忘年会となるが、忘年会のみ参加のCコースも合わせ懇親の場を持つことも恒例となっている。
霊峰富士は両コースからも展望できたのだが、宇田川さんに云わせれば両手に広がるほどの富士の眺望以外は魅力を感じないとのこと。
Aコースは高尾駅を9時少し過ぎに発車し、まもなく藤野駅に着く。ここで山中湖畔に住居を移した宇田川さんと、先着の中川さんと合流し全員揃うことになった。30分ほどで陣馬山登山口。ここからの登山ルートは幾つかあり、今日は栃谷尾根から登る。車道をそれ南斜面の長閑な小春の山歩きとなる。このルートは以前、影信山から城山・高尾山の縦走コースの初っ端で、陣馬山からこのルートに入ってしまった。大分下ってから気がつき引き返した経験があり、メンバーに大変ご迷惑を懸けてしまったルートである。このルートの陣馬山直下の最後の上りは苦しかった。
この急峻を無理すると足腰を壊すほどで慎重を要するところでもある。このルートの他のハイカーは少なかったが、陣馬山頂は大勢のハイカーで賑わっていた。日の当たる山頂のベンチを借りて昼食をとった。
1時からの下山となり忘年会へ急ぐため計画していた底沢峠からの下山から、最短で陣馬高原下バス停に行くコースに変更し、しかも山道コースと車道を下るコース2班に分けての下山となった。
南斜面の暖かい登りと比較して、北斜面の下りは寒かったが、気温は10°前後でこの時期では温かく、ここでもシモバシラの華は見られなかった。初めての浅井さんには残念であったが、次の機会に見てもらおう。
白井さんと私2人は和田峠まで下りた。峠の茶店の甘酒で冷えた体を温めた。峠のベンチに数人の外人が会話していた。彼らは自転車に乗り醍醐林道に消えていった。大きく迂回して夕焼け小焼けに行ける。車止めがあり車が入ることはできないが、始めて知った道である。峠の駐車場には複数台の車がとまっている。高校生と見られる生徒も大勢見られた。将来の我々の仲間になる人材である。
陣馬高原下への整備された林道をお喋りしながら気楽に下って行く。中川さんから云われたように前から後から狭い車道を車が通り、その都度脇に寄ってやり過ごす。
別ルートで下った宇田川さんから携帯に連絡が入った。陣馬高原下で予定のバスの前の臨時バスに乗り込んだとのことで、あわてて走り出し予定していた時刻前の直行臨時バスで再び合流することができた。バスに揺られ全員心地良い居眠りに入ってしまった。Cコースには、甲野さん・佐藤会長・新井さん・辻野さん・湯浅さん・青木さん・依田さん・石井さん・稲垣さんを合わせて、4時から京王クラブで17名の忘年懇親会が始まった。また、近所でクリスマスパーティーを開催している遠藤さんも顔を出し、甲野大先輩から、早稲田大学はケンブリッジ・オックスホードに並ぶレベルを確立すべく大学の教授陣の一層の研鑽努力を願いたいとのお話があった。山の会も16年を越え、118回目となった。メンバーの顔ぶれも徐々に変わってきている。 長張 記
2010.11(Bコース) 七国山
2010.11(第117回) 茅ヶ岳
茅ヶ岳への同じコースは2年前の3月に開催されている。その日は天気に恵まれ、頂上からの全方位のパノラマに一同感動したものであった。今日の天気はどうなるか。週間の予報では今日だけの天気はあまり芳しくなかった。ところが夜明けから星が冴え快晴の空が広がってきた。半分諦めていた山歩きが実現することになった。
前回と同じあずさ3号で9時過ぎに韮崎駅に着いた。ここで宇田川さんと合流することになっていたが急用のため不参加との連絡が入った。今回のメンバーは川俣さん・柴田さん・金子さん・長張の4名となった。
日本百名山の深谷久弥の碑がある公園には、かなりスピードを出し続けたタクシーで10時少し前に到着した。川俣さんは始めての場所である。駐車場には既に30台近い車が駐車しているが、登山者は見あたらなかった。
登山口から葉の落ちた落葉樹に、落葉松が混じる林の中を緩やかに登って行く。歩く山道は落葉松の赤茶けた楊枝の先のような松葉が深く積もっており、それを蹴散らしながら進む。日常的でない感動を川俣さんに一句お願いした。早速、二句
「落葉松の落ち葉踏みしめ久弥の碑」
「落葉踏む深田久弥の逝きし山」
金子さんから「入日射す石の上なる唐松葉」
雲一つない青空に風もない小春日和の静かな登山となった。緩やかな上りは女岩まで1時間、ここで小休止をとる。
大きな岩の隙間から清水が流れ飲水となっている。置いてあるコップで喉を潤すが無味であるのが旨い水なのであろう。女岩を大きく回りこみ一気に登りが続く。落葉樹の葉がすっかり落ち、山道まで陽が射す明るい斜面は多少乾燥気味の枯葉が積もっている。紅葉の葉は稀にしかなかった。北側の尾根筋に出ると視界は開け、目の前に金峰山や朝日岳・大弛峠・国師ガ岳・北奥千丈岳が現れた。金峰山の五丈岩の塊りも確認できる。
久弥終焉の碑を過ぎると、最後の急登だ。岩場の尾根を手で伝いながらの登りである。茅ガ岳の頂上に12時に着いた。多くの登山者が360°のパノラマを楽しんでいた。富士山は前回の時より大きく見えた。逆に南アルプスの峰々は何故か遠くに感じた。山頂の樹木は低く刈られ見晴は前回の時より良くなったように思える。
山頂での記念写真は甲斐駒ケ岳をバックに入れたかったが、私の影に隠れてしまった。北アルプス方面は雲がかかっている。
北西方向の双耳峰である金ガ岳の背後には八ヶ岳連峰が構えている。左から横岳・赤岳・阿弥陀岳・権現岳・網笠山と続く。山頂で1時間ほどのんびり景色を楽しんだ後、隣の金ガ岳に向った。金ガ岳には100mの急勾配を下りまた上る。大きな岩の露呈した道を登って行く。巨岩が傾き隣の岩に倒れた下は空洞となり、石門として登山道が続いている。金ガ岳は北峰・南峰のピークがあり、茅ガ岳と合わせて山頂は八ヶ岳と似ている。山頂は茅ガ岳より60m程標高は高い。しかし、茅ガ岳に知名度は奪われている。一時間弱で到着した。
昼食をとった茅ガ岳の山頂にいる登山者が確認できる。
茅ガ岳の背後に富士が聳えていた。茅ヶ岳は日本列島の昔の裂け目の平らな部分であった場所に、次々に噴火が起り、八ヶ岳・浅間山や富士山などの噴火による山の仲間である。大小はあるが、どの山も周囲は開けている独立峰である。低くなった日差しは葉のない梢越しに眩しく目に入ってくる。爆裂火口跡の尾根筋にあった路は、崩落のため迂回されていた。3時半過ぎ明野ふれあいの里に着き、タクシーで韮崎駅に戻り、「あずさ」特急に乗り込んだ。車中で来年の山歩きのコースを決め立川駅下車、何時もの居酒屋「味工房」に向かう。マスターは、稲城稲門会の飯島さんの隣に住まわれる。マスターのご挨拶で出迎えてくれた。生ビールで乾杯し、歓談の場も楽しむことができた。 長張 記
2010.10(第116回) 倉岳山
流石に10月になれば猛暑もおさまり、関東地方はやっと秋の気配となった。桂川の南に連なる山々は前道志と呼ばれる山々でその中で一番高い山が倉岳山である。
倉岳山は勿論大月秀麗富嶽12景の一つである。中央本線を大月に向って四方津を過ぎる車窓の北側には扇山・百蔵山や岩殿山の堂々と構える山なみが続いているが、南側は特に目立って構える1000mを越える山はない。9時11分に鳥沢駅を降り宇田川さんと合流し、国道を上り方面に戻る。目指す倉岳山は雲に霞んでいた。車道から外れ線路の下の低い通路を抜けると住宅地が続く。桂川に掛かる車道を渡る。今日のメンバーはAコースでは初デビューの平松和巳さん・柴田さん・宇田川さん・上杉さん・金子さん・長張との6名となった。
鳥沢駅から30分ほど進むと車道は鉄のゲートで遮られて終わっている。脇にある鉄格子の戸を開けて山道に入る。鹿か猪よけのフェンスと思われる。ここからは熊よけの鐘や鈴の音を出しながら、なだらかな坂を上ってゆく。暗い檜の植林の道は単調な上りである。小篠貯水池のダムの堤防に低木を植えて文字が書かれている。なかなか判明できなかったが上るにつれ「おしの」と平仮名の文字が読めた。この文字は何処に見せるものなのか疑問に思った。堤に上がってみたが農業用か飲料用か治水用なのか解らなかった。
渓流の流れの音を聞きながら、植林の中の暗い上りがしばらく続く。
10時半過ぎ石仏の分岐に達した。高畑山への岐路になるが我々は左に路を取り、穴路峠に進む。夫婦杉や滝のある渓流を右に左に、苔むした岩場を登って行く。
11時半過ぎ穴路峠に辿り着いた。先は浜沢へと下る。尾根筋は高畑山から続いている。青年2人がその路から倉岳山へ足早に通り過ぎていった。若者の登山者は稀である。
初参加の平松さんのペースにあわせ一歩一歩、最後の登高を進める。
山頂には12時半過ぎに辿り着いた。大勢の人で溢れていた山頂は、久しぶりに出合った光景である。シーズンや天候も恵まれたとは思うが、同じ楽しみを共有できる人が多くいることに何故か嬉しくなる。
山頂は赤松などの自然林が生茂っている。北側は開けており見通しがきいていた。先月のAコースだった権現山は、扇山の背後に構えていた。南側に望めるはずの秀麗富嶽は雲で遮られていた。眼下には鉄道沿線の街並みや中央自動車道が続いていた。
以前山歩きの会でも訪れたが、大月近辺の高川山・九鬼山は、何れもリニアモーターカーの実験線が山頂の真下を貫いて、そのままこの倉岳山の南側の山稜を東京方面に向っている。実験線はそのまま実用となるはずで、次世代の名古屋・大阪方面への日帰り出張には当たり前に利用されている事であろう。南アルプスを貫いく最短コースが決定されたと新聞は報だ。
山頂でのランチタイム、これが山歩きの至福の時だ。30分余を費やす。 多少ばて気味だった平松さんも、元気を取り戻したようで、愛妻弁当を平らげた。
1時10分過ぎに山頂を下りた。急坂は慎重にゆっくりしたペースで下る。
コウヤボウキ、シラヤマギクやセキヤノアキチョウジなどの花が盛りを迎えている。あちこちに咲いているアキノキリンソウの黄色い花もやり過ごす。尾根筋の立野峠で休んでいると幾つかのグループが梁川方面へと忙しく尾根を下って行く。月夜根沢を下りやがて唐栗橋で車道に出た。駅まであと20分。
桂川を渡る梁川大橋でうしろを振り返ると、橋の上に昼食をとった山頂が、遠く雲の下に望むことができた。桂川は上流も下流方向も深く切れこみ紅葉には少し早めの森が続いている。梁川駅界隈には居酒屋はなく、雑貨屋で各自缶ビールで喉を潤したが、懇親の宴を持つことはできなかった。駅ホームで山中湖に帰る宇田川さんを見送り帰途に着いた。 長張 記
2010.09(第115回) 権現山
権現山は中央本線の車窓から探し出すのはなかなか難しい。北側に沿って続く扇山、百蔵山の山並みに遮られているためだ。標高1300mを越える山は、この辺りには他にないのだが、奥まっているせいか訪れる登山客も稀になっている。
今日のメンバーは川俣さん・宇田川さん・上杉さん・山岸さん・金子さん・長張の6名である。宇田川さんとは上野原駅で落ち合い、8時28分発のバスに乗り合わせた。今年の夏は呆れるほどの猛暑が続き、少々夏バテ気味であるのは私だけではないようだ。
バスの乗客は上野原駅で乗車した男女の高校生を次々に降ろした後は、狭い道で対向車をうまく交わしながら、30分ほどで初戸(はと)バス停に着いた。我々と一緒に3人の女性グループが同じ権現山を目指し降車した。
長閑なバス停前の田舎の集落を案内版に従って進んで行くうちに樹木の茂る山道となる。山道は植林された檜林が頂上付近まで続き、かなり急峻な山道である。今日のコースは累積標高差が1006mとなり、会では中級コースとなるそうである。
薄暗い檜の山道も高度を増してきた。ヤマジノホトトギス、アキノキリンソウ、シラヤマギク、オクモミジハグマがあちこちに咲きほこっており、秋の気配を感じさせる。
ツルニンジン(ジイソブ)の蕾を川俣さんが見つけた。辺りを探して見ると、多く実になったものの中にシュロソウに絡んだ花の見どころのものが一輪残っていた。ジイソブもシュロソウも花を見るのはラッキーといえる。写真を撮り早々に登山開始、苦しい急峻を登ると11時10分過ぎに雨降(あふり)山に辿り着いた。
頂上は平坦で樹木に覆われて視界はきかなかった。権現山から続く尾根筋に続く高台に大きなアンテナの鉄塔が立っている。湿った所が好きなツリフネソウが尾根伝いに群生していた。
雨降山から比較的に平坦な尾根道となる。ここは快適な広葉樹林で覆われている。山頂間近にある大ムレ権現の社殿は、自然の岩を削った急な階段を登った場所に建っていた。日本武尊を祀る社と立て札にある。ここで始めて1人の登山者に出会った。社殿の裏側を一気に登るのがルートのようであるが、社殿左側の方向にも山道が続き、山腹を廻り西側からの上り口に入りそこから頂上に辿り着いた。
最後の急峻は苦しかったが、正午少し前に頂上に立つことができた。この山頂も樹木に覆われていたが、北側は切り開かれ裾野を広げた三頭山の全容が視界に入る。また、三頭山を基点とする笹尾根は、高低差のないまま裾を東に延ばしていた。三頭山は何処からも見られるが、この位置からの眺めは格別である。山頂の平らな所は広くはないが、我々だけの食事には充分な広さであった。食事の終わるころバスに同乗した3人の女性グループが到着し、食事の場所を譲った。3人のグループは山とは関係の無い話題が延々と続いている。
帰りのバスの時間には充分の余裕があるが、次々に男性が到着し、山頂を彼らに譲ることになった。出合った登山者は5・6名であったが、云われるように人の訪れの少ない静かな山である。
和見分岐まで往路のなだらかな尾根道をゆっくり下る。小1時間の快適な山道である。分岐からは急峻を下る。樹木の切れ目から隣の扇山の姿が一瞬見える。
和見峠で広い林道に出た。和見入口バス停まで単調な林道を1時間半ほど下り、漸くバス停に到着した。40分程バスを待ち、4時30分発の上野原駅行きのバスに乗り込んだ。我々以外の乗客はいない。20号線の上野原駅へのT字路でバスを降り、山岸さんの知り合いである和菓子屋に寄り、各自家への土産を購入した。同店で紹介された近くの料理屋に入り、今日一日の山旅の成果を語り合った。まだ暑さが残る山歩きは喉の渇きも一層強く感じ、ビールの味は格別のものとなった。 長張 記
2010.07(Bコース) 武藏御陵
2010.07(第114回) 大洞山・三国山
昨年の10月は山中湖の北側にある石割山を、富士山の雄姿を間近に見ながらハイキングが楽しめた。今日のコースは湖の南側のコースとなる。湖畔の旭丘バス停を降り徒歩開始。国道の坂を進む。籠坂峠にある登山口は、国道からそれた墓地の裏側にあった。熊よけの柵を過ぎると静かな山路が続いている。
今日のメンバーは川俣さん・橋本さん・宇田川さん・山岸さん・金子さん・長張の6名である。宇田川さんとは湖畔の旭丘のバス停で待ち合わせた。山岸さんは中央線事故で一つ後の電車で追うことになったが、籠坂峠までのバスに乗り我々より数分早く着きそこで一同集合となった。
最初のピークの畑尾山まで30分ほど、火山の黒い礫が積もった道でザクザクと音を出しながら登って行く。静岡県と山梨県の県境の静かな路である。東京近辺の山のぬかるんだ泥の路ではない。それに杉や檜で植林された森ではなく、自然の落葉樹林で覆われて実に気持ちの良いハイキングを楽しめる。今年の関東地方の梅雨入りは例年よりは少し遅いそうであったが、充分過ぎるほど雨天が続き、6月の例会は天候不順のため中止された。九州や中国地方には甚大な被害をもたらせている。関東地方は都内でゲリラ豪雨のため石神井川が氾濫した。梅雨明け宣言はまだ出ていなかったが、今週末からやっと晴れの日が続くようになり、帰宅後夕刊をみると日本列島の大部分の地域が今日、梅雨明けしたとの記事が大きく掲載されていた。
大洞山には丁度12時に到着した。今日の最高ピークであるが、樹木で視界がきかず次のピーク三国山まで小1時間、足を延ばすことにした。尾根路に咲く独特の臭いのあるコバイケソウの株の間を縫うように進む。
三国山も樹木で覆われてはいたが、植林された杉や檜の森ではないので、葉陰のすき間から視界はきいている。涼しい風が流れている。途中追い越した3人の女性グループも到着し、昼食に加わった。南側の下裾野にある富士スピードウェイで疾走する車のエンジン音が聞こえていた。何種類かの蝉の鳴き声も辺りから聞こえてくる。
三国峠への下りは急斜面である。この一帯も富士の火山礫である。その上にブナが育ち大木が目立つ場所である。クマザサのすき間を抜けると車道に出た。ここが三国峠である。車道を横切り今度は急斜面を登る。
峠からは開けたカヤトの草原を登って行く。頂上が「鉄砲の木の頭」の呼ばれる木のない大展望のピークである。一番高い場所に山中諏訪神社奥宮がある。この上に立つと更に視野が開ける。山中湖・富士の大きな裾野・箱根連山や湖を挟む石割山の連山が目の前に続く。
東の方から道志山塊が湖の北側で終わる。そして今日のコースであるが、丹沢山塊から湖の南側にそれぞれ裾野を延ばし、西側からは富士の裾野が迫り、挟まれた窪地に山中湖が生まれたと素人目にも推測できるが、富士が成長するにつれ、山中湖とその北に位置する忍野八海を一つにした湖も次第に押しやられ今の姿となったらしい。山中湖の水は南側の山並みにさえぎられ最短距離の駿河湾には注がれず、大きく迂回しながら相模湾に達している。
富士の雄姿は手前の雲の帯で隠れている。雪のない頂が少し見えていた。ここから三国山ハイキングコース入口バス停方向へカトヤの草原を下る。バスの到着には1時間もあり、平野バス停まで湖岸の遊歩道を歩くことになった。
さだまさしのライブ公演が行われていた。野外コンサートの脇の近道を通してもらった。大勢の観客がこちらに向って見ている様な錯覚を覚える。スピーカーから流れる彼の歌声が何時までも聞こえていた。平野からバスで富士吉田駅に向った。
富士吉田の駅舎の中にある居酒屋で恒例の生ビールで乾杯。ここで宇田川さんと別れた。駅ホームで裾野まで広がる富士がわれわれを見送ってくれていた。途中、車窓から三つ峠の夕日の中シルエットも心象深かった。 長張 記
2010.05(第113回) 日和田山
前月の天気は大荒れであった。40年振りの雪で月例会は中止し、京王クラブでの懇親会を行うのみであった。毎日乱高下する気温が続き、冬夏冬夏の繰り返しで安定した春がなかなか訪れなかったが、5月連休は50年ぶりの晴れが続き一気に夏空になってきた。
今日は早朝から五月晴れの絶好のハイキング日和となった。少し肌寒い中を10時少し前、西武秩父線武蔵横手駅前の国道を少し戻り、五常の滝への道に折れる。舗装された林道が続きゆっくり登って行く。2・3台の車が追い越して行った。あちこちの樹木にからまったヤマフジの花が満開でほのかな香りを漂よさせていた。路肩一面にシャガの花も咲きほこっていた。
30分ほどで五常の滝に着いた。五常とは、儒教でいう仁・義・礼・智・信の5つの道徳のことで、南北朝時代高麗一族の武者がこの滝で身を清め、戦場に向ったという伝説が残っている。大和朝廷は、朝鮮半島の高句麗滅亡後に日本列島に渡った渡来人を、現在の埼玉県日高市や周辺一帯に集めて武蔵国高麗郡をつくったといわれているのだが。更に30分進み土山、また20分ほど進むと北向地蔵に辿り着いた。
辺りは杉林で覆われ道幅も広く、軽四輪が通っているようである。どこか陣馬周辺の山道の尾根歩きの趣に似ている。
正午少し前に物見山に着いた。大勢のハイカー特に子供達で賑わっていたが、尾根筋のような頂を奥に進むと空いた細い丸太のベンチが連なっており、そこで一同昼食をとることになった。ベンチの場所は杉林の下の日影で、しかも冷たい風が通っている。食事を終えた体が冷えきった一同は皆、手前の陽あたりの良い場所に出て体を温めていた。物見山からの眺めは良いと言われていたが、杉林が成長し視界の邪魔になり、また無粋な高圧線が肝心の景観を妨げていた。時間の余裕は充分にあったが、賑わっている山頂を早々に下山した。
今日のメンバーは櫻井さん・川俣さん・柴田さん・中川さん・上杉さん・金子さん・長張と中川会長のご友人大矢誠一さんが参加された。
常連である橋本さんは今日の参加ができないことで、連休を利用して家族で同コースをトライされたようである。川面さんは地域の自治会で忙しい。山岸さんも珍しく不参加であったが、それでも今日のメンバーは8名となった。
広く開けた駒高を過ぎ、無線中継所のある高指山は通行止めとなり引き換えし日和田山に向った。
日和田山頂も大勢の人たちで賑わっていた。何時ものコースではあまり見られない子供達の姿が多く見られる。山頂には大きな石塔があり、東側の眺望は開けていたが、巾着田の方向は見渡すことができない。少し下った金刀比羅神社まで足を延ばす。
金刀比羅神社の鳥居を通して箱庭のような巾着田を眺め、大岳山の背後の冨士は霞んで見えなかったが、大山はかすかに確認する事ができた。2年前秋にBコースで行われた高麗の里歩きの場所が眼下に見えていた。
建設中のスカイツリーが見えると言われその方向を捜しだすが確認するができず、望遠レンズをセットして撮ってみたが、左の方に確かに棒のようなものが霞みの中に写っていた。
神社から急坂の男坂を避けて女坂を下る。男坂の合流地点に鳥居があった。そのまま下ると車道に出た。鹿台橋を渡りここで上杉さん・大矢さんと別れた。時間があるので一同巾着田の河原に出て、長閑な田舎の景色に浸り楽しんだ。
今日のコースは林道を歩いたり、また平行したハイキングコースであったり、道幅も広く全体に良く整備されて子供達にも安全なハイキングコースであった。
八王子駅を降り、「和民」の居酒屋の生ビールで乾杯。清々しい気候であったのでペットボトル一本で済ませていたが、やはり歩いた後のビールは特別の味がする。中川会長は盛んに会長職の辞意をほのめかしているが、誰も肯定はしない。時がくれば納まる所に納まるのが組織である。 長張 記
2010.03(第112回) 鍋割山
鍋割山は丹沢山地の南部にある富士の絶景スポットである。1月例会の金時山から富士は厚い雲に覆われて望めなかったが、今日はどうであろうか。今夜は低気圧が発達し全国的に強い風となる予報であるが、昼間は穏やかな天気が持ちそうである。金時山と同じ早朝の電車であったが、二つき前はまだ薄暗い中に家を出た。彼岸を過ぎる頃から陽が日に日に長くなってくるのが感じられる。暖かくなってきたと言っても今朝はまだ寒さを感じる。
今日のメンバーは今回初参加の上杉雅好さん・川俣さん・山岸さん。金子さん・長張の5人である。小田急渋沢駅からバスに乗り、8時半に大倉バス停に到着した。
大倉から1時間40分ほど単調な林道をも登って行くと二俣に着いた。二俣は広い河原が広がる場所である。両岸は鬱蒼としたフサザクラが一面覆っている。冬の枯れ枝の先にどれも小さな赤い花を付け全体が赤っぽくなっている。
二俣から登山道になる。40分ほど急坂を一気に登ると樹木の梢越しに尾根筋が見えて、やがて後沢乗越に辿り着いた。道は急坂だが良く整備されており大変歩き易かった。
後沢乗越は両側が深い崖で切り立っていた。ここから尾根道を登る。申し分ないほどの天気に恵まれている。冷たい風もあり熱くなった体を程よく冷やしてくれる。尾根道も大変明るく整備され歩き易い。コナラ等の低地の落葉樹から、ヤシャブシ・ハンノキやブナに変わってきた。芽吹きの時期にはまだ早く、下草もない地面まで明るい日差しが届く緑の全くない山道のハイキングも希少な体験である。
今日は川俣さんの何時ものお喋りが聞かれない。花粉症が喉を侵し終始マスクを着用しそれどころではないようだ。
山頂には丁度12時に到着した。大勢の先着の人たちで賑わっていた。山頂は広く山小屋が一軒立っていた。ソーラー施設も施されている。植物保護する箇所は柵が敷かれている。大勢の客が芝生の上で食事をとっている。空いている平坦な面はほとんど鹿の糞だらけであった。それでも何とか糞の無い場所を選び一同腰を下ろし昼食をとる。風も穏やかになり、日差しもありゆっくり食事をすることができた。
天気は良いのだが、富士の絶景はなかった。北側の丹沢の主陵は確認できたが、望めるはずの眼下の相模湾や江ノ島も、白い春霞で覆われていた。頂上近くに鹿ものんびり草を食んでいる。人が近づいても遠くには逃げない。
珍しく頂上で1時間ものんびりしてしまった。予定していた大丸・金冷ノ頭・花立の下山コースを変えた。小丸から二俣に直接下るコースに変更したため時間の余裕もできたのである。多くの登山客を残し1時に下山に入った。小丸までは尾根道はブナの大木が続いている。小丸は鍋割山より標高は少し高い。1341mの今日の最高地点である。少し尾根を下りそこから右に折れ、赤松林を抜け植林されたヒノキ・スギ林の中を下って行く、当初予定されていた天神平の尾根道が東側に続いている。
3時に二俣の朝通過した林道に辿り着いた。そこから同じコースを大倉バス停まで長い林道を下って行くことになる。
二俣の沢にあるフサザクラを再び見る事ができた。手の届く枝を引き寄せると、房状の赤い雄しべが細かく観察できた。これが全体を赤っぽい景色にしている。また、所々に黄色の花をつけているダンコウバイの樹も花の見頃の時期に当たった。
地面にはヤマルリソウが群生している。大倉バス停までの林道はこれら以外の草花は見られなかった。4時少し過ぎにバス停に着いた。丹沢は人気のあるハイキングコースであり、ここも比較的多い客で満ちていた。
永山駅に戻り「旬菜」は予約で満席、階下の居酒屋のビールで喉を潤すことができた。気候も暖かくなり、ペットボトルを余計に持っていったが丁度よかった。久しぶりに新しいメンバーを迎えることができた。遅れていた記念誌も製本中で今月中に配布できる状況となった。 長張 記
追記 二股から急坂を上っているとき、黒い細かな塵のようなものが降ってきた。かすかにものの焦げる匂いもする。下で焚火でもと思って気にしないで登高を続け、後沢乗越に到った。そこで、絵を描いている人が居て、「カンバスに灰が降ってきている、下で焚き火でもしていた?」と尋ねた。「気がつかなかったが、確かに匂った」と答えると「山火事かもしれない」という。一寸した恐怖心に駆られた。山頂までの急峻を一気に上った。
カヤトの広がる山頂でのランチタイムで、すっかりそのことを忘れてしまった。帰宅し、TVで「東富士の野焼きで被害者」とのニュースを知り、このことだと思った。 地図を見ると、案外近い。富士山麓の野焼きの煙を丹沢で体感した次第。金子
2010.02(第111回) 武川岳・二子山
忘れていた冬の寒さが思い起こされる日がここ一週間以上続いていた。一昨日も関東全体に降雪があり、残雪の中のハイキングが期待できる。それにまた、雲一つない快晴に恵まれた。
今日は秩父の手前にある奥武蔵の武川岳である。武川岳は、武甲山と大持山と正三角形に位置している。多摩市からも晴れた空気の澄んだ日には武川岳を一番右に等間隔に並んでいるのが眺められる。今日の参加者は、山岸さん・金子さん長張の3名であった。
関東近辺の夏のハイキングは暑さに辟易する。むしろ真冬のハイキングは汗もかかず、空気も澄んだ展望の期待は大きいところである。8時48分の東飯能駅から名郷行きバスに乗り込んだ。終点名郷バス停で降りたのは複数の登山客であったが、天狗岩コースは我々だけだった。他は、妻坂峠、山伏峠に向かったらしい。
急勾配の車道を暫く進むと天狗岩への登山道が見つかった。今日のコースは全員始めてのコースであり地理に自信があるわけではない。武川岳までの尾根筋のコースは一般的ではない健脚向けコースである。このコースの最大の難所といわれているところが天狗岩である。これは広い範囲の総称で50mほどの高さの岩山を這い登りながらの登山であった。
雪は一昨日の残雪が主であると思うが、高度が増すにしたがってアイゼンを着けるほどではないが量が多くなってくる。前武川岳で別のルートの登山者に始めて出会った。ここから10分ほど武川岳山頂に12時に到着した。山頂は広くなだらかで所で、一面雪に覆われている。いくつかあるベンチは既に先客があり、隅の比較的平らな場所で昼食をとることになった。
山頂の北側からは、冬の梢越しに隣の武甲山が見えており山の裏側が削られ、斜面が階段状になりフェンスに囲われてる姿が確認できる。南側には普段見ている奥多摩の大岳山の逆の格好の頂を望むことができた。金子さんの簡易コンロで暖かいおでんのご馳走を皆で囲むことができた。何時もこの時期の冷え切った食事後の体は、今日は何となく温かく感じた。
武川岳の下山コースは、北斜面で残雪は深くなり、滑り落ちるように下っていく。アイゼンはまだ着けず慎重に下って行く。それでも油断すると転倒すること数度。落葉樹に覆われた尾根道のアップダウンを繰り返す。季節が変われば見晴のきかない尾根歩きかも知れない。
鳶岩山・焼山・二子山のコースは、梢越しに武甲山を眺めながら遠巻きに廻るコースである。今の季節は都度全容が見られるが、葉が茂ってくる季節には隠れてしまうのではないかと思う。徐々に頂きまで削られてゆく北斜面の無残な武甲山の痛々しい姿が、間近に眺めることができる場所が焼山である。1時40分に辿り着いた。
焼山山頂は立ち木が刈られ、展望がきく絶景スポットである。武甲山の右に望める両神山の特異な山容が登高意欲をそそる。眼下に秩父の街並みが広がり、市街の上の山なみの遥か彼方に、雪をかぶった浅間山の山頂が顔を見せていた。
焼山から更に二子山(雌岳)・雄岳へのアップダウンが待っている。下りも急傾斜となり途中からアイゼンを装着して雪の道を進む。
このコースで、中年を過ぎた女性単身の登山者と二、三出会う。慣れた人には気軽なハイキングコースなのであろう。しかし、我々にとっては、案内板が少ない上に、幾つかの山頂の名前がハッキリせず、案内にあるコースタイムも疑いたくなっている。下山後始めて確定する始末であった。
2時45分雌岳に辿り着いた。そこは木々に覆われた暗い場所であり、そこから尾根コースと沢に下るコースに分岐する。我々は下り一方の沢コースを選び芦ヶ久保駅まで、4時に駅前にある立派な道の駅に入り、生ビールで一先ず乾杯した。更に八王子に出て飲み直した。始めてのコースであり、風のない天気に恵まれ、やや健脚向きではあったが静かな雪のハイキングの今日の成果を語り合った。 長張 記
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