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第16回ジャズプラッツ
皆さま
西日本でやっと梅雨明け宣言が出ましたね。関東は明日あたりでしょうか。今年の梅
雨は局地豪雨や雷、かと思えば真夏日になったり、よくもまぁ暴れてくれました。
皆さまは体調を崩すことなくお元気でお過ごしでしょうか。これから訪れる酷暑にそ
なえてご自愛くださいね。
さて、次回のライブのお知らせです。
第16回ジャズプラッツライブ
井上智トリオ :井上智(G)、増原巖(B)、横山和明(Ds)
9月12日(金)開場18:30、開演19:20
会費 4000円
場所はいつものルヴェソンヴェールです。
井上さんは米国滞在20年以上で、お年は51歳、気さくな方です。
先日のライブで「Mack the Knife」が良かったので、これもライブでやって下さいと
お願いすると、「お客さんはこの年代の曲が好きなんですか。それなら僕のお得意で
すよ」と笑っておられました。
アメリカで長く鍛えられてどんな曲でも弾かれるのでしょうが、何よりもご本人が一
番楽しそうに演奏されるので、ジャズプラッツでも会場が楽しさいっぱいの雰囲気に
なると、今から私は楽しみにしています。
チラシをウェブにあげましたのでご覧ください。
http://jazzplatz.blog134.fc2.com/
予約を開始いたします。ご予約はこのメール(ikue@sun.gmobb.jp)への返信でどうぞ!
大澤郁枝
What’s Jazz vol.34
What’s Jazzは、稲門会会員の多くの皆様が既に参加されています。
「ライブ演奏同好会」も推奨しています。是非ご参加してください。
山中康廣
ショートスピーチがグルメに彩り
48回目のグルメの会は7月19日に高尾山中の高尾山ビアマウントで開いた。梅雨明け前の不安定な天候が続き、この日も開催予定の夕方には大雨の予報が出ていた。それでも参加予定を取り消す人はゼロ。男性11人、女性2人の「中高年強者」が顔をそろえた。その意気込みのせいか、雨は、たまに霧雨が降る程度だった。
土曜日だけに去年並みの大混雑を覚悟して、世話役は開会予定時刻の1時間余り前に会場前に到着した。入場予約券を確実に手に入れるためだ。ところがケーブルカー駅を降りてみたら会場前に人影はほんどなく、数百メートルの待ち行列が続いていた去年とは様変わり。大雨予報で来場を取りやめた人が多かったようだ。
ビアマウントでは景色が望める席が確保できたが、残念ながら強雨が入り込むのを防ぐビニール垂れ幕で会場は覆われ、視界はほぼゼロだった。
好評のため4年連続の開催とあって、セルフサービスで生ビールや和洋中の料理を自席に運ぶ作業も多くの人が手際よくこなした。小林勲さんの音頭で乾杯後、しばし個別に歓談。合間をぬって、オランダのハイネケンやアサヒのスーパードライなど7種類の生ビールをはじめ、日本酒の男山、焼酎、ワインなどと、和洋中の料理の数々を各自好みに応じて楽しんだ。
恒例のショートスピーチでは若い世代の参加問題に注文がついた。櫻井和子さんは「若い人に参加を、とあまり言われると私が参加していいものか、考えてしまう。そろそろ若い人はあきらめたらどうか」とズバリ。日野稲門会から参加した松島正明さんは「日野稲門会では若い人が入らなくなってさびれてしまった。だから多摩稲門会との交流を深めようと参加している」と若い人の加入・参加の大切さを指摘した。
世話役からは、「若い人とは世代の違いによる意識や感性のギャップもあり、参加してもらうのは簡単ではないが、もっと柔軟に自然体で呼びかけていきたい」と今後の方針を示した。
高尾山に300回余り登頂した川面忠男さんは、「きょうは屈辱の日。初めてケーブルカーで登ってしまった」と体調不十分を悔やんだ。橋本孜さんは「歳をとったというのは病気とうまく付き合っていくこと」と癌を克服してきた体験を話した。青木康成 さんは「GKB、つまりゴルフ、カラオケ、病院で、何とかやっています」と健康維持法のポイントを披露、鈴木忠男さんは「リニア開通までは難しいが、東京五輪まではがんばる」と強調した。
白井昭男さんは「仕事が忙しくて日ごろ運動不足。高尾登山、グルメの会に参加して楽しい思い出ができた。ありがとう」と、山歩きとグルメ2サークルのコラボ(共同開催)に賛意を示した。
多摩稲門会の長張紘一幹事長は「サークルの数も増えてきた。コラボを増やさないとサークル開催可能な日が減ってしまう」とコラボの効用を説いた。
(世話役 浅井隆夫)
2014.7(第146回)高尾山
7月19日の例会は涼しい梅雨の最中に行われ、午後2時に高尾駅に集合した。
JR高尾駅は、今年の秋から駅舎の建て替工事が計画されている。南口から北口の通行は非常に不便で市民から評判は極めて悪く、この度の工事で改札口は線路の上となり、少しは便利になるようだ。
高尾駅から線路に沿って西に向かう。小雨ではあるが傘を差すほどではなかった。
やがて、甲州街道に出て線路を潜り、向こう側の歩道に移り、甲州街道を数十メートル行くと右に折れる。折れた道は旧甲州街道である。街道といっても進むに従って大型バスがすれ違うには難しい幅の車道が続く。
駒木野病院を過ぎ、小仏関所でスナップを撮り、蛇滝口の圏央道の高い道路橋の下を過ぎて、いよいよ登山路に入る。まだ3時前ではあるが、林の中に入ると曇り空の暗さが更に暗くなり心細くなってくる。
道路は良く整備され車が通れるようになっている。緑の中で徐々に高度を増して行く。
今日のメンバーは、櫻井和子さん、小林勲さん、星野英仁さん、白井昭男さん、日野稲門会から松島正明さん、長張紘一の6人となった。
蛇滝水行道場の石門を通り、更に高度を上げて行く。ここ3・4日猛烈な蒸し暑さが続いたため、その反動で寒さを感じる。
湿った空気が辺に漂い静かではあるが、体は徐々に火照り汗を拭きふき進んで行く。
「グルメの会」から7月はコラボ企画でやりましょうと誘われ、高尾山ケーブルの上で4時30分に合流することになっている。
時間の余裕は充分にあるが、勢い着いたメンバーは先へ先へと進んで行く。
道場のジグザクに登る階段の石組みには一面イワタバコの群落が見られ、丁度花の時期であった。
登るに従って少し空が開け、明るさが増してきた。樹木を抜ける霧が静かに流れて行く格別な景色に恵まれた。
小林さんや星野さんは久しぶりの参加である。高尾駅前の小雨で、止めようと云われるかと思ったが、大変な意気込みである。結局、傘から団扇を仰ぎながらの山登りに変わってしまい、心も軽やかになった。尾根まであと僅かな所にある2号路の分岐を過ぎそのまま登り続けて、ケーブル駅から山頂に続く尾根筋の銀座通りに出た。目の前の広場には、先行隊が既に休んでいた。
十一丁目茶屋の前の広場は、何時もは大変な人ごみで賑わっており、ベンチでゆっくり休む雰囲気ではない。しかし、今日は霧が立ちこめ南から北へ静かに流れてゆく。客の無い茶屋は4時近くになると店じまいを始めている。早めに着いたため、白井さんは高尾山山頂まで行きたいと提案するが、誰も同行者が名乗り出ず、一人で往復すると出発した。
暫くの間、時々行き交うハイカーをやり過ごしていると、尾ノ井さん、橋本さん、「グルメの会」世話人の浅井さんと、次々にこの広場に集まってきた。
ここで、今日の「山歩きの会」は終了し、「グルメの会」に合流する。蒸し暑い山路を登った後の生ビールは格別なものであると期待して、皆の集合を待った。雨を心配したが晴れていれば、猛烈な暑さに遭遇する事になる。
長張 記
第7回俳句同好会
毎月第3金曜日に実施している俳句同好会の7月は18日午後1時から4時まで多摩市永山の公民館(ベルブ永山)の4階和室で行われた。6人が出席し、各人が3句ずつ投句した。欠席者のうち3人も投句はしたので、全投句は27句を数えた。1月に発足した俳句同好会だが、今年も後半に入り順調に活動を続けていると言えよう。
全投句の27句から出席者は自句を除き5句ずつ選句した。これら互選句の中で6人それぞれが最も佳いとした句を特選句とした。
選句後の披講では前回と同様、出席が順次、特選句とした理由を述べた。これに対し他の出席者が賛同したり異論を述べたり自由に発言した。その後で作者名が明らかにされた。
互選句についても同じように論評を行い、その後で作者名が明らかにされた。
選外となった句もコメントされ、また作者名が明らかにされた。
同好会らしく論評は辛辣になっても、雰囲気は和気藹々だった。
選句者が3人と最も多かった高得点句は互選句の「葉の裏にやごの抜け殻水鏡」。トンボの幼虫の抜け殻が葉の裏に付着し、それが水面に映っているという景をとらえたものだ。よく観察し、水面を水鏡と表現したところがいいとして秀逸なスケッチ俳句という評価に落ち着いた。
特選句にならなかったが、その句をめぐって意見、感想を述べ合っているうちに句の佳さがわかるということもある。披講後、これを特選句にするべきだったと思った出席者もいたようだ。
句会後、男性4人、女性1人の5人が最寄りの蕎麦店に行き生ビールで乾杯、俳句談義や世間話で3時間を過ごした。店に行く前は「ちょっと軽く」と申し合わせたが、結果は「かなり重く」なった。それだけ楽しい時間になった。
特選句、互選句は以下の通り。カッコ内は選者名、互選句のうち特選句となった句は省略した。
特選句
桐の花和様とほのく暮らしかな 川俣あけみ(辻野)
太古顔尾は新品の蜥蜴かな 中川邦雄 (萩尾)
気だるさやぶっきら棒の青蜥蜴 金子宏二 (長張、中川)
青葉騒思想に生きし時ありき 中川邦雄 (金子)
蕎麦膳の岩魚渓風(たにかぜ)連れ来たる 川俣あけみ(川面)
互選句
愚痴言はず家継ぎし兄河鹿鳴く 萩尾昇平 (辻野、長張)
羽音立て真夏の儀式白夜灯 平松和己 (辻野)
葉の裏にやごの抜け殻水鏡 長張紘一 (金子、辻野、中川)
海の日や父に習ひし横泳ぎ 又木淳一 (萩尾)
遠雷や喧嘩仲間はみな八十路 中川邦雄 (川面、萩尾)
灼熱の恋さまざまや立葵 辻野多都子(金子、萩尾)
文字摺草何も告げざるたゝずまひ 金子宏二 (中川)
落日の火炎(ほむら)を引くか野萱草 川俣あけみ(川面、辻野)
昼下がり街は睡りて合歓の花 川面忠男 (長張)
湧きいでし地の妖精かねじり花 辻野多都子(長張)
ねじ花の螺旋の花を辿る虫 長張紘一 (中川)
鬱の日や紫陽花重き夜の窓 辻野多都子(金子、川面)
蝉しぐれ母の絵多し無言館 萩尾昇平 (川面)
リズムあり西瓜の種の鳴らす皿 金子宏二 (長張)
(文責・川面)
蕎麦の種蒔き募集
早いもので今年もそばの種まきの時期が巡ってきました。
そばは種をまいてから75日で刈り取りができるといわれています。ですから、10月中旬には刈り取って乾燥することになります。
今、畑にはジャガイモが育っています。
このジャガイモは5月9日に植えたもので、昨年から取り組んでいる北海道の新種「はるか」という大変美味なジャガイモです。
このジャガイモの掘り出しとそばの種まきを下記の予定で行います。
梅雨明けの妙高で心地よい汗を流してみませんか。
時期:8月1日(金)~4日(月)の間お好きな日に設定してください。
(期間中依田が滞在しています。)
アクセス:1日、2日、3日とも車が出ます。往復乗車可能です。
お申し込み、お問い合わせは: 依田敬一まで
第1回「ライブ演奏同好会」 早大マンドリン楽部の8人
多摩稲門会の第1回「ライブ演奏同好会」が7月12日午後5時半から多摩市諏訪の「多摩永山情報教育センター」で行われた。第一部は早稲田大学マンドリン楽部の8人による演奏、第二部が飲み放題と中華料理を食べながらの懇親会。稲門会員、家族、故人となった会員の夫人ら約44人が参加した。
同会は多摩稲門会では11番目にできた新サークルで、演奏会に先立ち稲門会の藤井副会長が「会員が楽しみ、地域社会と交流し、会員の増強にもつなげたい」と立ち上げた趣旨について説明した。
演奏会はマンドリン楽部のOBで国分寺稲門会幹事長の大橋さんがまず進行役となった。 大橋さんによると、マンドリン楽部は創部が大正2年(1913)で、今年は101年目、昨年は盛大な100周年記念演奏会を行った。
早大マンドリン楽部の演奏はどこでも応援歌「紺碧の空」から始まる。2曲目は、早大教授も務めた西條八十作詞の「青い山脈」だった。
この後、大橋さんは演奏メンバーの楽器について説明した。フロアにマンドリン楽部員がイスに腰掛け、楽器を手にしている。向かって左から男性、女性、男性の3人がマンドリン、その右隣がフルート、さらにマンドリンドラ、マンドリンチェロ、そしてクラシックギターの男女だ。マンドリンドラは略してドラ、演奏者をドラ娘と大橋さんは言って聴き手を笑わせた。
この後、司会が折原葉子さんに代わった。折原さんは桐朋音楽大学で作曲理論を専攻した方だが、軽妙な司会で知られる。早大マンドリン楽部のOBで多摩稲門会員の上條さんが所属する聖ヶ丘マンドリンアンサンブルは年に一度の演奏会を催すが、演奏会の司会は折原さんの指定席になっている。
続く演奏はイタリア民謡調の「カタリ・カタリ」になった。「カタリちゃんという女の子の失恋の歌ですね」などと、まさに折原さんらしい語り口だ。
「イエスタディ」をはじめとしたビートルズのヒットメドレーの解説では「アメリカでロックンロールというくだらない歌が流行りましたが、イギリスのビートルズはそれを芸術作品にしました」と言った。1970年代の日本の歌として山口百恵のヒット曲「いい日旅立ち」が演奏された。「女の子の大切なものをあげて失恋すると、北に旅立つのです。『北の宿』、そして『津軽海峡冬景色』と」。こんな解説も折原さんが語ると、すらっと耳に入る。
「見上げてごらん夜の星を」という坂本九のヒット曲が演奏された時は、フロアの天井が夜空の星のような照明になっていた。
演奏曲目がNHKの朝ドラ「アマちゃん」の歌や「花は咲く」になった時、再び大橋さんが登場し、東日本大震災に襲われた岩手県陸前高田市の写真を見せながら話し出した。
津波が退いた後、街に残ったのは4階建ての高田病院だけだった。津波は4階の高さまで押し寄せたが、多くの患者、職員は屋上に逃れてヘリコプターに救助された。その時の院長が石木さんだった。石木さんは早大理工学部を卒業後、医師になりたいと東北大学医学部に進んだ。早大ではマンドリン楽部で活動したという。
アニメ「となりのトトロ」メドレーも演奏された。司会は再び折原さんに代わり「少女が森の中で魔女に会うのは少女の通過点」と解説した。むろんファンタジーな世界であり、少女時代は想像力が豊かということであろう。
この他、「宇宙戦艦ヤマト」や「ルージュの伝言」なども演奏された。聴き手もマンドリンの生伴奏で美空ひばりの晩年のヒット曲「川の流れのように」と唱歌「ふるさと」を歌い、最後に立ち上がって校歌「都の西北」を合唱した。
以上が第一部、続いて10分後に懇親会となった。
ビールで乾杯した後、平松副会長の司会で参加者が代わる代わるスピーチした。
その間、折原さんはBGMのようにピアノを演奏、終りにソロ演奏、それも聴衆を楽しませる弾き方だった。
折原さんは司会ぶり、ピアノ演奏ともエンターテイメント心に富んでいる女性だとわかった。
(長張)
「いねの会」浴衣姿で納涼大会
「いねの会」は7月例会(15日)を納涼大会として行った。浴衣掛け、あるいはアロハ、なるべく涼しい恰好で参加しようと事前に申し合わせ、お祭り気分を盛り上げた。
会場は京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩数分の「麗」というカラオケ店で、3千円会費だが、アルコール等は飲み放題。食べ物は店で用意しているが、参加者が銘酒やつまみなどを持ち込み、豪華なカラオケ飲み会となった。
参加者は3人の女性を含め14人。正午になって乾杯の後、午後5時までに70曲を超える唄を歌った。
当日は参加者1人がそれぞれの浴衣姿やアロハに合う唄を少なくとも1曲は歌おうと事前に申し合わせた。そのせいもあり例会では滅多に歌われない民謡や音頭が10曲を超えた。
歌詞に「浴衣」が入っている唄も歌われた。
「櫓太鼓の 灯がゆれて 揃い浴衣の 夏が行く」(坂本冬美の「あばれ太鼓」)、「ねじりはちまき そろいのゆかた」(美空ひばりの「お祭りマンボ」)、「仕立ておろしの浴衣着て ひと箸つけた冷や麦の」(あさみちゆきの「あさがお」)、「「揃いの浴衣の若い衆は 綱を引き出し音頭とる」(村田英雄の「無法松の一生」)、「浴衣のきみは尾花の簪 熱燗徳利の首つまんで」(吉田拓郎の「旅の宿」)。と言う具合で遊び心を満たした。
「東京音頭」が歌われた際には日本舞踊の名取りの女性ら2人が浴衣姿で踊った。日頃はシャンソン調の唄を歌う男性がその日は秋田県民謡の「ドンパン節」を「ドンドンパンパン ドンパンパ」と歌った。
「今日は楽しかったね。来年もやろうや」という長老の言葉を聞き、幹事としては企画があたったと満足した。
(川面記)
8月のコートのご案内です。奮って ご参加ください!
8月のコートが確定しました。
●場所:一本杉公園内テニスコート
▼開催日時等:
・8月05日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・8月12日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・8月19日(火) 8:00~10:00 Aコート・Dコート
・8月26日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
稲垣コーチによるレッスンもあります。 是非、コートへお出でください。
お問い合せは:中里 保司/Mail to ⇒ nkzto@live.jp
平成26年度定例総会・文化フォーラム・懇親会の報告
平成26年6月28日(土)、多摩稲門会26年度定例総会・文化フォーラム・懇親会が聖蹟桜ヶ丘駅近くの「京王クラブ」で行われ、雨天にも拘らず多数の会員が出席した。
・第35回定例総会(午後1時~1時45分)
午後1時、長張幹事長の司会の下、多摩稲門会依田会長の挨拶、来賓としてお招きした早大地域担当副部長鈴木嘉久氏の紹介と挨拶があった。
鈴木氏は、中野駅近くに竣工された国際学生寮・早稲田キャンパスで建設中の大学の施設等設備状況、文科省管轄の「グローカル10プロジェクト」を巡る熾烈な大学間競争の実情を語られた。
又、大学側提供のパンフレットの内容説明、校友を対象とした健康づくり研究への積極的な参加を呼びかけられた。
(総会)
総会議長には加来副会長が選出され議事が進行した。
長張幹事長より三議案・平成25年度活動・〃決算・〃会計等の報告があり賛成多数で決議された。更に、三議案・平成26年度活動方針・〃予算案・その他(会則の一部変更含む)の報告があり、賛成多数で決議され総会は無事終了。出席会員(40名)
引き続き、藤井副会長より11番目として誕生したサークル「ライブ演奏同好会」の紹介があり、7月12日に開催される第1回イベント開催の案内があった。マンドリンとギターの合奏・参加者とのコラボ合唱など趣向に工夫された企画です。
※7月12日(土)午後5時半~7時 場所:多摩永山情報教育センター(旧CSK)
(会費¥4,000(飲食付き)、演奏会のみ¥1,000奮ってご参加を!)
支払いは事前に必ず振り込み用紙利用の事。
休憩の合間、湯浅文化フォーラム委員長よりご提供の「早慶6連戦」DVDが会場のプロジェクターで上映された。湯浅氏の丁寧な説明があり、本日の文化フォーラムの演題『世紀の名勝負・早慶6連戦』・当時の石井連蔵監督の謦咳に接する興奮が会場に一気に高まった。
・第53回文化フォーラム『石井連蔵氏 講演会』(午後2時~3時30分)
演題「世紀の名勝負・早慶6連戦」
早稲田スポーツを愛する校友待望の講演会は、湯浅文化フォーラム委員長、浪久氏(元TV会社役員)のご尽力で実現した。会員の皆さんと共に湯浅・浪久両氏に心から謝意を表します。
依田会長の挨拶に続き、講演の労をとられた浪久氏から石井連蔵氏、付き添い役の亀田氏(元早大野球部外野手・昭和34年春優勝メンバー)の紹介があった。
石井連蔵氏は御年82歳にも拘らず矍鑠とされ来場者を驚かされた。背筋をピーンと伸ばされ元気よく明瞭な声で講演を始められと、会場は一言も聞き逃すまいとする参加者で静まり返った。
昭和35年秋、神宮球場周辺は早慶戦を見る大観衆と対象的な安保騒乱最中の多数の活動家が加わり騒然としていたそうです。
リーグ戦優勝は・早慶戦次第(早稲田連勝が条件)、同率の為、優勝決定戦できまる東京6大学リーグ戦史上初の6連戦の名勝負になった。
早稲田は事前の早明戦後2週間試合がない。その間選手の戦意高揚激しく、さすがの石井青年監督もクールダウンも出来ない状態になった。
如何にすれば勝てるか?「寝る間も惜しみ練習しよう」「練習量は昼夜すれば2倍になる」等無理なガンバリズムに陥った。
石井監督は学生野球の父・飛田穂洲先生(初代監督)に相談、「休養をとり心身のバランスを整え臨め」との助言を得て急遽練習方針を変更された。
6連戦中5連投と獅子奮迅の活躍をした安藤元博投手のエピソードでは、安藤選手の日頃の鍛錬振り、学生としての本分を全うする姿勢に一目置き敬意を抱かれたそうです。
アンダースローから浮き上がってくる速球は慶応の選手も最後まで打ちあぐんだ。下半身を鍛えるために徹底的に走り込みをした賜物。
続いて司会役浪久氏と石井監督とのトーク、来場者との質疑に入った。
慶応の強みは?選手起用のコツは?「勝負の局面」で起用した選手の秘話、盟友であり親友でもある慶応前田監督の人柄・友情、5連投を命じた安藤投手の選手生命にはリスクがなかったのか?今季優勝を逃した現役への期待等を質問者に丁寧に返答され、会場には「鬼の連蔵」から「仏の連蔵」へのオーラが漂った。講演終了後聞きに来て良かった、との感謝の声があちこちで聞かれた。
参加(66名)
・懇親会(午後3時45分~6時)
石井監督・亀田両氏も参加され、来賓(各地域稲門会・多摩三田会)各位と共に懇親会が始まった。
尾ノ井(会計幹事)の司会で進行、藤井副会長の開会の挨拶、湯浅副会長の乾杯音頭と続き、講演の熱気冷めやらず和やかに石井連蔵監督を囲み会員各位との歓談の輪が広がった.
多摩三田会、地域稲門会代表の挨拶も早慶6連戦の思い出話につき、会場は更にヒートアップ、石井監督も各位との交流を大変楽しんでおられたが、ご高齢を考慮し途中で退席していただいた。
恒例の会員近況報告では、やはり早慶6連戦の話題に終始、早稲田大学OB否慶応OBと共にこの「レジェンド」を誇らしく思った。
依田会長以下幹事諸氏の挨拶の後、稲垣副幹事長のお開きの挨拶があり、平松副会長の指揮の下全員で校歌を斉唱・エール交換し閉宴。
懇親会参加者:(敬称略)
青木康成・浅井隆夫・石川良一・稲垣友三・稲積 滋・遠藤千尋・尾ノ井光昭・加来健一郎・
金谷勇作・上条喜善・河合一郎・川面忠男・小林 勲・桜井和子・佐藤善昭・白井昭男・
田島重光・田中亮介・津波朝日・寺沢 史・中西摩可比・長張紘一・浪久圭司・野田豊實・
橋本 孜・浜松国雄・平松和己・広田 進・藤井國男・古屋祥一・星野英仁・前田光治・
白鳥金丸・三浦幸一・湯浅芳衞・吉川啓次郎・依田敬一
以上 会員(37名)、一般・校友(2名)、
来賓――大学1名、多摩三田会2名、狛江稲門会2名、
調布稲門会2名、町田稲門会2名、日野稲門会1名
府中稲門会2名 計(12名)