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テニスクラブ/日野稲門会と交流試合を行いました。
4月30日、朝8時に一本杉公園に集合、3台の車に分乗して日野市のテニスコートに向かいました。
多摩稲門会のメンバーは10名、昨年、日野稲門会からの呼びかけで始まった交流は今回で2度目となりました。
雨雲が垂れ込めて風がやや強く、しばらくすると雨が混じるようになって来ましたが何とか試合は続行できました。
普段使わないクレー(土)のコートで時たま出るイレギュラーにちょっと戸惑いがありましたが普段の練習成果が出て5対1で快勝しました。
テニスのあと、日野稲門会の方々が用意してくれたサンドウィッチをいただき皆様との交流に花が咲きました。
日野稲門会の皆様、大変お世話になりました。次回は多摩稲門会で設営いたしますのでおそろいでお出かけください。
(文責:依田敬一)
2013.04 Bコース 旧聖蹟記念館
4月25日、京王線永山駅改札口前に13時集合した。今日の参加者がハイキングスタイルで次々と集まり、櫻井和子さん・中川邦雄さん・湯浅芳衛さん・青木康成さん・川面忠男さん・橋本孜さん・金子宏二さん・長張紘一あわせて8名となった。湯浅さん・青木さんは久しぶりの参加である。
昨日の小雨は夜半には止んで、午後からは5月上旬の気温となるとの予報通り、すっかり寒さはなくなっていた。
駅に隣接する商業施設のエスカレータを上り、屋上から遊歩道にでる。多摩ニュウータウンの市内は、車道と歩道が分かれている所が多く、道筋は既にハイキングの気分に浸れる。金子さんの引率に従って、街並みのアップダウンを繰り返しついて行く。街路の樹木は新緑に覆われ、住宅の庭には園芸の草花が咲き誇っていた。車でしか通り過ぎない地域は、徒歩で行く景色とは全く別物である。突然、桜ヶ丘公園の入口に出た。ここから都立桜ヶ丘公園に入る。園内をゆっくり歩き、時々休み上ったり下ったり、静かな新緑の小道の散策を楽しんだ。
旧多摩聖蹟記念館の展示を観覧しコーヒーを飲んで、館内の職員にシャッターを押してもらった。記念館は多摩市指定文化財や、都の景観上重要な歴史的建造物である。記念館を下り園外に出て、たけのこ公園からゆうひの丘公園に上り、丘陵から見渡せる景色を楽しんだ。4時近くとなってきたので、そろそろ、眼下にある聖蹟桜ヶ丘の街並みに降りることにした。街並みに下る途中、住宅の庭の藤棚から隣接する竹林にも蔓がからみ、た
くさんの花を一面に咲かせている藤を見つけ、間近に見ようと路地を曲がり、偶々田中亮介さんの邸宅の前を通り過ぎたが、田中さんの新聞を読んでいる姿が見えていた。川面さんが電話をすると、直ぐに外に出られ暫く歓談されていたが、我々と一緒に酒宴に参加される事で、ザ・スクエアの「笹陣」で合流した。今日は中川さんの誕生日と重なり、お祝いを兼ねることができ、半日、新緑豊かな多摩市の散策を楽しむことができた。
長張 記
追記
旧聖蹟記念館は、明治天皇外皇族が行幸、行啓した旧連光寺村を記念するため昭和5年に建設開館した施設。宮内大臣だった田中光顕が中心になって事業が進められた。田中は、維新志士の遺墨等の収集者で、その一部は早稲田大学図書館に架蔵されている外、ここにも200点余りの資料があり、順次展観に供されている。現在は多摩市が管理運営している。季節毎の公園の散策に合わせて足を運ぶのも楽しい。
金子 記
2013.04(第136回) 高尾山
4月20日、京王線高尾山口駅前の広場は多くのハイカーで溢れていた。特に若者男女や子供たちが目立っている。メンバーは聖蹟桜ヶ丘駅ホームで全員が揃い、9時少し前の電車に乗る。川面忠男さん・橋本孜さん・金子宏二さん・長張紘一あわせて4名である。数日前は五月連休を思わせる気候が続いていたが急に気温が下がり、2月下旬の気温との天気予報に戸惑った。
それでも新緑を求めて気軽に高尾山に訪れる者は多く、年々増すばかりである。6号路を進み、左脇の登山道に入ると既に新緑の世界となる。
6号路は高尾山頂への一番楽なコースでありハイカーも多い。次つぎに我々を追い越して行く若者たちに道を譲り脇に寄る。若者達は実に元気である。琵琶滝では大声を出しながら滝に打たれている修験道の滝行を、目隠しのトタン塀の隙間から覗くことができた。
このコースは先々月のコースと同じである。しかし、日毎変わる景色に飽きることはない。谷川に沿った山道は風もなく寒くはなかった。
水がしみでた飛び石の道を過ぎると、最後の階段の急登となる。今日一番の難所である。
階段を登りきった所の尾根道に、近代的なトイレがある。ここも大勢の客で溢れていた。山のトイレには少し贅沢な感じのする木造のトイレである。
山頂には混雑したホーム並みの人で溢れていた。見晴台の先々月に見た景色から、丹沢の山並みが消えている。勿論、富士も見えずその分手前の山並みが浮き立っていた。お昼にはまだ早いので足を先に延ばす。城山までの行程を予定しているが、雨の振り出しが少し早まりそうであった。ミツバツツジは既に終わりになっていた。
一丁平の空いているベンチで昼食をとる。子供たちが走り回っている。小雨がちらほらと降って来たので、ここから日影沢に下ることにした。小雨は傘をさす程ではないが、早めの下山にこしたことはない。これで、前々回と全く同じコースとなった。
日影沢までは緩やかな下りの道が続き、やがて林道にでる。林道は更に緩やかになる。黄色のヤマブキの花が満開である。ヒトリシズカ、ムラサキケマン、ラショモンカズラの花、スミレは時期を過ぎているが、マルバ・エイザン・タカオ・ツボ・ナガバノスミレサイシンなどのスミレが宝庫と云われる沢に集中していた。圧巻はヤマルリソウ、シロバナヤマルリソウだ。鶯の鳴き声も間近い聴くことができた。日影沢の対岸に渡り遊歩道に沿ってニリンソウが群落し、保護区となっている。イチリンソウとの違いを見比べながら下って行き、焼失した「青少年の家」に出て、対岸に戻った。
日影沢からバス通りの車道に出る。小仏川に沿って暫く進み、鱒釣り場の池を過ぎた所に珈琲店「ふじだな」がある。前回も立ち寄った店であるが、今回は店の外にあるデッキで自家焙煎のコーヒーを飲んで時間をつぶした。川面さんは、今日の山歩きで幾つかの俳句が出来上がっていた。
店の名前である藤棚の花をバックに店の親爺に前回同様シャターを押してもらった後、外気の寒さで体も冷え早々に歩きだした。陽の光を見ることができず一日中曇天であったが、新緑の下でのハイキングは格別であった。高尾駅まで歩き高尾駅前の居酒屋「たまの里」は、3時を少し過ぎた頃であるが、予約もいれ満席の状態である。カウンターのコーナーを空けてもらい一同席を確保することができた。周りの客は我々と同じ年代のリュックを担いだ者ばかりである。店長は聖蹟桜ヶ丘の京王クラブにいた人で、橋本さんは既に顔なじみとなっていた。
長張 記
第50回文化フォーラム講演者紹介
私ごとで恐縮です。
一昨年、東京の出版社クレオ社(光栄にも日本の著名な写真家の写真集を多数出版しています)から上梓した写真集『蒸気機関車讃歌 白い息遣い』が、先月(2013月3月)、ドイツのライプツィヒ・ブックフェアでドイツ書籍美術財団により展示されました。
写真集のデザイナーと共に現地を訪れましたので、その時の現場写真をご紹介いたします。
(記 山岸起一郎)
「歴史に遊ぶ会」の懇親会を実施
多摩稲門会のサークル「歴史に遊ぶ会」は4月7日夕、多摩市関戸の居酒屋「ウラニワ」で懇親会を行った。台風のような荒天になるという前日の予報で、あらかじめ史跡散策の中止を決め、懇親会のみ行う、という世話役の連絡に応じて計7人が集まり小宴を楽しんだ。
お店は京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩1分、料理は「りゅうきゅう」といった大分県のものが70種類、店員も同県竹田市の出身という。世話役の母校が大分上野丘高校であり、その縁で懇親会の場として利用した。
参加者の一人は元NHKのアナウンサーで大分放送局に勤務経験がある。娘婿が大分出身という人もいた。前者は久しぶりに「りゅうきゅう」を食べたいと思い、後者は娘婿を飲みに誘う下見という目的があった。
稲門会のサークル「グルメの会」の世話役は、常に会の会場候補を物色しており、大分料理の店という特色に関心を持っての参加だった。「大分県の料理を堪能するにはいい」と思ったが、やはり居酒屋であり、「グルメの会」を行う場としては疑問を感じているようだ。
多摩稲門会の会員は、諸活動の後で懇親するが、その場所は聖蹟桜ヶ丘駅界隈が多い。世話役としては界隈に大分料理の店もあるという情報サービスのつもりで「ウラニワ」を選んだのだった。
同店は、店内から隣の餃子の店につながっている。餃子を注文し、隣の店員が現れると、代金はその場で現金支払う。
すっかり盛り上がったが、参加者の中にカラオケサークル「いねの会」の幹事がいた。いつも会場として利用しているカラオケ店「麗」は目と鼻の先にあり、日曜日は休業日だったが、ママに電話で交渉し、店を開けてもらった。6人が参加し、「ミニいねの会」となった。
もっと歴史談をするべきでないか、という不満も一部にあるが、何か口実を設けては集まり、交流することも稲門会の活性化に役立つと考えている。「集まらない会は無いも同然」であろう。オリンピックと同じ様にまず参加することに意義がある。
(川面記)
5月のコートのご案内です。奮って ご参加ください!
5月のコートが確定しました。
●場所:一本杉公園内テニスコート
▼開催日時等:
・5月 7日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・5月14日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・5月21日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・5月28日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
是非、コートへお出でください。
お問い合せは:中里 保司/Mail to ⇒ nkzto@live.jp
グルメの会(第40回)
ほぼ満開のソメイヨシノが本格的なイタリア料理に花を添えた。40回目のグルメの会は3月27日、多摩市落合の「リストランテYAMA 」で開いた。 京王多摩センター駅から店まで歩いて40分ほどかけたのは、桜の花見まで楽しんじゃおうと欲張ったためだ。
この日は朝から雨が降り続いたが午後3時ごろに上がった。集合時刻の5時半前には参加者17人のうち、店に直行する予定の4人を除く13人が顔をそろえて歩き始めた。多摩中央公園や多摩市立図書館本館周辺でも桜は楽しめたが、圧巻は宝野公園。隣の奈良原公園まで見渡す限り広がった桜並木は、息をのむほどのあでやかさだった。

「リストランテYAMA 」では、ビールで乾杯のあと、生ハムとタコ、ホタテ、パーナ貝などの前菜盛り合わせが運ばれ、シェフがコースメニューを紹介した。ブリの煮込みがかかったタリアテ―レというパスタ、ホワイトアスパラにトリフのリゾットが続いて出されたころには、飲み放題のワインやスパークリングワイン、カンパリソーダなどのカクテルの杯がどんどん空けられていた。
参加者17人のうち3人が女性。川俣あけみさんが重い病を克服して久々に元気な顔をみせた。「新薬のおかげです」と満面の笑みで挨拶すると、「安倍首相と同じですね」「おめでとう」と次々と喜びの声があがった。
最近、病気になったり、亡くなられたりする仲間が続いたせいか、川俣さんの朗報は、料理の味を一段と引き立てた。
メインディッシュは肉が鴨のロースト、魚はヒラスズキのムース焼き。
このころには、「うまい」「さすが」といった声が飛び交い、酒宴は大盛況。それでも、恒例の参加者全員によるショートスピーチは急ピッチでスムーズに進み、料理と酒、それに花を、存分にかつ心地よく楽しんだ一夜だった。
(世話役 浅井隆夫)
「山歩きの会」4月例会ご案内
(さらに…)
第135回「岩殿山」(2013.03.16)の山歩記
例年より寒く感じた冬が終り、初春の季節は その反動で相応しくない程の、気温の高い日が続いていた・・・
中央本線大月駅に10時少し過ぎに降りてメンバーが揃った。今日3月16日のメンバーは、櫻井和子さん・橋本孜さん・宇田川登さん・遠藤千尋さん・金子宏二さん・長張紘一と、あわせて6名である。
宇田川さんは山中湖の自宅から自家用車でここに駐車した後、落ち合った。澄みわたった空と、気温も寒からず暑からず絶好の登山日和に恵まれた。大月駅の背後には、岩殿山の太鼓腹の様な鏡岩と呼ばれる岩壁が間近に見え聳えていた。出がけの上着は一枚脱いで、丁度よい気候となっている。
15分程進むと登山口に着く。整備された石の階段が続いていた。上部にある階段を登る登山者や、頂上にある展望台から景色を眺めている人達の姿も見えていた。長く続く階段は かなりの傾斜である。南側にある富士の勇姿は、高さが増すに従って、徐々に浮かび上がってきた。
その昔、岩殿山城は岩殿山に築かれた山城跡で、小山田氏の居城であった。戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていた。1582年に織田軍が甲斐に侵攻した時に、小山田信茂は織田方に寝返り、岩殿山城へ落ち延びてくる武田勝頼を郡内に入れず、進退に窮した勝頼は天目山で自害した。武田家を滅亡させる事に深く関わった小山田信茂だが、この戦いの後、織田信長により処刑された。
岩殿山中腹にある「ふれあいの館」からの富士の眺めは、桜の開花と合わせて、秀麗富嶽十二景の一つとして、大月市のシンボルに選定されている。 因みに 「ふれあいの館」は入場無料で、築城や落城の経緯や小山田氏の謀反を否定する記事、霊峰富士の写真コンテストが展示されていた。
更に石の階段を上って行く。やがて頂上に到着。お昼少し前である。富士は中腹まで雪が積もり、三つ峠、高川山、御正体山と山並みが見渡せ、眺望は一級であるが、眼下真下まで見渡せる街並みや、中央自動車道の帶や桂川の流れが箱庭のように広がる姿も一級である。山頂には、ちらほらと人が散見されるが、四阿の下のテーブルを確保でき、囲んで食事をとる。
山頂広場は比較的平坦ではあるが、東側は少し高度が上がり、パラボラアンテナ設備が築かれている。ここが、標高634mのようだ。スカイツリーと同じ高さで、人気が上昇している。
スミレが あちこちで咲きはじめているが、樹木の新芽は まだ出たばかり。梢越しに下の街並みが見渡せる。
今の時期は、黄色の花のダンコウバイが目立つ存在で、背景に百蔵山・扇山を入れた春の山の景色を撮ることができた。
中腹にある七社権現堂が祀られたといわれる、巨大な洞窟に寄り道した。幅は3〜40m程奥行は2〜30m程の かなり大型の自然の洞窟のようである。
急な階段を更に下り、車道に出た。今日は、岩殿山の東コースであり、日本三奇橋の一つである名勝猿橋を見物する。30mの長さを両岸から張りを積み上げて四層の、はね木で上部を支えている。現在の橋は資料を元に復元されたものであるが、最初の橋は当時の最先端技術であったようだ。
橋下からも見上げる、観察コースもある。桂川の深い淀みと、橋の広重の浮世絵は有名である。岩殿山の登山道から降りて一般道を歩く事になるが、平坦な田舎の景色を十分に堪能し、3時過ぎに猿橋駅に着いた。ここで、宇田川さんと別れ、車を駐車した大月駅前に更に歩いて向かっていった。
高尾駅で降車し南口の居酒屋「たまの里」で喉を潤し、相原から堀之内まで歩いた浅井隆夫さんを迎えることができた。
ゴルフコンペの実施報告(加来)
第1回のゴルフコンペが、3月12日 多摩カントリークラブで実施されました。
当日は快晴、気温は20度と絶好のゴルフ日和、4組16人が技を
競いながら、プレーを楽しみ、友情を深めました。
(さらに…)