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「歴史に遊ぶ会」の「みちのくの旅」
多摩稲門会のサークル「歴史に遊ぶ会」は、好天に恵まれた11月8日から9日にかけて宮城県の仙台、松島、塩釜、多賀城の史跡を探訪した。参加者は稲門会会長の尾ノ井光昭さんをはじめ川俣あけみさん、菊沢光江さん、宮地麗子さん、それに世話人の川面忠男の5人。そのうち3人は「俳句同好会」のメンバーであり、訪れた先で俳句を詠む吟行の旅ともなった。
仙台駅に到着後、直ちに青葉城こと仙台城址へ。眼下に広瀬川、川向うにビル街が広がり、左に目を転じると七ツ森と呼ばれる山並みを遠望する。城址は青葉山にあり、背後は竜の口渓谷という数十メートルの断崖が続く要害だ。藩祖の伊達政宗が居城とした広場に政宗の騎馬像が立っている。観光客には写真の撮影スポットだ。青葉城資料展示館があり、政宗の書状、政宗が着用した具足などが常設展示されている。
政宗の霊屋のある経ヶ峯へ。霊屋は瑞鳳殿と呼ばれる。桃山文化の遺風を伝える廟建築で戦前は国宝だったが、戦災で焼失、後に再建された。さらに政宗が造営した大崎八幡宮へ。安土桃山時代の現存最古の権現造りとして社殿が国宝になっている。
翌日の9日は仙石線で松島海岸駅へ。政宗の孫、光宗の菩提寺・円通院へ寄った。霊廟の三慧殿は重要文化財、厨子に描かれているバラには由緒がある。政宗の正使としてスペイン、ローマを訪れた支倉常長が持ち帰ったものだ。そういうわけでバラの庭があり、円通院は「バラ寺」として知られている。秋のバラが咲いていたが、白砂の庭に沿う紅葉も見頃だ。続いて伊達家の菩提寺として格式が最も高い瑞巌寺へ。本堂はむろん庫裡も国宝だ。境内の宝物館を見学した後、松島の遊覧船乗り場へ向かった。
ちょうど12時に松島湾一周の遊覧船に乗った。観光シーズンであり、船内はほぼ満席だった。50分のコース、外洋に出ると、少々揺れて波しぶきが立った。

遊覧船を降りて五大堂を背景に参加者の記念写真を撮った。そして五大堂に詣でた後、塩釜の塩竃神社へ。社殿は重要文化財だ。芭蕉は「おくのほそ道」に「塩竈の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽(さいてん)きらびやかに、石の階九仭にかさなり、朝日朱の玉垣をかかやかす」と記している。同じく芭蕉が立ち寄った多賀城の政庁跡、その近くにある壺の碑(いしぶみ)を見て予定した史跡巡りを終えた。
(文責・川面)
‘23年秋・早慶戦観戦のご報告
「文武両道」を標榜する、わが母校・早稲田大学。
しかし近年は、競合大学の強化または新興大学の出現等により「スポーツの早稲田」の声望
は残念ながら低下していると思われます。
そこで、大学当局も、我々OB(稲門会)に対して特に三大スポーツ(野球、ラグビー、駅伝)を中心に「強化」の支援を求めて来ているのが現実ではないでしょうか。
母校・ワセダを愛する我々OBもこの要望に呼応して立ち上がろう!・・・と。
そこでその「第一弾」として、今秋の「野球・早慶戦」を多摩稲門会挙げて熱烈応援する
決意をし、準備を進めてきました。
今秋も優勝候補は、街の噂では明治と慶応であり早稲田の評価は必ずしも高くなかったのですが、早稲田がシーズン後半に気力の勝利を重ねる一方、明治が不測の敗戦を被り、最終カードの「早慶戦の勝者」が優勝の栄冠を獲得する事が可能と言う素晴らしい「舞台」が用意されたのです。
多摩稲門会では、「オッカケたい」の湯浅代表の呼びかけに、早々に尾ノ井会長のご賛同を頂き、続いて11名の仲間が意気軒高に参加して頂くことが決まりました。
時。10月28日、晴天の神宮球場に午前10時過ぎには先発隊が集合。入場券の手配、観覧席の確保等を済ませ11時迄には「多摩応援団」全員を迎え、球場最高の指定席、神宮球場正面2階席の前列に勢ぞろいしました。この指定席も多摩稲門会を以前から世話して頂いている早大野球部の幹部・亀田様の特別のご厚意によりご手配頂いたものです。

試合前から、球場の内・外野席共に略満席。早慶両校の応援合戦、選手の試合前練習。校旗入場、校歌の斉唱、そして、愈々Play Ball !!
早稲田の先発投手は、エース・加藤、慶応は2年生の外丸。
両投手の好投で8回までは投手戦の様相。しかし加藤の方が安定感があり、慶応は8回まで無得点。
一方早稲田は5回に2年生の元気者の尾瀬がタイムリーヒットで先取点を叩き出し先行。
しかし、ドラマは最終回に用意されていた:
早稲田は優勝するためには2勝する必要があり、小宮山監督は明日以降の試合を考え、
最終回には好投・加藤を温存し、1年生の香西を投入した。
香西は、元気に晴れの大舞台に上がった。しかし、この舞台は何といっても「華の早慶戦」。
One out は獲ったがその後pressure が強かったのでしょう。Four ball を連投し、遂に失点し同点。その後、投手も準エースの伊藤を送り込んだが、早稲田内野陣の乱れもあり逆転の
ヒットを浴びてしまって、遂に、慶応2対早稲田1。
健闘の早稲田もこれまでか! しかし、多摩稲門会の必死の応援を受ける今シーズンの早稲田にはこの試合は「勝利以外に選択肢はない!!」 全てを9回の裏にかけた。慶応は必勝・逃げ切りを図り、4年生で桐光学院出身の谷村を投入してきた。かれも異様としか表現方法のない早稲田の雰囲気に畏縮したのか、早稲田の香西と同様 Four ball を連発、走者満塁としてしまった。ここで早稲田はこの日、先制点を叩き出している元気者・尾瀬が痛烈な安打をセンター前に運び先ず同点、続いて本日ベンチで出番を心待ちしていた、やはり2年生の小沢がピンチヒッターとして登場。谷村の速球を火の出るようなライナーでタイムリーヒットをライトに放ち劇的な決勝点を挙げた。

神宮球場を轟かせる大興奮。ご想像下さい。我が多摩稲門会の面々も互いに立ち上がり抱き合って、涙を流して勝利の歓喜に浸りました。
予定どうり、私たちは新宿のBeer Hall に舞台を移し美酒に酔い、早稲田の栄光を讃え、明日また慶応を倒し優勝することを信じ家路に向かいました。

(完)
―追伸―
以上、駄文をお読み頂き有難うございました。
私のレポートは、ここで終わる予定でしたが、皆さんのお手元にこの「報告」が届く前に、早慶戦の勝者(2勝した方)が決まる筈ですので、本日(10月31日)まで送信を待たせて頂きました。
その結果は。ご承知のように、早稲田の必死の健闘にも拘わらず、慶応のガンバリに及ばず、初戦は早稲田に負けましたが、第2戦は4対0で、決戦の3戦も5対3で早稲田に雪辱を果たし優勝したようです。
残念ではありますが、今回は「宿敵・慶応」の健闘に拍手を送ることにしましょう。
今シーズンは、我が早稲田多摩稲門会の出動は1回戦だけでしたが、「早稲田のチームはやはり、我々の応援を切望しているのだ」と勝手に思っています。
仲間の皆さん! 野球に続いて、ラクビー、駅伝等の大学スポーツも本番を迎えます。
機会を見つけてお互いに「母校・早稲田」の応援に出かけ、素晴らしい「青(老)春」を
謳歌しましょう!!
(2/2 完)
―文責、 多摩稲門会オッカケたい・吉川啓次郎―
「2023年10月度ボウリングの会例会」実施
10月の初めまで35度近くの暑さで、街ゆく人も半袖の装いだったのが、中旬になって例年通りに涼しくなったのには少しほっとした感があります。
異常気象のおかげで、前回のボウリングの会例会は7月に行ない次は9月だったのが、ちょうどその日のあたりに集中豪雨が関東を襲い、交通機関が大混乱になり、9月度は中止で10月に延期となりました。
10月28日(土)、10月度の「多摩稲門会ボウリングの会」例会が行われました。場所は永山コパボウル。

今回の参加者は3名。ボウリング場の全レーンが大会の関係で午後5時まで埋まっていたので、通常とは違い、午後4時45分集合、5時開始で約2時間プレーを行いました。
参加者は、藤原雅博さんと塚原英俊さんと世話人稲垣の3名です。塚原さんは藤原さんと大学同期の早稲田マンです。
藤原さんの投球からスタートを行い、塚原さん、稲垣の順で行いました。藤原さんは第1ゲームから200アップを果たし、その後も高得点を出していました。ストライクはもちろんスペア取りも正確で、多摩稲門会「ボウリングの会」のレベルを上げています。塚原さんの投球も見事で、一直線にピンに向かうボウルはうなりをあげていました。運動神経抜群な塚原さんは、スペアも確実にとり、安定したスコアを出していました。稲垣の投球も、今回は比較的安定しており、第1ゲームは180越えでした。第2、3ゲームも無難なゲーム運びで150前後のスコアで推移しました。やはり14ポンドのボウルは今の自分には重く、ゲーム終了後、ボウリング場に13ポンドのボウルを発注しました。これで少しはコントロールができるボウリングができると思います。

ゲームは午後7時前に終わり、その後歩いて3分のすし屋『銀蔵』で懇親会を行いました。コース料理で2時間飲み放題なので、ビールで乾杯の後、刺身の盛り合わせやカサゴの塩焼きなどを肴に、酒量はどんどん上がっていきました。近況報告のあと、ボウリング談義など話題は尽きず、約2時間の懇親会が盛況のうちに終了しました。次回は来年1月に新春初投げを予定しています。
(世話人 稲垣友三)
What’s JAZZ 第66回ライブコンサートのご案内
What’s JAZZ!
ジャズへの招待vol.66~正統派ジャズクリスマス~
男性ヴォーカリストによる正統派ジャズコンサート。
ジャズサウンドの心地よさに身を任せてみませんか?
今回は土曜日開催です。土曜日の午後のひとときを
お楽しみください。日頃お仕事などで参加できない
方もお出かけください。お待ちしています。
2023年12月9日(土)
・ランチタイムコンサート 12:30開場 13:00開演
・ティータイムコンサート 15:30開場 16:00開演
※開催時間変更しています。
・出 演 柳原伸之(vo) 金山マサ裕(p)貫田重夫(sax)
菅井 信行(b) スインギー奥田(ds)
・曲 目 Desafinado、Mack the Knife、黒いオルフェ、他
・場 所 関戸公民館ヴィータホール(ヴィータコミューネ8F)
・入場料 ランチタイム、ティータイムコンサートそれぞれ2,000円
(ランチ、ティータイムの2回分購入の場合3,000円)
前売り券はヴィータ7F多摩ボランティア市民活動支援セ ンターで発売、042-372-6611
11月7日(火)10時から12月8日(金)午後5時まで
当日券(残余ある時)は当日11時30分から会場受付で発売
・定 員 230席
・主 催 What’s JAZZ実行委員会(042-71-4084 山中)
・共 催 関戸公民館 (042-374-9711)
第23回稲城稲門会「歴史散歩の会」のご案内
令和5年10月27日(金)
幹事 須永
今年の春には、コロナもほぼ治まって、近場の国史跡「武蔵府中熊野神社古墳」を尋ねました。1300年前に、現在の東京都・埼玉県・川崎市・横浜市からできた武蔵国のいわば県庁所在地として多磨郡府中に国府が設定されましたが、当時の建築技術を大幅に超越した古墳の被葬者は全くの謎の人物で、国府設定への関わりが議論されています。
今回の歴史散歩の会のメイン会場は、1300年前をさらに大幅にさかのぼる今から5000年前の縄文時代中期後半の環状貝塚(北貝塚、直径140m)と4000年前の後期後半の馬蹄形貝塚(南貝塚、直径190m)で、これら二つの大型貝塚で形成されるこの加曽利貝塚が日本最大で、平成29年に貝塚として初めて国の「史跡」に指定されました。縄文時代の貝塚は約2,400か所が確認されており、中でも東京湾沿岸には全国の1/3の貝塚が確認されています。加曾利貝塚博物館には、発掘された多くの土器・土偶・石器等が陳列され、貝塚の内部を観察できる野外観覧施設も(貝塚断面観覧施設、復元集落等)あり、ゆったりとした気分で貝塚周辺を散策出来ます。
あわせて、どうせ千葉にいくのですから、千葉駅近くにある頼朝側近であった千葉氏のゆかりの千葉神社にも立寄ります。厄除開運・八方除の北辰妙見尊皇王(通称で妙見様)を主祭神として、北極星・北斗七星の神霊を祀った妙見本宮です。豪勢な拝殿本殿があり、また分霊社尊星殿(そんじょうでん)には目を見張ります。

熊野神社古墳にくらべれば、確かに遠方ではありますが、千葉モノレールを使いますので、歩く距離はさほどでもなく、上下も殆どありませんので、安心して散策&訪問出来ますので、5,000年前の遺跡見学に足を延ばしてください。多数の方々のご参加待ちしております。
記
日時 令和 5年12月3日(日)
午後1時00分集合 午後4時半過ぎ頃にコース巡り終了(千葉)予定
集合場所 JR千葉駅 中央改札前
(稲城11:15→京王線→調布11:25→笹塚11:38→都営新宿線→馬喰横山/馬喰町12:09
→総武線→12:44千葉)
(稲城11:15→調布11:25→特急→新宿11:48→中央線→お茶の水12:01→錦糸町12:14
→総武線快速→12:44千葉)
コース 千葉駅…千葉神社…大日寺跡(千葉氏ゆかりの地)…千葉駅-千葉モノレールに乗車-桜木駅…加曾利貝塚…桜木駅-千葉駅
解散後の懇親会は千葉駅周辺で¥4,000程度の予算で開催予定。(懇親会不参加の方はその旨ご連絡ください)
参加連絡先 稲城稲門会 須永 E-mail nql39687@nifty.com
メ―ル受信の方はこのメールに返信ください。 TEL&FAX 042-331-9780 mail 090-5331-7214
ご参加のご連絡は、開催日の1週間前(11月26日/日)迄にお願いします。
当会もスタートして11年を経過しました。幹事高齢化あり、共同主催者とアシスタントを
募集しています、お手伝いいただければ幸いです。お気軽に、お声をかけてください。
第118回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の第118回目の句会が10月20日午後、多摩市関戸の公民館和室で開かれた。事前に8人がメールで投句、当日は1人が欠席、選句のみ世話人に伝えたが、7人は出席して選句、合評を行った。
8人が5句ずつ投句して合計40句が選句の対象になったが、句会では20句が選句された。つまり投句の半分が選に入ったわけだ。
10月の高得点句は〈美濃紙の行灯に寄り走り蕎麦 〉だが、老舗の蕎麦屋の光景が浮かぶ。合評になって木曽路を旅しての句と説明された。〈冷まじや禁逃散と高札に〉はどこの景か?と合評で疑問の声が上がったが、作者が木曽路の馬籠宿の実景だと説明した。
特選となった〈真昼にも願ひの数の流れ星〉は、金子みすゞの〈昼のお星はめにみえぬ みえぬけれどもあるんだよ〉という詩を連想させると指摘された。みすゞの詩を踏まえた句もあっていいという結論になったが、特選になるか選外になるかのどちらかだという句評になった。
・
選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)
・
美濃紙の行灯に寄り走り蕎麦―――川俣あけみ(宮地◎、川面、辻野、又木)
古日記捨て家畳む秋の風―――川俣あけみ(松井◎、辻野、又木、宮地)
綿飴のはかなさを愛づ秋祭―――白井昭男(川俣◎、川面、長張)
風を掃き風に戻されむら芒―――松井秋尚(長張◎、辻野、又木)
冷まじや禁逃散と高札に―――川俣あけみ(又木◎、宮地)
真昼にも願ひの数の流れ星―――宮地麗子(川面◎)
秋の灯の古書肆へ回るそぞろかな―――川俣あけみ(又木、松井、宮地)
赤蜻蛉水琴窟の竹の筒―――川面忠男(白井、長張、宮地)
次々と風の解きゆく曼珠沙華―――辻野多都子(川面、川俣)
秋茄子の小さき尻やほまち畑―――辻野多都子(川俣、長張)
鴨来たる去年の小川を違はずに―――宮地麗子(白井、松井)
満を持し旅に立つなり木の実落つ―――宮地麗子(辻野、松井)
合掌の屋根より糸瓜ぬうぼうと―――川俣あけみ(辻野、長張)
稲実るあぜ道狭し風通る―――長張紘一(白井)
ひと品は店主の勧め秋茄子―――松井秋尚(白井)
ゾンビめく里田の中の捨案山子―――又木淳一(川俣)
葉を揉めば薄荷の香り秋涼し―――松井秋尚(白井)
大花野尽きたる西にウクライナ―――又木淳一(川俣)
出来立ての色の重たき今日の月―――松井秋尚(川面)
二度咲けば母の忌日よ金木犀―――又木淳一(松井)
(文責・川面)
令和5年(2023年)度「第74回文化フォーラム」のご案内
清秋の候、皆様におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。 さて、標記の会を開催いたしますのでお繰り合わせの上、ご参加下さいますようご案内致します。詳細のご案内書を別途郵送する予定です。
記
日 時:令和5年11月18日(土)午後1時~3時 文化フォーラム 〃 3時半~6時 懇親会(有料)
会 場:京王クラブ
《文化フォーラム》 (入場無料)
演 題:「災害は忘れずにやってくる」
講 師:野尻 明美氏 (日野稲門会会員、工学博士)
1961年早大第一理工学部建築学部卒、東北大学博士、鹿島建設に勤務。
発明奨励賞、科学技術庁長官賞、科学技術功労者市村賞、紫綬褒章(平成11年春)受賞。
(著書)「多摩川流域地形地質遺産―立川断層本当にあるのか?―」、「地盤災害の真因」、「震災と火山噴火の真因」、他多数
※恒例により「フォーラム」終了後同所にて懇親会を催します。
お一人当たり飲食代¥4,400のご負担を宜しくお願いします。
以上
早明戦観戦記
9月27日 湯浅芳衛 記
今季六大学リーグ戦優勝の行方を大きく左右する早明戦は9月23~25日に行われて、早稲田が1回戦を先勝しましたが2回戦・決勝戦は明治が勝ち、残念ながら勝ち点は獲得なりませんでした。優勝するには残りの立教・法政・慶応に全勝する一方、明治がその3校のいずれかにに勝ち点を落とすことが必要条件となります。(今季は偶然にも早明共に初戦は東大に各々連勝して残りの対戦相手は全く同じになりました。)
「オッカケたい」が試合を観戦したのは第2戦のみで、1戦・3戦は六大学連盟が提携している『BIG6TV』よるものであることを冒頭お断りいたします。
(1) 9月23日 第1戦
早稲田・加藤、明治・村田の両エースが先発しました。加藤は1回表1失点するも2~4回を無失点で抑える一方、早稲田は3回1点、4回2点を取り村田を引きずり降ろしました。
明治もさるもの5,6回に各1点を挙げて3対3の同点に追いつきました。すると小宮山監督は見事な采配をしました。加藤を7回までの投球数100球で交代させて8回表は中継ぎ左腕斎藤に継投して無失点で抑えて終盤の8回裏を迎えました。
早稲田は1死後3番熊田副将が安打で出塁すると手堅4番印出に送りバントを命じて2死2塁としました。5番吉納は期待に応えてレフト線に2塁打して熊田を迎え入れて勝ち越し、更に代打攻勢をかけてPH野村の中前安打で5対3として試合を決定づけました。9回表はクローザーの伊藤を投入して3者凡退に抑えて見事先勝しました。小宮山監督最高のベンチワークによりこれで優位に立ち、明日が楽しみになりました。
(2) 9月24日
第2戦 秋晴れに恵まれてオッカケたい参加の吉川さん、・松本さん・馬場さん・湯浅の4人は13時に球場正面玄関前広場に集合後、ネット裏席近くの内野席に座りました。ファウルボールが飛んでくる臨場感たっぷりの観やすい場所でした。
早稲田の悩みは第2戦の先発を託せる投手が不在でしたが小宮山監督は夏のオープン戦で好投していた期待の1年生越井に白羽の矢を立てました。越井は味方内野手の失策にも足を引っ張られて3回までに2失点したものの、伸びのあるストレートで好素質の片鱗を見せて、エース加藤卒業後の来年は伊藤(2年)と共に投手陣の柱になるでしょう。
その後早稲田は3投手を投入するも、明治打線が上回り結局合計5失点でした。一方早稲田打線は明治3投手に4安打2得点に抑えられ2対5で連勝ならずでした。
(3)9月25日決勝戦
決勝戦 第1戦に続き両エースの先発となり、先取点が鍵とみました。果せるかな明治は1回表1 死後2番が左越え2塁打し、一番警戒する3番宗山が安打して走者を還しました。加藤はその後 2~6回を無失点に抑えたので、打線の援護がなく可哀そうでした。
明治・村田は第1戦とは見違える気迫の力投で6回を1安打に無失点、抑えの浅利も3回を1安打ピッチングと完璧でした。早稲田は4回1死3塁のチャンスに3番熊田、4番印出が連続三振してしまったのは至極残念でした。
あくまでも筆者独自の見解ですが、左翼手が一歩前進してからバックした為頭上を抜かれたのではと見ましたが果たしてどうだったでしょうか?
(4) 総括
この3戦をまとめると次の通りとなり、投・攻・走・守で明治が上回っていました。
総得点 安打 盗塁 失策
早稲田 7 18 1 2
明 治 10 28 2 0
リーグ戦はまだ続きます。逆転優勝を目指してこれからの戦いに期待しましょう。
(了)
早慶野球戦チケットについて
10月1日 オッカケたい世話人 湯浅芳衛
六大学野球連盟は早慶戦前売り券チケットの販売方法をまだ明らかにしていません。
従って前売り券の入手は一般ルートでは極めて困難な状況です。そのためオッカケタイとしましては知己のある野球部関係者のご協力を得て前売り券確保に努めました。
世話人の判断で①従来から参加されていた方を優先して参加を呼び掛ける。②全会員への公募は 差し控えることとしました。
その結果、10月28日第1回戦に11名が観戦する運びとなりました。
観戦希望の方々にはご期待に副えなくお詫び申し上げます。
(了)
風前の灯火が遂に消えた!
『グルメの会』終了の顛末
多摩稲門会の人気サークルだったグルメの会(『グルメの会』) の命脈が9月末をもって尽きました。
これを予期したのは多摩稲門会の創設者櫻井和子さんが世話人だった私に対し、「グルメの会(の世話人)をずっと続けてくださいね」とさりげなく告げた時でした。コロナ患者数が増減周期の合間にわずかに減った際に開いた「お試しグルメの会」の席の話です。バランス感覚や気配りに優れる一方、お茶目で気の置けない逸材だった櫻井さんにしては随分な見当はずれ発言と感じた私は、ややムッとして「世話人はすぐに辞めたいんです」と申し上げました。
週5日程度のウォーキングで持病の高血糖を抑え込んできた私に対し、コロナはとんでもない被害を与えました。政府の外出制限で歩く会がほぼ全面的に中止となったのです。
15キロ前後歩き続けてきた身には、ひとりで自宅あたりを3、4キロ歩いたところで焼け石に水。血糖値はたちまち癌発症リスクの境目8・0を超えていたのです。
櫻井さんは残念ながらこの1月に他界されました。お試しグルメの会の時点で病はかなり進行していたのでしょう。
さて、グルメの会。私は世話人を12年続けました。持病の重症化が進み後任探しに躍起となりました。苦労の末多摩稲門会会報「杜の響き」に食通ぶりを自己紹介していた尾崎隆教さんがようやく前向きに。ところが「細事のこなせる世話人も」という条件付きのため、いねの会で差し入れを欠かさぬ気配りの持ち主辻野多都子さんを口説き落として強力な布陣が奇跡的に完成しました。
人気サークルのグルメの会は先着順のため、落選する人が少なくないことが世話人の悩みのひとつでした。そこで私は、新世話人主催2回目の参加を辞退しました。その会の席上料理自慢の山中康廣さん宅でグルメの会を開く話が持ち上がったそうで、私も「よく話し合えば開催できるのでは」と賛同しました。
大盛会と思われた山中さん宅の会でしたが、思わぬ落とし穴がありました。複数人の参加者が板の間で飲食していたことがクレームで判明しました。
ジャズ好きの山中さんは老若男女の同好者数十人を集めて自宅演奏会を主催、 自慢の手料理をふるまっていたのです。後期高齢者がほとんどのわがグルメの会とは人数が大きく違い、板の間飲食は想定外でした。
そんなこんなで新世話人はふたりそろって辞任。 グルメの会はまたまた絶望の淵に立たされました。 ひと月近く熟考を重ねた挙句、間質性肺炎をこの春発症した私が可能と思われる延命策、『グルメの会』の発足を提言しました。 私が助言者たる「つなぎ役」となり、世話人は毎回交代制で負担を減らし開催にこぎつけるという綱渡り案です。
世話人の最大の負担は、10―15人がまとまって入れるお店探し。未経験者にいきなり託すには無理がありますので、まずは好評だった「山中グルメの会」 の定員を3分の1減らして板の間飲食をなくし、会費も酒込みで2千円アップの7千円に上げて山中さんの減収採算割れを防ぎました。黒毛和牛のメニューで高級感も加えたのです。
山中さんは85歳。料理を分担する奥様も腰痛を抱えながら引き受けてくれたわけですから、さらなる負担軽減は必須でした。
つなぎ役が9月初めに開催日だけ27日と発表し、申し込み受付期間も2週間短縮し、一部の事前予約も廃止させていただきました。
結果、予約者はたった3人。私も滅多にしなかった電話再勧誘を山中さんご夫妻が快く引き受けてくれたものの、「用件を告げぬ先約アリ」が多数で予約者は増えませんでした。
次回世話人を内諾してくれていた井上一良さんとは「開催不可能」で一致しました。私の血糖値は直近の検査で9・6に上昇、もはや限界と悟りました。
元グルメの会世話人 浅井隆夫
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