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六大学野球の記憶
2024年8月4日 湯浅芳衛 記
(1) 六大学野球との出会い。
私が六大学野球を知ったのは1948年小学校4年生の時のNHKラジオ放送でした。対戦相手、試合内容は全く記憶にありませんが『早稲田・磯野主将のファインプレーです』のアナウンスが今も耳に残っています。その試合は恐らく早慶戦だったのでしょう。その影響で勉強はそっちのけにして小学生向けの月刊雑誌に写真入りの「早慶戦の紙上中継」をむさぶるように読んでは試合の場面を想像して蔭山、石井(藤)、末吉、宮原等名選手の名前を覚えて楽しんでいました。
(2) 1951年初観戦
1951年の中学1年春に六大学野球を同級生と武蔵野グリンパーク球場で初観戦しました。当時はまだ占領下の為、神宮球場は米軍の都合で使用できない場合が多くその時は早稲田、東大の球場や上井草球場(現在はない)での試合でした。当時球場不足対策の一環で私の生まれ育った三鷹市中央線三鷹駅から支線をひいた武蔵野グリンパーク球場が建設され1951年に完成しました。六大学とプロ野球に使用されたものの使い勝手や集客にも不便な為1年で廃止されました。六大学野球もその年に19試合行ったと記録にあります。
私が観戦したのは早立戦で1回戦先勝後の2回戦でした。このシーズンは早稲田が50春~51春の3連覇の 最中で強くて投打に圧倒して問題なく連勝しました。
目を引いたのは大型三遊間と謳われた広岡、小森でした。彼らは1年生からレギュラーで2年になったこのシーズンはプレーに磨きがかかり自信満々でした。隣で観戦していた選手経験者らしき年長者二人が盛んに褒めていました。特に広岡は従来「ショートは小柄」の定説を覆して180㎝で腰高の華麗なプレーは女性ファンの人気を独り占めでした。今は幻となったこの球場の試合を観た人は何人現存しているか懐かしい気持ちです。
(3) 長嶋茂雄は本当に凄かった!!六大学が生んだ史上最高のスター。
私が早稲田に入学した1957年は立教の長嶋、杉浦、本屋敷の3羽ガラスが4年生で活躍して春秋連覇しました。しかも3年生には森滝、片岡、浜中等その後プロ野球で活躍した選手も多く58年も春秋優勝して4連覇した上、更に1,2年生にも有望選手が控えていたので在学中優勝経験なしで卒業かなと不安になりました。
やっと3年春に5連覇を阻止して優勝パレードが出来て早稲田に入って良かったと心底思いました。
1年生の時の早立戦にはすべて行きましたが長嶋人気で満員でした。試合は早稲田が春秋共に連敗でした。
特に秋の1回戦は杉浦が最高の投球でノーヒットノーランの準完全試合でグーの音も出ませんでした。
私が驚いたのは長嶋のプレーで、走攻守共にすべてがで球場をはみ出すほどの躍動感がありました。中でも右中間を破って三塁打にする時に二塁を回って3塁に殺到するランニングは迫力満点でした。守ではショートの守備範囲のゴロでもカットしてランニングスローで魅せました。
打で印象に残っているのは試合前のフリーバッティングで長嶋が3本オーバーフェンスを見せると早稲田の
森は5本柵越えして早稲田応援席は大喝采と二人の競演はみものでした。遠くへ飛ばす能力は森の方が上かもしれませんが総合的には長嶋がずっと優っていたと思います。森は柔道で上体のパワーは凄かったが惜しむらくは下半身の鍛え方が足りなかったのではと素人考えをしています。
長嶋は2度首位打者になりましたが世間の注目は通算本塁打でした。それまでは戦前の最強打者と言われた慶応・宮武三郎と早稲田・呉明昌捷の7本でした。長嶋は4年春に7号を打ち騒がれて、8号は彼の六大学最終試合の慶立戦2回戦に打って大ニュースでした。その試合はNHKでテレビ中継され私も視聴しました。
長嶋が卒業して世間の注目がプロ野球に流れて六大学の人気が下降したと私は見ています。
(4)『伝説の早慶6連戦』 (1960年11月6日~12日)
学生野球史上屈指の名勝負と語り継がれる60年秋の早慶6連戦は丁度大学最終学年でしたので思い入れは人一倍です。今でも大学の同級生は勿論の事、高校同期で慶応に行った仲間とこの思い出は繰り返し話題になります。早慶戦前までの戦績は慶応が順調8勝2敗の勝ち点4、早稲田は前週の明大4回戦で安藤が打たれて7勝3敗1引き分け。慶応は早慶戦で勝ち点を取れば完全優勝、1勝2敗で優勝決定戦、連敗すると早稲田の優勝。
一方の早稲田は連勝なら優勝、2勝1敗で決定戦と厳しいシチュエーションでした。戦力でも投手陣は慶応がと
清沢、角谷、三浦、北野の4本柱(いずれも3年)で完璧に対し、早稲田は金沢(4年)が直前の投球練習中指を故障して万全でなく、安藤(3年)が頼りでした。攻撃は両校互角と見られていました。
優勝の懸かったとあって球場は超満員、両校学生席は早稲田・フクちゃんと慶応・ミッキーマウスのデコレーションを背に応援合戦で盛り上がりました。13時30分試合開始と同時に双方応援席から伝書鳩が放たれ、合流した鳩の飛ぶ方向が一塁側なら早稲田、三塁側なら慶応の勝利との言い伝えがあった。応援席の歓声が一段とヒートアップしたためかこの時はセンター方向に飛び去ったので引き分けかなと冗談半分に友達と予想しました。
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以下に6連戦の経過を記述します。
①1回戦11月6日(日):早稲田2対慶応1
試合は安藤が投球数113、被安打6、与四死球1、奪5三振、自責点1と好投して早稲田が2対1で先勝しました。然しこの試合は慶応が9回裏に0対2から1点を返してなお1死走1・2塁と逆転サヨナラのチャンスが続き5番小島がセンター背後に大飛球を放ったので一瞬肝を冷やしました。早稲田センターの石黒がバックして好捕して2塁手村瀬が中継し、3塁手徳武主将に送球して3塁進塁を図った慶応・渡海主将を刺して一瞬のダブルプレー。早稲田の中継プレーは見事で日頃の練習が実ったシーンで早稲田は先勝して有利になりました。
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②2回戦11月7日(月);早稲田1対慶応4
慶応が足と早稲田の失策を絡めた速攻で1,2回に3点を先取しました。早稲田先発金沢は安打7、四死球4、自責点1、4失点と苦しい投球でしたが9回完投して2番手の役割を何とか果した。むしろ2回から登板の角谷に3回の1得点に終わった打線に問題ありと感じた。
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③3回戦11月8日(火):早稲田3対慶応0
早稲田は清沢から1,8回に1点ずつ得点して更に9回遊ゴロで徳武が3塁から強引にホームをつき、タイミングはアウトと思いましがスパイクを上げてスライディングして大橋捕手の落球で1点を加えた。これに対して慶応が抗議するも球審はホームインを認めた。徳武は謝ろうと大橋に近寄ったが“文句をつけにきた”と慶応側が勘違いして渡海主将らが徳武を取り囲んだ。場内は殺気だったが両監督が直ぐ中に入って収めたがその裏に3塁の守備についた徳武めがけて慶応学生席からミカン、空き缶が投げ込まれ場内騒然あわや”第2のリンゴ事件“かと思われた。この時慶応前田監督が3塁コーチボックスに立ちいきり立つ応援団のなだめ役をつとめてようやくゲームが再開された。これは前田監督のファインプレーだった。この場面は下手をすると没収試合になり、汚点を残す可能性もあった。徳武は前田氏に恩義を感じて年賀状を欠かさなかったと言う。試合は安藤が107球、安打6、四死球1、三振5、自責点0で完封して3対0で早稲田が2勝1敗として、両校9勝4敗同率の優勝決定戦に持ち込まれた。
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④優勝洋決定戦11月9日(水):早稲田1対慶応1
優勝決定戦となり球趣は益々盛り上がり平日ながら満員になった。早稲田は安藤が第3戦に続き連投、慶応は角谷が第2戦から1日置いて登板した。安藤は2回に渡海の3塁打に続く大橋の犠飛で先取点をとられたもののその後は追加点を許さず延長11回を111球、4安打、1四球、3三振、自責点1と完投した。角谷は9回表まで無失点で好投して9回表1死無走者で得点は早稲田0対慶応1なので負けを覚悟した。早稲田石井監督は次打者末次をひっこめて代打に控えの大型捕手鈴木を代打に送った。末次は2年生ながらレギュラー遊撃手で早慶戦迄打撃ベストテン5位の粘り強い好打者であったのに対し、鈴木(2年)は試合経験が乏しく、長打力はあるが打撃が粗いのでこの代打策に私は疑問に感じた。ところが鈴木は右中間を破る起死回生の長打を打って3塁にヘッドスライディングしたのを鮮明に覚えている。次打者石黒がしぶとくライト前に流し打ちして同点にした。
この場面を慶応に行った高校同級生は『勝利を確信して新聞紙を破って紙吹雪にしたのに』と後で口惜しがっていた。11回終了時点で16時15分となり、当時ナイター設備がない為試合続行不能で引き分け再試合になった。チケットの印刷が間に合わないので再試合は1日空けて11日になったと聞いた。もし10日に再試合となっていたら安藤は9日と連投になり、試合結果は変わっていたかも知れないと慶応同級生は言っていた。
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⑤優勝決定戦再試合11月11日(金);早稲田0対慶応0
勝負は史上初の再度の優勝決定戦に持ち込まれて応援する学生も極度に興奮して試合終了と同時に翌日の試合の切符売り場前に長い行列が出来て徹夜マージャンの支度をする者もいた。現に私の友人も早慶にいました。
この試合、早慶双方の投手が好投して両校無得点で延長11回0対0の日没引き分けとなった。
早稲田・安藤が11回132球、7安打、5四死球、4三振、自責点0に対し、慶応・角谷、清沢が二人で149球、8安打、4四死球、4三振と相譲らぬ好投でした。絶体絶命のシーンは0対0の11回裏でした。慶応は先頭の俊足安藤が四球、2番榎本とのヒットエンドランが決まり右前安打で無死1,3塁となり、小島敬遠で無死満塁。次打者の渡海は引っ張る打者なのでレフトフライを警戒して強肩の鈴木(勝)をレフトに起用して、弱肩の左翼伊田を右翼にまわした。渡海はこれを見越してか右飛を打ち上げて我々は犠飛かと観念した。所が伊田から一世一代の絶好の返球が捕手野村に。安藤はヘッドスライディングしたが宇野主審の右手が上がりタッチアウト。なおも慶応は2死2・3塁の好機が続き強打者5番大橋だったので石井監督は大橋を敬遠して満塁策を取り、次打者と勝負させて三振に討ちとりチェンジとなった。すでに暗くなり主審は日没引き分けを宣告した。早稲田は九死に一生を得て大歓声を上げ、慶応は昨日に続いて勝ちを逸して意気消沈した。
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⑥優勝決定戦再々試合11月12日(土):早稲田3対慶応1
早稲田の先発はまたも安藤に対し、慶応は清沢、角谷、三浦、北野の4人を総動員して対応した。
早稲田が2回に徳武の安打と野村の二ゴロ失から得た1死1,2塁のチャンスに所がレフトオーバーの三塁打で2点先取して更に5回表には徳武の三遊間安打で1得点した。安藤はその裏の慶応の反撃を1点に抑えて9回を3対1で投げ切り、投球数101、安打5、四死球1、三振4、自責点1だった。早稲田優勝最大の貢献者安藤は5試合の延長戦含み49イニングを564球、安打27、四死球9、三振21、自責点3、防御率0.551の超人的活躍だった。
試合直後は勝ち負けより“やっと終わった”が実感で両校応援団が校歌・塾歌を斉唱してエールを交換してお互いの健闘を称え合ったのち、歓喜に酔い「早稲田の栄光」をゆったりと大声で歌ったことを今も思い出します。
安藤は1996年に享年56歳で亡くなりました。葬儀は築地本願寺で営まれて私は1学年上の同世代であったので青春の挽歌と考えて通夜と告別式に参列しました。彼は卒業後東映フライヤーズに入団し、1年目は13勝、日本シリーズで2勝して最優秀投手賞でしたがその後は4勝してプロ生活を4年で終えました。
「6連戦で」完全燃焼したと私は思っていたので、式場に早慶戦と思われる大写しの彼の下手投げの投球写真を見て当時を思い出して万感胸に迫りました。
早稲田石井監督(当時28歳)は「一球入魂」を、慶応前田監督(当時30歳)は「エンジョイベースボール」を指導理念として徹底する卓越した指揮官でした。「6連戦」は両監督の功績大と思います。石井氏は2015年、前田氏は2016年に逝去しました。2020年に揃って野球殿堂入りして2020年春早慶1回戦の試合開始前にお二人のご子息に伝達されました。
「早慶6連戦」は学生時代のかけがえのない思い出として一生残るであろう。感謝したい! (完)
What’s JAZZ 69回のご案内
What’s JAZZ!
ジャズへの招待vol.69
~秋に似合う男性シンガーによる名曲コンサート ~
ポピューラー、ジャズ、ボサノバ、映画音楽の各名曲で
夏の終わりのひとときを柳澤伸之とブルースカイトリオの
サウンドでお楽しみ下さい。
2024年9月13日(金)
・ランチタイムコンサート 12:30開場 13:00開演
・ティータイムコンサート15:30開場 16:00開演
・出 演 柳澤伸之(vo)神村晃司(p)菅井信行b)スインギー奥田(ds)
・曲 目 ランチタイム ☆popular Song ☆Jazz Song
ティータイム ☆Bossa Nova ☆映画音楽
・場 所 関戸公民館ヴィータホール(ヴィータコミューネ8F)
・入場料 ランチタイム、ティータイムそれぞれ2,000円、
(ランチ、ティータイムの両方購入の場合は3,000円)
前売券は、8月6日(火)午前10時から9月12日(木)迄
ヴィータ7F多摩ボランティア市民活動支援センターで発売、
当日券は当日11時30分から会場受付で発売。
・定 員 230名
※クーラーが寒いとお感じの方は羽織るものをご持参ください。
※次回vol.70は70回を記念するコンサートです。12月6日を
予定しております。どうぞご期待ください。
・主 催 What’s JAZZ実行委員会
・共 催 関戸公民館(042-374-9711)
お問い合わせ
〒206-0023多摩市馬引沢2-3-1 山中康廣建築設計事務所
(山中042-371-4084、当日090-4522-4905)
what’s JAZZ 多摩 – whatsjazztamaのJimdoページ (jimdofree.com)
2024年東京三多摩支部会長会(総会)開催報告
開催日:2024年7月14日(日)
時間:17時~19時30分
会場:パルテノン多摩4階会議室「1」
参加人数:三多摩26支部会長・幹事長・事務局長・幹事スタッフ・来賓、合計:55名
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7月14日、三多摩地区26市から53名の会長・幹事長・事務局長を主とする役員が集結し標記会議を開催した。
多摩稲門・稲城稲門会が2024年度三多摩支部の主幹事稲門会として4月から活動開始しており、三多摩支部会長会は前年度活動計画・今年度事業計画等を報告、審議、採決する目的の会議である。
多摩稲門会から尾ノ井会長、(三多摩支部支部長)、長張副会長(三多摩支部事務局長)、又木副会長(三多摩支部副支部長)、稲垣幹事長(三多摩支部幹事)、野宇会計幹事(三多摩支部会計)の5名が参加した。
17時に長張事務局長の司会で開始、冒頭は尾ノ井支部長の挨拶があり多摩市やパルテノン多摩の紹介等を話した。続いて長張事務局長より出席者紹介があった。引き続き校友会来賓の廣瀬進治校友会常任幹事、長谷川敦史東京三多摩地域コーディネータの挨拶があった。
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会議に入り以下の議案についての報告・審議および採決が行われた。
第1号議案 2023年度東京三多摩支部活動報告および決算報告
前年度主幹稲門会の国分寺稲門会大橋副会長から2023年度活動報告と同稲門会赤池会計幹事から2023年度決算報告がされ承認された。
第2号議案 2024年度東京三多摩支部 役員選出
尾ノ井支部長から提出された2024年度三多摩支部役員候補について承認された。

第3号議案 2024年度東京三多摩支部事業計画および予算案
長張事務局長、野宇会計幹事から提出された2024年度事業計画および2024年度予算案が承認された
第4号議案 2025年度主幹稲門会の選出
東大和、武蔵村山、あきる野、福生の4稲門会が2025年度主幹稲門会として承認された。
各稲門会からの若干の質疑・要望の後、18時30分から懇親会が始まった。
須永副支部長(稲城稲門会会長)の挨拶に始まり、続いて清水国分寺稲門会名誉会長の乾杯で懇親会が開始された。弁当と缶ビールだけの簡素な懇親会であったが会議机を並び変え顔を突き合わせて歓談し、各稲門会の情報交換を行った。

約1時間の歓談の後、鈴木良明副支部長(稲城稲門会副会長)の閉会の挨拶があり、8月31日リンクフォレスト(多摩センター)で開催される三多摩支部大会での再会を誓い合って散会となった。
野宇 進 記
第127回俳句同好会
サークル「俳句同好会」の句会が7月19日、多摩市関戸の公民館和室で開かれた。127回目になる。7人が出席し、5句ずつ投句と選句を行ったが、1人が欠席したものの投句には参加し、合わせて40句のうち21句が選に入った。
合評タイムで話題になったのは、〈風入れの晶子源氏を読み出せり〉という特選句。源氏物語は谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴も現代語訳の著書を出しているが、作者は与謝野晶子の訳がよいとし、選句した方もそれに同調したわけだ。
同じく特選句の〈若き日の水着身に当てルージュ足す〉も話題になった。高齢になり健康のためプールを歩くために若い頃の水着を取り出したが、ついルージュも、という女心を詠んだのだ。
合評では添削もする。例えば原句が〈炎天の大使館向け祈る僧〉は中7が〈大使館向き〉と位置関係を明確にし、上5も〈炎天や〉で切り、〈炎天や大使館向き祈る僧〉が成句となった。イスラエル大使館に向いて祈る僧の写生である。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
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若き日の水着身に当てルージュ足す―川俣あけみ(辻野◎、宮地◎)
風入れの晶子源氏を読み出せり―川俣あけみ(又木◎、川面、辻野)
籐椅子や頬に残れる市松文―――又木淳一(長張◎、川俣、辻野)
山降りて目に飛び込み来氷旗―――松井秋尚(川俣◎、長張)
夕暮れの音拾ひたる端居かな―――宮地麗子(川面◎、長張)
かき氷の列の長さよ動物園―――宮地麗子(川俣、白井、又木)
一時間に一本のバスかき氷―――川俣あけみ(白井、宮地)
初もぎの甘き蕃茄は陽の匂ひ―――辻野多都子(川面、川俣)
包丁や研いで試しに切るトマト―――長張紘一(白井、宮地)
薔薇一輪異国の海のガラス瓶―――辻野多都子(川俣、宮地)
かき氷掻く音聞こゆ旅の茶屋―――川面忠男(長張、又木)
白熊てふ今日の昔のかき氷―――又木淳一(辻野)
向日葵の迷路抜け出て仰ぐ富士―――川俣あけみ(辻野)
炎天や大使館向き祈る僧―――川面忠男(白井)
夏蝶や草の影より湧き出づる―――宮地麗子(又木)
捥ぎくれしトマトに土と日の匂ひ―――川俣あけみ(又木)
葉の蔭に隠れやうなきトマトかな―――松井秋尚(宮地)
川蛍友のおよびを離れざる―――辻野多都子(川面)
山を背に川風の中かき氷―――白井昭男(川面)
交差点ビル影求め急ぎ足―――長張紘一(白井)
かき氷赤か緑か迷ひをり―――松井秋尚(長張)
(文責・川面)
多摩稲門会「第45回定例総会・第76回文化フォーラム・懇親会」
令和6年6月29日(土)多摩市関戸の「京王クラブ」にて「多摩稲門会『第45回定例総会・第76回文化フォーラム・懇親会』」が開催された。
第45回定例総会は、長張紘一副会長による開会挨拶及び来賓紹介、尾ノ井光昭会長挨拶、来賓代表挨拶(大坪恭子氏 東京三多摩地区担当部長)、来賓者紹介に引き続き、13時10分過ぎに開催された。総会議長には吉川啓次郎幹事が選出され、議事進行となった。尾ノ井光昭会長兼幹事長代行及び野宇進幹事による「令和5年度活動報告・決算報告・会計監査報告、令和6年度活動方針案・予算案」の報告・説明があった。同時に、尾ノ井光昭会長より常任役員・幹事の変更及び退任の説明があり、議長より出席会員に対して上記2件の「審議依頼」「議案採決依頼」があった。 その結果、会員の拍手による「賛成多数」をもって全議案が「可決・承認」された。 13時50分、議長による「審議終了」の宣言の後、尾ノ井光昭会長兼幹事長代行の「総会終了宣言」があり「第45回定例総会」は「閉会」となった。
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「第76回文化フォーラム」は、14時15分過ぎより、又木淳一副会長の開会アナウンス及び講演者紹介に続いて開催された。今回の文化フォーラムは、藪野健氏(早稲田大学名誉教授、府中美術館館長)を招聘し、「早稲田大学キャンパス散歩」のテーマで早稲田大学キャンパス内やその周辺地域の建築物の変遷等について軽妙な語り口でお話しいただいた。

文化フォーラムに参加した年配の会員には懐かしくもあり興味深い講演となった。 15時20分過ぎ、又木淳一副会長の「閉会の辞」により、「終了」となった。
休憩の後、15時30分より、別会場にて「懇親会」が稲垣友三幹事長の司会・進行により開催された。来賓を代表して稲城稲門会須永俊夫会長に挨拶をいただき、多摩三田会加藤敏雄会長の乾杯の音頭により開宴となった。 会員同士や来賓の方々(14名)との活発な歓談・交流で、会場はにぎやかな雰囲気につつまれた。サークル活動報告コーナーでは①いねの会(辻野多都子会員)➁早稲スポ・オッカケたい(松本弘之会員)③ボウリングの会 (藤原雅博会員)④ゴルフの会(菅原泰会員)のそれぞれ熱のこもった活動近況報告があった。 後半に、恒例となった「稲門祭記念品ビンゴゲーム大会」が稲垣友三幹事長の司会進行により、実施された。今回の景品には、過去購入したネクタイなどの「稲門祭記念品」他約40点が提供された。 ゲーム進行に伴い“リーチ!”“ビンゴ!”などのコールが相次ぎ、ため息やガッツポーズなど、喚声や笑顔あふれる濃密なひとときとなった。 美味しい料理やお酒も相まって、会場は盛り上がり、1月に開催した「賀詞交歓会」に引き続き、多摩稲門会会員同士の“熱いきずな”を確認する絶好の機会となった。
宴も終盤となり、参加者全員で校歌「都の西北」を斉唱した。“慶応(けいおう)!早稲田(わせだ)!多摩(たま)!”のエール発声をし、笑顔や歓声に満ちた今年度「懇親会」は、17時過ぎ「閉宴」となった。 最後に、堤香苗副会長の「閉会挨拶」により、本日の予定は全て終了し、お互いの健康と再会を期して、散会となった。
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「第45回定例総会・第76回文化フォーラム・懇親会」
参加者(敬称略)
(会員) 井上一良、稲垣友三、遠藤ちひろ、尾ノ井光昭、小野 勝、加来健一郎、上條喜義、倉澤 茂、小池光栄、白井昭男、菅原 泰、辻野多都子、堤 香苗、長張紘一、浪久圭司、野宇 進、野田豊實、服部靖紀、星野英仁、藤原雅博、又木淳一、松本弘之、宮地麗子、谷内正彦、湯浅芳衞、吉川啓次郎、吉田富康、吉田 浩
(来賓) 大坪恭子(早稲田大学 東京三多摩地区担当部長)、加藤敏雄(多摩三田会 会長)、萩原 稔(調布稲門会 会長)、 宮本誠二(日野稲門会 副会長兼事務局長)、庄山幸司(同 幹事)、増本 寛(府中校友会 事務局長)、塙俊比古(同 会計幹事)、上村邦雄(狛江稲門会 会長)、中川朝男(同 副会長)、土生憲章(八王子早稲田会 副会長)、 須永俊夫(稲城稲門会 会長)、鈴木良明(同 副会長兼代表幹事)、 鈴木 慧(町田稲門会 副会長)、川島𠮷隆(町田稲門会 幹事長)
野宇 進 記
<六大学野球リーグ各校優勝回数と有名選手>
7季振りの優勝を機に来年100年になるリーグ戦の歴史を振り返り、
各校毎の優勝回数・有名選手と早稲田歴代監督の優勝回数を調べました。
2024年7月3日 湯浅芳衛 記
<六大学野球リーグ各校優勝回数と有名選手>
(33~34年は年1季制、40年は優勝預り)

(直近優勝 24年春 23年秋 23年春 19年秋 15年春)
年次毎についてのコメント(早稲田を中心に監督、選手を記述しました)
(1)1925~42年(創設から戦争による中断まで)
昭和初期は早慶の好勝負が天下の耳目を集めた。特に早稲田名左腕・小川と慶応豪打・宮武の対決は満天下を沸かせて語り草となっている。
その他にも早稲田・三原、伊達、呉、慶応・水原、山下、別当、法政・若林、明治・田部、立教・景浦、東京帝大・東が後世に名を残す名選手が存在した。
優勝回数はて早慶各8、明9が鼎立していて明治の37~38年4連覇には吉田、杉浦等の中京商業OB組の活躍が貢献した。
43年10月戸塚球場の学徒出陣壮行早慶戦は記憶に残すべきと思います。
(2)1946~60年(戦後復興~早慶拮抗、名選手輩出で六大学全盛時代)
早稲田12回を筆頭に慶応7、明治3,法政2、立6回となっている。
早稲田は12回の内、森監督が47~57年に歴代最多の9回優勝(50春~51春の3連覇を含む)の名監督です。その間に末吉・石井(連)・木村の好投手、野手では石井(藤)、蔭山、両荒川、宮原、岩本、広岡、小森、森等を育てた。
私はこのころが早稲田の黄金時代と思っています。
後任の石井連蔵氏は立教5連覇を阻止した59春の優勝と今も屈指の名勝負と語り継がれる60秋の『伝説の6連戦』の勝利は大先輩・飛田穂州氏愛弟子の面目躍如たるものがあります。特に安藤の好投を軸に6連戦を勝ち切った采配は石井氏の一世一代のハイライトです。
相田氏は46年秋に優勝した。エース岡本が全11試合に登板して10勝1敗は不滅の大記録です。この秋に優勝賜杯が下賜されて岡本主将が最初に拝受した。
立教は砂押監督に鍛えられた長嶋・杉浦・本屋敷等の活躍による57~58年の4連覇を中心に6回優勝したのが特筆される。
この時期は上記選手の他にも早稲田・近藤、徳武、村瀬、野村、慶応・山村、平古場、藤田、衆樹、中田、明治・秋山、土井、近藤、法政・関根、立教・古田、東大・岡村等 枚挙に暇がない。古田(55卒)は当時プロを含めても最高の二塁手と言われ、熊谷組に入り40歳まで監督兼選手で活躍した。
(3)1961~80年(法政が2度の4連覇を含む16回優勝の常勝軍団)投の山中、江川、打の田淵、山本(浩)を中心に厚い選手層で他校を圧倒した。早稲田は石井藤吉郎氏が64~73年に5回、石山氏2,宮崎氏1の計8回に留まった。他に慶応7(71秋~72秋に3連覇)明治8,立教1だった。
上記法政勢の他にも早・八木沢、谷沢、山倉、岡田、慶・渡辺、山下、萩野、明・星野、高田、立・土井、東大・井出(慶明に完封勝利)が挙げられる。
(4)81~2000年(法政は3度めの4連覇を含む16回の優勝)
法政は際立った大物選手はいなかったが指導者の好指導と粒よりの選手達が堅実な勝つ野球に徹して優勝を重ねた。
早稲田の優勝は81~98年では82春・90春・93春の3回しかなく野村氏が99年に就任して部の改革を実施して99春に優勝したがこの20年間は僅か4回優勝と不振で残念だった。石井連蔵氏は異例で88~94に再登板した。
この時期に名を残したのは早・小宮山、仁志、慶・高橋、明・広沢、立・長嶋、東・市川が印象に残っている。。
(5)2001~2020年(早稲田が巻き返して通算46回優勝で法政と共に最多)
早稲田は2002春~2003秋に初の4連覇を達成した。野村監督が和田、鳥谷、青木等後年プロ野球のビッグネームになった名選手や他にもベストナインに選出された投手清水、一塁武内、二塁田中、三塁比嘉、外野由田等好選手が揃った隙のないチームに育てた功績は特筆すべきだ。次の応武氏は在任6年間で06秋~07秋の3連覇を含む優勝6回は素晴らしい。その中で斎藤が07春秋、08秋、10秋と優勝に貢献し、人気も絶大だった。その後の岡村氏1回、高橋氏2回、小宮山氏1回と頑張り、通算46回の法政に並んだ。
(6)2021~2024年春(24春7季ぶりの優勝で通算47回の単独トップ)
「一球入魂」を貫いて現状に満足せず、“最強の常勝チーム”を目指して欲しい。
(7)連覇記録
3連覇以上は百年の歴史の中で僅かに10回しか記録されていない。
1 4連覇・・・6回
早稲田:2002春~2003秋(野村監督)
明治:1937春~1938秋(野球部公式サイトがブロックされて いて不明)
法政:1969秋~1971春(69秋~70秋松永、71春五明監督))、
1976春~1977秋(五明監督) 、1987秋~1989春(竹内監督)
立教:1957春~1958秋(辻監督)
2 3連覇・・・4回
早稲田:1950春~1951春(森監督)、 2006秋~2007秋(応武監督)
慶応 :1971秋~1972秋(71秋榊原、72春~72秋大戸監督)
明治 :2022春~2023春(田中監督)
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<早稲田歴代監督と優勝回数>
1 飛田忠順1925年秋 1回 2 市岡忠男26~30 2 回 3 大下常吉 31~33 0回 4 久保田禎 34 0回 5 田中勝男 37~39 1回 6 伊丹安廣 40~42 2回 7 相田暢一 46~47春 1回 8 森茂雄 47秋~57 9回 石井連蔵 58~63 2回 10 石井藤吉郎64~73 5回 11 石山健一 74~78 2回 12 宮崎康之 79~84 2回 13 飯田修 85~87 0回 14 石井連蔵 88~94 2 回 15 佐藤清 95~98 0回 16 野村徹 99~04 5回 17 応武篤良05~10 6回 18 岡村猛11~14 1回 19 高橋広15~18 2 回 20 小宮山悟19~24 2回 無監督 36~37 2回
(完)
第126回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の第126回目の例会が6月21日、多摩市関戸の公民館和室で開かれた。欠席者1人を含め8人が5句ずつ投句したが、句会には7人が出席して特選1句を含む5句を選句した。兼題の「蛍」と「花菖蒲」でそれぞれ1句を作れば、残り3句は当期雑詠でもよいとする句会だが、蛍を季語にした句が40投句の中で11句と多かった。
特筆すべき句は〈蛍狩鼻緒のゆるき宿の下駄〉で特選とした1人をはじめ5人が選句した。つまり句会の出席者のうち作者を除く全員が選んだわけだ。熱海の梅園に蛍を見に行ったときの句という。
第2席の〈川沿ひの闇膨らみて蛍待つ〉は「闇膨らみて」という表現が蛍を待つ期待感と相俟って優れているという句評だ。
その他、〈万緑や膝の痛みの抜け出づる〉、〈予後の身や豆飯の豆噛みしむる〉など自身の体調を題材にする句も目立った。句会のメンバーの高齢化を反映している。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名、特選は◎で表記。
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蛍狩鼻緒のゆるき宿の下駄―――川俣あけみ(宮地◎、川面、白井、辻野、長張、又木)
川沿ひの闇膨らみて蛍待つ—――松井秋尚(川俣◎、白井、宮地)
沙羅の花の散りゆくに似る逢瀬かな―――川俣あけみ(川面◎、辻野、宮地)
蛍狩の人の影追ひ谷戸の闇―――川面忠男(長張◎、白井)
流蛍の水に写りし孤独かな―――辻野多都子(又木◎)
万緑や膝の痛みの抜け出づる―――宮地麗子(白井、辻野、又木)
蛍の引き行く線の何処までも―――松井秋尚(長張、又木)
日曜の夫婦ふたりの田植かな―――宮地麗子(川面、川俣)
蛍の一拍置いて線つなぐ―――松井秋尚(川面、長張)
声明の花頭窓より額の花―――又木淳一(川面、川俣)
また見たし濃き紫の花菖蒲―――白井昭男(長張)
飛び立つを待てばけむれる合歓の花―――辻野多都子(又木)
予後の身や豆飯の豆噛みしむる―――川俣あけみ(辻野)
梅雨冷や不運重なる友とあひ―――辻野多都子(宮地)
蛍を誘ひてをり傘の中 ―――宮地麗子(川俣)
明易しゆうべ飲みたる痛み止め―――宮地麗子(辻野)
闘病の果ての顔白菖蒲 ―――又木淳一(宮地)
雨に濡るる仄かな蛍谷戸の闇―――長張紘一(川俣)
花菖蒲手入れのひとの赤だすき―――宮地麗子(白井)
(文責・川面)
‘24春 「早慶戦」観戦記
「お待たせしました! 多摩稲門会の皆様、そして早稲田ファンの皆様。早稲田は、「好敵手・慶応」を圧倒的に倒し、また6大学のライバル各校から全て勝ち点を挙げ、7期ぶりに “完全優勝“を 果たしました!
今シーズンこそ、何としても優勝したい!との熱い願いから、多摩稲門会の「スポーツオッカケたい」は湯浅隊長を中心に準備を進めて来ました。しかし今シーズンは、早稲田、慶応、明治、法政の混戦予想、そして勝ち残った「早明」による覇者決定が、早慶戦で決まると言う最重要試合となったので、その入場券獲得戦争が激烈となってしまいました。
「何としても、多摩稲門会として共に応援できるよう」との判断から、試合当日の早朝に長い列に並び、外野席を何とか確保し、次の熱心な校友が何とか一緒に応援出来るようになりました。
*尾ノ井稲門会会長(元有名な高校球児)、小林さん、馬場さん、松本さん、そして湯浅おっかけタイ隊長、プラス吉川世話役。

神宮球場は3万人余の観客で既に略満杯。試合前から嵐のごとき早慶両校の応援合戦!グランドでの練習をよく見ると、早稲田選手の動きがスムーズで、明るい笑顔が目立つ。昨年までのどこか落ち着きがなく不安そうな姿と明らかに違うーと思った。何故だろう?
今年は違う:早稲田卒でプロの「打撃コーチ」として名を挙げた、金森氏を小宮山監督が助監督として早稲田に迎えた事、次に層が薄くコマが少なかった選手を、高校時代の実績から実力主義に変えた事だろうと思っています。高校時代は略無名で、体は大きくなくも今シーズンは既に、早稲田の中心選手として大活躍している選手が少なからず居ます;
例えば、センターの尾瀬君、セカンドの山県君、内野手の小沢君、更に日大三校から入学したばかりの1年生・安田投手(初年度から早稲田の救世主になりたいと言い、実際に勝利投手となり、この早慶戦でも登板)等々。

6月1日の初戦:“8:1”の大勝! 伊藤投手の好投。4年生・吉納の2本ホームラン始め山県・石郷岡君等の好打で圧勝!
我々、多摩応援団は、勝利に酔い校歌を高らかに歌い、明日の勝利を信じて家路についた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日の6月2日は運命の決勝戦! 「オッカケたい」世話役の吉川は、大学当局の特別の好意により、決勝戦の内野指定席券(ほんの1枚だけ)恵んで頂き、多摩応援団の(仮の)代表として勇躍、神宮球場へ駆け付けました。
6月2日の決勝戦: 天気予報は “午前中くもり、午後夕立の可能性あり”とのこと。
今日!なんとか決着をつけたい。早稲田ファンの異常な熱気の中、勝利を神に頼み必死に応援しました。 そして、願いは叶えられました。「決勝戦は “10 : 2” で早稲田の圧勝!!」
決勝戦は、初回こそ慶応に先取点を許したが、今日の早稲田は全く微動だにしない!
早速2回には中村・尾瀬の好打2点で逆転し、5回には小沢の本塁打に加えて吉納、寺尾等も長短打の雨を降らせ一気に6点を叩き出し、Game set 時には早稲田12点、慶応2点と大量差。夕刻一時夕立に襲われたが球場は超満員で雨を避ける場所がない。私を含めて観客の多くは雨に降られながらも動かず、試合の再会を祈りました。幸いにも雨は30分位で止み、そして早稲田の優勝は決定しました。

神宮球場は狂気乱舞。早稲田の小宮山監督始め功労者の胴上げ。そして六大学の選手入場と表彰式・・・ここに「早稲田の47回目の、そして7期ぶりの優勝試合は終了しました。」「お~い、多摩稲門会の友よ、早稲田は勝ったぞ! 有難う。次も一緒に応援しような!」 大声で叫ぶと、未だ雨に滴るコートを身に纏い、しかし元気に球場を後にしました。
「完」
(多摩稲門会、吉川啓次郎)
8月のチャリティコンサート(大地震復興支援)案内
毎年恒例となりましたチャリティーコンサートは昨年わずか2週間でチケットが完売となり、楽しみにしていらした多くのお客様にお断りをしなければならない事態となりご迷惑をおかけすることになりました。オクサーナさんが、「お客様の数は何人でもよいので、聞きたいと思う方をお断りしないで戴きたいので、大ホールではいけませんか?」とおっしゃいましたので、今回は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、初めての大ホールでの開催となりました。
母は、大変お世話になり、楽しみにもしていた稲門会の行事にも参加することはできなくなっておりますが、 それなりに、元気にしております。
お時間が合いましたら、是非お越しいただけると幸いです。
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日時:令和6年8月18日(日)14:00 開演(開場13:30)
場所:パルテノン多摩 大ホール
チケット代:おとな 3,500円 小学生以下 1,500円
販売場所:新井歯科医院 又はパルテノン多摩
※新井歯科医院(042-337-7377)に電話でお申し込みをいただき当日会場でお渡しすることもできます。
昭和26年卒 新井正子 長女 真澄


第125回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の125回目の句会が5月17日午後、多摩市の関戸公民館和室で開かれた。メンバーは8人だが、6人が出席し5句ずつ投句、2人が欠席したものの当句は託していた。兼題は「薄暑」と「葉桜」で夏の季語、投句された40句のうち22句が選に入った。
高得点句がなかった。また、どの特選句も選んだのは1人、とばらけた。一方、旅の景を詠んだ句が目立ったのも特徴だ。一例が兼題の薄暑を季語にして特選となった〈無人島の白き鳥居や薄暑光〉という句。薄暑は初夏の頃の暑さであり、もう寒さを感じなくなった船上から無人島の白い鳥居を見たのだ。昔は人が住み、心の拠りどころの神社もあったとわかる。時代とともに過疎化が進み、今は人がいなくなってしまったという島の歴史も連想させる。写生句だが、無常を感じさせる句になっている。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
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風五月文庫一冊ポケットに―――宮地麗子(又木◎、川俣)
濃く薄く新樹膨らみぬ嵐山―――辻野多都子(長張◎、又木)
葉桜をこすれる風の音軽き―――松井秋尚(宮地◎、長張)
無人島の白き鳥居や薄暑光―――川俣あけみ(川面◎、宮地)
面会や母の所望の夏帽子―――又木淳一(松井◎)
葉桜や玻璃に映れる腰伸ばす―――宮地麗子(川俣◎)
晴天の光あまねし茄子の苗―――辻野多都子(川面、川俣)
病院の窓は開けず祭笛―――川俣あけみ(松井、宮地)
密やかに色を沈めて花は葉に―――辻野多都子(長張、又木)
茶がゆ吹く京の朝餉や薄暑光―――辻野多都子(川面、又木)
青時雨血の色多き餓鬼草紙―――辻野多都子(又木)
山頂の蛇口ひねりし薄暑かな―――宮地麗子(川面)
葉桜の眩しく刻む空青き―――松井秋尚(川俣)
夏冨士を背にすれ違ふロープウェー―――川面忠男(松井)
川辺りの一筋の道薄暑光―――長張紘一(宮地)
名刺はや追加注文花は葉に―――又木淳一(川俣)
草刈るや香は宇宙へと溢れ出し―――宮地麗子(川面)
琵琶湖風枝垂葉桜揺れにけり―――白井昭男(長張)
夏立つ日友は黄泉路へ旅立てり―――川俣あけみ(宮地)
母の日や園児らの描く弾け顔―――川面忠男(松井)
懸命に風に向き合ふ鯉のぼり―――白井昭男(松井)
狛犬の顔に苔生え若葉風―――川面忠男(長張)
(文責・川面)
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