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『早稲田学報』ご協力のお願い
校友会支部ならびに登録稲門会ご担当者様
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>平素より早稲田大学ならびに早稲田大学校友会へご支援いただき、誠に有り難く厚く 御礼申し上げます。
>早稲田大学校友会事務局・早稲田学報編集室の安國と申します。
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>『早稲田学報』2022年10月号では、早稲田が好きで好きでたまらない方々を紹介する 「早稲田バカ(仮)」という特集をおこないます。 >「早稲田バカ」を「早稲田が好きで好きでたまらない人のことを敬意と愛情を込めて 呼ぶ言葉」と定義し、表紙にも明記いたします。 > >その特集内で「早稲田愛の修羅場」という投稿企画を行うのですが、下記内容につき まして投稿、周知や拡散にご協力いただけるようであればたいへん助かります。
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>【「早稲田愛の修羅場」投稿および拡散のお願い】 > >『早稲田学報』10月号では、早稲田が好きで好きでたまらない方々を紹介する「早稲 田バカ(仮)」という特集をおこないます。その特集内、「早稲田愛の修羅場」企画で は、在学生や卒業生の皆さまから母校愛あふれるエピソードを募集し、掲載させていた だきます。「スマホの着メロが紺碧の空」「3代にわたって早稲田」など身近なものか ら、300字程度までの深く壮大なものまで、涙あり、笑いあり、感動ありのさまざまな 愛の形をご投稿いただきますと幸いです。投稿募集の締め切りは7/11(月)を予定して います。
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>▼校友用『早稲田学報』10月号「早稲田バカ(仮)」特集 投稿フォーム
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> >【Facebook】 > https://www.facebook.com/wasedaalumni/posts/pfbid02LeaQKYroTo
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>以上、何卒よろしくお願い申し上げます。
令和4年度「第43回定例総会」の報告
多摩稲門会令和4年度定例総会は6月25日(土)午後1時から多摩市関戸の「京王クラブ」で行われた。梅雨最中であるが猛暑のなか23名の出席者であった。総会は2年に亘り新型コロナウィルス感染拡大のため、書面による総会となったが、3年振りの対面総会を開催することとなった。しかし、従来の校友会、近隣稲門会等の来賓招待はなく、また、総会後の文化フォーラムや懇親会のない内輪の総会となった。

定例総会
午後1時、多摩稲門会第43回定例総会が長張紘一副会長の開会の辞で始まった。尾ノ井光昭会長の挨拶のあと、吉川啓次郎監査が議長に選出され議事が進行された。 幹事長代行として尾ノ井会長が令和4年度多摩稲門会活動報告、同決算報告が行われた。コロナ感染拡大第5波、第6波の影響を受けて、文化フォーラム・懇親会等は中止、総会も書面にて実施した。会報「杜の響き」は、5月、12月計画通り発行することができた。サークル活動に関しては休止の多いなか、一部世話人の判断により定期的にあるいは時宜に応じて開催された。サークル活動補助費の支給は3年振りに復活することができた。会員数に関しては、期首146名から131名と減少した。決算に関しては期首759千円から期末906千円となった。いずれも異議なく承認された。
引き続き、令和4年度多摩稲門会活動方針案、予算案、新役員を発表した。コロナ感染症の収束を期待し、ほぼ例年通りの活動計画案は、異議なく承認された。 野宇進会計幹事の音頭により、参加者全員でマスクをかけながら、校歌「都の西北」3番まで斉唱し、又木淳一副会長の閉会の挨拶で閉会した。
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出席者(敬称略) :浅井隆夫 石川良一 稲垣友三 尾ノ井光昭 加来健一郎 川面忠男 菊沢光江 白井昭男 堤 香苗 戸張傳二郎 長張紘一 浪久圭司 西村 弘 野宇 進 野田豊實 平松和己 福田 宏 藤原雅博 前田光治 益田幸兒 又木淳一 湯浅芳衛 吉川啓次郎 (以上23名)
(長張紘一 記)
第102回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の6月定例会が17日午後、多摩市の関戸公民館・和室で開かれた。今回が102回目。メンバー8人のうち7人が出席、欠席した1人も事前に投句と選句を世話人に伝えていた。その結果、投句数はいつもの通り40句となった。出席者は選句とともに21句を選び句評を述べ合った。連衆となって句座を続けているわけだ。
兼ねて吟行をしようと申し合わせていたが、ほぼ一週間前に7人が多摩市の「からきだの道」を歩いた。散策が主目的だったが、吟行も兼ねることになり、その後の句会こそ開かれなかったものの当日の嘱目句が第102回目の俳句同好会に投句されたので初の吟行句会ということになったと言える。高得点句となった〈攻め寄する藪蚊を払ふ砦跡〉をはじめ〈山路めく上り下りの七変化〉、〈湧き水の音流れくる木下闇〉、〈夏落葉厚く踏み行く砦山〉などは「からきだの道」を散策して詠んだ吟行句だ。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
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黒雲の湧きて下山やかたつむり―――宮地麗子(川面◎、川俣◎、辻野、長張))
攻め寄する藪蚊を払ふ砦跡―――川俣あけみ(柴田◎、長張◎、川面、松井)
尾を上げて苔食む列や夏の鴨―――長張紘一(辻野◎、川面)
生かされて金魚に餌やる朝まだき―――辻野多都子(宮地◎、川俣)
梅雨寒や昼カラオケの追悼歌―――川面忠男(又木◎)
山路めく上り下りの七変化―――川面忠男(松井◎)
泰山木開き彼の世の声集む―――川俣あけみ(川面、辻野、宮地)
湧き水の音流れくる木下闇―――宮地麗子(川俣、又木、松井)
委蛇(いい)として丘陵蒼き梅雨入かな―――又木淳一(川面、松井、宮地)
何処までも纏はる藪蚊払ひつつ―――松井秋尚(柴田、長張、又木)
草も木も茂りて昏き径となる―――松井秋尚(長張、又木)
亡き友を友と語らひ冷し酒―――川面忠男(柴田、松井)
夏の蝶まひまひ井戸の底ひより―――川俣あけみ(辻野、宮地)
北国の廃線跡や虎杖伸ぶ―――辻野多都子(宮地)
灰色の雲間に滲む梅雨の月―――柴田香代子(川俣)
摘みたての青紫蘇添へて朝餉かな―――宮地麗子(辻野)
炳として騰がる物価や六月来―――又木淳一(柴田)
夏炉辺の軽き縁や雨を来て―――川俣あけみ(長張)
夏落葉厚く踏み行く砦山―――松井秋尚(又木)
傘となり驟雨を和す大欅―――長張紘一(柴田)
梅雨寒や降りる人なき山の駅―――柴田香代子(川俣)
(文責・川面)
吟行の「からきだの道」
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の7人が6月9日午後、「からきだの道」を歩いた。「からきだの道」は多摩市唐木田の丘陵地が散策路として開発されたもの。俳句同好会としては活動を開始して以来、初の吟行ともなった。

同日午後2時前に唐木田駅前に集合し、循環バスに乗って土橋公園で下車、「からきだの道」の西端入り口へ。「からきだ百本シダレ」という枝垂れ桜の名所から階段を上り尾根径に出た。標高が160㍍で最高地点という標識を見てから砦山という四阿のある場所に立った。
同行の又木さんが参加者に事前に配った「からきだの散策ガイド」という資料によると、砦山は「唯一富士山が見える地点」だ。南側の展望も開け、市街地の向こうに「多摩よこやまの道」、さらには奥州古道、武相観音巡礼古道もイメージできる。

その先は上り下りを繰り返す階段の道になる。足が重いが、季節の花のアジサイに目を癒しながら進む。少し休むと藪蚊が襲う。再び歩き出しても蚊がまとわりつく。
山道を歩いている気分になるが、左の石の塀の向こうはゴルフ場の府中カントリークラブだ。ゴルフの球を打つ音が聞こえてくる。右側には道路が見え、その向こうに住宅地が広がっている。
「おしゃもじの森」という案内板のある箇所に立った。読んでみると要するに昔は祠があり、しゃもじを供えて祈ると病気が治ったことから「おしゃもじ様」と呼ばれることになったとある。その先の「寺ノ入の湧水」という小さな池では自然の湧水の音がしたが、一部は乾いている。やがて「からきだの道入り口広場」に出た。反対側の入り口からアクセスしたので入り口広場が出口になる。
最寄りのバス停から唐木田駅へ戻り、6人が小田急多摩線で多摩センターへ。午後4時頃だが、開いている店を探し、生ビールで乾杯、懇親した。
吟行は出発した時点からの景を詠む。嘱目句とも言う。いくつも句ができた人もいれば、そうでない人も。どんな句が選ばれるか。それはほぼ1週間後の17日に開かれる俳句同好会でわかる。
(文責・川面)
多摩丘陵の古街道展を見学
多摩稲門会のサークル「歴史に遊ぶ会」は6月5日、多摩センターのパルテノン多摩・市民ギャラリーで開催中だった「多摩丘陵の12古街道展」を見学した。参加者は8人。同会の活動はコロナ化などのため活動を休止していたが、3年ぶりの再開となった。
「多摩丘陵の12古街道展」は歴史古街道団(本部多摩市、宮田太郎代表)が開催した。今年2月末にも町田市鶴川の和光大学の施設で開催され、12古街道に関する説明を図示した資料が用意されたが、パルテノン多摩では資料がカラー化されていた。また各資料が「古街道シアター」としてプロジェクタースクリーンに映され、宮田さん自身が午後2時過ぎから3時近くまで説明した。
鎌倉街道上ノ道は府中ではなく分倍河原の近くを通っていたとか奥州古道は誰もが歩けたが、古代東海道は正式には朝廷の許可がないと利用できなかった等々といったことだ。
古街道展の見学に参加したのは荒井さん、湯浅さん、尾ノ井さん、川俣さん、白井さん、辻野さん、宮地さん、川面の8人。見学後、7人が多摩センター駅からバスで愛宕まで行き、鎌倉街道の裏街道とされる恋路原通りを歩いた。遊郭があり恋路という名の遊女がいたという伝説がある。さらに稲荷塚古墳、恋路稲荷を見た後、東寺方の総合体育館の近くまで歩き、今に残る鎌倉裏街道の一部を確かめた。
再び総合体育館前からバスに乗り一の宮ストア前で下車。小野神社を見ながら宮下通りの「一ノ宮渡し」のモニュメントを見た。多摩丘陵の12古街道の一つ、古代甲州道の資料の内容を踏まえ道のなぞり歩きを試みたのだ。
古代甲州道について資料には次のように記されている。「相模川左岸の川尻遺跡から多摩丘陵に向かい、内裏峠を越え、縄文の集落が多数ある大栗川沿いに進み、最終的には多摩川を渡って府中へ繋がっていたと思われます」。モニュメントには一ノ宮渡しの想像図が描かれている。
多摩市には金毘羅宮があるが、それは川を渡る舟の無事を祈るためでもあると同行の荒井さんから道々教えていただいた。
(世話人 川面忠男)
「5月度ボウリングの会練習会」実施
初夏のような陽気の5月最終土曜日、ボウリング好きが集まった。 多摩稲門会『ボウリングの会』5月度練習会が26日(土)、永山コパボウルで行われた。
ボウリング会場はコロナ禍前の一時の人気を取り戻したかのようにほぼ満杯で予約を取っていなかった世話人は少し慌てたが、1レーンだけ空いていたので取ることができた。満杯だったらかなりの時間待機することになっただろうと思われる。その後の懇親会の会場予約時間のこともあり、取れて安堵した。今はそれだけコロナの収束感が出てきており、特に若い人たちは積極的に外に出て楽しみたいという気持ちが強くなっている感じが場内を見渡してもした。しかし、ボウリング場はマスクの着用を義務付けていて、プレーヤーはすべてマスク着用でのボウリングプレーとなった。

今回参加者は4名。午後2時30分集合、3時開始で約2時間プレーを行った。 参加者は、尾ノ井光昭さん、藤原雅博さん、菊池恵子さん、そして稲垣の4名である。
1レーンに4名が入り、1人3ゲームずつ行った。それぞれストライク、スペアー、スプリット、ガーターなど百花繚乱オンパレードで、ストライクやスペアーを取った時はプレーヤーを皆が拍手で讃えた。これがボウリングのいいところで、本人と参加者がともに喜びをわかちあい、湧き上がる全員の一体感が生ずるところである。スコアは藤原さんが3ゲームのアベレージが180あたりで、本人は200アップのゲームがなくて不満そうだったが、180近辺を常時出せるというところはさすがである。尾ノ井さんはハウスボールで一直線にヘッドピン脇のストライクポケットを狙う豪球派で、投げられたボウルが“ビューン”と音を出して飛んでいくように見えた。菊池さんは女性らしい静かなスローイングから正確な道筋をとったボウルのコースを描き、安定したボウリングだった。練習次第では200アップも望めそうな投球内容である。稲垣は体重が落ちたこともあり下半身が安定せず、従ってスコアも安定しなかった。これもこれからの2カ月ごとの練習で下半身を強化し、再び200アップを狙えるようになると自分では思っている。
ゲームは午後5時に終わり、近くの居酒屋『塚田牧場永山店』で懇親会を行った。
懇親会から野宇進さんも加わり、5人で鶏料理などをつまみに、ビール、日本酒、ハイボール、焼酎、を酌み交わし、世間話や身の上話、近況報告などで盛り上がり、ボウリングの成績はそっちのけで楽しい時間を過ごした。
多摩稲門会『ボウリングの会』は2か月に1回練習会を開くことになっていて、次の7月は30日(土)、に実施します。
(世話人 稲垣友三)
手の込んだ和食に舌鼓
84回目のグルメの会を5月24日、京王・小田急多摩センター駅近くの和食店「かごの屋」で半年ぶりに開いた。コロナ感染者数の減少傾向が続いていたものの、なお反転の兆しが出たりして不安定。募集人数を10人に絞って感染防止策をとり、開催に踏み切った。男性8人、女性2人が参加した。

まず浪久圭司さんが音頭をとり、生ビールで乾杯。竹の子煮や木の芽真薯(しんじょ=すり身料理)、穴子八幡巻き、ミルク豆腐、蒸し鶏など8点が盛られた前菜がまず運ばれた。手が込んでいるだけあって、3日以上前でないと予約は受けないそうだ。
参加が遅れたひとりが加わって、飲み放題のピッチは上がる一方。日本酒や焼酎、ワイン、サワーなどが次々と注文され、宴は盛り上がった。
料理はマグロ、ホタテ、甘エビの刺身のあと、煮物やサワラの焼き物、菜の花天、エビあられ揚げなど4点の揚げ物が続いた。
ロシアのウクライナ侵略戦争をめぐって活発な議論が巻き起こり、連日このテーマを取り上げて戦争の真相を探るBSフジの大型報道・討論番組「プライムニュース」が取り上げられた。この番組の反町理キャスターは多摩稲門会文化フォーラム講師を務めたことがあり、エネルギッシュな進行ぶりに話題が集まった。「戦争の犠牲者は常に庶民」という声があがると、日本の77年前の敗戦責任にまで議論は広がり、辻野多都子さんは「昭和天皇は退位すべきだった」と主張した。
牛シャブ鍋に舌鼓を打ったころには2時間の飲み放題の時間切れが近づいた。川面忠男さんが毎朝綴って多摩稲門会の多くの会員に配信しているメールに書いた「老化を考えたテレビ番組」を世話人の奨めで解説、長生きの可能性を探った。お店の配慮で宴会が30分延長され、家族問題や老後も楽しむサッカー、雑誌で紹介された活動など話題は多岐にわたった。
尾崎隆教さんは次回から辻野さんとともにグルメの会世話人を引き受けてくださると表明、この世話人を12年務めた浅井が協力に感謝した。
最後にシラスのおこわを味わってお開きとなった。
(世話人 浅井隆夫)
第101回俳句同好会
毎月第3金曜日に実施されている多摩稲門会のサークル「俳句同好会」は5月20日に開かれたが、第101回となった。発足10周年に向かってさらに活動を続ける。当日はメンバーの8人が出席、あらかじめ各人が投句しておいた5句について選句を行った。
特筆してよいのは、川俣あけみさんの4句が特選となり、残り1句も並選唯一の3点句となったことだ。俳句同好会は俳句を楽しむのが主目的のサークル活動で結社の枠を超えた集まりだ。先生も頼まないまま活動してきたが、合評の場で川俣さんが数句を添削するなど勉強の場にもなっている。
例えば〈背に馴染み飴色帯ぶる籐寝椅子〉は、原句が〈飴色の肌に馴染みし籐寝椅子〉だが、〈馴染みし〉という過去形を〈馴染める〉と今のことにし、さらに飴色は肌の色と受け取られるので籐寝椅子に直接かかるように直した。
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以下は選句結果。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
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躁も鬱も包みて真蒼若楓―――辻野多都子(川面◎、長張◎、柴田)
改葬の父母にまみゆる余花の寺―――川俣あけみ(辻野◎、川面、又木、宮地)
伽羅蕗や一人の刻の充てる色―――川俣あけみ(又木◎、辻野、松井、宮地)
ましぐらに走り来る子や新樹光―――川俣あけみ(宮地◎、辻野、又木)
墓地の奥の小さき古墳五月闇―――川面忠男(柴田◎、川俣、宮地)
天と海つなぐ棚田や初蛙―――川俣あけみ(松井◎、又木)
青空に羽音残して鳥巣立つ―――柴田香代子(川俣◎)
夏潮や海境(うなさか)を見る龍馬像―――川俣あけみ(辻野、又木、松井)
白衣の背追ひつ花愛で遍路道―――宮地麗子(川俣、柴田)
ぽたりぽた書斎の窓の青葉雨―――川面忠男(長張、松井)
顔(かんばせ)の欠くる地蔵や朧なる―――川面忠男(柴田、宮地)
眼間に桜蘂降る祝ひ膳―――辻野多都子(川面)
母の日や施設を母の家と言ふ―――柴田香代子(川俣)
何もかも綺麗さっぱり春驟雨―――又木淳一(長張)
里山の林冠の際緑立つ―――長張紘一(辻野)
てらてらと色盛り上がる樟若葉―――松井秋尚(長張)
花過ぎて戸外に返す鉢の数―――長張紘一(川俣)
背に馴染み飴色帯ぶる籐寝椅子―――柴田香代子(松井)
海からの夏めく風に髪湿る―――柴田香代子(川面)
何処へでも仲間に入る姫女苑―――松井秋尚(長張)
母の日といふ遠き日のありにけり―――松井秋尚(川面)
自転車の坂下る風若葉風―――宮地麗子(柴田)
(文責・川面)
第100回俳句同好会
多摩稲門会の俳句同好会は2014年1月にサークルとして発足して毎月第3金曜日に句会を開き、8年が過ぎて4月15日の例会が第100回目となった。事前にメンバーの8人がメールで投句、1人は欠席したものの選句を伝え、7人が午後2時から多摩市の関戸公民館を利用した会場に出席し、選句と合評を楽しんだ。
投句は句会が百回になったことを寿ぐ挨拶句の一方、ロシアのウクライナ侵攻を思って詠んだ句があり、4月の特徴となった。
句会後は会場を最寄りの寿司店に移し第100回記念祝賀会を催した。稲門会の尾ノ井光昭会長のお祝いの言葉で乾杯、これまでのこと、これからのことを話し合った。
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当日の選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
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踏青や押し来る力確かむる―――宮地麗子(柴田◎、長張◎)
裸婦像の踵の雫花の雨 ―――松井秋尚(川俣◎、辻野◎)
花は葉に痛み和らぐ時を待つ―――長張紘一(又木◎、川面、川俣、辻野、宮地)
重ね来て百花の春の句会かな―――又木淳一(宮地◎、川俣、柴田、松井)
ツルゲーネフ樹下に開けば春埃―――川俣あけみ(川面◎、辻野)
また共に見たき人をり初桜―――宮地麗子(松井◎)
芽柳の雨にほぐるる色淡き―――松井秀尚(川俣、長張、又木)
花冷えや衣重ねて旅支度―――辻野多都子(川面、柴田、宮地)
旅衣整へし間の落花かな―――宮地麗子(川俣、辻野、松井)
青空に咲いて夜風に舞ふ桜―――柴田香代子(川面、松井)
囀りや深く息吐き胸突きへ―――川俣あけみ(長張、宮地)
半生を古木の花に語りたる―――川面忠男(又木)
花盛り十八歳の通学路―――川面忠男(長張)
鳥雲に籠入る病癒え願う―――長張紘一(柴田)
目交ひの川面に触れむ花万朶―――又木淳一(辻野)
墨色の枝包み込む老桜 ―――長張紘一(松井)
春の闇戦火逃るる人ひとヒト―――柴田香代子(又木)
突然の脚の縺れや桜狩―――川面忠男(柴田)
ひこばえの桜開きて幼顔―――辻野多都子(長張)
外つ国の地獄見るべし鳥雲に―――川面忠男(宮地)
たんぽぽの踏まれさうなる所にも―――松井秋尚(又木)
百回の百花繚乱春句会 ―――又木淳一(川面)
(文責・川面)
「3月度ボウリングの会練習会」実施

まだまだ新型コロナウィルスに気を許せない3月下旬、多摩稲門会『ボウリングの会』有志による練習会が行われた。
3月26日(土)、永山コパボウルで練習会を行った。
会場は若い人が多く、みなマスクをして騒ぐこともなく、淡々とボウルを投げていた。
今回参加者は3名。午後2時30分集合、3時開始で約2時間プレーした。 参加者は、尾ノ井光昭さん、藤原雅博さん、稲垣の3名である。
1レーンで3名が使用した。藤原さんは地元で3日に1回ボウリングの練習をしているが、尾ノ井さんと稲垣は久しぶりのボウリングで、なかなかボウルの行方が定まらず、安定した得点の獲得が難しかった。それでも尾ノ井さんは3ゲーム、藤原さんと稲垣は4ゲーム、苦労しながらもわきあいあいと久しぶりのボウリングを楽しんだ。
ゲームは午後5時に終わり、近くの居酒屋で懇親会を行った。約2時間、ビールジョッキ片手に楽しく懇談した。
多摩稲門会『ボウリングの会』は2カ月に1回練習会を開き、次の5月は28日(土)、に決まっている。原則、第4土曜だが会員の要望で前後の土曜日に変更になることもあります。年6回の練習会開催は堅持していこうと思っています。
(文責:世話人 稲垣友三)
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