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ゴッホ展と忙年会へのお誘い
2019-12-01
多摩三田会から添付した資料の通り、12月22日(日)午前10時半に上野の森美術館入り口前に集合してゴッホ展を観賞する会と、引き続き「銀座らん月」で開く忘年会への参加呼びかけがありました。
参加希望者は12月10日(火)までにグルメの会世話人の浅井までメールでご連絡ください。取りまとめて多摩三田会の加島正道会長に連絡します。
浅井隆夫
【雨のラグビー早慶戦】
2019-12-01
「晴れの特異日」というのがあって、ウィキペディアによれば、1/16、6/1、11/3などがそうなのだということだ。が、私たちラグビー愛好家からは、11/23がその特異日で、この日は必ず快晴、試合が終わると秩父宮ラグビー場の裏入場口からの銀杏並木が黄金色のように見える幸福な日だった。そして、その対戦は1922年の第1回からずっと、11/23に行われたという。
ところが、今年は違った。週の初めの11/17頃には23日は曇、と天気予報も言っていたのに、木曜日頃には雨マークが新聞にも付きはじめ、当日はビニールのポンチョを羽織るファンが多い。観衆はこの雨にもかかわらず約1万6千人と、発表された。
我ら早稲スポ・オッカケたいでも、当日の観戦を表明し、前売りのチケットを購入していた二人の女性が、観戦を諦めた。「テレビで応援します」、「きっと風邪をひくから」と、電話口で辞退された。
残った男性4人は、ゴール裏の屋根がある一般自由席で、あるいは止まない雨を厭わず、バックスタンドで観戦、となった。
さて、試合が始まった。始まって4分、Wは左隅にウィング古賀がトライ、W5-0、コンバージョンはならず。更に次
も、16分に左コーナーぎりぎりに同じく古賀がトライ、W10-0と突き放す。慶応も19分にフッカーの原田がトライ、スタンドオフの1年生中楠がコンバートを決め、W10-7と迫る。そして42分にはペナルティゴールを決め、10-10の同点で、前半が終わった。
この試合まで、早稲田は5戦全勝である。前週の対帝京戦では、ノーサイド直前にスクラムハーフ斉藤主将が逆転トライを挙げ、34-32で勝利し、あのワールドカップ日本チームに、OBで7人ものプレイヤーを送り込んだ常勝軍団帝京を打ち破ったのだ。だがどうもこの日はあの時とは違う。
後半になって、早稲田はこの日、不調だったスタンドオフの岸岡が、バックスのきれいなパスでのボールを抑え込んでトライ。コンバージョンも決めて17-10と点差を開いた。
後半、ノーサイド寸前、岸岡はボールをライン外に蹴り出せばいいものを、ミスキックして、慶応バックスの逆襲にあった。慶応は早稲田のゴール前に迫り、懸命な攻撃を繰り返したが、最後はWがボールをスタンドに蹴り出して終わった。
その後、恒例の「新宿ライオン」で祝勝会。美酒と野球、ラグビーにと、話は大いに盛り上がった。
この小文が、多摩稲門会のHPに載る日の午後2時から、早稲田―明治の全勝対決がある。明治は対慶応を40-3、対帝京を40-17で勝利している。明治は強いぞ。
【世話人 竹内二郎】
「都内屈指のうまさに納得」
2019-11-24
80回目のグルメの会は、味は都内でも一二を争うと蕎麦通が推す「車家」で開いた。京王堀之内駅からお店まで徒歩で30分ほど歩いたが、今回はバスやタクシーを利用する人もいて、かつて参加者全員で歩いたことが懐かしかった。男性8人、女性ふたりの計10人が参加。歩きが趣味の櫻井和子さんが音頭をとり、生ビールで乾杯した。
早速箱に入った八寸盛りが運ばれた。蕎麦寿司、鴨ロース、カニの松風(蒲鉾)、エビのうま煮、出し巻卵、揚げ銀杏、それにコハダと菊の花の酢の物、と盛りだくさん。日本酒や焼酎などが注文されたが、ここで世話人が「飲み放題ではありません」と注意を喚起すると、酒のメニューの価格に見入る人が散見された。
次いで、マグロの赤身にカンパチの刺身と野菜たっぷりのイノシシの沢煮、さらに希望に応じて蕎麦がきとその新挽揚げのどちらかが配膳された。
恒例のショートスピーチがスタート。一番手の山中康廣さんは一級建築士。最近民放テレビで紹介された、山形県の「天童木工」が曲げ木で造る「マッシュルームスツール」がコンピューターの進化で、ロボットで曲げができるようになり製品化が実現した経緯を説明。学生時代に山中さんがのちの奥様や同級生と3人で設計した幻の椅子の製作コストが40年以上経って大幅に低下、一時は爆発的に売れ、今でも年に120個ぐらい売れているそうだ。
尾崎隆教さんは、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」で公金が私的に使われた疑惑を問題視しながら、「国会議員はもっとほかにやることがあるのでは。有象無象が多過ぎる。百人ぐらいでいい」と強調。「見識がなければ選挙に通らないようにすべきだ」と主張した。
川面忠男さんはこのところ相次いで自ら刊行している単行本に言及。「(カラオケサークルの)いねの会が二百回記念としてまとめた本には19人が執筆。多摩稲門会創立40周年記念文集とすることになった」と報告した。
浪久圭司さんは、「ひとりがけの椅子に座るとすぐ寝ちゃうので、背もたれがない山中さんの椅子は僕にはちょっと無理。おととい居間のソファーを変えて革張りにしたが、古いのを粗大ごみで出すときにある感慨があった。夫婦、家庭の歴史につながるなあ、って思いながら、仏壇の女房に『出すよ』と伝えた」としんみり。
寄席が好きという櫻井和子さん。「黒い革張りのソファーに一日中ひっくり返っている。きのう朝日寄席に出かけたが、舞台まで遠いいし、テレビの方が楽しめると分かった」。長張紘一さんは「マッシュルームチェアはデザインが素晴らしい。ただ6万3千円というのはちょっと高いと感じた」。
広田進さんは「先日早稲田の文化祭に行ったが、いまのワセダは実に穏やかだった」と60年日米安保闘争当時の自身の学生時代との違いに驚いたそうだ。
来年の東京五輪を控え、前回1964年の東京五輪を回顧したのは西村弘さん。当時NHKの秋田放送局にアナウンサーとして勤めていたが、ことごとく米国製だった放送機器が日本製に徐々に変わっていったそうだ。頭の上からぶら下がっていた大型マイクがソニー製の小型に変わり、特にスポーツアナが重宝したそうだ。「東海道新幹線、首都高速道路が開通し、まさに大変革の時代だった」。
ガン治療が一段落して久しぶりに参加した澤村祥さんは昨年ガンで亡くなった樹木希林さんについて、「歳が同じで、性格も人生も似ていた」とその死を惜しんだ。「私は去年8月に医師から年内いっぱいの命と言われた。しかし、ガンに集中的に放射線を当てられる陽子線治療を受けて生き延びている。陽子線治療は保険も利く。東京のがんセンターは混んでいて間に合わないから郡山の南東北陽子線センターがお薦め。あと2、3年は生きて絵を描き続けたい」と不治の病を乗り越えた喜びを語った。
世話人は、多摩三田会と多摩稲門会との交流が本格化しつつあることを報告。「グルメの会でも今回のように10人限定の会の場合は三田会に参加を呼びかけないが、多人数でも参加可能な時は呼びかけるのでよろしく」と協力を求めた。
里芋の煮ものと茸あんかけ、エビと舞茸、モロッコ隠元(インゲンマメ)の天ぷらが出されたあと、メインの蕎麦が登場。カモせいろや普通のせいろ、冷たいものと温かいものから1点選択だった。甘味はカラメルジュレがかかった牛乳プリン。
いつもながらの凝った献立と主役の蕎麦にみな満足したようだった。酔いも回ったせいで、帰りはタクシーを呼んだ。
(世話人 浅井隆夫)
第200回「いねの会」に20人が参加
2019-11-24
カラオケサークルの「いねの会」は11月19日の月例会が第200回となり、これまでで最多の20人が参加した。会場は多摩市関戸のスナック「麗」だが、マイクを握って立つ背後の壁に「祝 いねの会二〇〇回記念」と墨で書かれた紙も貼られ、お祭りの雰囲気になった。
青木康成会長の挨拶に続き、「いねの会」を立ち上げた田中亮介さんが乾杯の発声。同じく「いねの会」立ち上げ者の一人、白石徹郎さんがトップで「面影の郷」を歌った。
いつもは各人が選曲を入力するが、当日は「麗」のママの宮地麗子さんが20人全員の選曲入力を代行した。これは事前に歌のプログラムを作っていたので可能になった。
参加者それぞれが事前に挙げた唄は3曲ずつで選曲の理由も述べて稲積滋さんに伝えておいたのだ。稲積さんが「ソングリスト」としてまとめたことから筆者がプログラムを作ることができた。
トリは田中さんの「銀座セレナーデ」。全員が3曲を歌い終わった後、白石さんが宮地さんに感謝の言葉を述べ、多摩稲門会を起ち上げた一人である櫻井和子さんが花束を贈呈した。これは「麗」が2007年1月以来、店を貸し切りにしてくれているおかげで200回を迎えることができたからだ。
「いねの会」の第1回は2002年12月、中河原の「志満屋」で行われ、2006年12月まで続いた。「志満屋」のママ、田島美枝子さんの娘である亀井ゆき枝さんは現在、「いねの会」の会員で当日も参加していた。「志満屋」にも感謝したいと筆者から亀井さんにお花を手渡した。亀井さんは「昨日が母の命日で墓参りに行ってきました」と応えた。これは偶然だが、田島ママへの供養になったと言えるだろう。
12月半ばには冊子「いねの会二〇〇回の歩み」を発行する。関係者19人がそれぞれ唄にからむエッセイを綴っている他、これまでの活動、旅先で歌った思い出などを記している。亀井さんは第1回「いねの会」が行われた日の模様を書いた。臨場感のある内容になっている。おかげで後発組の一人として当時のことを知ることができた。
11月の200回記念例会では参加者と「麗」のママから冊子制作の協賛金や200回記念の祝い金が寄せられたので制作費は十分にある。冊子は現在の希望部数よりは多めに80部を印刷する。
(文責・川面)
中川邦雄さんとの「お別れの会及び励ます会」の報告
2019-11-24
令和元年11月22日(金)午後6時半から、雨降りそぼる多摩センター駅前、京王プラザホテル多摩2階「あしび」で、10月に多摩市から静岡県熱海市に居住を移した、多摩稲門会名誉会長中川邦雄さんの「お別れの会及び励ます会」が開かれた。定刻に現れた中川さんは血色も良く、年齢より10才若く見えた。
出席者は中川さんのほか、現在の多摩稲門会の執行部である常任役員6名(尾ノ井会長、白井副会長、長張副会長、浅井副会長、平松幹事長、稲垣副幹事長)で、感謝の気持ちを込めて集まった。役員皆中川さんの薫陶を受けて、稲門会活動に精進してきた人間ばかりで、別れを惜しむ気持ちがこの会を招集した。
尾ノ井現多摩稲門会会長の発声によるビールの乾杯のあと、前菜や刺身が配られ、稲門会で活動したことや、現在の熱海での生活に話が弾んだ。幹事の稲垣より色紙が出席者に順に回され、思い思いに中川さんに対する感謝の言葉を色紙に書き添えた。中川さんには後でその色紙を読んでもらうことにした。
熱海の生活も奥様と快適に過ごしていくが、多摩稲門会も退会はせず、これからも山野を歩き、足腰を鍛えていくと述べた。
最後に関東一本締めで景気良く終わり、中川さんのお見送りの中、皆、雨の中を帰途についた。
(稲垣友三記)
多摩三田会との交流について
2019-11-24
多摩稲門会会員の皆様
永遠のライバルである慶應義塾OB会の多摩三田会代表者から当会へ更なる交流促進の要望がありました。
多摩三田会は本年創立30年、多摩稲門会も来年創立40年を迎えますが、会員の高齢化、帰属意識の希薄さ等会員の確保が難しく共通の課題となっています。
現状打開策として、ホームページを通じて両校OBのサークル交流の実情と魅力を積極的に訴え、未加入の愛校心の高い校友にも関心を持っていただく必要があると考えます。
昨年来、三田会より美術展覧会・高尾山夜景観賞グルメの会・カラオケの会・鎌倉散策等の勧誘があり、多摩稲門会員からも複数の会員が参加されました。親睦の機会も増えその後の交流も徐々に広がりつつあります。
先般の多摩三田会幹部諸氏との打ち合わせに於いて、双方の窓口担当者を指名し更に進展させるべく意見が一致しました。稲門会側では浅井隆夫副会長に総括担当者としての役割をお願いしました。会員の皆様におかれましては交流の企画に際し、興味を感じ参加してみようと賛同される方が増えれば幸いと存じます。
イノベーションは「既存の知と知との新しい組み合わせ」から生まれるという経営学の考え方があります。三田会の人脈と稲門会との人脈との緩いつながりが融合し、また切磋琢磨する中でサークル活動に変化が起こり新規会員確保にも繋がる事を大いに期待します。
多摩稲門会会長 尾ノ井光昭
第71回俳句同好会
2019-11-17
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の11月例会は15日午後、多摩市の永山公民館和室で開かれた。会員の一人が休会となり、残りの6人が5句ずつ投句と選句を行なった。同会は俳句の結社ではなく稲門会のサークル活動を楽しもうという趣旨で発足して以来、6年の歳月が過ぎたが、10人ほどいた会員が半数近くに減り、今後とも活動を継続できるか危ぶまれる。当日はそういう認識を持ちながら投句が添削されるなど充実した句会となった。
晩秋ではあるが、暦は初冬。その季節感を伝える句が11月の投句の特徴だ。それら投句の中で作者を除く出席者全員の選句が出た。〈折鶴はどこも鋭角冬に入る〉という句。〈どこも鋭角〉という措辞は新鮮な感覚。折鶴は季語でないが、鶴という冬の季語と〈冬に入る〉という季語の二重の響きが句の力を高めているという評になった。
次の高得点句、〈三代の裾の上げ下げ七五三〉は、〈裾の上げ下げ〉が従来の句にはない新しい視点と評された。
例月は選句が投句の半数以上になるが、11月は半数以下となった。これは以上の二句と〈箱に戻す遺愛の筆や小夜しぐれ〉という句が高得点を得た結果と言える。
当日の選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名。特選句は◎で表示。
折鶴はどこも鋭角冬に入る 川俣あけみ(川面◎、又木◎、辻野、長張、宮地)
三代の裾の上げ下げ七五三 又木淳一(川俣◎、川面、辻野、長張)
箱に戻す遺愛の筆や小夜しぐれ 川俣あけみ(宮地◎、川面、辻野、又木)
干し柿の微かなる揺れ風見ゆる 宮地麗子(辻野◎、川面)
鹿過る道に流るる読経かな 川面忠男(長張◎、宮地)
招くとも拒むともなき夕芒 辻野多都子(川俣、長張、又木)
朝まだき光彩なす紅芒 辻野多都子(川面、川俣)
玉砂利を踏み締む今朝の菊花展 又木淳一(辻野、長張)
道変へて小さき旅や秋日和 宮地麗子(川俣)
秋高き奈良の山々五重塔 川面忠男(宮地)
競走馬たりし日遥か冬うらら 川俣あけみ(又木)
マルタにて流転の画家に秋の雷 辻野多都子(川俣)
小春日や色合ひ束ね父母へ供花 川俣あけみ(宮地)
身にしむや何も語らぬ未来仏 川面忠男(又木)
(文責・川面)
2019.11(第188回)秋川の古刹を巡る散策
2019-11-17
「山歩きの会」例会は11月12日、「秋川の清流に沿って古刹を巡る散策」を楽しんだ。集合場所の武蔵五日市駅には、既に3人が僕らの到着を待っていた。
武蔵五日市駅から10分弱戸倉バス停で下車した。街道の向かい側に野崎酒造の塀が遠くに見える。東京の10軒の酒造業者の一つであり、金子さんのお薦めの酒でもあった。
櫻井和子さん、中西摩可比さん、荒井孝之さん、鈴木忠男さん、川面忠男さん、林 譲さん、長張紘一の7名の参加である。
バス停から少し戻り右折して坂道を上る。途中、炭焼きの設備かと思うような石組の釜のようなものがある。何だろうとみていると、向かいの家の人が、これは野崎酒造の仕込水に利用する伏流水をくむ井戸だと教えてくれた。上の斜面の畑は、猪で掘り返えされている。坂道は急坂となり、最初のポイントである光厳寺の高台に辿りついた。
光厳寺は、1334年足利尊氏によって開基された五日市では最古の寺ある。背後にある山は室町時代から戦国時代にかけて築かれた戸倉城跡で、大石定久の隠居城としても使われていた。
沢戸橋の手前の細い道を下る。渓谷に沿う遊歩道は、先月の台風による大雨でかなり荒れている。通行止めとなりわき道の急登を上がる。五日市青少年旅行村の施設は休みであったが、広場に並ぶベンチで昼食をとる。川の水は少し濁っている様である。陽のあたらないベンチは少し寒さを感じる。
食事の後、ここから通行止めが開放された下の遊歩道に降り佳月橋に向かう。道は整備されてはいるが、岸辺には倒木の残骸が至る所に散在し、台風禍の大きさがうかがえる。日陰は寒さを感じるが、歩きはじめると程よく暖かくなってくる。風もなく快晴の絶好のハイキングであるが、遊歩道は雨の影響で滑りやすくなっていた。
佳月橋から両岸が見渡される。紅葉する秋川の上流には、最初に訪れた光厳寺背後の城山(戸倉城跡)の頂が遠望できる。
佳月橋を渡らずに右折し段丘の坂道を上る。スマホのGPSを見ながら広徳寺目指して上って行く。
簡素な総門を潜ると奥に山門が構えていた。
広徳寺は1373年に創建され、茅葺の山門は室町期の面影を留め、堂々たる風格を漂わせている。山門をくぐると見事なイチョウの巨樹が左右に並んでいる。イチョウは黄葉の時期となり、振り返る姿は高く一見の価値があった。2本の大イチョウの間を進むと右側に鐘楼、前面に本堂が位置していた。
茅葺の本堂の屋根には北条氏の家紋である三つ鱗が見える。本堂の横には池があり、裏には都内最大といわれるタラヨウが構え、実を一斉につけ赤く色づいていた。また、更に進むとカヤの巨木があり、どちらも都の天然記念物に指定されている。境内から出て秋川に向い下って行く。佳月橋の一つ下流にある小和田橋に向かう。
小和田橋を渡り直ぐに右折し、直に左側の階段を上る。最後のスポット阿伎留神社に入る。
武蔵五日市駅の売店で、地元酒造の「喜正」をそれぞれ買い求めた。これも金子さんに教えられ恒例となってしまった。立川駅から居酒屋「磯村水産」に入り、先ずは生ビールで乾杯。今日一日快晴の秋空に恵まれ、楽しい一日を過ごすことができた。
長張記
早稲田大学「東京三多摩支部大会」に参加しました。
2019-11-17
早稲田大学「東京三多摩支部大会」開催。
主幹稲門会:青梅・羽村・昭島3稲門会
場 所 :青梅市福祉センター
11月10日(日)、午後2時~、快晴のもと開催されました。(東青梅)多摩稲門会より、尾ノ井光昭会長、浅井隆夫副会長、平松和己幹事長、稲垣友三副幹事長の4名が参加。
第一部・・・ご来賓の田中愛治総長が挨拶をかねてご講演。 私達校友に、着任以来1年間の実績を紹介しながら、「これからの早稲田が目指すもの」として、45分間に亘って語られた、あたかも「授業」を聞くがごとく、「研究」「教育」「社会的貢献」を柱として、「たくましい知性」と 「しなやかな感性」もって対応してゆく人材を育てて行く、と熱く述べられました。聞いている私達は強く共感を得るとともに、今後の早稲田の動向に大いに期待を持ちました。
第二部・・・ニューヨーク帰りのメグ・オークラさんのジャズヴァイオリンに堪能。洗練されたなかにも力強い演奏であった。
当日は、ラグビーの早稲田×帝京戦がアナウンスされ、一喜一憂、最後に勝利の知らせに会場は湧きたった。
終盤、早稲田応援部のショータイム。リーダー安田直矢さんのもと、「光る青雲」「紺碧の空」など応援歌を熱唱。何時もながらの応援部の掛け声、皆の手拍手と一体となって元気づけられた。校歌「都の西北」とエールの交換で余韻を残しながらお開きとなった。
(文責ー平松和己)
大病に見舞われた中村昭夫さんを励ます会
2019-11-10
閉塞性動脈硬化症で左足を股下から切断した多摩稲門会幹事の中村昭夫さん(81)を励ます会が2日、京王・小田急多摩センター駅近くの中華料理店「桃里」で開かれた。
尾ノ井光昭会長ら多摩稲門会常任役員会のメンバーが、次女で介護士の梨絵さんに付き添われ車椅子に座った中村さんを囲んで定評のある中華料理とビールや紹興酒などを味わいながら談論風発。常任役員会にも時々参加されていた中村さんの活動ぶりや東芝時代の思い出話などで大いに盛り上がり、アッという間に2時間が過ぎ去った。
中村さんは長年、東芝に勤務し、米国駐在員などとして活躍されたあと多摩稲門会に入会。音楽活動などで文化フォーラムに出演されたりして貢献されたが、今年5月ごろ体調を崩されて左足が壊死。膝下から爪先まで黒く変色する重症となり、左足の大部分を失った。
中村さんはこれまで、胃がんや大動脈解離も患ったもののいずれも克服。今回も9月半ばに退院後自宅で静養され、食欲も旺盛で体重が4、5キロ増加。驚異的な回復ぶりをみせている。