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参加者は過去最高の「いねの会」忘年会
2016-12-25
毎月第3火曜日の正午から5時までのカラオケサークル「いねの会」の12月例会は20日で参加者が19人とこれまでで最も多かった。忘年会を兼ねてビンゴゲームで盛り上げたが、新しく参加した人が二人いたせいもある。
会場はいつもの通り京王線聖蹟桜ケ丘駅近くのカラオケスナック「麗」でほぼ満席になった。早大野球部の名選手だった亀田健さんは文化フォーラム・懇親会後に麗に来たことはあるが、「いねの会」には初参、昭和59年に早大文学部を卒業した近沢市子さんも初参加だった。
いつもは乾杯し昼食をとりながら団欒、12時半頃から歌い出すが、当日は時間を15分早めた。そうして一人が3曲を歌いきることができた。
忘年会らしく尾ノ井光昭さんは島津亜矢の唄「想い出よありがとう」を歌った。この1年、稲門会の活動でいろいろと思い出をいただいたと感じながら聴いた人たちも少なからずいただろう。
亀田さんは松山の出身で、五木ひろしの「夜明けのブルース」を選曲。〽ここは松山 二番町の店♪と歌に乗り切った。また近沢さんは「イエスタディ・ワンスモア」を歌ったが、「英語の発音がいいね」という感想が聞こえた。
サプライズがあった。闘病中の会員が車イスに乗って来た。歌は力強く拍手もいちだんと大きかった。店にいたのは2時間、翌日からまた病院に、と聞いたが、「いねの会」に出て歌うことが生きる力になっているようだ。
いよいよ午後2時過ぎからビンゴゲーム。青木康成会長と辻野多都子さんが景品を仕入れ、ビンゴの番号を引くのも読み上げるのも二人が引き受けた。開始後間もなく、河合一郎さんが「リーチ!」と言い、しばらくして「ビンゴ!」と一番乗り、景品を選んだ(写真)。
カウンターには持ち込みの酒が並んだ。秋田県五城目町の福祿壽酒蔵の原酒は芳醇な香りでたちまち瓶が空に。「いねの会」を立ち上げた一人・田中亮介さんが秋田を旅して土産に買って帰ったものだ。田中さんは故・今村次郎さんの生家を訪ねる旅をした。大きな蔵が二棟も建つ生家の向かいに福祿壽の酒蔵があり寄って来た。大阪・池田の酒「呉春」もカウンターに。良き仲間と美酒を飲みつつ歌い聴き、さらに団欒を楽しむ――参加者にとって素敵な忘年会になったであろう。
(文責・川面)
12月の俳句同好会
2016-12-18
俳句同好会は発足以来3年が過ぎ、12月例会が第36回となった。10人のメンバー全員が合わせて30句を投句した。高得点句はちょうど1年前に逝った金子宏二さんを偲ぶ句だった。供養の句会になったと言えよう。
合評では助言を得て直した句が少なからずあった。<真知子巻君は知らずや数寄屋橋>の真知子巻は季語にならないが、季節感があるという評になった。同好会のよさであろう。
句会後はメール投句者を除く出席者8人が懇親会を行い、その後でカラオケを楽しんだ。句会と忘年会を楽しんだサークル活動だった。
当日の選句は以下の通り。カッコ内は選句者名、特選句は◎で表記した。
金子さんの一周忌
寒柝よ雲居の奥へ響けかし 又木淳一(辻野◎、長張◎、川面、川俣、萩尾)
いのち果てかくも明るき枯野原 川俣あけみ(川面◎、萩尾、又木、山本)
救急車停まりし家や冬のバラ 萩尾昇平(山本◎、川面、又木、宮地)
年忘れ遺影の友と杯挙げぬ 川面忠男(川俣◎、平松、宮地)
熊野路や祈りの姿(なり)の冬の蝶 川俣あけみ(又木◎、辻野、宮地)
郷愁のジャズに聴きゐる歳の暮れ 長張紘一(平松◎、川俣)
出獄や老いの身一つ凩へ 中川邦雄(萩尾◎、又木)
身を竦め気持ちを変へる冬気配 山本達人(宮地◎)
一茶の忌いつもの畑に草を取る 萩尾昇平(中川◎)
補陀落の入日見入るや蜜柑狩 川俣あけみ(川面、辻野、中川、又木)
人もまた襤褸(らんる)の如き老芒 辻野多都子(長張、萩尾、山本)
冴ゆる月差す子の眼まんまるや 宮地麗子(中川、長張)
妙高の新蕎麦とまた蝮酒 長張紘一(中川、平松)
時計台今この時の冬夕 川面忠男 (川俣、山本)
冬日和耐え残りし葉動かざり 宮地麗子(川俣、長張)
塀際の声無き声や花八手 又木淳一(辻野、平松)
夢灯りてふ行燈並ぶ寒の夜 川面忠男(辻野、山本)
父母の手を取合う兄妹七五三 中川邦雄(長張)
真知子巻君は知らずや数寄屋橋 平松和己(川面)
楽しまん幼とゲーム煤籠 又木淳一(中川)
着ぶくれて嫌な男に会いに行く 中川邦雄(萩尾)
賀状書く年に一度の顏浮かべ 平松和己(宮地)
城跡の武相の眺め寒椿 長張紘一(平松)
(文責・川面)
2017年3月5日チャリティーコンサートのお知らせ
2016-12-18
来年年も3月5日(日)に恒例となりました東日本大震災復興支援チャリティーコンサートを行います。
今回は、オクサーナさんとともに、テナーサックスの日比野則彦さん、ピアノはAYAKIさんにご出演をいただくことになりました。
新井
「こそばの会」開催
2016-12-11
12月4日(日)「こそばの会」に初めて出席させていただきました。会長様以下皆様のご尽力の新そばの美味しかったこと筆舌に尽くしがたい貴重な体験?食験でした。
今年は不作とのこと。会長様みなさまのご苦労をかみしめてありがたくいただきました。
素朴なソバと津軽三味線の音色にあらばしりのすすむこと。三沢峯月先生のさんさ節・武田節・ 最上川舟歌・ゆめであえたら・あのこたずねて矢張りは白眉は津軽じょんがら・あいや・よされ節でした。
私の痛恨の極みは白鳥さんの甘言にのってマムシ酒を飲んだことです。男性に良いとか女性が若返るとかいやいやききめに性差なきとかいろいろ慰めのお言葉をいただきましたが、今夜は夢に私の天敵がにょろにょろとでてくることでしょう。
マムシ酒 新そば揺れてあいや節
(文責 辻野)
「高級ウィスキーの差し入れに賛辞」
2016-12-04
62回目のグルメの会は11月30日、ココリア多摩センター6階のレストラン街にある広東料理店「桃里」で開いた。ホテルオークラ系で味には定評があり、男性12人、女性ひとりの計13人が参加。多摩センター駅から続くイルミネーションを眼下に望みながら年末気分に浸ることもできた。
この日はグルメの会常連の広田進さんが、「バランタイン30年もの」を自宅で20年間秘蔵した時価8万円(某百貨店の話)の高級ウィスキーを寄付。店の了解を得て参加者全員にふるまわれた。滅多に飲めない「幻の酒」だけに、「こんなうまい酒飲んだことがない」といった賛辞が次々とあがり、しばし美酒談義が続いた。
美酒が飲み干されるといつものグルメの会に戻り、ビールを注ぎ合って広田さんの音頭で乾杯。クラゲの冷菜やエビの塩水漬けなどの前菜やカニ肉入りふかひれスープ、鶏のから揚げのレモンソース、海の幸と中国ハムのニンニク炒め、と料理が進むにつれ飲み放題の気軽さからか、紹興酒やビール、ワインなどの注文がぐんぐん増えた。
恒例のショートスピーチで、元早大サッカー部監督の由井濱洋一さんは日本サッカーの現状を分析。「技術は素晴らしいが、ここぞというときにがむしゃらになれない。いまだに釜本(邦茂、メキシコ五輪で日本が銅メダルを取ったときのエースストライカー)を超える選手はいない」と断じた。
川面忠男さんは「リベロ(攻守ともに優れた選手)がぶらぶらしているチームが強いと聞いて、自分もリベロ(の記者)にと編集局長に申し入れ、実現した」と釜本への思い入れを語った。
高齢者の運転免許更新が社会問題になっているが、井上一良さんは「ブレーキとアクセルの踏み間違いは実は30歳代が多い」、河合一郎さんは「大型2種免許の更新をしてきた」と語り、高齢者の元気さを訴えた。中川邦雄さんも「自慢話。こないだ骨密度年齢を調べたら32歳だった」と82歳で日ごろ続けている高尾山登山の成果に胸を張った。
益田幸兒さんは、多摩稲門会で料理教室を開催する準備中と紹介し、長張紘一さんは日野稲門会主催の立川断層を歩く会に参加した成果を報告。山中康廣さんは多摩市と共同でジャズのライブを年4回開催し、最近満席という盛り上がりぶりを披露した。
そのころには、牛肉と高菜の炒めやエビのチリソース煮が運ばれ、サーモンとレタスのチャーハンでしめた。
(世話役 浅井隆夫)
幻の立川断層を歩く
2016-12-04
日野稲門会「ハイキング同好会」参加
11月26日(土)8時15分立川駅1番ホームに集合した。
多摩から櫻井和子さん、川面忠男さんと長張、日野から高橋英子さん、中西摩可比さん(多摩会員でもある)、高橋敏夫さん、生川博さん、野尻明美さん、松島正明さん、南正隆さんの10名が集まった。
東青梅駅からバスで東京炭鉱バス停まで30分、丘陵に向かって少し歩いた所、御嶽神社前で今日の案内リーダー野尻さんの挨拶、全員の自己紹介、それぞれ軽い体操を済ませ岩蔵の大岩に上る。
日野稲門会ハイキング同好会から「幻の立川断層を歩く」とのタイトルの案内が来た。
多摩の「山歩きの会」と日野の「ハイキング同好会」は相互に参加しあおうと数年前から行われている。頻繁ではないが「山歩きの会」にも日野の会員の参加を迎えている。今回、多摩からの参加は一同初参加である。
岩蔵の大岩は立川断層の北端と考えられている。大岩を斜めに測定器を設置して地層のズレを測定しているが、5年間動いた形跡はないそうだ。
大所橋から川上に滝が見えるが、手前左側からも川が流れている。この場所が断層の分かれている場所と考えられていると説明があった。
一同は立川断層にそった岩蔵街道を南下する。
今寺田んぼは、下流にある観音橋辺りが断層で隆起し、せき止められこの辺は沼地と化した所と考えられている。今は水路が整備され畑となっている所である。野尻さんの考えはことごとくそれらの考えに反論する。
藤橋城址公園で昼食の時間となった。遠くの丘陵の中央が笹仁田峠で、断層が走る所と考えられている。右側の方が高くなっている。本来右側の方は関東平野が広り、徐々に低くなるはずで右側が隆起した証拠の一つと考えられている。
はぼ立川断層の上にある岩蔵街道を野尻さんのリードで足早に歩く。
箱根崎駅近くの狭山が池は、今は親水公園として整備されている。ここは狭山丘陵の先端で、古多摩川が狭山丘陵の北側を流れて、断層隆起で残堀川がせき止められ湿地帯となったと考えられている。
野尻さんの考えは、立川断層と云われている大部分の証拠は、4万年前に降り積もった立川ローム層により流れが変わり、古多摩川の流路跡と考えられ、残堀川を含めて断層ではないと考えられている。また、多くのトレンチ調査(地質調査)の深度が浅過ぎ疑問が残るそうである。
狭山が池から狭山神社の石段を登る。その境内の直ぐ下にトレンチ調査を2ケ所行い、断層面が発見された場所である。今は埋め戻され何も解らない場所であった。
断層帯と考えられている残堀川の今は、川床を掘り下げ護岸整備されている。
野尻さんは、理工学部・修士卒後、東北大学工学博士、鹿島建設で一級建築士として活躍、水彩スケッチを取り入れた技術書著書も多く、また多くの賞を受けられた方である。
日野稲門会総会時に昨年講演された「立川断層 本当にあるのか?」の現地授業編として今回企画された。丁寧な説明を聞きながらの11㌔のハイキングであり、専門知識のない私には、少し難しい現地授業ではあったが、寒い中楽しい一日であった。ハイキング後の懇親会も、僕らの会と同様に賑やかに行われた。
長張 記
山歩きの会 12月例会のご案内
2016-11-27
12月例会は里山散策コース3回目、府中カントリークラブを一周するコースです。多摩市市民には近場過ぎて機会がないかぎり訪れることのないコースです。途中の東中野公園、秋葉台公園、九兵衛坂公園、別所公園、唐木田の道など、多摩ニュータウンの公園をゆっくり散策します。ご検討の上、体調にあわせてご参加をお待ちします。
1.日時 12月13日(火)
2.予定コース Bコース
多摩センター駅から、府中カントリークラブを一周し、多摩センター駅に戻ります。 (歩行7.9キロメートル)
○集合 (13:00)京王多摩センター駅改札口前
徒歩開始 多摩センター駅→東中野公園→秋葉台公園→久兵衛坂公園→別所公園→からきだの道→多摩センター駅へ
○持ち物・装備
・ハイキングスタイルで(長袖シャツ・ウインドヤッケ・ジャンパー等)ご参加下さい。飲み物、間食等は各自のお好みで。雨具(折り畳み傘)、
○雨天の場合は中止します。迷うような場合は、メールか電話でお尋ね下 さい。
参加ご希望の方は、長張(tel 042-337-1792、e-mail nagahari@ttv.ne.jp)にまでにお知らせください。
小説「三国志」を朗読の史談会
2016-11-27
「歴史に遊ぶ会」は11月21日、永山公民館のサークル室に多摩稲門会の4人が集まり、吉川英治の小説「三国志」の「白帝城」「遺孤を託す」などを朗読した。史談会の朗読は第36回目の今回が初めての試みであった。
筆者はこの秋、中国の長江をクルーズ船に乗って下った。途中で下船し、白帝城などを訪ねた。白帝城は蜀の帝・劉備玄徳が呉との戦いに敗れ、逃げ込んだ城である。筆者が作った三国志に関する地図、筆者が撮った写真に即して小説の関連個所を朗読したものである。
白帝城(写真)は陸続きだったが、三峡ダムができた後、長江の水位が上がり、現在は島になった。往時は今よりも高い山城であった。
玄徳は白帝城で亡くなったが、その際に太子の劉禅を孔明に託した。これが「遺孤を託す」である。孔明は魏の智将・司馬懿仲達が失脚すると、蜀が三国を制覇する機会が到来したと檄文を書き、劉備玄徳の後主・劉禅に提出する。それが出師の表である。
白帝城に行けば人形で再現された「遺孤を託す」場面、出師の表の文言を記した石碑などをみることができる。
荊州の古城(写真)も訪れた。呉と蜀が同盟して魏を破った赤壁の戦いの後、孔明の智略で蜀が荊州の城を手に入れた。しかし、荊州の守護を任された関羽は呉の武将の策略にはまる。関羽の最後を描いた「国葬」の場面も朗読した。1年前の昨年秋、洛陽にある関羽の首が葬られた小さな丘の写真も参加者にお見せした。
荊州古城には玄徳、孔明、関羽、張飛とともに趙雲の像が安置されている。趙雲は玄徳が窮地に陥った際、再三にわたり救う武将だった。とりわけ太子劉禅が幼児だった頃、敗走のなかで救出した。
これらの場面を描いた吉川英治の「三国志」を読むと、拾い読みしただけで2時間を要した。朗読後、参加者が小説「三国志」の史実性について話題にした。小説は中国の「三国志演義」を踏まえた吉川英治の創作であり、史実そのものでないことは言うまでもない。サークル「歴史に遊ぶ会」は歴史の研究会ではなく歴史を楽しむ会であることを確認した。
(川面記)
こんなにボウリングって奥が深かったのか!!「第4回ボウリング大会」開催
2016-11-20
今日も雨。またボウリングのピンが湿っけて、ストライクが出にくいだろうな、と思いながら永山駅近くのボウリング場に向かった。
11月19日(土)、多摩市永山の「永山コパボウル」で、多摩稲門会『ボウリングの会』主催、「第4回ボウリング大会」が行われた。
あいもかわらず、ボウリング場は満員。どこにこんなにボウリングファンがいるのかと思うくらい場内は空き待ちのグループが陣取っていた。午後2時30分参加者集合。参加者紹介、試合方法・ルール説明、準備体操の後、ボウル探し、シューズの履き替えなどをして、プレー開始を待った。
午後3時試合開始。参加者は5名。永田鈴代さん(女性)、川畑道彦さん、尾ノ井光昭さん、菊池恵子さん(女性)、そして稲垣である。
今回は5名で、したがってチーム分けをせず、個人戦の大会となった。それぞれ一人3ゲームずつ投げて、良かった2ゲームの合計で、個人の得点とし、女性には20ピンのハンデを与えた。
その結果、優勝は3ゲーム投げてよい2ゲームの合計は、第1ゲームで131点、第3ゲームで148点出し、合計で279点を出した稲垣が優勝となった。女性ハンデ(2ゲームで40ピン)を加えた最終結果では菊池恵子さんが311点で、総合優勝となった。
ボウリングがメンタルなスポーツだと改めて思ったのはスペアーの場面である。紙一重でボウルがピンの脇を無情にすり抜けていく。技術的にも精神的にも奥深いスポーツといわれた由縁だ。
今回の最高点は永田鈴代さん。150点を出し、並み居る男たちよりも抜け出した。
ゲーム終了後は、会場を移し、永山駅近くの居酒屋「瞬彩」で成績発表を含む懇親会を行った。永田さんが所用でひとり帰られ、4人の懇親会及び反省会となった。川畑さんと菊池さんが早稲田の同じボウリング部の同窓部員ということで今昔の話に花が咲き、話が盛り上がった。来年2月の“ボウリングの会”定例会には、早稲田ボウリング部の現役選手にコーチをお願いしようという話が持ち上がった。
実現してほしいものである。
来年2月のボウリングの会定例会が楽しみである。
(文責:稲垣友三)
11月の俳句同好会
2016-11-20
第3金曜日の18日午後1時半から多摩市の永山公民館・和室で第35回目の
句会を催した。9人が事前にメールで投句、5人が出席して選句を発表し、残り4人はメールで世話役に選句を伝えた。
各人が3句ずつ投句し、5句を選句、うち1句を特選句とするが、この日は選外になった句は27句の投句のうち6句だけだった。
疑問は作者に質し、率直、ざっくばらんな合評となった。投句しても伝わらないであろうと思う句でも誰かが句意を汲み取って選ぶ――同好会ながら鑑賞力のあるメンバーが少なくないことが改めてわかった。
当日の選句は以下の通り。カッコ内は選句者名、◎は特選句。