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多摩稲門会「第45回定例総会・第76回文化フォーラム・懇親会」
令和6年6月29日(土)多摩市関戸の「京王クラブ」にて「多摩稲門会『第45回定例総会・第76回文化フォーラム・懇親会』」が開催された。
第45回定例総会は、長張紘一副会長による開会挨拶及び来賓紹介、尾ノ井光昭会長挨拶、来賓代表挨拶(大坪恭子氏 東京三多摩地区担当部長)、来賓者紹介に引き続き、13時10分過ぎに開催された。総会議長には吉川啓次郎幹事が選出され、議事進行となった。尾ノ井光昭会長兼幹事長代行及び野宇進幹事による「令和5年度活動報告・決算報告・会計監査報告、令和6年度活動方針案・予算案」の報告・説明があった。同時に、尾ノ井光昭会長より常任役員・幹事の変更及び退任の説明があり、議長より出席会員に対して上記2件の「審議依頼」「議案採決依頼」があった。 その結果、会員の拍手による「賛成多数」をもって全議案が「可決・承認」された。 13時50分、議長による「審議終了」の宣言の後、尾ノ井光昭会長兼幹事長代行の「総会終了宣言」があり「第45回定例総会」は「閉会」となった。
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「第76回文化フォーラム」は、14時15分過ぎより、又木淳一副会長の開会アナウンス及び講演者紹介に続いて開催された。今回の文化フォーラムは、藪野健氏(早稲田大学名誉教授、府中美術館館長)を招聘し、「早稲田大学キャンパス散歩」のテーマで早稲田大学キャンパス内やその周辺地域の建築物の変遷等について軽妙な語り口でお話しいただいた。

文化フォーラムに参加した年配の会員には懐かしくもあり興味深い講演となった。 15時20分過ぎ、又木淳一副会長の「閉会の辞」により、「終了」となった。
休憩の後、15時30分より、別会場にて「懇親会」が稲垣友三幹事長の司会・進行により開催された。来賓を代表して稲城稲門会須永俊夫会長に挨拶をいただき、多摩三田会加藤敏雄会長の乾杯の音頭により開宴となった。 会員同士や来賓の方々(14名)との活発な歓談・交流で、会場はにぎやかな雰囲気につつまれた。サークル活動報告コーナーでは①いねの会(辻野多都子会員)➁早稲スポ・オッカケたい(松本弘之会員)③ボウリングの会 (藤原雅博会員)④ゴルフの会(菅原泰会員)のそれぞれ熱のこもった活動近況報告があった。 後半に、恒例となった「稲門祭記念品ビンゴゲーム大会」が稲垣友三幹事長の司会進行により、実施された。今回の景品には、過去購入したネクタイなどの「稲門祭記念品」他約40点が提供された。 ゲーム進行に伴い“リーチ!”“ビンゴ!”などのコールが相次ぎ、ため息やガッツポーズなど、喚声や笑顔あふれる濃密なひとときとなった。 美味しい料理やお酒も相まって、会場は盛り上がり、1月に開催した「賀詞交歓会」に引き続き、多摩稲門会会員同士の“熱いきずな”を確認する絶好の機会となった。
宴も終盤となり、参加者全員で校歌「都の西北」を斉唱した。“慶応(けいおう)!早稲田(わせだ)!多摩(たま)!”のエール発声をし、笑顔や歓声に満ちた今年度「懇親会」は、17時過ぎ「閉宴」となった。 最後に、堤香苗副会長の「閉会挨拶」により、本日の予定は全て終了し、お互いの健康と再会を期して、散会となった。
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「第45回定例総会・第76回文化フォーラム・懇親会」
参加者(敬称略)
(会員) 井上一良、稲垣友三、遠藤ちひろ、尾ノ井光昭、小野 勝、加来健一郎、上條喜義、倉澤 茂、小池光栄、白井昭男、菅原 泰、辻野多都子、堤 香苗、長張紘一、浪久圭司、野宇 進、野田豊實、服部靖紀、星野英仁、藤原雅博、又木淳一、松本弘之、宮地麗子、谷内正彦、湯浅芳衞、吉川啓次郎、吉田富康、吉田 浩
(来賓) 大坪恭子(早稲田大学 東京三多摩地区担当部長)、加藤敏雄(多摩三田会 会長)、萩原 稔(調布稲門会 会長)、 宮本誠二(日野稲門会 副会長兼事務局長)、庄山幸司(同 幹事)、増本 寛(府中校友会 事務局長)、塙俊比古(同 会計幹事)、上村邦雄(狛江稲門会 会長)、中川朝男(同 副会長)、土生憲章(八王子早稲田会 副会長)、 須永俊夫(稲城稲門会 会長)、鈴木良明(同 副会長兼代表幹事)、 鈴木 慧(町田稲門会 副会長)、川島𠮷隆(町田稲門会 幹事長)
野宇 進 記
<六大学野球リーグ各校優勝回数と有名選手>
7季振りの優勝を機に来年100年になるリーグ戦の歴史を振り返り、
各校毎の優勝回数・有名選手と早稲田歴代監督の優勝回数を調べました。
2024年7月3日 湯浅芳衛 記
<六大学野球リーグ各校優勝回数と有名選手>
(33~34年は年1季制、40年は優勝預り)

(直近優勝 24年春 23年秋 23年春 19年秋 15年春)
年次毎についてのコメント(早稲田を中心に監督、選手を記述しました)
(1)1925~42年(創設から戦争による中断まで)
昭和初期は早慶の好勝負が天下の耳目を集めた。特に早稲田名左腕・小川と慶応豪打・宮武の対決は満天下を沸かせて語り草となっている。
その他にも早稲田・三原、伊達、呉、慶応・水原、山下、別当、法政・若林、明治・田部、立教・景浦、東京帝大・東が後世に名を残す名選手が存在した。
優勝回数はて早慶各8、明9が鼎立していて明治の37~38年4連覇には吉田、杉浦等の中京商業OB組の活躍が貢献した。
43年10月戸塚球場の学徒出陣壮行早慶戦は記憶に残すべきと思います。
(2)1946~60年(戦後復興~早慶拮抗、名選手輩出で六大学全盛時代)
早稲田12回を筆頭に慶応7、明治3,法政2、立6回となっている。
早稲田は12回の内、森監督が47~57年に歴代最多の9回優勝(50春~51春の3連覇を含む)の名監督です。その間に末吉・石井(連)・木村の好投手、野手では石井(藤)、蔭山、両荒川、宮原、岩本、広岡、小森、森等を育てた。
私はこのころが早稲田の黄金時代と思っています。
後任の石井連蔵氏は立教5連覇を阻止した59春の優勝と今も屈指の名勝負と語り継がれる60秋の『伝説の6連戦』の勝利は大先輩・飛田穂州氏愛弟子の面目躍如たるものがあります。特に安藤の好投を軸に6連戦を勝ち切った采配は石井氏の一世一代のハイライトです。
相田氏は46年秋に優勝した。エース岡本が全11試合に登板して10勝1敗は不滅の大記録です。この秋に優勝賜杯が下賜されて岡本主将が最初に拝受した。
立教は砂押監督に鍛えられた長嶋・杉浦・本屋敷等の活躍による57~58年の4連覇を中心に6回優勝したのが特筆される。
この時期は上記選手の他にも早稲田・近藤、徳武、村瀬、野村、慶応・山村、平古場、藤田、衆樹、中田、明治・秋山、土井、近藤、法政・関根、立教・古田、東大・岡村等 枚挙に暇がない。古田(55卒)は当時プロを含めても最高の二塁手と言われ、熊谷組に入り40歳まで監督兼選手で活躍した。
(3)1961~80年(法政が2度の4連覇を含む16回優勝の常勝軍団)投の山中、江川、打の田淵、山本(浩)を中心に厚い選手層で他校を圧倒した。早稲田は石井藤吉郎氏が64~73年に5回、石山氏2,宮崎氏1の計8回に留まった。他に慶応7(71秋~72秋に3連覇)明治8,立教1だった。
上記法政勢の他にも早・八木沢、谷沢、山倉、岡田、慶・渡辺、山下、萩野、明・星野、高田、立・土井、東大・井出(慶明に完封勝利)が挙げられる。
(4)81~2000年(法政は3度めの4連覇を含む16回の優勝)
法政は際立った大物選手はいなかったが指導者の好指導と粒よりの選手達が堅実な勝つ野球に徹して優勝を重ねた。
早稲田の優勝は81~98年では82春・90春・93春の3回しかなく野村氏が99年に就任して部の改革を実施して99春に優勝したがこの20年間は僅か4回優勝と不振で残念だった。石井連蔵氏は異例で88~94に再登板した。
この時期に名を残したのは早・小宮山、仁志、慶・高橋、明・広沢、立・長嶋、東・市川が印象に残っている。。
(5)2001~2020年(早稲田が巻き返して通算46回優勝で法政と共に最多)
早稲田は2002春~2003秋に初の4連覇を達成した。野村監督が和田、鳥谷、青木等後年プロ野球のビッグネームになった名選手や他にもベストナインに選出された投手清水、一塁武内、二塁田中、三塁比嘉、外野由田等好選手が揃った隙のないチームに育てた功績は特筆すべきだ。次の応武氏は在任6年間で06秋~07秋の3連覇を含む優勝6回は素晴らしい。その中で斎藤が07春秋、08秋、10秋と優勝に貢献し、人気も絶大だった。その後の岡村氏1回、高橋氏2回、小宮山氏1回と頑張り、通算46回の法政に並んだ。
(6)2021~2024年春(24春7季ぶりの優勝で通算47回の単独トップ)
「一球入魂」を貫いて現状に満足せず、“最強の常勝チーム”を目指して欲しい。
(7)連覇記録
3連覇以上は百年の歴史の中で僅かに10回しか記録されていない。
1 4連覇・・・6回
早稲田:2002春~2003秋(野村監督)
明治:1937春~1938秋(野球部公式サイトがブロックされて いて不明)
法政:1969秋~1971春(69秋~70秋松永、71春五明監督))、
1976春~1977秋(五明監督) 、1987秋~1989春(竹内監督)
立教:1957春~1958秋(辻監督)
2 3連覇・・・4回
早稲田:1950春~1951春(森監督)、 2006秋~2007秋(応武監督)
慶応 :1971秋~1972秋(71秋榊原、72春~72秋大戸監督)
明治 :2022春~2023春(田中監督)
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<早稲田歴代監督と優勝回数>
1 飛田忠順1925年秋 1回 2 市岡忠男26~30 2 回 3 大下常吉 31~33 0回 4 久保田禎 34 0回 5 田中勝男 37~39 1回 6 伊丹安廣 40~42 2回 7 相田暢一 46~47春 1回 8 森茂雄 47秋~57 9回 石井連蔵 58~63 2回 10 石井藤吉郎64~73 5回 11 石山健一 74~78 2回 12 宮崎康之 79~84 2回 13 飯田修 85~87 0回 14 石井連蔵 88~94 2 回 15 佐藤清 95~98 0回 16 野村徹 99~04 5回 17 応武篤良05~10 6回 18 岡村猛11~14 1回 19 高橋広15~18 2 回 20 小宮山悟19~24 2回 無監督 36~37 2回
(完)
第126回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の第126回目の例会が6月21日、多摩市関戸の公民館和室で開かれた。欠席者1人を含め8人が5句ずつ投句したが、句会には7人が出席して特選1句を含む5句を選句した。兼題の「蛍」と「花菖蒲」でそれぞれ1句を作れば、残り3句は当期雑詠でもよいとする句会だが、蛍を季語にした句が40投句の中で11句と多かった。
特筆すべき句は〈蛍狩鼻緒のゆるき宿の下駄〉で特選とした1人をはじめ5人が選句した。つまり句会の出席者のうち作者を除く全員が選んだわけだ。熱海の梅園に蛍を見に行ったときの句という。
第2席の〈川沿ひの闇膨らみて蛍待つ〉は「闇膨らみて」という表現が蛍を待つ期待感と相俟って優れているという句評だ。
その他、〈万緑や膝の痛みの抜け出づる〉、〈予後の身や豆飯の豆噛みしむる〉など自身の体調を題材にする句も目立った。句会のメンバーの高齢化を反映している。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名、特選は◎で表記。
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蛍狩鼻緒のゆるき宿の下駄―――川俣あけみ(宮地◎、川面、白井、辻野、長張、又木)
川沿ひの闇膨らみて蛍待つ—――松井秋尚(川俣◎、白井、宮地)
沙羅の花の散りゆくに似る逢瀬かな―――川俣あけみ(川面◎、辻野、宮地)
蛍狩の人の影追ひ谷戸の闇―――川面忠男(長張◎、白井)
流蛍の水に写りし孤独かな―――辻野多都子(又木◎)
万緑や膝の痛みの抜け出づる―――宮地麗子(白井、辻野、又木)
蛍の引き行く線の何処までも―――松井秋尚(長張、又木)
日曜の夫婦ふたりの田植かな―――宮地麗子(川面、川俣)
蛍の一拍置いて線つなぐ―――松井秋尚(川面、長張)
声明の花頭窓より額の花―――又木淳一(川面、川俣)
また見たし濃き紫の花菖蒲―――白井昭男(長張)
飛び立つを待てばけむれる合歓の花―――辻野多都子(又木)
予後の身や豆飯の豆噛みしむる―――川俣あけみ(辻野)
梅雨冷や不運重なる友とあひ―――辻野多都子(宮地)
蛍を誘ひてをり傘の中 ―――宮地麗子(川俣)
明易しゆうべ飲みたる痛み止め―――宮地麗子(辻野)
闘病の果ての顔白菖蒲 ―――又木淳一(宮地)
雨に濡るる仄かな蛍谷戸の闇―――長張紘一(川俣)
花菖蒲手入れのひとの赤だすき―――宮地麗子(白井)
(文責・川面)
‘24春 「早慶戦」観戦記
「お待たせしました! 多摩稲門会の皆様、そして早稲田ファンの皆様。早稲田は、「好敵手・慶応」を圧倒的に倒し、また6大学のライバル各校から全て勝ち点を挙げ、7期ぶりに “完全優勝“を 果たしました!
今シーズンこそ、何としても優勝したい!との熱い願いから、多摩稲門会の「スポーツオッカケたい」は湯浅隊長を中心に準備を進めて来ました。しかし今シーズンは、早稲田、慶応、明治、法政の混戦予想、そして勝ち残った「早明」による覇者決定が、早慶戦で決まると言う最重要試合となったので、その入場券獲得戦争が激烈となってしまいました。
「何としても、多摩稲門会として共に応援できるよう」との判断から、試合当日の早朝に長い列に並び、外野席を何とか確保し、次の熱心な校友が何とか一緒に応援出来るようになりました。
*尾ノ井稲門会会長(元有名な高校球児)、小林さん、馬場さん、松本さん、そして湯浅おっかけタイ隊長、プラス吉川世話役。

神宮球場は3万人余の観客で既に略満杯。試合前から嵐のごとき早慶両校の応援合戦!グランドでの練習をよく見ると、早稲田選手の動きがスムーズで、明るい笑顔が目立つ。昨年までのどこか落ち着きがなく不安そうな姿と明らかに違うーと思った。何故だろう?
今年は違う:早稲田卒でプロの「打撃コーチ」として名を挙げた、金森氏を小宮山監督が助監督として早稲田に迎えた事、次に層が薄くコマが少なかった選手を、高校時代の実績から実力主義に変えた事だろうと思っています。高校時代は略無名で、体は大きくなくも今シーズンは既に、早稲田の中心選手として大活躍している選手が少なからず居ます;
例えば、センターの尾瀬君、セカンドの山県君、内野手の小沢君、更に日大三校から入学したばかりの1年生・安田投手(初年度から早稲田の救世主になりたいと言い、実際に勝利投手となり、この早慶戦でも登板)等々。

6月1日の初戦:“8:1”の大勝! 伊藤投手の好投。4年生・吉納の2本ホームラン始め山県・石郷岡君等の好打で圧勝!
我々、多摩応援団は、勝利に酔い校歌を高らかに歌い、明日の勝利を信じて家路についた。
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翌日の6月2日は運命の決勝戦! 「オッカケたい」世話役の吉川は、大学当局の特別の好意により、決勝戦の内野指定席券(ほんの1枚だけ)恵んで頂き、多摩応援団の(仮の)代表として勇躍、神宮球場へ駆け付けました。
6月2日の決勝戦: 天気予報は “午前中くもり、午後夕立の可能性あり”とのこと。
今日!なんとか決着をつけたい。早稲田ファンの異常な熱気の中、勝利を神に頼み必死に応援しました。 そして、願いは叶えられました。「決勝戦は “10 : 2” で早稲田の圧勝!!」
決勝戦は、初回こそ慶応に先取点を許したが、今日の早稲田は全く微動だにしない!
早速2回には中村・尾瀬の好打2点で逆転し、5回には小沢の本塁打に加えて吉納、寺尾等も長短打の雨を降らせ一気に6点を叩き出し、Game set 時には早稲田12点、慶応2点と大量差。夕刻一時夕立に襲われたが球場は超満員で雨を避ける場所がない。私を含めて観客の多くは雨に降られながらも動かず、試合の再会を祈りました。幸いにも雨は30分位で止み、そして早稲田の優勝は決定しました。

神宮球場は狂気乱舞。早稲田の小宮山監督始め功労者の胴上げ。そして六大学の選手入場と表彰式・・・ここに「早稲田の47回目の、そして7期ぶりの優勝試合は終了しました。」「お~い、多摩稲門会の友よ、早稲田は勝ったぞ! 有難う。次も一緒に応援しような!」 大声で叫ぶと、未だ雨に滴るコートを身に纏い、しかし元気に球場を後にしました。
「完」
(多摩稲門会、吉川啓次郎)
8月のチャリティコンサート(大地震復興支援)案内
毎年恒例となりましたチャリティーコンサートは昨年わずか2週間でチケットが完売となり、楽しみにしていらした多くのお客様にお断りをしなければならない事態となりご迷惑をおかけすることになりました。オクサーナさんが、「お客様の数は何人でもよいので、聞きたいと思う方をお断りしないで戴きたいので、大ホールではいけませんか?」とおっしゃいましたので、今回は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、初めての大ホールでの開催となりました。
母は、大変お世話になり、楽しみにもしていた稲門会の行事にも参加することはできなくなっておりますが、 それなりに、元気にしております。
お時間が合いましたら、是非お越しいただけると幸いです。
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日時:令和6年8月18日(日)14:00 開演(開場13:30)
場所:パルテノン多摩 大ホール
チケット代:おとな 3,500円 小学生以下 1,500円
販売場所:新井歯科医院 又はパルテノン多摩
※新井歯科医院(042-337-7377)に電話でお申し込みをいただき当日会場でお渡しすることもできます。
昭和26年卒 新井正子 長女 真澄


第125回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の125回目の句会が5月17日午後、多摩市の関戸公民館和室で開かれた。メンバーは8人だが、6人が出席し5句ずつ投句、2人が欠席したものの当句は託していた。兼題は「薄暑」と「葉桜」で夏の季語、投句された40句のうち22句が選に入った。
高得点句がなかった。また、どの特選句も選んだのは1人、とばらけた。一方、旅の景を詠んだ句が目立ったのも特徴だ。一例が兼題の薄暑を季語にして特選となった〈無人島の白き鳥居や薄暑光〉という句。薄暑は初夏の頃の暑さであり、もう寒さを感じなくなった船上から無人島の白い鳥居を見たのだ。昔は人が住み、心の拠りどころの神社もあったとわかる。時代とともに過疎化が進み、今は人がいなくなってしまったという島の歴史も連想させる。写生句だが、無常を感じさせる句になっている。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
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風五月文庫一冊ポケットに―――宮地麗子(又木◎、川俣)
濃く薄く新樹膨らみぬ嵐山―――辻野多都子(長張◎、又木)
葉桜をこすれる風の音軽き―――松井秋尚(宮地◎、長張)
無人島の白き鳥居や薄暑光―――川俣あけみ(川面◎、宮地)
面会や母の所望の夏帽子―――又木淳一(松井◎)
葉桜や玻璃に映れる腰伸ばす―――宮地麗子(川俣◎)
晴天の光あまねし茄子の苗―――辻野多都子(川面、川俣)
病院の窓は開けず祭笛―――川俣あけみ(松井、宮地)
密やかに色を沈めて花は葉に―――辻野多都子(長張、又木)
茶がゆ吹く京の朝餉や薄暑光―――辻野多都子(川面、又木)
青時雨血の色多き餓鬼草紙―――辻野多都子(又木)
山頂の蛇口ひねりし薄暑かな―――宮地麗子(川面)
葉桜の眩しく刻む空青き―――松井秋尚(川俣)
夏冨士を背にすれ違ふロープウェー―――川面忠男(松井)
川辺りの一筋の道薄暑光―――長張紘一(宮地)
名刺はや追加注文花は葉に―――又木淳一(川俣)
草刈るや香は宇宙へと溢れ出し―――宮地麗子(川面)
琵琶湖風枝垂葉桜揺れにけり―――白井昭男(長張)
夏立つ日友は黄泉路へ旅立てり―――川俣あけみ(宮地)
母の日や園児らの描く弾け顔―――川面忠男(松井)
懸命に風に向き合ふ鯉のぼり―――白井昭男(松井)
狛犬の顔に苔生え若葉風―――川面忠男(長張)
(文責・川面)
六大学野球・早稲田対明治戦観戦記
24年4月30日 「オッカケたい」湯浅
4月27日~早明戦は20年秋以来の優勝に向けて絶対に負けられない山場となるので27日1回戦を吉川さん、
林さんの3人で応援に行きました。その甲斐あって大接戦の末に5対4で先勝しました。
試合は早稲田が2回に1点、3回に2点得点して3対0とリードしましたが明治は5回に3点、6回に1点を入れて逆転しました。早稲田は8回に1得点して追いつき、9回表にしぶとく1点を入れて5対4と再逆転しました。然し明治が9回裏に1死満塁と攻め立てたのでサヨナラ負けを覚悟しました。小宮山監督はそこでリリーフに1年生の安田を投入しました。彼は昨年夏甲子園で日大三高のエースとして活躍して高校日本代表に選ばれた逸材です。安田は監督の期待に応えて2者連続で浅い外野フライに討ち取り無失点で切り抜けて、シーソーゲームを制して先勝しました。お陰で試合後3人は新宿ライオンで勝利を祝いました。
2回戦は明治に2対5で敗れたので29日が決勝戦になりました。1回戦の観戦疲れもありテレビ観戦を決め込みました。(六大学連盟は「ビッグシックスTV」で全試合を無料配信していますのでPCの「六大学野球連盟』をお気に入り登録しておくと生中継が視聴できます)
決勝戦の先発投手はエースの伊藤(3年・仙台育英高出身)でした。小宮山監督は好素質を見込んで1~2年時は抑えと第2戦先発投手として重用していましたが今季からは早稲田エースの証しの背番号11を付けさせました。(11番は昭和35年秋『伝説の早慶6連戦』で5試合完投した安藤投手が付けた由緒ある番号です)
果せるかな筆者が見た限り入学以来最高の出来で球威、制球共に申し分なく明治強力打線を延長11回6安打、8奪三振、1四球と完璧でした。今年のプロ野球ドラフト1位候補の室山主将も4打数無安打、1三振と完全に抑え込みした。一方攻撃は10回まで10安打しましたがタイムリーが出ず0行進で伊藤の力投が報われないのではと危惧しましたが11回表4安打、2四球、相手失策を絡めて一挙5得点して5対0で勝利しました。
この結果早稲田は21年秋以来明治から勝ち点を挙げて勝ち点は立教・明治からの2となり残るは
5月4日~東大・18日~法政・6月1日~慶応です。慶応も東大・法政からの勝ち点2で、立教・明治・早稲田を残しています。優勝争いは早慶に絞られて早慶戦で勝った方が優勝の公算大です。
「オッカケたい」は6月1日の1回戦に行きます。詳しくはHPと5月下旬発行予定の会報で広報します。
優勝が懸かる公算大の早慶戦を楽しもう!
5月3日 世話人 湯浅芳衛
今季の六大学リーグ戦は現在各校が2戦を終わり、共に3戦を残しています。早慶両校が
勝ち点2で首位です。この調子で行くと最終週の早慶戦で優勝が決まると思われます。
「オッカケたい」は優勝の有無にかかわらず1回戦6月1日(土)に行きます。
(雨天順延の場合は1日ずつ繰り下がります)
応援要領は次の通りです。
購入して入場します。(なるべく隣り合って坐りましょう)
試合開始 :13時
集合場所&時間:神宮球場正面玄関前広場に11時30分
観 覧 席:一般外野自由席(チケット代1,000円)、集合後に各自が外野席売り場で
- 食 事:場内販売もありますが事前に用意がベターです。
- 熱中症対策:夏日も想定されるので、お互い充分に気を付けましょう。
- 申 込:5月30日(木)までに湯浅宛てメールでお願いします。
メールアドレス yuasa43113@theia.ocn.ne.jp
『早稲田学報』特集ご協力のお願い
早稲田大学校友会各支部・稲門会の皆さま
>
平素より、早稲田大学ならびに早稲田大学校友会へご支援いただき、誠に有り難く厚く御礼申し上げます。
早稲田大学校友会事務局・早稲田学報編集室です。
>
『早稲田学報』2024年10月号「酒場」特集と、2025年4月号「踊り」特集に関してのご協力のお願いとなります。
>
>下記2件について貴支部・稲門会の皆さまに広く周知いただき、多くの方から情報をお寄せいただけるようであれば幸いです。
>
【 『早稲田学報』2024年10月号「酒場(仮)」特集 投稿募集/6月末締め切り】
>
『早稲田学報』2024年10月号(9月17日発行)にて、早稲田・高田馬場界隈で昭和から営業を続ける酒場の特集を組みます。
その特集内にて、皆さまが在学時などに利用した特定のお店(今はもうなくなってし まったお店も含みます)に関する情報を募集して掲載する企画を行います。
情報をお持ちの方は、ぜひ下記①~⑥を「10月・4月号特集担当」までお送りいただきますようお願いします。
さまざまな時代のさまざまなお店のさまざまな情報をお待ちしています。
>
下記①~⑥全て必須項目
①在学時のお名前(確認用/掲載しません)
②生年月日(確認用/掲載しません)
③連絡用メールアドレス(確認・質問用/掲載しません)
④掲載するお名前(匿名可/掲載)
⑤卒業学部(掲載)
⑥1センテンスから200字程度までの「特定のお店に関する情報」(掲載)
>※誌面都合などにより、お送りいただいた情報の中から掲載するものを選ばせていただきます。
※掲載する文章については修正させていただく場合があります。
>
>
【 『早稲田学報』2025年4月号「踊る人(仮)」特集 情報提供のお願い】
>
>『早稲田学報』2025年4月号(2025年3月17日発行)では、ダンス・舞踊・踊りなど( スケートは含みません)に関わる校友を紹介する特集を組むことになりました。
>そこで、皆さまからダンス・舞踊・踊りなどに関わる校友の情報をお寄せいただきたいと希望しています。
>お知り合いなど皆さまの周りにいる校友からマスコミで取り上げられるような校友ま で、どのような情報でも「10月・4月号特集担当者」までお寄せいただけるようであればたいへん助かります。 どうぞよろしくお願いいたします。
>
>
以上、何卒よろしくお願い申し上げます。
>
早稲田大学校友会事務局 早稲田学報編集室
10月・4月号特集担当
「絵の中の旅」にでかけます。「神宮外苑に」早明野球戦 藪野健先生記
6月の定例総会の講演を依頼するため、 先日、府中市美術館の館長の藪野先生を訪れました。談話の中で偶々先日の早明戦の話になり、新作の絵を見せていただきました。早稲スポ・オッカケ隊長の湯浅さんの記事の中に、絵を挿入することに快諾を得ました。絵の写真だけと思っていましたが、記事もありオッカケ隊とは別にして紹介いたします。会員の皆様には、6月29日(土)の総会・講演会・懇親会にもご参加頂き、藪野先生の講演をお聴き下さい。長張紘一
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以下、藪野先生の記事と一部制作中の絵です。
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神宮球場が近づくと大太鼓の音が聞こえてくる。それから半円アーチの回廊が目に入る。ふとローマのコロッセウムを思い浮かべる。このひとときが実に楽しい。異空間だからだ。階段を登ると青の大空が広がる。国立競技場、聖徳記念絵画館の丸屋根。そして銀杏並木の緑、野球を観にに行くたびに増える高層ビル。
1963年早稲田が低迷した頃の六大学から実によくでかけた。隣の上級生が「早慶6連戦があって喉がかれてもう歌えなくなったし徹夜で6日間通ったのが忘れられない。だから試合中眠っていて、経過が夢と一緒なっているんだ。わからないうちに6日間が経っていた」と話しかけてくれた。吹奏部の隣に座るとリズムが下宿に帰っても耳から離れなかった。戦前から歌い継がれている「天に2つの日あるなし」「仰げよ荘厳」「大地を踏みて」「紺碧の空」、戦後の「ひかる青雲」「精悍若き」「早稲田の栄光」「永遠なる緑」「コンバットマーチ」「吼えろ早稲田の獅子」「ビバワセダ」「早稲田健児」から最近の歌までほとんど2番3番まで覚えたほどだ。スポーツと芸術がもっと大切に考えられても良い。文化だと思う。
中国で建築学科教員訪中団に加わったときお互いの学校の歌のやり取りがあった。早稲田からは次々応援歌が出て相手の大学が驚き、それがきっかけで心和んだことを思い出す。
6大学だけではなく友人の通っていた他の大学にもこれまた良い歌が多かったた。神宮第2球場、西京極球場、熱田球場や各地の大学の球場もそれぞれ趣がありエール交換、応援のの方法も異なっていて楽しめた。
ふと、宮本、八木沢、江尻、向田、安田、斎藤、小宮山の投げるフォームや野手の鍛治舎、谷沢、岡田と挙げていくとそれだけで人生の一場面と重なる。他のスポーツでもそうだ。ラグビー、サッカー、レガッタ、駅伝、様々な競技まあよく観に行った。スポーツの場は時の流れを忘れさせる装置だ。


