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多摩稲門会のゴルフ会が復活します。
長年の中断を経て、多摩稲門会のゴルフ会が復活します。概要は以下の通りです。
日時:2024年10月1日(火)8:30スタート
場所:府中カントリークラブ
会場の府中カントリークラブは我々の地元多摩市内にある名門コースです。
60年以上の歴史があり、かつてはプロの試合も開催しました。多摩センター駅からクラブバスも運行しており、アクセスも便利です。当日は4組16名分を確保しており、まだ空きがありますので、ご希望の方は9月25日までにご連絡ください。新しい若いメンバーも多数加入しています。暑い夏を乗り越えた秋空の下、皆様と再度グリーン上でお目にかかれるのを楽しみにしております。
幹事補佐 菅原 泰
稲城稲門会「秋の山歩きの会」ご案内(2024年)
台風10号の脅威が過ぎ、次第に秋らしい気候になってまいりました。今年の秋の山歩きの会は、温暖化の天候を考慮して、例年よりひと月ほど遅めの10月末とし、目的地は13年ほど前に一度行った、秦野市の「弘法山」にしました。
標高差170メートルほどのハイキングで、危険なところはなく、初心者向けコースを休み時間をいれて3時間30分ほどかけて歩きます。アップダウンはあるものの快適な尾根歩きとなり、秋の山歩きには格好のコースです。
終盤は鶴巻温泉への下り道となり、「弘法の里湯」で入浴後に昼食・親睦会となります。
1.日 時 10月27日(日) 10時00分
2.集 合 小田急「秦野駅」 改札口前
3.行 程 (山行実質2時間半、休憩約1時間)
秦野駅 10時00分
名水「弘法清水」 10時05分
弘法山公園入口 10時25分 (屈伸運動)
権現山 展望台 10時50分 (15分休み)
弘法山 11時25分 (25分、コーヒーブレイク)
吾妻山 12時40分 (10分休み)
鶴巻温泉「弘法の里湯」(13時20分~15時20分)
(解散)鶴巻温泉駅 15時30分
<到着時間は目安です>
弘法山ハイキング/3つの低山縦走 丹沢と富士山の感動の絶景が待つ日帰り登山へ – 神奈川・東京多摩のご近所情報 – レアリア (rarea.events)
4.入浴・食事 鶴巻温泉「弘法の里湯」 入浴料1,000円+飲食代
〒257-0001 神奈川県秦野市鶴巻北3-1-2
電話 0463-69-2641
弘法の里湯(こうぼうのさとゆ) | 秦野市役所 (city.hadano.kanagawa.jp)
5.持参品 飲料水、雨具、入浴用タオル、着替え、健康保険証、行動食(菓子類)、その他
*参加ご希望方は、10月20日(日)までに、下記メールあるいは電話でご連絡ください。
幹事:高橋鋼司
090‐9131‐7337 (携帯)
(注:当日雨予想のばあい、前日夜8時までにメール等により中止連絡いたします。)
2024年早稲田大学校友会 東京三多摩支部大会報告
2024年早稲田大学校友会の東京三多摩支部大会が8月31日午後1時から多摩市・多摩センターのリンクフォレストで多摩稲門会、稲城稲門会の主幹により開催された。大会は四部から成り、第一部が式典、第二部が田中愛治早稲田大学総長の講演、第三部が学生たちのコンサート、第四部が懇親会で五時半に閉会した。
第一部 式典
東京三多摩支部副事務局長である堤 香苗さんの司会により始まり、三多摩支部支部長である尾ノ井光昭多摩稲門会会長が壇上に上り挨拶した。冒頭、支部大会を開催できるか台風10号の影響が懸念されたが、開催できたのは同慶の至りといった趣旨を述べ、続いて東京三多摩支部の活動について説明した。以下はその要約だ。

記録によると、東京三多摩支部は1979年に発足し、現在では26支部に拡大している。東京23区支部とともに首都圏校友会の一翼を担っている。支部活動の目的は三つある。一つは各稲門会の交流・親睦だ。二つ目が早稲田大学の事業に対する支援、そして三つ目が地域社会への貢献だ。
喫緊の課題がある。卒業生の高齢化が止まらず、三多摩支部においても校友会員が減少、各稲門会がそれぞれ知恵を絞って会員確保に努めている。着実に成果を出している稲門会もある。多摩稲門会も10年前には180名近い会員がいたが、現在は120人に減ってしまった。これを座して見ていることはできない。幸い組織強化補助金及び地域稲門会費をいただき、これを原資として積極的に増強活動をしている。
さらに尾ノ井支部長は、パリオリンピックの早大関係選手の活躍に触れ、田中総長の目標の成果に期待すると述べた後、同大会に出席した方々に感謝して挨拶を終えた。
その後、堤支部副事務局長が同日の来賓を紹介した。田中総長、早稲田大学校友会常任幹事の松尾亜弓さん、稲門祭実行委員会企画広報本部長の石塚順子さん、東京都23区支部長の吉田誠男さんの三人。そして当日は東京三多摩支部稲門会から150名以上が参加していると報告した。
続いて東京三多摩支部事務局長の長張紘一さんが2024年度の活動について予定を含め次のように報告した。「東京三多摩支部会長会(定時総会)の開催(7月14日)、「東京三多摩支部大会の開催(8月31日)」、「サロン・ド・三多摩の出店に対する支援と協力」、「東京23区の主幹で23区支部と東京三多摩支部合同会長懇話会を開催(12月8日)」、「支部活動の強化と円滑化を図るための情報交換などを目的に月に1回の頻度で事務局連絡会議等を開催」。「次期支部大会の主幹は東大和、武蔵村山、東村山、あきる野4稲門会」。
第二部 田中愛治総長の講演
三多摩支部大会の第二部は午後1時半から田中愛治早稲田大学総長が講演を行った。演題は、「世界人類に貢献する人材を育てる早稲田~創立150周年記念事業への道筋」。以下はその要約だ。

早稲田大学は2032年に創立150周年を迎えるが、それまでのことは考えなくていい。150周年までのことはすでに考えられていたからで我々はそれより先、さらに2050年以降に早稲田がどういう大学になるかを考えなくてはならない。総長選挙の時から掲げた「世界に輝く早稲田」という目標は目指す。それには大隈侯の建学の精神に立ち戻る。
まず学問の独立。これを現代風に考えれば「研究の早稲田」となる。学問の活用は「教育の早稲田」、それから「貢献の早稲田」だ。大隈侯の「一身一家一国のためのみならず進んで世界に貢献する抱負がなくてはならない」という言葉から貢献の早稲田となる。早稲田は、自分のこととか自分の家とか自分の国のこととかだけ考えるのではなく世界に貢献する人材を育てろと言っている。150周年以降の大学を考えるに当たり世界人類に貢献することを考えなければ何事も始まらない。
教育は10年前からグローバルエデュケーションセンターがあり、どの学部の学生も履修できる科目を用意している。また様々な研究をまとめてマネジメントできるセンターとしてグローバルリサーチセンター、そして世界や地域に貢献するボランティアの人材を育てるセンターを設けている。これらが一体となって進んでいくことを考えている。
早稲田はボランティア精神が伝統的に強い。能登半島地震では日本財団と協力、早稲田出身の珠洲市の市長に困っていることを訊ねた。毛布と水は届いているが、避難所に行っても風呂に入れないと言う。下水道が壊れているため、タンクでお湯を持ってきても風呂の水が流せない。そこで風呂水が98%浄化できるものを提供した。
社会に役立つ理工系の研究が優れている。深刻なのは木造住宅が壊れ、妻子が梁の下敷きになったが助けられないといったケース。道路が寸断されているのでブルドーザーが近寄れない。男が数人がかりで梁を持ち上げようとしても動かない。そういう場合に人型のロボットが役立つ。ロボットの研究は早稲田が1960年代から日本の研究の最先端を進んでいる。ロボットはAI技術で操作する。小型のロボットはそのまま運び、大型は現地で組み立てる。それができる者が早稲田のボランティアセンターにいる。技術とボランティアを組み合わせれば何とかなる。被害状況はドローンで探索して確認する。さらに避難所の介護はロボットが行なう時代だ。その介護ロボットはできている。
宮城県の気仙沼では2011年の東日本大震災以来、ボランティア活動を続けている。今でも早稲田の学生が行くと、地元民が「お帰りなさい」と言ってくれる。中国のハンセン病の患者を助けようと村々を回り、帰国して募金活動を行う卒業生もいる。三菱商事の入社内定が決まっていたが、それを辞退してのボランティア活動だ。ラオスで小学校をつくるといったボランティア活動をしている人もいる。それも人のために貢献するという大隈侯の教えにかなう。
日本列島は地球の温暖化で亜熱帯化しつつある。再生エネルギーなどCO2を減らすといった気候変動問題を解決し自然災害から人命を救うことも早稲田の目指すところだ。
戦争は始まると止められないが、戦争が始まらないようにする研究にも取り組んでいる。ロシアのプーチン大統領はウクライナを攻めて3日で終ると思っていたという。欧米がウクライナを支援することも予想外だっただろう。過去200年の戦争のデータをAIで解析して科学的に戦争の原因を特定し、政策のキーパーソンに提示すれば戦争の防止に役立つ。
偏差値は早稲田が慶応より高くなっている。偏差値教育は正解をいち早く解ける者が優秀というものだが、答えがない問題は解くことができず行き詰まってしまう。コロナ、地球の温暖化、戦争に対してもどうしていいかわからない。社会に出れば答えがない問題にいつも直面する。政経学部の試験は長文の英語と日本語を読ませ、どういう考えをしているか、といったところをみる。スポ―ツ科学部はジャンケンが3種類ではなく4種類だとどうなるか、といったことを考えてもらう。答えがないというようなことに早稲田は取り組み、日本の社会を変える。
慶応の塾長と交流しているが、慶応の学生はなぜ愛校心が強いか訊ねた。新入生に『福翁自伝』を無償で配り、愛校心の育成に役立てていると応えた。そのせいだとわかり直ぐに早稲田も『大隈重信と早稲田大学』を出版、2022年4月から無償で提供、早稲田の良さと大隈侯の偉さを伝えている。
地方の学生が少なくなっているので増やそうと努めている。一都三県の学生が昨年は73%、今年は68%となり、5%減った。
スポーツには2億円しか出していない。今年は5千万円増やす。監督・コーチは手弁当だが、来年も5千万円増やし少しでも謝礼を出したい。寄付は選手の奨学金として使う。卒業生は60万人いるが、そのうちの6万人が1人1万円の寄付をすれば6億円になる。
そうして人類社会に貢献しようと思うならば最も効果的な教育を受けられるという大学にする。
田中総長はパワーポイントを使い説明したが、プロジェクターには「早稲田大学応援基金」として「学生が輝く早稲田の未来へ!」、そして「あなたの1万円が早稲田を変える」と映り、寄付を呼びかけた。
第三部 音楽サークル・コンサート
第三部は午後2時40分、国分寺稲門会の副会長、大橋忠弘さんが総合司会者となり、男22名、女15名、合わせて37名の学生たちが壇上に登場すると紹介して始まった。まず早大グリークラブのコンサート。

グリークラブの司会者がグリークラブは合唱曲だけでなく歌謡曲、民謡などもレパートリーと述べ、「輝く太陽」から歌い出した。続いて応援歌の「早稲田健児」、アニメ映画の主題歌「宇宙戦艦ヤマト」、黒人霊歌の「Ride the chariot」、酒をほめたたえる歌「酒頌」、「斎太郎節」。「斎太郎節」は宮城県の民謡だが、グリークラブの愛唱歌と司会者が言った。最後が合唱曲、「遥かな友に」でグリークラブの1951年の合宿でつくられたという。OBのボニージャックスが歌って広く知られた歌だ。

10分の休憩後、マンドリン楽部が演奏した。司会の大橋さんはマンドリン楽部稲友会の会長でマンドリン楽部は今年が創立111年目になるなどと長い歴史を誇った。部員は約70名だが、当日の演奏者は16名と言い、指揮者を紹介した後、1曲目がパリオリンピックに因み「オー・シャンゼリゼ」となった。その後、東北の地震被災地でも演奏した「パプリカ」、NHKの朝ドラでリバイバルした「東京ブギウギ」の2曲が続いた。そこで大橋さんは楽器を紹介するタイムをとった。マンドリンの他にマンドラ、マンドロンチェロ、マンドローネ、クラシックギターでそれぞれの特徴を説明した。
演奏に戻り「翼をください」、続いてマンドリン楽部の幹事長が挨拶し、最後は美空ひばりの「川の流れのように」と言って演奏を終えた。

フィナーレはグリークラブ、マンドリン楽部に応援部が加わり、「紺碧の空」、「早稲田の栄光」を合唱した。三多摩支部大会に参加した稲門会員も加わった。
第四部 懇親会
午後4時前、会場を移して懇親会となった。司会は鈴木良明三多摩支部副事務局長。須永俊夫三多摩支部副支部長が開会の挨拶、続いて来賓の松尾亜弓早稲田大学常任幹事、石塚順子稲門祭企画広報本部長が挨拶した。総長室長を兼ねている松尾さんは永年、東大和市に住んでおり、「東大和の稲門会に入る」と言って雰囲気を盛り上げた。
テーブルには乾杯用のビールが並んでいる。その後、吉田誠男東京都23区支部長が乾杯の発声をし、懇談の輪を広げた。

田中総長も懇親会に出席したが、総長と懇談しようという会員がひっきりなし。総長は一人ひとり丁寧に対応していた。

午後5時過ぎ、応援部員、チアガールのパフォーマンスとともに校歌「都の西北」を合唱。又木淳一三多摩支部副支部長が閉会の辞を述べて午後5時半に無事終了した。
(川面 忠男 記)
2024年8月17日 第13回三多摩8稲門会麻雀大会
多摩稲門会が初出場、初優勝の快挙!
8月17日(土)第13回三多摩8稲門会対抗麻雀大会に、多摩稲門会の4名が初参加した。尾ノ井光昭会長、倉澤茂さん、関谷一穂さん、野宇進の4名が参加した。
西武線東村山駅近くの麻雀店「園」が開催会場で、8稲門会から32名が参加した大規模な大会であった。
12時からの開始合図でスタートし、半チャン5回の長丁場の戦いが始まった。
多摩稲門会は最初の半チャンは尾ノ井会長、倉澤さん、野宇の3名がトップを獲り好調な滑り出しであった。倉澤さんは特に好調で、結局5連続のトップを獲り、個人優勝となった。

最終結果は、倉澤さんが個人1位、尾ノ井会長が個人10位、野宇が個人15位、関谷さんが個人18位で、多摩稲門会が団体優勝となった。初出場で初優勝は、快挙だと他の稲門会の皆様からお褒めいただいた。
午後18時半の表彰式後、東村山駅前の居酒屋「はかた商店」で開催された懇親会に、尾ノ井会長、倉澤さん、野宇の3名が参加した。
7稲門会の方々と麻雀以外の色々な話が出来て、大変楽しい交流親睦の場であった。
次回は来年の2月開催予定で、ぜひまた参加して2連覇を目指したい。
野宇進 記
第128回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の128回目の句会が8月16日、多摩市関戸の公民館和室で開かれた。台風7号の接近で不要不急の外出を控えるように呼びかけられていたが、7人が出席し、いつもの通り5句ずつ投句と選句を行った。当日の兼題は「新涼」と「山椒の実」という秋の季語。暑い日が続いているが、暦のうえでは秋になっており、俳句は暦に従う。
投句のうち〈実山椒つめば椎葉の悲恋かな〉は難解句。宮崎の民謡「稗搗(ひえつき)節」を知らないとわからない。〽那須の大八 鶴登美捨ててヨ―ホイ 椎葉たつときゃ 目に涙ヨー♪という歌詞だ。大八は源氏の追手、鶴登美は平家の娘で2人は恋仲になるが、別れざるを得ない。椎葉は平家の隠れ里だ。その句の作者は〈実山椒ひえつき節の木の記憶〉という投句を選んでいる。稗搗節は〽庭の山椒の木♪と歌い出す。
・
選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
・
秋風鈴胸の中にも風の道―――川俣あけみ(川面◎、辻野◎、宮地)
合掌の手を解きて摘む山椒の実―川俣あけみ(宮地◎、白井、辻野)
秋光の魚遡る速さかな―――宮地麗子(川俣◎、長張)
実山椒つめば椎葉の悲恋かな―――又木淳一(長張◎)
煮つむれば黒金(くろがね)の照り実山椒―――辻野多都子(又木◎)
涼新た谷戸の小径の緩き坂―――川面忠男(長張、又木、宮地)
新涼や網戸を抜くる明けの風―――長張紘一(川面、川俣)
終戦日知らぬ世代の法事かな―――長張紘一(白井、又木)
新涼や君はいつでもボブディラン―――又木淳一(辻野、宮地)
強ひられて死せる命や敗戦忌―――又木淳一(白井、宮地)
娘には此処が故郷赤とんぼ―――宮地麗子(川面、白井)
性格は変はらぬままや実山椒―――宮地麗子(川俣、長張)
青田風扇橋てふバス停に―――又木淳一(辻野)
ひぐらしに心洗はれ日も暮れぬ―――白井昭男(長張)
子の土産佞武多連れたる菓子包―――辻野多都子(川面)
八月に色ありとせば火焔(ほのほ)色―――川俣あけみ(川面)
日焼顔の甥姪の子ら初まみゆ―――長張紘一(白井)
定刻に始発のバスや涼新た―――宮地麗子(川俣)
青空に嵐近づく終戦日 ―――川面忠男(川俣)
新涼やエッフェル塔の聖火消ゆ―――川俣あけみ(又木)
飲み干せば涙のごときラムネ玉―――川俣あけみ(辻野)
実山椒ひえつき節の木の記憶―――川面忠男(又木)
(文責・川面)
「2024年7月度ボウリングの会例会」実施
夏は暑い!といえども、本当に今年の夏は暑い。冷房の効いた家の部屋から熱風が漂う外に出るのに勇気がいります。その勇気を振り絞って、ボウリング仲間に会うために永山に到着。永山のコパボウルの中はさすがに冷房が利いていて涼しい。いつもながらの満員の盛況です。
2024年(令和6年)7月27日(土)、7月度の「多摩稲門会ボウリングの会」例会が行われました。
今回の参加者は4名。午後2時40分集合、3時開始で約2時間プレーを行いました。

参加者は、藤原雅博さん、野宇進さん、谷内(やち)正彦さん及び世話人稲垣の4名です。
1人4ゲームずつで2レーンに分かれてプレーしました。片方のレーンは藤原さん、稲垣、もう片方は、谷内さん、野宇さんと2名ずつで行いました。
今回、初参加の谷内さんは最初はG(ガーター)やピンの脇を大きく外れるボールを投げていましたが、次第次第に調子を上げてストライクやスペアーも可能となりました。驚くべき上達力です。これからも「ボウリングの会」の例会に参加するという意欲満々です。野宇さんのボールも安定してきました。ストライクも取れますしスペアーも取れます。投げるボールも素直で、これからの伸びしろがあるボウリングです。藤原さんのボウリングは見事としか言いようがないボールを投げます。ストライクも連続して5回出しますし、左右の残ったピンも確実にスペアーがとれます。やはり練習の賜物でしょう。世話人の稲垣はマイボールでよく曲がるのですが、ヘッドピンを外したり、サイドのピンを曲がりすぎて外したりして安定したスコアが出なくなりました。それでも4人でやるボウリングは楽しく、和気あいあいとできるボウリングは素晴らしいスポーツです。
ゲームは午後5時前に終わり、その後歩いて5分の焼肉屋『肉流通センター』に入りました。
生ビールで乾杯の後、カルビやロースを焼いて楽しく歓談しました。ボウリングの話や谷内さんのニューヨークでの駐在員の話など面白い話が満載の2時間でした。次回は10月26日(土)を予定しています。
(世話人 稲垣友三)
六大学野球の記憶
2024年8月4日 湯浅芳衛 記
(1) 六大学野球との出会い。
私が六大学野球を知ったのは1948年小学校4年生の時のNHKラジオ放送でした。対戦相手、試合内容は全く記憶にありませんが『早稲田・磯野主将のファインプレーです』のアナウンスが今も耳に残っています。その試合は恐らく早慶戦だったのでしょう。その影響で勉強はそっちのけにして小学生向けの月刊雑誌に写真入りの「早慶戦の紙上中継」をむさぶるように読んでは試合の場面を想像して蔭山、石井(藤)、末吉、宮原等名選手の名前を覚えて楽しんでいました。
(2) 1951年初観戦
1951年の中学1年春に六大学野球を同級生と武蔵野グリンパーク球場で初観戦しました。当時はまだ占領下の為、神宮球場は米軍の都合で使用できない場合が多くその時は早稲田、東大の球場や上井草球場(現在はない)での試合でした。当時球場不足対策の一環で私の生まれ育った三鷹市中央線三鷹駅から支線をひいた武蔵野グリンパーク球場が建設され1951年に完成しました。六大学とプロ野球に使用されたものの使い勝手や集客にも不便な為1年で廃止されました。六大学野球もその年に19試合行ったと記録にあります。
私が観戦したのは早立戦で1回戦先勝後の2回戦でした。このシーズンは早稲田が50春~51春の3連覇の 最中で強くて投打に圧倒して問題なく連勝しました。
目を引いたのは大型三遊間と謳われた広岡、小森でした。彼らは1年生からレギュラーで2年になったこのシーズンはプレーに磨きがかかり自信満々でした。隣で観戦していた選手経験者らしき年長者二人が盛んに褒めていました。特に広岡は従来「ショートは小柄」の定説を覆して180㎝で腰高の華麗なプレーは女性ファンの人気を独り占めでした。今は幻となったこの球場の試合を観た人は何人現存しているか懐かしい気持ちです。
(3) 長嶋茂雄は本当に凄かった!!六大学が生んだ史上最高のスター。
私が早稲田に入学した1957年は立教の長嶋、杉浦、本屋敷の3羽ガラスが4年生で活躍して春秋連覇しました。しかも3年生には森滝、片岡、浜中等その後プロ野球で活躍した選手も多く58年も春秋優勝して4連覇した上、更に1,2年生にも有望選手が控えていたので在学中優勝経験なしで卒業かなと不安になりました。
やっと3年春に5連覇を阻止して優勝パレードが出来て早稲田に入って良かったと心底思いました。
1年生の時の早立戦にはすべて行きましたが長嶋人気で満員でした。試合は早稲田が春秋共に連敗でした。
特に秋の1回戦は杉浦が最高の投球でノーヒットノーランの準完全試合でグーの音も出ませんでした。
私が驚いたのは長嶋のプレーで、走攻守共にすべてがで球場をはみ出すほどの躍動感がありました。中でも右中間を破って三塁打にする時に二塁を回って3塁に殺到するランニングは迫力満点でした。守ではショートの守備範囲のゴロでもカットしてランニングスローで魅せました。
打で印象に残っているのは試合前のフリーバッティングで長嶋が3本オーバーフェンスを見せると早稲田の
森は5本柵越えして早稲田応援席は大喝采と二人の競演はみものでした。遠くへ飛ばす能力は森の方が上かもしれませんが総合的には長嶋がずっと優っていたと思います。森は柔道で上体のパワーは凄かったが惜しむらくは下半身の鍛え方が足りなかったのではと素人考えをしています。
長嶋は2度首位打者になりましたが世間の注目は通算本塁打でした。それまでは戦前の最強打者と言われた慶応・宮武三郎と早稲田・呉明昌捷の7本でした。長嶋は4年春に7号を打ち騒がれて、8号は彼の六大学最終試合の慶立戦2回戦に打って大ニュースでした。その試合はNHKでテレビ中継され私も視聴しました。
長嶋が卒業して世間の注目がプロ野球に流れて六大学の人気が下降したと私は見ています。
(4)『伝説の早慶6連戦』 (1960年11月6日~12日)
学生野球史上屈指の名勝負と語り継がれる60年秋の早慶6連戦は丁度大学最終学年でしたので思い入れは人一倍です。今でも大学の同級生は勿論の事、高校同期で慶応に行った仲間とこの思い出は繰り返し話題になります。早慶戦前までの戦績は慶応が順調8勝2敗の勝ち点4、早稲田は前週の明大4回戦で安藤が打たれて7勝3敗1引き分け。慶応は早慶戦で勝ち点を取れば完全優勝、1勝2敗で優勝決定戦、連敗すると早稲田の優勝。
一方の早稲田は連勝なら優勝、2勝1敗で決定戦と厳しいシチュエーションでした。戦力でも投手陣は慶応がと
清沢、角谷、三浦、北野の4本柱(いずれも3年)で完璧に対し、早稲田は金沢(4年)が直前の投球練習中指を故障して万全でなく、安藤(3年)が頼りでした。攻撃は両校互角と見られていました。
優勝の懸かったとあって球場は超満員、両校学生席は早稲田・フクちゃんと慶応・ミッキーマウスのデコレーションを背に応援合戦で盛り上がりました。13時30分試合開始と同時に双方応援席から伝書鳩が放たれ、合流した鳩の飛ぶ方向が一塁側なら早稲田、三塁側なら慶応の勝利との言い伝えがあった。応援席の歓声が一段とヒートアップしたためかこの時はセンター方向に飛び去ったので引き分けかなと冗談半分に友達と予想しました。
・
以下に6連戦の経過を記述します。
①1回戦11月6日(日):早稲田2対慶応1
試合は安藤が投球数113、被安打6、与四死球1、奪5三振、自責点1と好投して早稲田が2対1で先勝しました。然しこの試合は慶応が9回裏に0対2から1点を返してなお1死走1・2塁と逆転サヨナラのチャンスが続き5番小島がセンター背後に大飛球を放ったので一瞬肝を冷やしました。早稲田センターの石黒がバックして好捕して2塁手村瀬が中継し、3塁手徳武主将に送球して3塁進塁を図った慶応・渡海主将を刺して一瞬のダブルプレー。早稲田の中継プレーは見事で日頃の練習が実ったシーンで早稲田は先勝して有利になりました。
・
②2回戦11月7日(月);早稲田1対慶応4
慶応が足と早稲田の失策を絡めた速攻で1,2回に3点を先取しました。早稲田先発金沢は安打7、四死球4、自責点1、4失点と苦しい投球でしたが9回完投して2番手の役割を何とか果した。むしろ2回から登板の角谷に3回の1得点に終わった打線に問題ありと感じた。
・
③3回戦11月8日(火):早稲田3対慶応0
早稲田は清沢から1,8回に1点ずつ得点して更に9回遊ゴロで徳武が3塁から強引にホームをつき、タイミングはアウトと思いましがスパイクを上げてスライディングして大橋捕手の落球で1点を加えた。これに対して慶応が抗議するも球審はホームインを認めた。徳武は謝ろうと大橋に近寄ったが“文句をつけにきた”と慶応側が勘違いして渡海主将らが徳武を取り囲んだ。場内は殺気だったが両監督が直ぐ中に入って収めたがその裏に3塁の守備についた徳武めがけて慶応学生席からミカン、空き缶が投げ込まれ場内騒然あわや”第2のリンゴ事件“かと思われた。この時慶応前田監督が3塁コーチボックスに立ちいきり立つ応援団のなだめ役をつとめてようやくゲームが再開された。これは前田監督のファインプレーだった。この場面は下手をすると没収試合になり、汚点を残す可能性もあった。徳武は前田氏に恩義を感じて年賀状を欠かさなかったと言う。試合は安藤が107球、安打6、四死球1、三振5、自責点0で完封して3対0で早稲田が2勝1敗として、両校9勝4敗同率の優勝決定戦に持ち込まれた。
・
④優勝洋決定戦11月9日(水):早稲田1対慶応1
優勝決定戦となり球趣は益々盛り上がり平日ながら満員になった。早稲田は安藤が第3戦に続き連投、慶応は角谷が第2戦から1日置いて登板した。安藤は2回に渡海の3塁打に続く大橋の犠飛で先取点をとられたもののその後は追加点を許さず延長11回を111球、4安打、1四球、3三振、自責点1と完投した。角谷は9回表まで無失点で好投して9回表1死無走者で得点は早稲田0対慶応1なので負けを覚悟した。早稲田石井監督は次打者末次をひっこめて代打に控えの大型捕手鈴木を代打に送った。末次は2年生ながらレギュラー遊撃手で早慶戦迄打撃ベストテン5位の粘り強い好打者であったのに対し、鈴木(2年)は試合経験が乏しく、長打力はあるが打撃が粗いのでこの代打策に私は疑問に感じた。ところが鈴木は右中間を破る起死回生の長打を打って3塁にヘッドスライディングしたのを鮮明に覚えている。次打者石黒がしぶとくライト前に流し打ちして同点にした。
この場面を慶応に行った高校同級生は『勝利を確信して新聞紙を破って紙吹雪にしたのに』と後で口惜しがっていた。11回終了時点で16時15分となり、当時ナイター設備がない為試合続行不能で引き分け再試合になった。チケットの印刷が間に合わないので再試合は1日空けて11日になったと聞いた。もし10日に再試合となっていたら安藤は9日と連投になり、試合結果は変わっていたかも知れないと慶応同級生は言っていた。
・
⑤優勝決定戦再試合11月11日(金);早稲田0対慶応0
勝負は史上初の再度の優勝決定戦に持ち込まれて応援する学生も極度に興奮して試合終了と同時に翌日の試合の切符売り場前に長い行列が出来て徹夜マージャンの支度をする者もいた。現に私の友人も早慶にいました。
この試合、早慶双方の投手が好投して両校無得点で延長11回0対0の日没引き分けとなった。
早稲田・安藤が11回132球、7安打、5四死球、4三振、自責点0に対し、慶応・角谷、清沢が二人で149球、8安打、4四死球、4三振と相譲らぬ好投でした。絶体絶命のシーンは0対0の11回裏でした。慶応は先頭の俊足安藤が四球、2番榎本とのヒットエンドランが決まり右前安打で無死1,3塁となり、小島敬遠で無死満塁。次打者の渡海は引っ張る打者なのでレフトフライを警戒して強肩の鈴木(勝)をレフトに起用して、弱肩の左翼伊田を右翼にまわした。渡海はこれを見越してか右飛を打ち上げて我々は犠飛かと観念した。所が伊田から一世一代の絶好の返球が捕手野村に。安藤はヘッドスライディングしたが宇野主審の右手が上がりタッチアウト。なおも慶応は2死2・3塁の好機が続き強打者5番大橋だったので石井監督は大橋を敬遠して満塁策を取り、次打者と勝負させて三振に討ちとりチェンジとなった。すでに暗くなり主審は日没引き分けを宣告した。早稲田は九死に一生を得て大歓声を上げ、慶応は昨日に続いて勝ちを逸して意気消沈した。
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⑥優勝決定戦再々試合11月12日(土):早稲田3対慶応1
早稲田の先発はまたも安藤に対し、慶応は清沢、角谷、三浦、北野の4人を総動員して対応した。
早稲田が2回に徳武の安打と野村の二ゴロ失から得た1死1,2塁のチャンスに所がレフトオーバーの三塁打で2点先取して更に5回表には徳武の三遊間安打で1得点した。安藤はその裏の慶応の反撃を1点に抑えて9回を3対1で投げ切り、投球数101、安打5、四死球1、三振4、自責点1だった。早稲田優勝最大の貢献者安藤は5試合の延長戦含み49イニングを564球、安打27、四死球9、三振21、自責点3、防御率0.551の超人的活躍だった。
試合直後は勝ち負けより“やっと終わった”が実感で両校応援団が校歌・塾歌を斉唱してエールを交換してお互いの健闘を称え合ったのち、歓喜に酔い「早稲田の栄光」をゆったりと大声で歌ったことを今も思い出します。
安藤は1996年に享年56歳で亡くなりました。葬儀は築地本願寺で営まれて私は1学年上の同世代であったので青春の挽歌と考えて通夜と告別式に参列しました。彼は卒業後東映フライヤーズに入団し、1年目は13勝、日本シリーズで2勝して最優秀投手賞でしたがその後は4勝してプロ生活を4年で終えました。
「6連戦で」完全燃焼したと私は思っていたので、式場に早慶戦と思われる大写しの彼の下手投げの投球写真を見て当時を思い出して万感胸に迫りました。
早稲田石井監督(当時28歳)は「一球入魂」を、慶応前田監督(当時30歳)は「エンジョイベースボール」を指導理念として徹底する卓越した指揮官でした。「6連戦」は両監督の功績大と思います。石井氏は2015年、前田氏は2016年に逝去しました。2020年に揃って野球殿堂入りして2020年春早慶1回戦の試合開始前にお二人のご子息に伝達されました。
「早慶6連戦」は学生時代のかけがえのない思い出として一生残るであろう。感謝したい! (完)
What’s JAZZ 69回のご案内
What’s JAZZ!
ジャズへの招待vol.69
~秋に似合う男性シンガーによる名曲コンサート ~
ポピューラー、ジャズ、ボサノバ、映画音楽の各名曲で
夏の終わりのひとときを柳澤伸之とブルースカイトリオの
サウンドでお楽しみ下さい。
2024年9月13日(金)
・ランチタイムコンサート 12:30開場 13:00開演
・ティータイムコンサート15:30開場 16:00開演
・出 演 柳澤伸之(vo)神村晃司(p)菅井信行b)スインギー奥田(ds)
・曲 目 ランチタイム ☆popular Song ☆Jazz Song
ティータイム ☆Bossa Nova ☆映画音楽
・場 所 関戸公民館ヴィータホール(ヴィータコミューネ8F)
・入場料 ランチタイム、ティータイムそれぞれ2,000円、
(ランチ、ティータイムの両方購入の場合は3,000円)
前売券は、8月6日(火)午前10時から9月12日(木)迄
ヴィータ7F多摩ボランティア市民活動支援センターで発売、
当日券は当日11時30分から会場受付で発売。
・定 員 230名
※クーラーが寒いとお感じの方は羽織るものをご持参ください。
※次回vol.70は70回を記念するコンサートです。12月6日を
予定しております。どうぞご期待ください。
・主 催 What’s JAZZ実行委員会
・共 催 関戸公民館(042-374-9711)
お問い合わせ
〒206-0023多摩市馬引沢2-3-1 山中康廣建築設計事務所
(山中042-371-4084、当日090-4522-4905)
what’s JAZZ 多摩 – whatsjazztamaのJimdoページ (jimdofree.com)
2024年東京三多摩支部会長会(総会)開催報告
開催日:2024年7月14日(日)
時間:17時~19時30分
会場:パルテノン多摩4階会議室「1」
参加人数:三多摩26支部会長・幹事長・事務局長・幹事スタッフ・来賓、合計:55名
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7月14日、三多摩地区26市から53名の会長・幹事長・事務局長を主とする役員が集結し標記会議を開催した。
多摩稲門・稲城稲門会が2024年度三多摩支部の主幹事稲門会として4月から活動開始しており、三多摩支部会長会は前年度活動計画・今年度事業計画等を報告、審議、採決する目的の会議である。
多摩稲門会から尾ノ井会長、(三多摩支部支部長)、長張副会長(三多摩支部事務局長)、又木副会長(三多摩支部副支部長)、稲垣幹事長(三多摩支部幹事)、野宇会計幹事(三多摩支部会計)の5名が参加した。
17時に長張事務局長の司会で開始、冒頭は尾ノ井支部長の挨拶があり多摩市やパルテノン多摩の紹介等を話した。続いて長張事務局長より出席者紹介があった。引き続き校友会来賓の廣瀬進治校友会常任幹事、長谷川敦史東京三多摩地域コーディネータの挨拶があった。
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会議に入り以下の議案についての報告・審議および採決が行われた。
第1号議案 2023年度東京三多摩支部活動報告および決算報告
前年度主幹稲門会の国分寺稲門会大橋副会長から2023年度活動報告と同稲門会赤池会計幹事から2023年度決算報告がされ承認された。
第2号議案 2024年度東京三多摩支部 役員選出
尾ノ井支部長から提出された2024年度三多摩支部役員候補について承認された。

第3号議案 2024年度東京三多摩支部事業計画および予算案
長張事務局長、野宇会計幹事から提出された2024年度事業計画および2024年度予算案が承認された
第4号議案 2025年度主幹稲門会の選出
東大和、武蔵村山、あきる野、福生の4稲門会が2025年度主幹稲門会として承認された。
各稲門会からの若干の質疑・要望の後、18時30分から懇親会が始まった。
須永副支部長(稲城稲門会会長)の挨拶に始まり、続いて清水国分寺稲門会名誉会長の乾杯で懇親会が開始された。弁当と缶ビールだけの簡素な懇親会であったが会議机を並び変え顔を突き合わせて歓談し、各稲門会の情報交換を行った。

約1時間の歓談の後、鈴木良明副支部長(稲城稲門会副会長)の閉会の挨拶があり、8月31日リンクフォレスト(多摩センター)で開催される三多摩支部大会での再会を誓い合って散会となった。
野宇 進 記
第127回俳句同好会
サークル「俳句同好会」の句会が7月19日、多摩市関戸の公民館和室で開かれた。127回目になる。7人が出席し、5句ずつ投句と選句を行ったが、1人が欠席したものの投句には参加し、合わせて40句のうち21句が選に入った。
合評タイムで話題になったのは、〈風入れの晶子源氏を読み出せり〉という特選句。源氏物語は谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴も現代語訳の著書を出しているが、作者は与謝野晶子の訳がよいとし、選句した方もそれに同調したわけだ。
同じく特選句の〈若き日の水着身に当てルージュ足す〉も話題になった。高齢になり健康のためプールを歩くために若い頃の水着を取り出したが、ついルージュも、という女心を詠んだのだ。
合評では添削もする。例えば原句が〈炎天の大使館向け祈る僧〉は中7が〈大使館向き〉と位置関係を明確にし、上5も〈炎天や〉で切り、〈炎天や大使館向き祈る僧〉が成句となった。イスラエル大使館に向いて祈る僧の写生である。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)。
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若き日の水着身に当てルージュ足す―川俣あけみ(辻野◎、宮地◎)
風入れの晶子源氏を読み出せり―川俣あけみ(又木◎、川面、辻野)
籐椅子や頬に残れる市松文―――又木淳一(長張◎、川俣、辻野)
山降りて目に飛び込み来氷旗―――松井秋尚(川俣◎、長張)
夕暮れの音拾ひたる端居かな―――宮地麗子(川面◎、長張)
かき氷の列の長さよ動物園―――宮地麗子(川俣、白井、又木)
一時間に一本のバスかき氷―――川俣あけみ(白井、宮地)
初もぎの甘き蕃茄は陽の匂ひ―――辻野多都子(川面、川俣)
包丁や研いで試しに切るトマト―――長張紘一(白井、宮地)
薔薇一輪異国の海のガラス瓶―――辻野多都子(川俣、宮地)
かき氷掻く音聞こゆ旅の茶屋―――川面忠男(長張、又木)
白熊てふ今日の昔のかき氷―――又木淳一(辻野)
向日葵の迷路抜け出て仰ぐ富士―――川俣あけみ(辻野)
炎天や大使館向き祈る僧―――川面忠男(白井)
夏蝶や草の影より湧き出づる―――宮地麗子(又木)
捥ぎくれしトマトに土と日の匂ひ―――川俣あけみ(又木)
葉の蔭に隠れやうなきトマトかな―――松井秋尚(宮地)
川蛍友のおよびを離れざる―――辻野多都子(川面)
山を背に川風の中かき氷―――白井昭男(川面)
交差点ビル影求め急ぎ足―――長張紘一(白井)
かき氷赤か緑か迷ひをり―――松井秋尚(長張)
(文責・川面)
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