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早慶ラグビー戦を語る
2023-11-27 湯浅芳衛
(1)歴史
早慶ラグビー定期戦は大正11年(1922年)に始まり、今年で100回目です。通算成績は早稲田72勝20敗7引き分けで早稲田が圧倒していますが両大学のプライドと意地がぶつかりあう「屈指の伝統の一戦」です。早稲田大学ラグビー蹴球部は1918年(大正7年)創部で日本では4番目に古く、慶応義塾大学蹴球部は日本最古の1899年創部です。因みに2番目に古いのは旧制三高が1910年、3番目は同志社が1911年です。明治創部は1923年、帝京1970年です。
大学ラグビーは歴史的にリーグ戦形式ではなく好きな相手との対抗戦としてスタートしたので優勝という概念でなくて結果として何勝何敗かで順位を決めて全勝が最強とされていました。
戦前より関東では早慶明が伝統校として扱われてきました。早慶戦は11月23日、早明戦は12月第1日曜日と決まっています。慶明戦は特に決まっていません。
大学選手権は1964年にスタートして今回が60回になり今年度の決勝は1月13日です。
優勝回数は早稲田が最多の16回で、明治13,帝京11,同志社4,慶応3です。
日本ラグビーは戦前から早慶明がリードしてきました。とりわけ早稲田の
「揺さぶり戦法」、「接近・連続・展開」は日本ラグビーに大きな影響を与えて、現在の日本代表の基盤になっています。日本代表にも多くの人材を送り込んできました。
今回のW杯も早稲田は最多の7人、帝京6、明治1、慶応・同志社0です。
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(2)早慶戦絡みのエピソード3題をご紹介します。
イ.故今村次郎さんのこと
私が今でも鮮明に憶えているのは大学2年の昭和33年に早稲田が慶応、明治を連破し関東対抗戦で全勝して更に同志社にも勝って全国制覇した年です。その年は慶応が強力メンバーを揃えて優勝候補でした。一方早稲田は日本代表・快足の名ウイング日比野(後に早稲田監督として日本一3回、日本代表監督も務めた)が3月に卒業してバックスの決定力が落ちたと評されていました。その後を埋めたのが2年生の名門・秋田工業出身の今村選手でした。早慶は全勝で対決し、今村さんは後
半1トライして更に強烈なタックルを浴びせて16対11で快勝するのに貢献しました。そのシーンは眼に焼き付いています。今村次郎さんは卒業後東横百貨店に就職し、当時社会人の強豪・東横百貨店チームでも活躍されました。東横では田中様と公私共に親交を結ばれたとお聞きしました。田中先輩との飲み会でも選手時代の高名を決して吹聴されず謙虚な方でした。『清宮が監督になったらOB への寄付依頼が多くなった』と笑いながら嬉しそうに語っておられました。
病を得て平成27年に逝去されました。
ロ.慶応OB・赤津喜一郎氏と志賀英一・関東協会会長がオッカケたい懇親会に来場!
赤津氏は昭和30年度に慶応が全勝した時の名HO・主将で後年日本代表になりした。田中先輩とは東横百貨店の同期入社で親しい間柄と伺っていました。その関係で十数年前に早慶ラグビー観戦後の新宿ライオンでのオッカケたい懇親会に出席して頂きました。
更にハプニングで何と当時の関東協会・志賀会長も同道されました。志賀様は今村さんと高校時代チームメートでした。早稲田で名HO、日本代表として活躍し、4年時に主将を務めました。ご両人ともラグビー界で著名な方ですが、風格のあるラガーマンで我々とも気さくに接して頂きました。試合は早稲田が快勝しましたが赤津氏は『大敗の原因は慶応のタックルが高かったことに尽きます。無様な試合をお見せして申し訳ありません。帰ったら監督、コーチ陣にきつく注意します』と反省の弁を述べておられにました。慶応の「魂のタックル」はこうして継承されるのかと感服しました。
ハ.監督と主将の絆
私ごとで恐縮ですが小生の従妹が昭和33~34年度ラグビー部監督の大野信次氏ご長男に嫁いでいます。彼女が言うには『うちのパパは自分の息子よりも冨永さん(33年度主将)と志賀さん(34年度主将)を可愛がっているのよ』と良く笑っていました。監督・主将の関係はそれ程
強いのかと驚かされました。
従妹は前出の懇親会に出席していました。志賀様と久しぶりの思わぬ再会にびっくりして昔話に話が弾んでいました。
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(3)当日の観戦記
イ.試合前
早慶ラグビー戦は今年が100戦目を記念して36年振りに国立で行われることになり、「オッカケたい」は10人の方が参加しました。
早慶ラグビーは毎年好天に恵まれますが今年も小春日和でした。集合場所は新国立が不慣れなので早慶野球戦で勝手の分かっている隣接の神宮球場正面入り口前にしました。自由席の観やすい席を確保するため11時半に集合しました。FC東京の熱心なサポーターで国立に慣れている菊沢さんの差配で手際よく固まった見やすい席をゲットできました。流石に観客の出足も良くスタンドが埋まり、両校のチアリーダーの演技で華やかな雰囲気に期待が高まりました。満場の声援の中、選手が入場・整列して校歌・塾歌の斉唱後14時にキックオフされ伝統の一戦が始まりました。
ロ.前半
早稲田はスクラムを押し勝ち、ラインアウトも確実に確保して、セットプレーで優位に立ちました。15人の集散も良く接点で上回り、モール、ラックを連取してボールを継続して連続攻撃を仕掛けました。5分から20分までの間に連続3トライ・3ゴールで21対0と幸先よくリードしてこのまま圧倒するかと思われました。しかし慶応はその後にキックを織り交ぜて反撃して14得点して7点差として俄然試合は緊迫しました。然しさすが早稲田は終了間際に HO佐藤 (3年)が モールトライして28対14で前半を終了しました。
ハ.後半
後半開始後どちらが先に得点するかが試合の帰趨を決めると思いました。果せるかな早稲田は開始後3分にFB伊藤主将→HO佐藤 (来年の主将と目されています) →左WTB矢崎の桐蔭学園組のパスでトライしました。
伊藤の好判断、佐藤の突破、矢崎の好フォローと見事な連携でした。中でも矢崎は1年生ながらスピードと得点感覚が優れていることを如実に示 しました。 180㎝・86㎏の大型ウイングで将来の日本代表をも期待されるホープで、これから楽しみです。更に11分に左CTB野中 (2年) がPGを決めました。 野中はこの試合狙ったコンバージョンキック8本の内7本成功とほぼ90%の高い成功率です。(慶応の成功率は67%でした) これからの明治、帝京戦でもキックの成功は勝敗を左右する程で極めて重要です。 その後慶応にモールトライされましたがロスタイムにナン
バー8の 1年生松沼が 矢崎からの好パスを受けて 相手ディフェンスを振り切ってトライしました。彼は177㎝・93㎏で決して FWとして 大柄ではありませんが強さ、スピードと豊富な運動量を誇る期待の新人です。
その結果、後半は15対5でトータルスコアは43対19とダブルスコア以上の快勝でした。
これで通算対戦成績は早稲田の73勝20敗7引き分けとなりました。
但し、モールで2トライ献上は、次の早明戦と大学選手権の帝京戦では改善が必要です。
不用意な反則で相手にフリーキックを与えてゴール前に押し込まれて敵に徹底したゴリゴリ戦法をさせないことが 必須です。
その為にはFWが五分以上に渡り合い、ファーストタックルは相手を一発で倒し、接点で逆に押し込み、連続攻撃で振り回して早稲田ペースで進めてして欲しい。




二.懇親会
懇親会はいつもの新宿ライオンで席を予約して16時30分~18時頃迄楽しみました。
観戦した10人の内1人が風邪で不参加になりましたが、サプライズで20年来の校友ラグビーオッカケ仲間1人とノーサイドの多摩三田会2人が参加して12人と賑やかでした。
早慶戦の戦評もさることながら、何故帝京が強いのかが話題となりました。大学当局の「ヒト・モノ・カネ」のかけ方にあるのではとの意見が大方でした。 勿論それにもかかわらず「早稲田、荒ぶれ!」の声援が一致してお開きとなりました。 (完)
『多摩稲門会第74回文化フォーラム・懇親会』
第74回となる文化フォーラムと懇親会が、小春日の令和5年11月18日(土)午後1時から6時、多摩市関戸の京王クラブ2階で開催された。
今回の文化フォーラムは、今年が関東大震災から100年に当たり、南海トラフ地震、首都圏直下型地震も予想されることから、「震災は忘れずにやってくる」という時宜を得たテーマであり参加者の関心も高く熱のこもった講演となった。
午後1時長張副会長の開会宣言、尾ノ井会長の開会挨拶に続き長張副会長が講師の野尻明美氏の紹介を行った。
野尻氏は東北大学工学博士、一級建築士で発明奨励賞、科学技術長官賞等数々の賞を受けられ、功績により紫綬褒章を受章されている。著書も技術書等多数。また日野稲門会会員(早稲田大学第一理工学部卒、同研究科建設構造学科終了)でもあられる。長張副会長は立川断層の真実について氏の野外講座の受講体験を踏まえ、講演を楽しもうと話し、氏のプロフィールを紹介した。
「震災は忘れずにやってくる」と題された講演は、名の明美の由来から始まり、簡潔に纏められたスケッチ・写真資料、プロジェクターを駆使し懇切丁寧な説明で進行した。内容は氏の検証結果を基に、先ず地震と火山噴火発生のメカニズムについて、定説の誤解と氏の仮説即ち“地震は深さ10㎞以深でのマグマの水素爆発で、火山噴火は噴火口でのマグマの水素爆発である”との説明に会場から驚きの声が上がった。次に液状化火災と津波火災発生のメカニズムについて、定説の誤解と野尻仮説では“液状化現象で湧出するメタンガスに火がついて起きる。同時多発火災が起き、大勢の命を奪う”と過去の地震での液状化火災、津波火災の事例にどよめきが起きた。熱心な質疑応答の後、「いつかは正論が勝つ」を信じドン・キホーテの蛮勇を借りて震災で失われた命を無駄にしないように今後も努める。と講演を締められ、盛大な拍手が送られた。又木副会長の閉会の辞と次回1月27日(土)文化フォーラム(早稲田大学マンドリン楽部新春スペシャルライブ)・賀詞交換会の案内で第74回文化フォーラムを終了した。

引き続き懇親会が堤副会長の開会の挨拶、吉川幹事による乾杯の音頭で始まり、遠藤幹事の司会で進められた。
和やかな懇談が続き、講演いただいた野尻氏も歓談の輪に入り、質問を受けるなど多くの会員と懇談された。会員の一口スピーチが始まり、まず遠藤幹事から招待の早大3年村上晃 一さんの紹介があり、経済的に恵まれない生徒・児童のボランティア団体学習支援サークルの共同代表と自己紹介があった。続いてほぼ参加者全員が今日の講演の感想、現況などをスピーチした。宴もたけなわになった頃、又木副会長の閉会の挨拶があり、参加者全員で校歌「都の西北」を斉唱した。最後に平松幹事の力強いエール発声で閉演した。
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文化フォーラム及び懇親会参加者(敬称略)
尾ノ井光昭 長張紘一 又木淳一 堤香 苗 白井昭男 川面忠男 鷹尾清文 辻野多都子 平松和己 服部靖紀 鈴木忠男 白石徹郎
加来健一郎 吉川啓次郎 中西摩可比 遠藤ちひろ 湯浅芳衛 菅沼康光 (日野稲門会) 村上晃一 野尻明美 (参加総数 20名)
又木淳一 記
日野稲門会 第3回 美術作品展
日野稲門会「第3回美術作品展」を開催いたします。 油彩画、水彩画、写真、陶芸、彫刻、和紙工芸等の バライティーに富んだ力作の数々が展示されます。 ご多忙の折とは存じますが、ご高覧下さいます様 ご案内申し上げます。
会期:2023年12月5日(火)~8日(金) 10:00~17:00(初日13:00から、最終日16:00まで)
会場:ひの煉瓦ホール(日野市民会館)2階展示室 東京都日野市神明1-12-1(日野市役所隣り)
出展者
荒谷 英幸 石川 三重子 上村 邦雄(狛江稲門会) 杉村 和子 高木 洋 高戸 章 西海 英雄 野尻 明美 藤野 健治 松島 和代 宮本 誠二
お問合せ先:宮本 誠二 TEL 080-3205-0583
/ E-mail seiji74.511@ivory.plala.or.jp
第119回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の句会が11月17日午後、多摩市の関戸公民館和室で開かれ、メンバー8人が出席した。各人が5句ずつ投句、合わせて40句の中から5句ずつ選句したところ25句が以下の通り選に入った。
多摩稲門会の「歴史に遊ぶ会」が企画した松島の旅などの吟行句も10句選ばれた。最近の戦争を踏まえた感慨句が選に入ったのことも11月例会の特徴だ。
今回から選外となった句についても選句しなかった理由を述べ合い、楽しむだけでなく勉強する句会ともなった。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者、特選は◎で表記。
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戦ひは人滅ぶまで山眠る―――川俣あけみ(又木◎、辻野、長張、宮地)
殉死者の位牌へ向ける枯蓮―――川俣あけみ(宮地◎、川面、又木)
彼の日秘め凪ぎわたる湾牡蠣筏―――川俣あけみ(川面◎、辻野、又木)
一時も休む間もなし秋の蝶―――長張紘一(松井◎、白井)
騎馬像の城下のビルや冬日和―――川面忠男(川俣◎、辻野)
松島や凪ぎて揺れ無き牡蠣筏―――宮地麗子(長張◎)
佐渡
冬の雷遠流の人の声かとも―――川俣あけみ(川面、辻野、又木、宮地)
しぐるるやガザに生まれし児を想ふ―――白井昭男(川俣、宮地)
朝空の半月薄き冬隣―――宮地麗子(又木、松井)
小春日に松の島々流れ行く―――白井昭男(川面、松井)
帚目の確かさ今朝の菊花展―――又木淳一(松井、宮地)
秋高のエール交換早慶戦―――又木淳一(川俣)
パソコン無き自由と不安秋深し―――又木淳一(長張)
名を知れば愛しさ増しぬ柚香菊( ゆうが ぎく)―――辻野多都子(長張)
冬紅葉映ゆる白砂や湾の風―――川面忠男(川俣)
茶の花のぽつぽつと咲く低き垣―――松井秋尚(長張)
青葉城資料館
礼尽くす自筆の書状冬うらら―――川俣あけみ(松井)
立冬の杜の都や歩の弾む―――川面忠男(白井)
翅と脚失くしたる虫果てにけり―――長張紘一(白井)
揺り椅子に鳥の声聞く小春かな―――松井秋尚(川俣)
飛び跳ぬる小魚狙ふ残り鷺―――長張紘一(白井)
北国の新球場や初紅葉 ―――辻野多都子(川面)
念押しにひっくり返す栗のいが―――長張紘一(白井)
島々を巡る航跡冬ぬくし―――川面忠男(辻野)
(文責・川面)
「歴史に遊ぶ会」の「みちのくの旅」
多摩稲門会のサークル「歴史に遊ぶ会」は、好天に恵まれた11月8日から9日にかけて宮城県の仙台、松島、塩釜、多賀城の史跡を探訪した。参加者は稲門会会長の尾ノ井光昭さんをはじめ川俣あけみさん、菊沢光江さん、宮地麗子さん、それに世話人の川面忠男の5人。そのうち3人は「俳句同好会」のメンバーであり、訪れた先で俳句を詠む吟行の旅ともなった。
仙台駅に到着後、直ちに青葉城こと仙台城址へ。眼下に広瀬川、川向うにビル街が広がり、左に目を転じると七ツ森と呼ばれる山並みを遠望する。城址は青葉山にあり、背後は竜の口渓谷という数十メートルの断崖が続く要害だ。藩祖の伊達政宗が居城とした広場に政宗の騎馬像が立っている。観光客には写真の撮影スポットだ。青葉城資料展示館があり、政宗の書状、政宗が着用した具足などが常設展示されている。
政宗の霊屋のある経ヶ峯へ。霊屋は瑞鳳殿と呼ばれる。桃山文化の遺風を伝える廟建築で戦前は国宝だったが、戦災で焼失、後に再建された。さらに政宗が造営した大崎八幡宮へ。安土桃山時代の現存最古の権現造りとして社殿が国宝になっている。
翌日の9日は仙石線で松島海岸駅へ。政宗の孫、光宗の菩提寺・円通院へ寄った。霊廟の三慧殿は重要文化財、厨子に描かれているバラには由緒がある。政宗の正使としてスペイン、ローマを訪れた支倉常長が持ち帰ったものだ。そういうわけでバラの庭があり、円通院は「バラ寺」として知られている。秋のバラが咲いていたが、白砂の庭に沿う紅葉も見頃だ。続いて伊達家の菩提寺として格式が最も高い瑞巌寺へ。本堂はむろん庫裡も国宝だ。境内の宝物館を見学した後、松島の遊覧船乗り場へ向かった。
ちょうど12時に松島湾一周の遊覧船に乗った。観光シーズンであり、船内はほぼ満席だった。50分のコース、外洋に出ると、少々揺れて波しぶきが立った。

遊覧船を降りて五大堂を背景に参加者の記念写真を撮った。そして五大堂に詣でた後、塩釜の塩竃神社へ。社殿は重要文化財だ。芭蕉は「おくのほそ道」に「塩竈の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽(さいてん)きらびやかに、石の階九仭にかさなり、朝日朱の玉垣をかかやかす」と記している。同じく芭蕉が立ち寄った多賀城の政庁跡、その近くにある壺の碑(いしぶみ)を見て予定した史跡巡りを終えた。
(文責・川面)
‘23年秋・早慶戦観戦のご報告
「文武両道」を標榜する、わが母校・早稲田大学。
しかし近年は、競合大学の強化または新興大学の出現等により「スポーツの早稲田」の声望
は残念ながら低下していると思われます。
そこで、大学当局も、我々OB(稲門会)に対して特に三大スポーツ(野球、ラグビー、駅伝)を中心に「強化」の支援を求めて来ているのが現実ではないでしょうか。
母校・ワセダを愛する我々OBもこの要望に呼応して立ち上がろう!・・・と。
そこでその「第一弾」として、今秋の「野球・早慶戦」を多摩稲門会挙げて熱烈応援する
決意をし、準備を進めてきました。
今秋も優勝候補は、街の噂では明治と慶応であり早稲田の評価は必ずしも高くなかったのですが、早稲田がシーズン後半に気力の勝利を重ねる一方、明治が不測の敗戦を被り、最終カードの「早慶戦の勝者」が優勝の栄冠を獲得する事が可能と言う素晴らしい「舞台」が用意されたのです。
多摩稲門会では、「オッカケたい」の湯浅代表の呼びかけに、早々に尾ノ井会長のご賛同を頂き、続いて11名の仲間が意気軒高に参加して頂くことが決まりました。
時。10月28日、晴天の神宮球場に午前10時過ぎには先発隊が集合。入場券の手配、観覧席の確保等を済ませ11時迄には「多摩応援団」全員を迎え、球場最高の指定席、神宮球場正面2階席の前列に勢ぞろいしました。この指定席も多摩稲門会を以前から世話して頂いている早大野球部の幹部・亀田様の特別のご厚意によりご手配頂いたものです。

試合前から、球場の内・外野席共に略満席。早慶両校の応援合戦、選手の試合前練習。校旗入場、校歌の斉唱、そして、愈々Play Ball !!
早稲田の先発投手は、エース・加藤、慶応は2年生の外丸。
両投手の好投で8回までは投手戦の様相。しかし加藤の方が安定感があり、慶応は8回まで無得点。
一方早稲田は5回に2年生の元気者の尾瀬がタイムリーヒットで先取点を叩き出し先行。
しかし、ドラマは最終回に用意されていた:
早稲田は優勝するためには2勝する必要があり、小宮山監督は明日以降の試合を考え、
最終回には好投・加藤を温存し、1年生の香西を投入した。
香西は、元気に晴れの大舞台に上がった。しかし、この舞台は何といっても「華の早慶戦」。
One out は獲ったがその後pressure が強かったのでしょう。Four ball を連投し、遂に失点し同点。その後、投手も準エースの伊藤を送り込んだが、早稲田内野陣の乱れもあり逆転の
ヒットを浴びてしまって、遂に、慶応2対早稲田1。
健闘の早稲田もこれまでか! しかし、多摩稲門会の必死の応援を受ける今シーズンの早稲田にはこの試合は「勝利以外に選択肢はない!!」 全てを9回の裏にかけた。慶応は必勝・逃げ切りを図り、4年生で桐光学院出身の谷村を投入してきた。かれも異様としか表現方法のない早稲田の雰囲気に畏縮したのか、早稲田の香西と同様 Four ball を連発、走者満塁としてしまった。ここで早稲田はこの日、先制点を叩き出している元気者・尾瀬が痛烈な安打をセンター前に運び先ず同点、続いて本日ベンチで出番を心待ちしていた、やはり2年生の小沢がピンチヒッターとして登場。谷村の速球を火の出るようなライナーでタイムリーヒットをライトに放ち劇的な決勝点を挙げた。

神宮球場を轟かせる大興奮。ご想像下さい。我が多摩稲門会の面々も互いに立ち上がり抱き合って、涙を流して勝利の歓喜に浸りました。
予定どうり、私たちは新宿のBeer Hall に舞台を移し美酒に酔い、早稲田の栄光を讃え、明日また慶応を倒し優勝することを信じ家路に向かいました。

(完)
―追伸―
以上、駄文をお読み頂き有難うございました。
私のレポートは、ここで終わる予定でしたが、皆さんのお手元にこの「報告」が届く前に、早慶戦の勝者(2勝した方)が決まる筈ですので、本日(10月31日)まで送信を待たせて頂きました。
その結果は。ご承知のように、早稲田の必死の健闘にも拘わらず、慶応のガンバリに及ばず、初戦は早稲田に負けましたが、第2戦は4対0で、決戦の3戦も5対3で早稲田に雪辱を果たし優勝したようです。
残念ではありますが、今回は「宿敵・慶応」の健闘に拍手を送ることにしましょう。
今シーズンは、我が早稲田多摩稲門会の出動は1回戦だけでしたが、「早稲田のチームはやはり、我々の応援を切望しているのだ」と勝手に思っています。
仲間の皆さん! 野球に続いて、ラクビー、駅伝等の大学スポーツも本番を迎えます。
機会を見つけてお互いに「母校・早稲田」の応援に出かけ、素晴らしい「青(老)春」を
謳歌しましょう!!
(2/2 完)
―文責、 多摩稲門会オッカケたい・吉川啓次郎―
「2023年10月度ボウリングの会例会」実施
10月の初めまで35度近くの暑さで、街ゆく人も半袖の装いだったのが、中旬になって例年通りに涼しくなったのには少しほっとした感があります。
異常気象のおかげで、前回のボウリングの会例会は7月に行ない次は9月だったのが、ちょうどその日のあたりに集中豪雨が関東を襲い、交通機関が大混乱になり、9月度は中止で10月に延期となりました。
10月28日(土)、10月度の「多摩稲門会ボウリングの会」例会が行われました。場所は永山コパボウル。

今回の参加者は3名。ボウリング場の全レーンが大会の関係で午後5時まで埋まっていたので、通常とは違い、午後4時45分集合、5時開始で約2時間プレーを行いました。
参加者は、藤原雅博さんと塚原英俊さんと世話人稲垣の3名です。塚原さんは藤原さんと大学同期の早稲田マンです。
藤原さんの投球からスタートを行い、塚原さん、稲垣の順で行いました。藤原さんは第1ゲームから200アップを果たし、その後も高得点を出していました。ストライクはもちろんスペア取りも正確で、多摩稲門会「ボウリングの会」のレベルを上げています。塚原さんの投球も見事で、一直線にピンに向かうボウルはうなりをあげていました。運動神経抜群な塚原さんは、スペアも確実にとり、安定したスコアを出していました。稲垣の投球も、今回は比較的安定しており、第1ゲームは180越えでした。第2、3ゲームも無難なゲーム運びで150前後のスコアで推移しました。やはり14ポンドのボウルは今の自分には重く、ゲーム終了後、ボウリング場に13ポンドのボウルを発注しました。これで少しはコントロールができるボウリングができると思います。

ゲームは午後7時前に終わり、その後歩いて3分のすし屋『銀蔵』で懇親会を行いました。コース料理で2時間飲み放題なので、ビールで乾杯の後、刺身の盛り合わせやカサゴの塩焼きなどを肴に、酒量はどんどん上がっていきました。近況報告のあと、ボウリング談義など話題は尽きず、約2時間の懇親会が盛況のうちに終了しました。次回は来年1月に新春初投げを予定しています。
(世話人 稲垣友三)
What’s JAZZ 第66回ライブコンサートのご案内
What’s JAZZ!
ジャズへの招待vol.66~正統派ジャズクリスマス~
男性ヴォーカリストによる正統派ジャズコンサート。
ジャズサウンドの心地よさに身を任せてみませんか?
今回は土曜日開催です。土曜日の午後のひとときを
お楽しみください。日頃お仕事などで参加できない
方もお出かけください。お待ちしています。
2023年12月9日(土)
・ランチタイムコンサート 12:30開場 13:00開演
・ティータイムコンサート 15:30開場 16:00開演
※開催時間変更しています。
・出 演 柳原伸之(vo) 金山マサ裕(p)貫田重夫(sax)
菅井 信行(b) スインギー奥田(ds)
・曲 目 Desafinado、Mack the Knife、黒いオルフェ、他
・場 所 関戸公民館ヴィータホール(ヴィータコミューネ8F)
・入場料 ランチタイム、ティータイムコンサートそれぞれ2,000円
(ランチ、ティータイムの2回分購入の場合3,000円)
前売り券はヴィータ7F多摩ボランティア市民活動支援セ ンターで発売、042-372-6611
11月7日(火)10時から12月8日(金)午後5時まで
当日券(残余ある時)は当日11時30分から会場受付で発売
・定 員 230席
・主 催 What’s JAZZ実行委員会(042-71-4084 山中)
・共 催 関戸公民館 (042-374-9711)
第23回稲城稲門会「歴史散歩の会」のご案内
令和5年10月27日(金)
幹事 須永
今年の春には、コロナもほぼ治まって、近場の国史跡「武蔵府中熊野神社古墳」を尋ねました。1300年前に、現在の東京都・埼玉県・川崎市・横浜市からできた武蔵国のいわば県庁所在地として多磨郡府中に国府が設定されましたが、当時の建築技術を大幅に超越した古墳の被葬者は全くの謎の人物で、国府設定への関わりが議論されています。
今回の歴史散歩の会のメイン会場は、1300年前をさらに大幅にさかのぼる今から5000年前の縄文時代中期後半の環状貝塚(北貝塚、直径140m)と4000年前の後期後半の馬蹄形貝塚(南貝塚、直径190m)で、これら二つの大型貝塚で形成されるこの加曽利貝塚が日本最大で、平成29年に貝塚として初めて国の「史跡」に指定されました。縄文時代の貝塚は約2,400か所が確認されており、中でも東京湾沿岸には全国の1/3の貝塚が確認されています。加曾利貝塚博物館には、発掘された多くの土器・土偶・石器等が陳列され、貝塚の内部を観察できる野外観覧施設も(貝塚断面観覧施設、復元集落等)あり、ゆったりとした気分で貝塚周辺を散策出来ます。
あわせて、どうせ千葉にいくのですから、千葉駅近くにある頼朝側近であった千葉氏のゆかりの千葉神社にも立寄ります。厄除開運・八方除の北辰妙見尊皇王(通称で妙見様)を主祭神として、北極星・北斗七星の神霊を祀った妙見本宮です。豪勢な拝殿本殿があり、また分霊社尊星殿(そんじょうでん)には目を見張ります。

熊野神社古墳にくらべれば、確かに遠方ではありますが、千葉モノレールを使いますので、歩く距離はさほどでもなく、上下も殆どありませんので、安心して散策&訪問出来ますので、5,000年前の遺跡見学に足を延ばしてください。多数の方々のご参加待ちしております。
記
日時 令和 5年12月3日(日)
午後1時00分集合 午後4時半過ぎ頃にコース巡り終了(千葉)予定
集合場所 JR千葉駅 中央改札前
(稲城11:15→京王線→調布11:25→笹塚11:38→都営新宿線→馬喰横山/馬喰町12:09
→総武線→12:44千葉)
(稲城11:15→調布11:25→特急→新宿11:48→中央線→お茶の水12:01→錦糸町12:14
→総武線快速→12:44千葉)
コース 千葉駅…千葉神社…大日寺跡(千葉氏ゆかりの地)…千葉駅-千葉モノレールに乗車-桜木駅…加曾利貝塚…桜木駅-千葉駅
解散後の懇親会は千葉駅周辺で¥4,000程度の予算で開催予定。(懇親会不参加の方はその旨ご連絡ください)
参加連絡先 稲城稲門会 須永 E-mail nql39687@nifty.com
メ―ル受信の方はこのメールに返信ください。 TEL&FAX 042-331-9780 mail 090-5331-7214
ご参加のご連絡は、開催日の1週間前(11月26日/日)迄にお願いします。
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第118回俳句同好会
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の第118回目の句会が10月20日午後、多摩市関戸の公民館和室で開かれた。事前に8人がメールで投句、当日は1人が欠席、選句のみ世話人に伝えたが、7人は出席して選句、合評を行った。
8人が5句ずつ投句して合計40句が選句の対象になったが、句会では20句が選句された。つまり投句の半分が選に入ったわけだ。
10月の高得点句は〈美濃紙の行灯に寄り走り蕎麦 〉だが、老舗の蕎麦屋の光景が浮かぶ。合評になって木曽路を旅しての句と説明された。〈冷まじや禁逃散と高札に〉はどこの景か?と合評で疑問の声が上がったが、作者が木曽路の馬籠宿の実景だと説明した。
特選となった〈真昼にも願ひの数の流れ星〉は、金子みすゞの〈昼のお星はめにみえぬ みえぬけれどもあるんだよ〉という詩を連想させると指摘された。みすゞの詩を踏まえた句もあっていいという結論になったが、特選になるか選外になるかのどちらかだという句評になった。
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選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名(特選は◎で表記)
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美濃紙の行灯に寄り走り蕎麦―――川俣あけみ(宮地◎、川面、辻野、又木)
古日記捨て家畳む秋の風―――川俣あけみ(松井◎、辻野、又木、宮地)
綿飴のはかなさを愛づ秋祭―――白井昭男(川俣◎、川面、長張)
風を掃き風に戻されむら芒―――松井秋尚(長張◎、辻野、又木)
冷まじや禁逃散と高札に―――川俣あけみ(又木◎、宮地)
真昼にも願ひの数の流れ星―――宮地麗子(川面◎)
秋の灯の古書肆へ回るそぞろかな―――川俣あけみ(又木、松井、宮地)
赤蜻蛉水琴窟の竹の筒―――川面忠男(白井、長張、宮地)
次々と風の解きゆく曼珠沙華―――辻野多都子(川面、川俣)
秋茄子の小さき尻やほまち畑―――辻野多都子(川俣、長張)
鴨来たる去年の小川を違はずに―――宮地麗子(白井、松井)
満を持し旅に立つなり木の実落つ―――宮地麗子(辻野、松井)
合掌の屋根より糸瓜ぬうぼうと―――川俣あけみ(辻野、長張)
稲実るあぜ道狭し風通る―――長張紘一(白井)
ひと品は店主の勧め秋茄子―――松井秋尚(白井)
ゾンビめく里田の中の捨案山子―――又木淳一(川俣)
葉を揉めば薄荷の香り秋涼し―――松井秋尚(白井)
大花野尽きたる西にウクライナ―――又木淳一(川俣)
出来立ての色の重たき今日の月―――松井秋尚(川面)
二度咲けば母の忌日よ金木犀―――又木淳一(松井)
(文責・川面)
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