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第200回「いねの会」に20人が参加
2019-11-24
カラオケサークルの「いねの会」は11月19日の月例会が第200回となり、これまでで最多の20人が参加した。会場は多摩市関戸のスナック「麗」だが、マイクを握って立つ背後の壁に「祝 いねの会二〇〇回記念」と墨で書かれた紙も貼られ、お祭りの雰囲気になった。
青木康成会長の挨拶に続き、「いねの会」を立ち上げた田中亮介さんが乾杯の発声。同じく「いねの会」立ち上げ者の一人、白石徹郎さんがトップで「面影の郷」を歌った。
いつもは各人が選曲を入力するが、当日は「麗」のママの宮地麗子さんが20人全員の選曲入力を代行した。これは事前に歌のプログラムを作っていたので可能になった。
参加者それぞれが事前に挙げた唄は3曲ずつで選曲の理由も述べて稲積滋さんに伝えておいたのだ。稲積さんが「ソングリスト」としてまとめたことから筆者がプログラムを作ることができた。
トリは田中さんの「銀座セレナーデ」。全員が3曲を歌い終わった後、白石さんが宮地さんに感謝の言葉を述べ、多摩稲門会を起ち上げた一人である櫻井和子さんが花束を贈呈した。これは「麗」が2007年1月以来、店を貸し切りにしてくれているおかげで200回を迎えることができたからだ。
「いねの会」の第1回は2002年12月、中河原の「志満屋」で行われ、2006年12月まで続いた。「志満屋」のママ、田島美枝子さんの娘である亀井ゆき枝さんは現在、「いねの会」の会員で当日も参加していた。「志満屋」にも感謝したいと筆者から亀井さんにお花を手渡した。亀井さんは「昨日が母の命日で墓参りに行ってきました」と応えた。これは偶然だが、田島ママへの供養になったと言えるだろう。
12月半ばには冊子「いねの会二〇〇回の歩み」を発行する。関係者19人がそれぞれ唄にからむエッセイを綴っている他、これまでの活動、旅先で歌った思い出などを記している。亀井さんは第1回「いねの会」が行われた日の模様を書いた。臨場感のある内容になっている。おかげで後発組の一人として当時のことを知ることができた。
11月の200回記念例会では参加者と「麗」のママから冊子制作の協賛金や200回記念の祝い金が寄せられたので制作費は十分にある。冊子は現在の希望部数よりは多めに80部を印刷する。
(文責・川面)
中川邦雄さんとの「お別れの会及び励ます会」の報告
2019-11-24
令和元年11月22日(金)午後6時半から、雨降りそぼる多摩センター駅前、京王プラザホテル多摩2階「あしび」で、10月に多摩市から静岡県熱海市に居住を移した、多摩稲門会名誉会長中川邦雄さんの「お別れの会及び励ます会」が開かれた。定刻に現れた中川さんは血色も良く、年齢より10才若く見えた。
出席者は中川さんのほか、現在の多摩稲門会の執行部である常任役員6名(尾ノ井会長、白井副会長、長張副会長、浅井副会長、平松幹事長、稲垣副幹事長)で、感謝の気持ちを込めて集まった。役員皆中川さんの薫陶を受けて、稲門会活動に精進してきた人間ばかりで、別れを惜しむ気持ちがこの会を招集した。
尾ノ井現多摩稲門会会長の発声によるビールの乾杯のあと、前菜や刺身が配られ、稲門会で活動したことや、現在の熱海での生活に話が弾んだ。幹事の稲垣より色紙が出席者に順に回され、思い思いに中川さんに対する感謝の言葉を色紙に書き添えた。中川さんには後でその色紙を読んでもらうことにした。
熱海の生活も奥様と快適に過ごしていくが、多摩稲門会も退会はせず、これからも山野を歩き、足腰を鍛えていくと述べた。
最後に関東一本締めで景気良く終わり、中川さんのお見送りの中、皆、雨の中を帰途についた。
(稲垣友三記)
多摩三田会との交流について
2019-11-24
多摩稲門会会員の皆様
永遠のライバルである慶應義塾OB会の多摩三田会代表者から当会へ更なる交流促進の要望がありました。
多摩三田会は本年創立30年、多摩稲門会も来年創立40年を迎えますが、会員の高齢化、帰属意識の希薄さ等会員の確保が難しく共通の課題となっています。
現状打開策として、ホームページを通じて両校OBのサークル交流の実情と魅力を積極的に訴え、未加入の愛校心の高い校友にも関心を持っていただく必要があると考えます。
昨年来、三田会より美術展覧会・高尾山夜景観賞グルメの会・カラオケの会・鎌倉散策等の勧誘があり、多摩稲門会員からも複数の会員が参加されました。親睦の機会も増えその後の交流も徐々に広がりつつあります。
先般の多摩三田会幹部諸氏との打ち合わせに於いて、双方の窓口担当者を指名し更に進展させるべく意見が一致しました。稲門会側では浅井隆夫副会長に総括担当者としての役割をお願いしました。会員の皆様におかれましては交流の企画に際し、興味を感じ参加してみようと賛同される方が増えれば幸いと存じます。
イノベーションは「既存の知と知との新しい組み合わせ」から生まれるという経営学の考え方があります。三田会の人脈と稲門会との人脈との緩いつながりが融合し、また切磋琢磨する中でサークル活動に変化が起こり新規会員確保にも繋がる事を大いに期待します。
多摩稲門会会長 尾ノ井光昭
第71回俳句同好会
2019-11-17
多摩稲門会のサークル「俳句同好会」の11月例会は15日午後、多摩市の永山公民館和室で開かれた。会員の一人が休会となり、残りの6人が5句ずつ投句と選句を行なった。同会は俳句の結社ではなく稲門会のサークル活動を楽しもうという趣旨で発足して以来、6年の歳月が過ぎたが、10人ほどいた会員が半数近くに減り、今後とも活動を継続できるか危ぶまれる。当日はそういう認識を持ちながら投句が添削されるなど充実した句会となった。
晩秋ではあるが、暦は初冬。その季節感を伝える句が11月の投句の特徴だ。それら投句の中で作者を除く出席者全員の選句が出た。〈折鶴はどこも鋭角冬に入る〉という句。〈どこも鋭角〉という措辞は新鮮な感覚。折鶴は季語でないが、鶴という冬の季語と〈冬に入る〉という季語の二重の響きが句の力を高めているという評になった。
次の高得点句、〈三代の裾の上げ下げ七五三〉は、〈裾の上げ下げ〉が従来の句にはない新しい視点と評された。
例月は選句が投句の半数以上になるが、11月は半数以下となった。これは以上の二句と〈箱に戻す遺愛の筆や小夜しぐれ〉という句が高得点を得た結果と言える。
当日の選句結果は以下の通り。カッコ内は選句者名。特選句は◎で表示。
折鶴はどこも鋭角冬に入る 川俣あけみ(川面◎、又木◎、辻野、長張、宮地)
三代の裾の上げ下げ七五三 又木淳一(川俣◎、川面、辻野、長張)
箱に戻す遺愛の筆や小夜しぐれ 川俣あけみ(宮地◎、川面、辻野、又木)
干し柿の微かなる揺れ風見ゆる 宮地麗子(辻野◎、川面)
鹿過る道に流るる読経かな 川面忠男(長張◎、宮地)
招くとも拒むともなき夕芒 辻野多都子(川俣、長張、又木)
朝まだき光彩なす紅芒 辻野多都子(川面、川俣)
玉砂利を踏み締む今朝の菊花展 又木淳一(辻野、長張)
道変へて小さき旅や秋日和 宮地麗子(川俣)
秋高き奈良の山々五重塔 川面忠男(宮地)
競走馬たりし日遥か冬うらら 川俣あけみ(又木)
マルタにて流転の画家に秋の雷 辻野多都子(川俣)
小春日や色合ひ束ね父母へ供花 川俣あけみ(宮地)
身にしむや何も語らぬ未来仏 川面忠男(又木)
(文責・川面)
2019.11(第188回)秋川の古刹を巡る散策
2019-11-17
「山歩きの会」例会は11月12日、「秋川の清流に沿って古刹を巡る散策」を楽しんだ。集合場所の武蔵五日市駅には、既に3人が僕らの到着を待っていた。
武蔵五日市駅から10分弱戸倉バス停で下車した。街道の向かい側に野崎酒造の塀が遠くに見える。東京の10軒の酒造業者の一つであり、金子さんのお薦めの酒でもあった。
櫻井和子さん、中西摩可比さん、荒井孝之さん、鈴木忠男さん、川面忠男さん、林 譲さん、長張紘一の7名の参加である。
バス停から少し戻り右折して坂道を上る。途中、炭焼きの設備かと思うような石組の釜のようなものがある。何だろうとみていると、向かいの家の人が、これは野崎酒造の仕込水に利用する伏流水をくむ井戸だと教えてくれた。上の斜面の畑は、猪で掘り返えされている。坂道は急坂となり、最初のポイントである光厳寺の高台に辿りついた。
光厳寺は、1334年足利尊氏によって開基された五日市では最古の寺ある。背後にある山は室町時代から戦国時代にかけて築かれた戸倉城跡で、大石定久の隠居城としても使われていた。
沢戸橋の手前の細い道を下る。渓谷に沿う遊歩道は、先月の台風による大雨でかなり荒れている。通行止めとなりわき道の急登を上がる。五日市青少年旅行村の施設は休みであったが、広場に並ぶベンチで昼食をとる。川の水は少し濁っている様である。陽のあたらないベンチは少し寒さを感じる。
食事の後、ここから通行止めが開放された下の遊歩道に降り佳月橋に向かう。道は整備されてはいるが、岸辺には倒木の残骸が至る所に散在し、台風禍の大きさがうかがえる。日陰は寒さを感じるが、歩きはじめると程よく暖かくなってくる。風もなく快晴の絶好のハイキングであるが、遊歩道は雨の影響で滑りやすくなっていた。
佳月橋から両岸が見渡される。紅葉する秋川の上流には、最初に訪れた光厳寺背後の城山(戸倉城跡)の頂が遠望できる。
佳月橋を渡らずに右折し段丘の坂道を上る。スマホのGPSを見ながら広徳寺目指して上って行く。
簡素な総門を潜ると奥に山門が構えていた。
広徳寺は1373年に創建され、茅葺の山門は室町期の面影を留め、堂々たる風格を漂わせている。山門をくぐると見事なイチョウの巨樹が左右に並んでいる。イチョウは黄葉の時期となり、振り返る姿は高く一見の価値があった。2本の大イチョウの間を進むと右側に鐘楼、前面に本堂が位置していた。
茅葺の本堂の屋根には北条氏の家紋である三つ鱗が見える。本堂の横には池があり、裏には都内最大といわれるタラヨウが構え、実を一斉につけ赤く色づいていた。また、更に進むとカヤの巨木があり、どちらも都の天然記念物に指定されている。境内から出て秋川に向い下って行く。佳月橋の一つ下流にある小和田橋に向かう。
小和田橋を渡り直ぐに右折し、直に左側の階段を上る。最後のスポット阿伎留神社に入る。
武蔵五日市駅の売店で、地元酒造の「喜正」をそれぞれ買い求めた。これも金子さんに教えられ恒例となってしまった。立川駅から居酒屋「磯村水産」に入り、先ずは生ビールで乾杯。今日一日快晴の秋空に恵まれ、楽しい一日を過ごすことができた。
長張記
早稲田大学「東京三多摩支部大会」に参加しました。
2019-11-17
早稲田大学「東京三多摩支部大会」開催。
主幹稲門会:青梅・羽村・昭島3稲門会
場 所 :青梅市福祉センター
11月10日(日)、午後2時~、快晴のもと開催されました。(東青梅)多摩稲門会より、尾ノ井光昭会長、浅井隆夫副会長、平松和己幹事長、稲垣友三副幹事長の4名が参加。
第一部・・・ご来賓の田中愛治総長が挨拶をかねてご講演。 私達校友に、着任以来1年間の実績を紹介しながら、「これからの早稲田が目指すもの」として、45分間に亘って語られた、あたかも「授業」を聞くがごとく、「研究」「教育」「社会的貢献」を柱として、「たくましい知性」と 「しなやかな感性」もって対応してゆく人材を育てて行く、と熱く述べられました。聞いている私達は強く共感を得るとともに、今後の早稲田の動向に大いに期待を持ちました。
第二部・・・ニューヨーク帰りのメグ・オークラさんのジャズヴァイオリンに堪能。洗練されたなかにも力強い演奏であった。
当日は、ラグビーの早稲田×帝京戦がアナウンスされ、一喜一憂、最後に勝利の知らせに会場は湧きたった。
終盤、早稲田応援部のショータイム。リーダー安田直矢さんのもと、「光る青雲」「紺碧の空」など応援歌を熱唱。何時もながらの応援部の掛け声、皆の手拍手と一体となって元気づけられた。校歌「都の西北」とエールの交換で余韻を残しながらお開きとなった。
(文責ー平松和己)
大病に見舞われた中村昭夫さんを励ます会
2019-11-10
閉塞性動脈硬化症で左足を股下から切断した多摩稲門会幹事の中村昭夫さん(81)を励ます会が2日、京王・小田急多摩センター駅近くの中華料理店「桃里」で開かれた。
尾ノ井光昭会長ら多摩稲門会常任役員会のメンバーが、次女で介護士の梨絵さんに付き添われ車椅子に座った中村さんを囲んで定評のある中華料理とビールや紹興酒などを味わいながら談論風発。常任役員会にも時々参加されていた中村さんの活動ぶりや東芝時代の思い出話などで大いに盛り上がり、アッという間に2時間が過ぎ去った。
中村さんは長年、東芝に勤務し、米国駐在員などとして活躍されたあと多摩稲門会に入会。音楽活動などで文化フォーラムに出演されたりして貢献されたが、今年5月ごろ体調を崩されて左足が壊死。膝下から爪先まで黒く変色する重症となり、左足の大部分を失った。
中村さんはこれまで、胃がんや大動脈解離も患ったもののいずれも克服。今回も9月半ばに退院後自宅で静養され、食欲も旺盛で体重が4、5キロ増加。驚異的な回復ぶりをみせている。
「これまで大病を乗り越えてきたので今回も怖いということはなかった」「リクエストもあるので年明けから音楽活動を再開したい」と意欲を示し、重病を乗り越えた喜びとともに今後の抱負を意欲的に語った。
(副会長 浅井隆夫)
第1回健康麻雀競技会開催報告 “初代王者決定!”
2019-10-30
10月27日(日)第1回健康麻雀競技会を永山の「麻雀童夢」で開催した。
参加者は11名(内、女性2名)。参加予定の1名が急用で参加できなくなり店スタッフの篠原さんに代打ちいただいた。
12時20分麻雀童夢店長の開始合図により3卓で熱き戦いが始まり、各卓から「ポン」「チー」「リーチ」「ロン」「ツモ」の発声が次々とあがった。
出場選手は成績が記入されたホワイトボードを休憩時間に確認し、半荘毎の着順のアップダウンに一喜一憂した。
毎月定期的に麻雀を楽しんでいる子幡嘉之さん、斎藤光彦さん、佐藤喜昭さんの腕前は確かで3人とも予想どおり上位入賞を果たした。
また、小野 勝さんと鈴木忠男さんは数十年ぶりに麻雀とのことであったが、後半徐々に調子を上げて堂々の上位入賞を遂げた。
16時30分半荘4回の激戦終了後、成績上位5名に幹事から賞品が授与された。
その後、懇親会参加希望者6名が「瞬彩永山店」へ移動し、当日の反省と自慢話に大いに盛り上がり杯を重ねた。
次回は来年2月頃に予定。腕に自信のある方、ない方、もう何十年もやっていない方でも大丈夫ですので奮って参加してください。楽しい会でした。
上位入賞者および参加者は以下のとおり(敬略称)。
(上位入賞者・最終ポイント)
優勝 子幡嘉之 159.4
準優勝 斎藤光彦 136.6
3位 小野 勝 128.7
4位 鈴木忠男 118.7
5位 佐藤喜昭 112.2
(参加者)
鈴木忠男、斎藤光彦、佐藤喜昭、子幡嘉之、長張紘一、尾ノ井光昭、 平松和己、菊池恵子、小野 勝、関谷一穗、幹事 野宇 進
野宇 記
秋川の清流に沿って古刹を巡るご案内
2019-10-27
11月例会は、秋川の清流に沿って下りながら、幾つかの古刹を巡ります。
光厳寺は、南北朝時代の光厳天皇がその名の由来で、五日市では最古の寺。
広徳寺は、創建が南北朝時代の応安6年(1373)といわれ、堂々たる風格を漂わせています。山門をくぐると目に飛び込む大銀杏の他、タラヨウやカヤは都の天然記念物にもなっています。
阿伎留神社も,平安時代初期の延喜式神明帳にも載る古社です。
渓谷に沿った遊歩道を歩きます。
晩秋の秋川の自然に親しみ、体力アップに心掛けましょう。
ご検討の上、体調に合わせご参加下さいますようお願いいたします。
1.日時 11月12日(火)
2.予定 Bコース 秋川渓谷 (歩行3時間弱)
参考 聖蹟桜ケ丘駅9時44分→分倍河原駅9時55分→立川駅10時13分→
拝島駅10時27分→武蔵五日市駅着10時55分
○ 集合(11:00) JR武蔵五日市駅改札口広場
武蔵五日市から檜52番 瀬音の湯・上養沢行き11時03分発に乗車
→戸倉バス停下車(11時10分)
徒歩開始 戸倉バス停→光厳寺→秋川渓谷遊歩道→五日市青少年旅行村→広徳寺→阿伎留神社→武蔵五日市駅
○ 持ち物・装備
ハイキングスタイルでご参加下さい。昼食、水、間食等 各自お好みで、帽子、タオル等、雨具(折り畳み傘)
○ 雨天の場合は中止します。迷うような場合は、電話でお尋ね下さい。
参加ご希望の方は、長張(tel 042-337-1792 携帯080-5544-6915
e-mail nagahari@ttv.ne.jp)にお知らせください。
歴史に遊ぶ会10周年の記念冊子を発行
2019-10-20
多摩稲門会はサークル「歴史に遊ぶ会」が10周年となる記念に「旅と史談のサークル記」と題した冊子を発行する。
同会は2009年11月に第1回の例会を開いた。来る11月で10周年になる。この機会に「旅と史談のサークル記」と題した冊子を発行することにしたものだ。
第1章は「大きな旅」篇で奈良の明日香路と山の辺の道、それに佐渡の旅の紀行文で構成している。明日香路は奈良県指定のガイドになっている早稲田の先輩に案内してもらった。その縁で大神神社のご神体である三輪山の前まで拝観できたのが特筆であろう。
第2章は「小さな旅」篇で静岡市の史跡巡り、鎌倉の古刹巡り、都電沿線の史跡巡りで構成している。いずれも日帰りの旅である。静岡の旅は静岡高校の卒業生である筆者が案内役となった。鎌倉は鎌倉稲門会の方にガイドを依頼した。荒川線沿線の史跡巡りは藤井國男会員が綿密な下見をしたうえで案内したものであった。
第3章は「史談会」篇だ。「伊達騒動の真実」、「幕末の庄内藩秘史」、「秩父事件」で構成している。「伊達騒動の真実」は仙台勤務の経験がある筆者が『宮城県史』の寛文事件、いわゆる伊達騒動に関する記述などをもとに語った内容の記録だ。「幕末の庄内藩秘史」は辻野多都子会員の先祖が「丁卯(ていぼう)の大獄」で佐幕派によって処断された勤王派の中心人物であり、辻野さんから資料をいただいて史談会を行った、その際の記録だ。また「秩父事件」は現在、稲門会の会長である尾ノ井光昭さんが同事件の130周年に当たる2014年に資料を読んだり現地を歩いたりして語った内容の要旨である。
冊子はサイズがA5、約160頁、カラー写真を16枚入れている。発行日は令和元年11月1日、発行者は多摩稲門会、編著者は川面忠男(歴史に遊ぶ会の世話人)、印刷所はヤマオー事務機(東京・中野)となっている。50部限定の非売品であり、製作費は多摩稲門会会員の協賛金を募って充てる。

















