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第10回南大沢碁会ご案内
2016-01-10
第10回南大沢碁会を以下の要領で実施いたします。
奮ってご参加ください。
(日時) 2016年1月21日(木) 午前10時10分~午後5時(集合は直接会場へ)
(会場) 南大沢市民センター 第2会議室
(参加費) 1,000円(会場費+賞品代)
(打ち上げ懇親会) 午後5時からまるかみ水産”まぐろ人”、2,000円前後
(大会形式) スイス方式4回戦・・・午前中1局、午後3局
以上/西村
第59回多摩稲門会文化フォーラム・賀詞交歓会 第1部 タンゴ演奏会(演奏曲目)
2016-01-03
日 時; 2016年1月30日(土) 午後4時~6時
(都合により30分時間変更しました)
会 場; 多摩永山情報教育センター7F 美膳・電話 042-338‐0602
(下記現地詳細図参照)
演奏曲目
1 Loca(ロカ:狂女)
2 Felicia(フェリシア)
3 Cafe Dominguez(カフェドミンゲス)
4 Hotel Victoria(オテル・ビクトリア)
5 Mano Brava(マノ・ブラーバ)
6 Lagrimas y Sonrisas(ラグリマス・イ・ソンリサス:涙と笑い)
7 El Dia que me Quieras(エル・ディア・ケメ・キエラス:想いの届く日)
8 Caminito(カミニート:小径)
(みんなで歌おう)
9 冬景色
10 いつでも夢を
11 見上げてごらん夜の星を
12 Por una Cabeza(ポル・ウナ・カベサ:首の差で)
13 Nocturna(ノクトゥルナ)
14 Sentimiento Gaucho(センチミエント・ガウチョ:ガウチョの心)
15 La Cumparsita(ラ・クンパルシータ)
紺碧の空
演 奏 ;Los Pollitos(ロス・ポジートス)
早大「オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダOB / OG会」
メンバー バンドネオン:神谷太郎 バイオリン:村田竜一、大西理香
ピアノ :尾崎順子、野村令奈 ベース:鎌田 剛 ギター:大森一樹
2004年に、オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダのOBを中心に結成した、トラッドなアルゼンチンタンゴを得意とする、日本でも数少ないオルケスタ・ティピカ編成の若手アマチュア楽団。「踊れるタンゴ」を合言葉に、都内のミロンガ(ダンスパーティー)などでダンサブルかつ熱いタンゴを演奏している。過去に自主ライブを4回行ったほか、日本を代表するプロ・アマのタンゴバンドが出演する「東京タンゴ祭」にも5回連続出場をはたしている。また、3年前から、慶應義塾大学OBと共同で開催している「アルゼンチンタンゴ早慶戦」にも3年連続で出場中。
多摩稲門会・ライブ演奏同好会 ; 共催
多摩稲門会山歩きの会 1月例会
2015-12-27
A・Bコース あきる野市 大澄山(203m)散策コース
新しい年を迎え、またご一緒に元気に山歩きを楽しみましょう。A・Bコースは、東秋留駅から羽村駅までの街なかの散策コースです。郷土の自然と文化を満喫できるウォーキングコースで、大澄山からは、多摩川の流れや羽村、福生などの市街の展望が楽しめます。途中、秋川のファーマーズセンターでの農産物ショッピングや、二宮考古館、羽村市郷土博物館での歴史・文化探訪もできます。
ご検討の上、体調に合わせご参加下さいますようお願いいたします。
1.日時 A・Bコース 1月12日(火)
2.あきる野市大澄山(203m) (歩行2時間50分)
○ 集合 (10:20) 京王線聖蹟桜ヶ丘駅上りホーム
聖蹟桜ヶ丘(10:29)→分倍河原駅乗換 JR南武線(10:37)→(10:48)立川駅乗換JR中央・青梅線快速(10:51)→(11:02)拝島駅(11:07)→(11:11)東秋留駅
徒歩開始 東秋留駅(:5)→二宮考古館(:10)→秋川ファーマーズセンター(:10)→秋留台公園(:30)→慈勝寺(:10)→大澄山(1:00)→浅間岳(:20)→羽村市郷土博物館(:25)→羽村駅
○ 持ち物・装備
・昼食、水、間食等 服装長袖シャツ、帽子、軍手、タオル等、雨具(折り畳み傘)等、ハイキングスタイルでご参加下さい。
○ 雨天の場合は中止します。迷うような場合は、メールか電話でお尋ね下さい。
参加ご希望の方は、長張(tel 042-337-1792)(e-mail nagahari@ttv.ne.jp)にお知らせください。
尚、1月30日(土)、賀詞交歓会アルゼンチンタンゴ演奏会が予定されています。各位にはご予定に入れておいて下さるよう。
早稲田野球を語る会
2015-12-27
12月16日夕方「鳥はな」で野球部OBの亀田さん(昭和35年卒)を 囲んで、田中さん、浪久さん、吉川さん、鷹尾さん(日野稲門会)、湯浅が野球談議を楽しみました。
亀田さんは昭和34年に早稲田が大学選手権に初優勝した時に外野手で活躍されました。卒業後は野球部OB会である稲門倶楽部を代表して東京六大学 野球連盟理事の要職を務められました。それだけに人脈も広く早稲田のみならず他大学の事情についても精通された方です。
今年の早稲田大学野球部は、リーグ戦春秋連覇と大学日本一を達成した輝かしい一年でしたが、一方で早慶六連戦を勝利に導いた石井連蔵元監督が9月 27日に逝去(享年83歳)された事は誠に悲しく謹んでお悔やみ申し上げます。 昨年6月「文化フォーラム」でお話し頂いたのが最後の講演だったとの事です。 会の冒頭に、故石井元監督の愛弟子でご信頼の厚かった亀田さんの発声で献杯してから年忘れの宴に入りました。
(1)石井監督と安藤投手アルコールのピッチが上がるにつれて話が弾みましたが、何といっても石井元監督(以降石井さんとします)の話題からでした。亀田さんは石井さんの猛ノックの凄まじさについて話されましたが当時我々も安倍球場のスタンドから見ていただけにその光景が蘇りました。「鬼の連蔵」の異名がピッタリであった一方で、酒豪で数々のエッピソードがあり、根は優しい方だった実像をお聞き しました。お話しの端々から石井さんが今もOBの方達から敬愛されている事が良く判りました。続いて安藤投手の話になりました。亀田さんによりますと「普通新人が打撃練習で上級生に投げる時には打ち易い球を投げるのだが、安藤投手は違っていた。内角ギリギリ一杯にノケゾルようなえげつないシュート ボールを平然と投げ込んできた。余程球威とコントロールに自信があったのだと思う。打っても詰まらされてしまう。寡黙で練習熱心な良い男だった」そう です。
(2)長嶋・中西・石井藤吉郎さん話題は過去の名選手の話になりました。亀田さんは長嶋の8号ホームランを 選手席から見ていたそうです。最終試合で新記録の本塁打を打っただけでなく 続いてヒットを打って打率でも今迄1位の選手を抜いて首位打者を取ったのだから本当にすごい選手だったと話されました。私も長嶋は六大学史上最高のスタープレイヤーと思います。 一方で、早稲田志望の中西を三原さんが惚れ込んで西鉄に強奪してしまったがもし、早稲田に進んでいたら本塁打は10本位打っていたのではとの話になりました。次に明治の高山の通算131本安打新記録が話題になりました。しかし高山の記録は4年間であったのに対して、石井藤吉郎さんは戦争の為昭和23~ 25年の3年間しかプレー出来なかったのに114本安打しました。1年38本ですから仮に4年間だったら、38 x 4 =152本となる勘定です。因みに高山は 3年終了時に100本ですから石井さんが如何に素晴らしい打者だったかが判ります。亀田さんは石井さんが55歳の頃、何かの試合のPHで打席に立って クリーンヒットを打ったのを見てど肝を抜かれたそうです。又現役時代六大学リーグ戦で森監督から「試合を決めて来い」と言われて「ハイ。判りました」と答えて3番の荒川宗一さんが二塁打を打った後で石井さんがライトオーバーの豪快な本塁打を打って勝利を決めたとの事です。抜群の長打力と正確なヒット打ちの技術を併せ持った桁外れの選手だったとコメントされました。 以上の事から、僭越ながら私は石井藤吉郎さんが戦後六大学の最高の左打者だと信じています。
(3)三原さんと高橋監督亀田さんは、前日の15日に野球部同期会があり、同期の一人が近藤昭仁に「三原マジックとは何ぞや?」と質問したのに対し、近藤は「三原さんは練習を黙って実に良く見ていて選手の調子を見極めて試合の作戦を立て的中したのであり、決し奇を狙ってはいなかった」と答えたそうです。翻って「高橋監督もやっぱり黙って長時間練習を見ているので三原さんと通じるものがある。又1~2年時の監督の森さん、3~4年時の石井さんもそうだったので早稲田の伝統は脈々と受け継がれている」と述べられました。それを聞いて私は高橋監督のこれからの采配に期待を大きくした次第です。
(4)期待の新入生 今年の野手のレギュラー8人の内、ショートとセンターを除いて6人が卒業してしまい来年が心配です。それだけに8月末に行われた入部希望者の練習会を見に行きました。バッテイングで目を引いたのが早実の加藤君、日大三高の 小藤君、松山東高の米田君の3人でした。3人共に180cm以上の立派な体格で長打を連発していました。その3人が合格したと聞きました。ポジションは、 同じ捕手ですが、亀田さんの見解では3人の適性を見てコンバートするだろうから心配はいらないそうです。加藤君は1年の時は外野手で足も速いので外野 になるかも知れません。他の2人も1人はコンバートの可能性ありです。 高橋監督の育成手腕に期待大です これ以外にもオフレコ的な話もあり3時間を超える実り大きな大変盛り上がった会合となりました。
(文責:湯浅 芳衛)
早稲田マンドリンクラブOBの演奏会のお知らせ
2015-12-27
暮れも押し迫りご多忙の日々をお過ごしのことと存じます。
来年の話ですが、1月24日(日)に早稲田マンドリンクラブOBの演奏会を
開催します。小生も出演しますので、お暇でしたらご来聴頂ければ幸いです。
場所、演奏内容は次の通りです。
宜しくお願いします。
日 時:1月24日(日)13:00開場 13:30開演
場 所:銀座ボロッサムホール(旧中央会館)銀座2-15-16
地下鉄新富町1番出口より徒歩1分
入場無料
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演奏曲目:
・早稲田大学応援歌「紺碧の空」(古関裕而作曲 赤城淳編曲)
第一部 コンラート・ヴェルキ作曲ステージ
・序曲第2番嬰ヘ短調(赤城淳編曲)
・大いなる時(赤城淳編曲)
・一楽章の交響曲(赤城淳編曲)
第二部 マンドリン独奏
マンドリン 林 真衣 ギター 小林 透
第三部 ラテン・リズムのステージ
・マンボ No.5(Damaso Perez Prado作曲 赤城淳編曲)
・月の砂漠の主題によるボレロ風小幻想曲(赤城淳作曲)
・ラテン・ファンタジー
そよ風と私(アンダルシア)~ある恋の物語~
キエン・セラ~ラ・コンパルサ~マラゲーニャ(赤城淳編曲)
アンコール
・ウエストサイドストーリー序曲(バーンスタイン作曲 伊藤敏明編曲)
・早稲田大学校歌(東儀鉄笛 作曲 赤城淳編曲)
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以上、よろしくお願いします。
上條喜義
第24回俳句同好会
2015-12-20
メンバーの金子宏二さんが8日に逝き、俳句同好会の会員が8人と寂しくなった。第24回目となる12月例会は18日午後1時半から永山公民館・和室で行われ、7人が参加した。欠席者もメールで投句、選句し、フルメンバーの句会となった。
古文書を拡げしままや枯木星、という金子さんを悼む句が満点、うち3人が特選句とした。
4点句、柞山(ははそやま)先頭をゆく冬帽子、の冬帽子は金子さん。柞はコナラ、クヌギなどの総称。金子さんはサークル「山歩きの会」の幹事として参加者をリード、木々が枯れた冬の山道でも先頭を歩いた。
焼け跡の友の逝きたり帰り花、は早大仏文科で同級だった野坂昭如さんを追悼した句。亡くなって再びマスコミの脚光を浴びたことから季語は帰り花。
小夜時雨姉の遺品の置時計、も小夜時雨という季語が生きているという評だった。
投句された24句のうち18句が選句されたが、言葉をもっと工夫したほうがよいとか意味がいまひとつわからないとか注文がついた句も少なくない。また選外となった6句についても意見を述べ合い、充実した句会となった。
句会は4時に終わり、最寄りの飲食店で忘年会を行った。7人が参加し、金子さんに献杯した後、思い出話に耽った。
前回11月の例会で、薬効もと思えど口惜し木の葉髪、という金子さんの句はストレートすぎるとして選外にした人が、「こういうことになるとわかっていたら選んだのに・・・」と言った。まさか年を越えられないなどと誰も思っていなかったであろう。
当日の選句は以下の通り。カッコ内は選句者名、◎が特選句。
悼 金子氏
古文書を広げしままや枯木星 川俣あけみ(辻野◎、長張◎、又木◎、川面、中川、
平松、萩尾)
捨て癖のつきし老女や十二月 辻野多都子(中川◎、平松◎、萩尾、川俣)
白菜の兵のごとくに括られし 萩尾昇平(川面◎、辻野、長張)
旅終はる夜半の月かな目覚めをり 川面忠男(川俣◎)
小春日やひょっこり人の妻になり 中川邦雄(萩尾◎)
悼 金子氏
柞山先頭をゆく冬帽子 川俣あけみ(中川、辻野、長張、又木)
履き初めの草履つまづく七五三 長張紘一(川面、中川、平松)
小夜時雨姉の遺品の置時計 中川邦雄(川面、又木、川俣)
風なりに傾ぐ枯菊括りけり 川俣あけみ(辻野、又木)
古暦十二縁起の常ならぬ 又木淳一(平松、萩尾)
銀杏を拾えば雄の匂いして 辻野多都子(川面、萩尾)
渋川の渋柿吊るし柿風鈴 平松和己(辻野、長張)
司法試験まだ諦めぬ焼いも屋 萩尾昇平(川俣)
神木を避けし参道落葉敷く 長張紘一(平松)
人気なきテーマパークの橋寒し 川面忠男(中川)
沈黙の枯園空も動かざる 中川邦雄(川俣)
焼け跡の友の逝きたり帰り花 萩尾昇平(又木)
百八の間遠き響き年流る 又木淳一(長張)
(文責・川面)
1月のコートのご案内です。奮って ご参加ください!
2015-12-20
1月のコートが確定しました。
●場所:一本杉公園内テニスコート
▼開催日時等:
・1月05日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・1月12日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・1月19日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
・1月26日(火) 8:00~10:00 Cコート・Dコート
稲垣コーチによるレッスンもあります。 是非、コートへお出でください。
お問い合せは:中里 保司/Mail to ⇒ nkzto@live.jp
2015.12(第155回) 高尾山 (金子宏二さんの供養の会)
2015-12-13
今年最後の山歩きは9日に行われた。一日中爽やかな小春日和、絶好の山歩きの日となった。
参加者は櫻井和子さん、中西摩可比さん、川面忠男さん、依田敬一さん、白鳥金丸さん、橋本 孜さん、浅井隆夫さん、遠藤千尋さん、私を含め9名である。
前日8日の夕方、長い間のリーダ役であった金子宏二さんの訃報の連絡を受けた。今日初めての訃報に暗然とされた方もあった。
2010年3月に「山歩きの会」の記念文集が発行された。それまでに実施された回数は109回、金子さんは実に103回参加されたと記されている。今回は155回目となるが未だに金子さんの記録は更新されていない。
高尾山口駅前広場に10時集合し徒歩開始。ケーブル駅をやり過ごし、真っ直ぐ沢に沿って緩やかに上り6号路に入る。高尾保養院から登山道に入る。登山客は多く賑わっていた。
琵琶滝を過ぎたころから、澄み切った山の空気が漂い初参加の白鳥さんは、何時もの「いいねーいいねー」の口癖が出てきた。
この時期はシダ類が目立ち、草木の花は見られない。大山橋で休憩し、抜きつ抜かれつの団体客に席を譲り出発する。
とび石で6号路を離れ、稲荷山コースに入る。どの道にも登山客で賑わっている。
稲荷山コースに入ると木々の隙間から眺望が見渡せ、富士山の雄姿が霞んではいるが見え一同感動している。
川面さんは地域の会合で一端戻り、再度、忘年懇親会で合流するため一時別行動となった。
モミジ台の北側のシモバシラの氷の花の群生地は、さすがこの気候では無理であった。
モミジ台を過ぎた辺りで並行する上の尾根道に出て休憩ベンチで昼食となった。
集合写真を撮った後、その場で金子さんの先月の「俳句の会」に欠席投句された実質辞世の句となった3句の中の1句『薬効もと思えど口惜し木の葉髪』を紹介した。自句解説として『癌を退治してくれる有難~い薬だが、手櫛でばっさばっさ抜ける髪の毛、何とも悍ましいもので、寂しさと悔しさの初冬です。』と最後に頂いたメールを紹介した。
1時前、一丁平に向かい徒歩開始する。尾根道に沿って清々しい空気の中を進んで行くと一丁平となる。
まだ、脚力に余裕のある中西さん、白鳥さん、遠藤さんはここから展望の良い場所まで先に行き、富士の眺望を楽しんできた。
高尾山と城山の尾根道は幅広く、各方向に通り過ぎて行く。
尾根道の往路を戻り日影沢に降りる脇道に入る。高尾山の北斜面は裏高尾と呼ばれ、登山客は多少少なくなる。日影沢まで北斜面を斜めにほぼ真っ直ぐに降りて行く。今日は、比較的なだらかな道を選んだコースであり、時間的にも余裕のあるハイキングができた。
日影バスの時間を調整しながら日影沢園地で休み、下山後の懇親会の場所選びを始める。このやり方も恒例である。
高尾駅まで歩こうとの云う人、皆それぞれの意見を調整しながら、携帯電話の圏内場所のバス停場所で、居酒屋へ電話で確認をする。選定はグルメの会の浅井さんにお任せした。
予約で満杯と中々定まらなかったが、行先はやっと多摩センターと決まった。
多摩センターに戻り「かごの屋」で川面さんと再会し忘年懇親会が行われた。
以前、各サークル活動の少なかった頃は、多くの会員を集めた忘年会を兼ねていた。現在はそれぞれのサークルで忘年会が行われるようになった。参加メンバーは少なくはなってきているが、久し振りの多人数の忘年会となり、金子さんの人一倍愛した山歩きと日本酒と早稲田の友での「供養の会」となったと思う。
長張 記
安部球場が東伏見に甦った
2015-12-06
11月21日午前10時から東伏見キャンパスで野球部の生みの親である安部磯雄先生の生誕150周年記念式典が行われました。式典は安部先生が初代野球部長と庭球部長を務められたことから「主催:野球部、稲門倶楽部(野球部OB会)、庭球部、稲門テニス倶楽部・協力:慶應野球部、三田倶楽部(野球部OB会)」の形をとったので両部の現役部員とOBをはじめ大学関係者、校友、三田倶楽部からの出席がありキャンパス内の大教室はほぼ満席になりました。
テニスの宮城淳氏が席の近くでしたので『大学日本一男女アベック10連覇おめでとうございます。』と申し上げました所『有難うございます。でも結構危なかったのでよ。』と大変喜ばれていました。宮城氏には依田会長の会社の先輩であるご縁でテニス教室と大学125周年記念講演会の講師をお願いしたことがあります。その後、テニス早慶戦や大学王座決定試合などで時々お目に掛かりますがこの日も変わらずにお元気そうにお見受けしました。
基調講演としてご令孫の安部幾雄氏(前稲門テニス倶楽部会長)が『祖父 安部磯雄の思い出』で「知識は学問はから、人格はスポーツから」が建部精神でその考えを貫いて早稲田スポーツの発展に力を注いだと話されました。引き続いて矢口徹也教育・総合科学学術院教授が『人格の尊重―安部磯雄の教育観―』と題して安部先生の人物像とその教えの今日的意義について講演されました。
両講演共大変感銘しましたが特に学生諸君には良い教訓になったと思います。
我々が学生時代に馴れ親しんできた大学キャンパスの間近にあった懐かしの安部球場は、大学創立百周年事業として総合学術情報センターと中央図書館用地になった為、昭和62年に野球部創部以来の87年の歴史に幕を閉じました。
それ以降野球部グラウンドは東伏見に移転して28年経過しましたが、今般先生の生誕150周年を期して大学当局から許可が下りて、球場で命名式が行われて川口浩野球部長が宣言して『安部球場』が復活しました。
球場は右翼102m、左翼110m、中堅122mで神宮球場と同仕様の人工芝ですし。敷地内には室内練習場と投球練習用ブルペンが完備しています。又バックネット裏には安部先生と初代監督・飛田穂洲氏の胸像が設置されていて野球部員は勿論のことOBの人達も入退場時には拝礼することになっていると聞きました。この事からも野球部の伝統が脈々と受け継がれているのだと思いました。
午後からこの式典を記念して3年生以下の新チームメンバーに両校3人ずつの若手OB社会人野球選手が加わって全早慶戦が挙行されました。野球部は今年春秋連覇と大学日本一の偉業を達成しましたが野手レギュラー8人の内6人が卒業するので来年が気になります。それだけに勝敗そのものより打撃陣で期待できる新戦力がいるのかを注目しました。試合は前半2点リードされのを中盤から追い上げて4得点して4対3で逆転勝ちしましたが、その立役者が早実出身DHの熊田選手(2年)でした。高校時代は2年前の選抜大会に主将四番で出場した左打ちのパワーヒッターで大いに期待していましたが進学後リーグ戦ではベンチ入りしていなかったので心配でした。それが記念すべきこの試合で復活安部球場第一号となる右越え本塁打とライト線を破る痛烈な二塁打で2打点と見事に結果を出したので高橋監督に大きなアッピールになったと思います。来シーズンからの大活躍が楽しみです。
式典出席に当たりましては昨年6月の文化フォーラムに講演して頂いた故石井元監督に随行された野球部OBの亀田健氏に大変お世話になりました。
実は早稲スポ・オッカケたいとしてサークル活動補助金を活用して野球部に気持ちばかりですが8月に1万円を寄付しましたのが学報12月号に掲載されました。それをご覧になっていた亀田氏が式典開式前に川口野球部長に『多摩稲門会さんから野球部に貴重な寄付を頂戴しました。』と私を紹介して下さいました。川口部長から丁重なお礼を言われましたことを余談ですが報告します。
文責:湯浅芳衛
早慶ラグビー:ロスタイムのサヨナラ逆転ペナルティーゴール
2015-11-29
11月23日の伝統の早慶ラグビー戦は例年好天に恵まれるのですが今回は肌寒い雨模様だった。しかしこの試合からW杯で活躍した藤田選手が登場することから関心が高く観客の入りも多いと予測されたので我々は試合開始1時間30分前にラグビー場前に集合した。メンバーは吉川さん、松戸の校友でオッカケたい常連の杉川さん、湯浅の3人で、雨を避ける為に屋根のある南側のゴール裏一般席の中央辺りに座ることが出来た。この席は両軍の陣形がはっきり分る上にゴールライン間際の攻防が手にとるように見える絶好の位置なので1時過ぎから雨が本格的になった為に満席になった。お陰でノーサイド直前の早稲田の逆転劇を手に取るように堪能できて大満足した。
試合は慶應のキックオフボールを早稲田がキャッチミスしたのを慶應がつないで開始2分後にノーホイッスルトライした。慶應主将SO矢川のゴール直前右隅への正確なキックとそれに呼応した右ウイングの連携は見事で、しかも難しい位置からのコンバージョンキックも決まり開始早々0対7なった。
しかしながら早稲田としては絶対やってはいけない試合入りでの凡ミスとあっさりしたディフェンスはチームの未熟を露呈したものでこれからの早明戦、大学選手権に向けて絶対に修正しなければならない。試合は早稲田がFWの優位を生かして攻め入りトライ直前になりながらつまらないパスミス、落球、反則を繰り返してトライできない。イライラが募ったやっと25分に敵陣ゴール前スクラムを押し込んでのスクラムトライはチームに勢いを与えることに繋がるので率直にほめたい。トライ後のコンバージョンキックは入れ頃外し頃の位置であったが外してスコアは5対7となった。
ゴール失敗を見た慶應応援席から一斉に拍手が起こったのには正直「慶應!お前もか!!」と思った。早慶戦ではあってはならないシーンであり、ガッカリした。明治は早稲田がゴールを狙う場面で「外せコール」をよくするので程度の低さを私は馬鹿にしていた。早稲田はこのような事は絶対にして欲しくない。
前半終了直前に早稲田の横山が45Mの長いPGを決めて15対14と逆転したのは素晴らしかった。大試合になるほどキックの巧拙は試合結果を左右する。
後半は慶應に淡白なディフェンスを突かれて3トライを立て続けに許して残り9分で22対31とリードされてもう駄目かと覚悟した。しかし早稲田はここから反撃して1トライ1ゴールで2点差にして、更に自陣からのアタックによりロスタイムに相手のオフサイドの反則を誘ってのPGを決めて32対31と劇的な逆転勝利となった。この場面はW杯の南アフリカ戦で見せた逆転場面を彷彿させるノーミスの見事な連続10回に亘るモール・ラック支配とパス攻撃が実ったもので早稲田ラグビーの真髄を見せてくれた。
この試合で横山は6本中5本のキックを決めたのに対して慶應は4本中2本を外した。もし慶應があと1本キックを成功させていれば試合は1点差で慶應の勝ちだったので私的にはマンオブザマッチには横山を推す。
藤田は流石に学生の中では抜群の強さと突破力を見せたもののチームに合流してから日の浅いこともあってか周りのプレーヤ-との連携がイマイチで直接にはトライに結びつかなかった。しかし今後の戦いでは間違いなく得点力アップが期待出来るので早明戦と大学選手権が楽しみだ。
勝ったから良いようなものの素人目に見ても攻めてはトライ寸前でのミスと反則で決めきれない場面が多いのと守備面ではファーストタックルミス、マークのずれ、ポジショニングのまずさなど課題山積なので是非改善して欲しい。
試合後は体調を考慮してノンアルコールでとラグビー場近くの喫茶店で試合の総括と今後の戦い方に止まらずに来年の有力新入生情報やストップ帝京大の抜本対策等々2時間近く甲論乙駁の意見交換を楽しんで「勝って良かった」と 勝利の余韻に満足して帰路に着いた。